真氣光研修講座や私のセッションで、集まっていただいた方の中には、真氣光を受けるうちに、その人とは全く違う人が、その人の口を借りて出てくることがあります。
集まる人たちにも必ず見えない部分での縁がありますので、時には会場のあちらでもこちらでも似たような御先祖が、苦しみの声を上げるということもあります。
時には歴史的に有名な人の名を語ることもあったりすると、そのことだけに興味を持つ人や妄信する人、見えないエネルギーが恐いとか怪しいなど、そんなものに関わりたくないと身構えてしまう人、いろいろな人がいます。
私は、その人の語る名前が「嘘なのか本当なのか、どちらでもいい」という立場でお話を聞くようにしています。
名前がどうであれ、その人の苦しみや辛さなどを感じることで、“自分に必要な氣づきが与えられるはずだから聞くことになっている”と考えるからです。
私が、研修講座やセッションで個人ではなくグループで氣を受けてもらうようにしているのは、一人の癒しや氣づきが、その場にいる他の人にもプラスに働く、つまり相乗効果というものが大きいと考えるからです。
見えないエネルギーの中に思いのエネルギーというものがあります。
例えばある人のことを思い出していたら、その人から電話がかかってきたり、会うはずもない場所でばったり会ったり、そんな経験は誰にでもあるでしょう。
見えないエネルギーというと何か怪しい感じがして信じられない人がいるかもしれませんが、これも見えないエネルギーの作用の一つです。
では、強く思えば、念ずれば何事も思い通りに行くのでしょうか。
残念なことにそう都合良くはいかないものなのです。
思いの中でもどんな思いなのかということが一つのポイントになってきます。
先に言ったように、たまたま偶然のようにして起きたことも、その人にとってこの先重要なことであり、そこから何かに気づくということでもあるのです。
そして、その時どのような感情を持っていたかということも重要なことなのです。
良い思いだけではないかもしれません。
何かしらのマイナスの思いがあったかもしれません。
それをヒントに何かに気づくということが大切であり、それは直接その人や物事に関係がなくてもいいのです。
氣づきとは自分自身のためのものだからです。
そのように考え、探してみることで気づけることも多くなるでしょう。
そうすれば日々の生活の中で少しずつでも行動に変化が出てくるはずです。
偶然やちょっと不思議なことの中にも実生活に役立つ行動や思考を変える氣づきのきっかけがあるのです。
(中川 雅仁)
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カテゴリー: たましいの話
(70) 許せない心
私が氣を送っていると、時に氣を受けている人の口を借りて出てくる魂がいます。
彼らの中には、もう何百年も前に生きていた人達がいて、その多くは裏切られたこと、やられたことが「許せない」と、子孫に矛先を向け「思い知らせてやる」とばかりに、良くないことを次々に起こすのです。
しかし私が真氣光を送るうちに、その人達にも目には見えない光のようなエネルギーが届き、そのうちに許せない気持ちが少しずつ変わって、申し分けなかったと最後には「光のほうに行く」と消えていくのです。
ところで、許せないと思うことが、もし何のわだかまりもなくすっきりと許せたのなら、どんなに良いかと思うことは、誰にでもあることでしょう。
そして、その許したいことの重さは、人によって違っているのです。
とても酷いことをされ、どうにもならない程の心の傷、そして体の傷まで負ってしまって許せるはずなどない場合は、どうすれば良いでしょうか。
本当に、本当に辛いことではありますが、冷静になって考えてみるのです。
その許せない気持ちは、あなたにとって今を生きるのに、そしてこれからの未来に必要なものなのでしょうか。
それがあなたに幸せやプラスの思い、プラスのエネルギーを与えてくれるものなのでしょうか。
少しでも違っているかもしれないと思うなら、許せない気持ちとは、すぐにサヨナラするべきなのです。
でも、これからが難しいのですが、忘れたくても忘れられない、許したくても許せないというのが実際の気持ちで、誰でもがそのことで苦しんでいるのです。
では、この辛い思いは、どこから来るのかを少し考えてみましょう。
「過去に起きてしまった出来事で辛く忘れられない体験をしてしまった、それも自分のせいではなく誰かのせいで・・・なぜそうなってしまったかは、わからない。自分の側に少しの落ち度があったかもしれないが、そのようなことになる程の原因とは思えない」みんながそう思うでしょう。
