2週間ほど前に、母が嘘をつきました。
(これは日々よくあることで、私はその度に怒り大爆発)心の中で「怒るのは、母が悪いからで仕方がないことだ」とずーと思っていて、母に対する「怒り」を正当化していました。
先日、会長セッションのチェックシート「こうなりたいと思うこと」という項目の所に、「母に対しての怒りを減らしたい、怒らない自分になりたい」と書いている自分がいました。
近頃毎日センターに通い、会員さん達と色々お話しする機会が増え、刺激を多く受けるようになったためか、だんだん母に対する怒りは異常だと思えるようになっており、「このマイナスと向き合わなければ・・・」という気持ちの変化が生まれていたのでした。
その数日後、母がデイサービスで怪我をしたと電話連絡がありました。
これまでなら、母やデイサービスの人に、「なんで、どうして、なにやってんの!」と怒りをはき出したはずが、淡々と話をしている自分に、自分でも驚きました。
同時に、何十年来の頻尿で1時間毎に目覚めてトイレに行っていたのが朝方4時頃まで一度も起きずに眠れました。
これまであえて意識せず、向き合わないようにしてきたことを、逃げずに意識し、意思表示して氣を受けるようにしたことで、こんな変化が起こるのですね。
これからも継続して取り組もうと思います。
(愛知県 Tさん)
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人に伝えるということ
昨日から、私は真氣光研修講座のため沖縄に来ております。
沖縄での開催は今年で6回目、昨年からここ今帰仁を会場としています。
山間にある自然豊かなところで、昔は小学校と幼稚園だった後を完全リフォームして宿泊施設にしているので、広い芝生の校庭があったり、体育館があったり、そこに山羊がいて私達を出迎えてくれました。
朝5時前、ニワトリがコケコッコーとしつこく起こしてくれるので、ここでは目覚ましがいらなかったということを思い出した次第です。
ほんとうにニワトリさんは朝早くから、よく声が出るものです。
何羽いるのかわかりませんが、もう寝てはいられません。
せっかく起こしてもらったのだからと、この原稿を書き始めたというわけです。
ところでニワトリは、何故鳴くのでしょう?オスがメスへの求愛のためとか、縄張りを知らせるため…と聞いたことがありますが、本能的にということ、つまり自分が声を出したいからということでしょう。
人の場合は、周りとの兼ね合いがありますから、そうはいきません。
本来自分の心に思うこと、つまり魂が自分の体を使えることで魂のエネルギーは増えるものです。
今の世の中は、いろいろな事を考えすぎて声を出したくても出せない、言いたいけれど言えないという人が多いような気がします。
人にものを伝えるのは、良いことも悪いことも、悪いことなら特にエネルギーのいることです。
自分の感情を相手に伝えて分かってもらいたいとか、その人のためになるから伝えたいとか、立場上言わなければならないことがあるとか、いろいろと伝える理由があるものです。
私は、たくさんの人達に氣を送って来ましたが、既に亡くなっている人達の中には、伝えたいけれど、伝わらない、分かってくれない、分かってもらえない、そんな魂が本当に多いものです。
思っていても、体が無いのですから当然声にならないわけで、特に氣のエネルギーを失ってしまうと、気づいてもらえる方法がないのです。
体を持って生きているということは、言葉にして確実に相手に伝えられるということなのです。
相手に対して不平や不満をため込む前に、自分が伝えようとする努力をどれだけしたのだろうか。
もっとこうしたらいいのに、このほうがいいのに、何故わからないのか、出来ないのかと思っても、相手がそうなのだから仕方がないということであり、相手が気づいて変わらない限りどうしようもないものです。
こちら側が伝えるタイミングと伝え方を工夫するしかないのですが、それを考え・伝えようとする努力が、まず自分自身の光となることを忘れてはいけません。
真氣光の応援を受けながらやってみることなのです。
(中川 雅仁)
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秋田・大曲で会長の真氣光セッション
昨年に続き大曲での会長セッションが16日開催されました。
前日まで3日間降り続いた雨も上がり流石と感じました。
宮城、岩手からの参加者あり、会場は盛り上がりです。
いよいよ会長が気を送り始めると0さんの身体を借りて色々なマイナスを持たれ亡くなられた方々が出現しました。
泣きわめき苦しそうにしていた方が次第におとなしく深呼吸と共に高い処へと会長に導かれました。
初めての体験で驚かれた参加者もおいででしたが、不思議な世界の体験を納得されたみたいです。
主人は19日に又入院することが決まっていましたから、セッションを受けられてタイミングの良さに感激しています。
参加者は勿論、御縁のある方々に沢山の光が届いた事でしょう。
大曲の会長セッションは今回が18回目の開催です。
ホントにお忙しい中おいで頂いた会長に心より御礼申し上げます。
来年も何卒開催できますように願っています。
感謝の一言でした。
益々真氣光の深さを実感しています。
(秋田県 Yさん)
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きびしくしてくれた先輩に感謝
以前働いていた職場にとてもきびしい先輩がいました。
仕事のことでわからないことを聞きに行くと、「前にも言ったよね」とか「メモはとらないの?何回も同じことを聞いているよね」と言われ、次に質問をするのが怖くなってしまいました。
嫌だなと思いながらも、聞かないとわからないし…と勇気をふりしぼりながら聞きに行っていました。
でもよくよく考えてみると、確かに同じことを何度も聞いているし、メモもとらずにいた自分にも気づき、次に聞きに行くときには、必ずノートを持って行くようにしてみました。
「怒られる」というマイナスの気持ちに自分が反応してしまい、自分のために教えてくれているんだというプラスの見方ができませんでした。