でも自分の知らないところで、見えないところで、いろいろな事が関係して物事が起きているとしたら、全く受け入れられないことでもないのです。
見えない氣の領域まで拡大して考えると、いろいろなことが見えてきます。
前述した魂達のように、あなたの先祖に強い許せない気持ちがあることで、同じような気持ちをわからせたいと仕向けられていることかもしれません。
だから大変かもしれませんが、それはそれとして受け入れ、自分の人生にとって良い方向に行けるように気持ちを切り替えることが、とても重要なことなのです。
さらに真氣光を利用しながら、努力してみることで、関係している魂達にも氣が届き、気持ちも切り替わりやすくなるのです。
(中川 雅仁)
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(71)居心地が良くて離れたくない
私たちは、毎日、いろいろとやらなければならないことがあるものです。
時には、それがストレスになるということがあるかもしれません。
しかし、それを一生懸命やっていることで、少しずつ魂が持つ見えない光のようなエネルギー(氣)を強めることができるのです。
一見良くないことが出てきても、逃げることなく前向きに、乗り越えようとすることです。
私は、適度なストレスは私たちのためになるものだと考えています。
以前に、それに関係する魂に、遭遇!?したことがありましたので少し説明しましょう。
会長セッションで、ある人(Aさん)に真氣光を送っていたところ、影響を与えていると思われる魂が、Aさんの口を借りて出てきたことがありました。
その魂の話によると、氣を受けているAさんが「好きなように毎日を生活しているから、居心地がとっても良く、どうしても離れたくない」と言うのです。
もう自分は死んでいるのは分かっているのだけれど、自分が夢見てきた快適な生活が、Aさんと一緒に居ると過ごせる、というのです。
私が、「どんなことなのか」と聞くと、「何の心配やストレスもない、自分のペースを決して崩さない、誰にも氣を使わない、時間に遅れても平気、毎日が自分の思うとおり、遊んで暮らすような生活だ」と言うのです。
苦しいことや辛いことがある魂は、私が真氣光を送ることで楽になり、光の良さを理解して「光の方へ行く」と、より高い次元に進んで行くのですが、その魂は特に辛いこともないようで、なかなか動こうとしません。
しかし、だんだんに真氣光のエネルギーが浸透したのか、「もっとやらなければいけないことがあった」と言い遺して消えていきました。
確かにAさんは、会長セッションにも遅れてやって来ていましたので、私はセッションの後に「氷山の一角」の話をしたのです。
簡潔に言うと「影響を与えていた魂は、居なくなったけれど、これは氷山の一角のようなもので、同じような魂は出てこないだけで水面下にたくさん存在していると考えられる。
だから、今の体験(魂の話)からヒントを得て、自分の生活を見直し、気づいたところから自分で変えていこうとしないといけない。
それをすることで、自分の魂に光が増え、本当の意味で影響を受けなくなる」ということです。
私たちは、過度なストレスが加わると、身も心もボロボロになってしまいますが、適度なストレスは魂の光を増やします。
ときに真氣光のエネルギーは、過度なストレスも適度にしてくれるのです。
(中川 雅仁)
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(72)強く大きなプラスの氣の存在
先代が亡くなった後、私はいろいろな人に、あちらこちらで真氣光という氣のエネルギーを送ってきました。
既に20年を越えましたが、どれもこれも私にとっては貴重な体験の積み重ねです。
この氣を受けると、咳やあくびが出たり、時には涙が出ることもありますし、そのような体に表れる反応ばかりではなく、その人に影響を与えている霊的な存在が、氣を受けている人の口を借りて出てくることもあります。
しかし、何故そのような反応が出るのかということを、私は、ある時期まで深く考えたことはありませんでした。
先代の話では、「体の中にある悪い波動(マイナスの氣)が口から外に出ることがある」ということでしたから、「反応はマイナスの氣の影響で、勝手に出てくる自然現象だ」とぐらいに思っていたのです。
しかし、ある時期から、考え方が変わりました。
いろいろな反応は、それを出させている存在があるということなのです。
つまり、「何とか分からせよう」、「気づかせよう、気づいて貰いたい」という意図を持った何ものかのコントロールの結果ということなのです。
ではなぜ、そう言えるのでしょうか?
これまで、たましいの話として、既に亡くなった人が氣を受ける人から出てきて語ったことを説明しました。
例えば、自分のために人の体を利用しようとする魂、恨みを持っているために苦しませようとする魂、特別な意思もなく良く分からないまま引きつけられた魂等々、これらの中には、とても暗く重いマイナスの氣もありましたが、真氣光のエネルギーを送るうちに、すべては「光が見えて来た」と言って消えて行ったのです。
どんなにたいへんな反応であっても、「必ず時間とともに収束していく」ということです。
これは、いつものことなので当然だと思いがちですが、決して当たり前なことではありません。
つまり、マイナスの氣の反応が出てきた時点で、強く大きなプラスの氣の存在のコントロール下にあるということなのです。
私たちは、マイナスの氣の反応が出てくると、マイナスの氣のことしか注意を向けられなくなる傾向にありますが、その蔭には、このような絶対的なプラスの氣があるのです。
同じように、真氣光を知るようになったことも、真氣光を何か信じてみようと思った体験も、氣中継器ハイゲンキを購入するようになった経緯も、プラスの氣の大きな影響と言えます。
そのように考えると、真氣光というエネルギーは、ただ宇宙に漂っているものではありません。
気づかせたい、人として成長して欲しい、という意思を持って送られてくるのです。
(中川 雅仁)
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(73)勝つか、負けるか
私が真氣光のエネルギー(氣)を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、既に亡くなっている人が苦しみを訴えるようにして出てくることがあります。
その日はセッションだったのですが、私は、すっかり疲れてしまったというA子さんに氣を送っていたのです。
A子さんは、氣を受けるうちに苦しそうな顔になり、武士のような口調になって話し始めました。
「負けるわけにはいかない」という言葉から、どうもその魂は戦い続けているようなのです。
昔は、戦に勝つか負けるかで、大きく運命が変わってしまいました。
戦っている本人ばかりではなく、一族皆が、負けてしまっては、たいへんなことになるわけです。
自分の為というよりは、周りの人の為に絶対に負けるわけにはいかなかったのでしょう。
その強い気持ちが、大きな苦しみとなり、体が無くなった後、魂の光を失い、マイナスの氣となって暗いところに行くことになってしまったようです。
「もう、戦いは終わった」と伝えても、なかなかそれを受け入れられませんでした。
しかし、私が氣を送っていると、その魂はだんだん楽になるのと同時に、心に余裕が出てきたのか、人の話を聞けるようになり、最後には「光が見えて来た」と言って逝かれたのでした。
セッションの後、私は氣を受けていたA子さんに、少し話を聞いてみました。
彼女は、仕事で相当なストレスを抱えていたようです。
辛い仕事でも負けてはいけないと、心を奮い立たせるようにしてきたと言います。
何事も適当にはできず、どちらかというと完璧にしないと気がすまない性格なのですが、自分自身の目標が高すぎるのか、いつも自分が出来なかった反省や、悪い所ばかりが頭に残ってしまうそうです。
そのようですから、周りの人にも、つい完璧を求めてしまい、出来ない人を咎めてしまったり、いろいろな人に対して不満をたくさん抱えていたようなのです。