「怖かったね」と思いながら氣を何度も何度も受けていると、子供の頃から母に怒られていたことを思い出しました。
怖かった気持ちが無くなっていくに従い、母も寂しくて不安な気持ちが私への厳しい態度になっていたんだ、母も祖母から同じような扱いを受けたのかもしれないという気持ちを感じることができました。
そしてだんだんその先輩からの注意もなくなっていき、自然と仕事も任されるようになっていき、数年後退職しました。
当時はきびしい人だなと思うだけでしたが、もしかしたらその先輩も辛いものがあったのかもしれないし、最近になってその先輩がきびしく注意をしてくれたお蔭もあって、仕事もきちんと早く覚えることができたのだと感謝の気持ちが湧いてきました。
(東京都 Tさん)
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真氣光マッサージ教室に参加後、頭が軽くなった
ひとくち歳時記「小雪」
「小雪(しょうせつ)」は二十四節気のひとつで、今年は11月23日です。
北国から雪の便りが届く頃ですが、まだ本格的な冬の訪れではありません。
日射しが弱くなり、紅葉が散り始める頃で、イチョウや柑橘類は黄色く色づいてきます。
またこの頃、それまでの寒さが打って変わって暖かな日射しに包まれた陽気になる時があります。
そんな日を「小春日和(こはるびより)」と言いますが、何日か暖かい日が続くと、春の花が勘違いして咲き出すこともあります。
小春日和の早咲きは、帰り花、忘れ花、狂い咲きなどと言われます。
因みに小春日和を、北アメリカでは「インディアン・サマー(インディアンの夏)」、ロシアでは「バービエ・レータ(婦人の夏)」と呼ばれています。
(本社 加藤)
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「普通」が普通でない?!
私は、家で原稿が捗らない時には、気持ちを切り替えるために周りの環境や雰囲気を変えて、cafeでパソコンを開くことにしています。
この原稿も、そんな状態に陥り、駅前に場所を変えて書いているのですが、ここの近所は幼稚園や学校が多く、午前中はお母さん達の数グループに占領されてしまいます。
あっちから、こっちから時々、元気で大きな声が耳に入ってくるので、私としては非常に勉強?になるのです。
今日のキーワードは「信じられないよね、普通はさぁ~」です。
学校や先生のことを言っているのか、他のお母さんのことを言っているのかわかりませんが、自分達の価値観「普通」を基準に話が弾んでいるようです。
ところで、この「普通」の思い違いで、イラッときたり、人を咎めてしまったり、不平や不満、心が平和でなくなってしまったりなど、いろいろな一見マイナスな出来事が起こるものです。
人と人との「普通」違いも、これが大きな規模になると国同士の戦争にまで発展することもあるでしょう。
「普通」わかってくれるはず、「普通」このくらい配慮してくれるはず…自分が、そうだから相手もそうに違いないだろうという思い違いです。
そして、この思い違いの真っ最中には、冷静に、客観的に状況をみられなくなってしまうのです。
相手と自分の「普通」は、違っていても全く不思議ではありませんし、違うのが当然かもしれないのです。
それは、どんな人にとっても「普通」を決めているものが、これまでの体験だからです。
皆、生まれてから今まで、生きて来た歴史が違いますから価値観も違うはずです。
さらには、先祖からの氣の影響もあるものです。
例えば代々続いてきた家が、武士の家系と農民や商人の家系では違うことでしょう。
今月号の月刊ハイゲンキ巻頭対談では「武士の生き方、死に方…」について取り上げましたが、日本人と欧米人、中国や韓国など近隣諸国の人達とも価値観が違っています。
それは先祖の思いも見えない氣として、私たちに影響を与えているからなのです。
私たちの本質は魂ですが、体を持って生きているということは、他の体としっかり区別されるということです。
つまり一人ひとり、それぞれに体験があり、その体験によって考えることが皆違うということです。
そのような中で、少しでもわかり合えるようにと考え、伝え方を工夫したり真氣光を利用するなど、努力できることが大切です。
人と自分の相違点から学び合えることで、自分の体験していないことを共有でき、「普通」の範囲を広げるとともに、おもいやりの心を育めるということに繋がります。
そうやって、魂は成長するのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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マイナスさんに引きずられないようにします
デパートの物産展で販売員さんに非常に不愉快な発言をされ、とても悶々としていました。
その場は流しましたがどうしても腹の虫が治まらず、もう一度その場に行って何か言ってやろうと周辺をウロウロしていました。
しかし、私の中からいつも「自分が見下されると凄く憤るマイナスさん」が出てくることを思い出し、その人たちに必要以上に引きずられたらいけないと思い直し、一旦家に帰りました。
帰宅後は真氣光DVDを流し、改めて責任者の方に電話をして注意指導していただくようお願いしました。
もし、あのとき思い留まらなかったら、喧嘩になってマイナスさんの思うツボだったと思います。
自分が引きずられやすいマイナスさんの特性を把握し、まんまと思い通りにならないよう氣をつけることがとても大切だと思いました。
それにはやはり日々真氣光を意識して生活しなくてはいけないと改めて思いました。
できたら、その場で一度「真氣光お願いします」と意識を集中出来たらもっと良かったなとも思います。
でも、頑張って負けなかった自分を褒めてあげようと思いました。
随分変われました。
いつもいつもありがとうございます(*^^*)
(千葉県 Nさん)
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