家の掃除もしたいのだけれど、疲れてしまって全く手につかないと言います。
目標を掲げて全力で努力することは、とても良いことですが、それだけでは疲れてしまいます。
全力で向かう時はもちろん、力を抜く時や、楽しめる時もあり、そのようなバランスつまり適度な加減が必要です。
また氣の観点から、いつも0か100のどちらかではなく、10でも半分でも、出来た分だけプラスの氣になるのです。
思うようにできない人は、マイナスの氣の影響があるかもしれません。
しっかりと真氣光を受けることと一緒に、自分の出来たところに着目しながら、少しずつ上を目指して努力していただきたいと思います。
(中川 雅仁)
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(74)騙されて連れて来られた
今週の私は、日曜日に石川県は羽咋郡志賀町での真氣光研修講座から東京に戻り、名古屋、大阪とセッションで回って来ました。
今では何処に行くのも飛行機や新幹線で、寝ていれば連れて行ってくれますから、ありがたいことです。
ところで、今回の受講生の中には3月の志賀島、5月の安曇野、そしてこの6月の石川と、3つの研修講座を受講された方もいらっしゃいました。
これらの土地は、安曇族という大陸から渡って来た人達に関係が深い所だそうです。
私が真氣光を送ると、既に亡くなっている全く別人格の魂が、氣を受けている人の口を借りて、出てくることがあります。
今回の石川での研修講座でも、大陸をずっと歩いて来たので足が痛くてもう歩けないと言う魂、元もと居た人たちとの争いで傷ついた魂、中には騙されて連れて来られたという魂もいました。
「こいつに騙された、良い所だと言うから来る決心をしたのに、悔しい」と訴えるのですが、どうやら氣を受けている人の先祖に良いように言われたらしいのです。
昔ですから、別の所から違う場所に移動して来て住み着くということは、たいへんなことです。
電車や車、引越のためのトラックがあるわけでもありません。
今のような情報があるわけもなく、まったく見知らぬ土地に行かなければならないのですから、さぞかし「行くべきか止まるべきか」悩んだことでしょう。
悩んだ末に、渡って来ているということですから、それ相応の理由があったはずです。
確かに良いように言われたのかもしれませんが、きっと止まることもできなかったのでしょう。
私は、「そこに止まっていたら、もっとたいへんなことになっていたかもしれなかった。さらには今こうして光に出合い、楽になることができたのも、日本にやって来たからだ」と説明したのです。
最後には彼らも納得しれくれたようで「光が見えて来た」と言い消えて行きました。
時代が変われば移らなければならない理由も変わります。
食べ物を探して、土地を求めて…、上の位の人からの命令によって一族が動かなければならなかった、地位を追われて、戦に敗れて隠れるように…ということや、行き場が無くなって…ということもあったでしょう。
さらには来てはみたけれど、誰も居ないようなところですから、住みやすいはずはありません。
たいへんな苦労が待ち受けていたのだと思います。
日本の各地には、移り住まなければならなかった人の悲しい歴史があるものです。
研修講座を日本の各地で開催していますが、毎月そのような悲しい氣にも真氣光が届き光に変わっているのです。
(中川 雅仁)
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(75)やめろ、光を増やすな!
私は、月に一度のペースで全国の真氣光の会員を中心に、いろいろな人に氣を送っています。
その中には、氣を受けると反応して、その人に影響を与えている魂が、その人の口を使って話し始めることがあります。
自分の苦しみを少しでも分かってほしい、ラクにしてほしいと、氣を受ける人の体を辛くさせることもあります。
私は、苦しみを訴える魂に氣が届くと穏やかになり「光が見えて来た」と消えていくことから、どうやったら早くラクにできるのか?セッションの後も潤沢な氣が届くようにするにはどうすればよいか?と、「氣が出るモノ」を少しでも強力にしようと改良してきました。
そうしているうちに、「やめろ、これ以上、光を増やすな」と真氣光の光を嫌がる魂が出てくるようになったのです。
マイナスの氣の中には、「いつまでもその人から離れたくない」「その家系を恨んでいて不幸にしたい」…等と奥の方に潜む魂もあります。
氣を受ける人に真氣光のエネルギーが浸透していくと、彼らには、思うようにならなくなる、あるいは光に吸収されてしまうという危機感が出るのです。
また彼らは、極端に光が増えているから危機感を持つのです。
私の氣を受けるセッションだけなら、その時にしか光が入りませんから、月に一回…せいぜい増やしても2、3回でしょう。
しかし、先代は白髭の老人によって、氣中継器ハイゲンキに加え、いろいろな氣グッズの作り方と、それらを足し合わせて使うと良いと教えられました。
私もこの原理を利用して高密度化することで氣グッズを改良してきました。
このような真氣光のシステムでは、簡単に10倍…100倍…にすることが可能になるのです。
マイナスの氣にとっては、光が極端に増えること、さらには各種プレート類やプレートブースターなどの氣グッズのように、24時間途切れることなく真氣光のエネルギーが向かって来るもの、それが最も嫌なのです。
ところで、嫌がるマイナスの氣が画策することによって、一見悪い反応つまり好転反応が出ることがあります。
ここで注意したいことは、マイナスの氣は脅かされると思うからこそ必死で抵抗するわけで、真氣光のエネルギーが来ること、そしてそれによって味方のマイナスの氣がパタパタとプラスの氣に変わって行かれては困るのです。
好転反応の最中は、気持ちもネガティブになりがちですが、そこでマイナスの氣を集めることになっては、事態は長引くばかりで、形勢を逆転したいマイナスの氣の思う壺です。
こちらはどんどん強気で行くしかありません。
影よりも光が強いのです。
気持ちをしっかり持って、確実に真氣光を取り入れることなのです。
(76)見ているぞ!
私は、月に一度のペースで全国を周り、セッションや無料体験会、真氣光研修講座を通して、いろいろな人に氣を送っています。 その中には、氣を受けると反応して、その人に影響を与えている魂が、その人の口を使って話し始めることがあります。 氣を受ける人の真氣光歴にも関係するようで、長く真氣光をやっている人の中には、より深い縁のものが出てくることがあります。 そのような存在の中には、氣を受けている人よりも氣のエネルギー(見えない光)を失ってしまった魂、つまりマイナスの氣とは言いがたいものもあります。 先日、私は「ハイゲンキ3型のパワーアップサービスを始めます」という記事で、真氣光のエネルギーを嫌がる存在の説明をしましたが、その中で「自分達が永年やって来たことに信念があり、それへのこだわりから、全く違う方法の真氣光に強い抵抗感を持つ魂が、深い所に存在している」というものです。 以前、真氣光研修講座で真氣光の時間に、「何をしに来たか!」と、ある人の口を借りて出てきた魂がありました。 自信に溢れた強く厳しい口調から、密教などで永年修行してきた人のようでした。 私は、自分よりも氣のエネルギーの高いものをプラスの氣、低いものをマイナスの氣と定義し、マイナスの氣の中には「辛い、苦しい」と訴えるなどマイナスの心に傾いている魂が多いとお話ししています。 そのように考えると、この存在は、その人を見守っている「プラスの氣」かもしれません。 「そんなもので何になるか」と、彼らの修行とは全く異なる真氣光を否定します。 私は、彼らも宇宙からの真氣光というエネルギーを利用できると、今まで以上に光が増し、出来ることが多くなると考えています。 決して悪いことではないので、「利用してほしい」と伝えるのですが結局分かってくれず、その時には「見ているぞ」と言って、消えていきました。 私は、彼らには時間をかけて見てもらい、この氣を体験して貰うしかないと思ったのでした。 つまり、見守るように働くプラスの氣の中にも、私たちが毎日の生活の中で、たくさんの真氣光のエネルギーを取り入れ、それを活用してマイナスをプラスに変えていくということを見ている存在があるのだと思うのです。 私たちにそれが出来ているのか?それを観察し、納得すれば認めてくれ、その結果、私たちは真氣光をもっと効率的に利用できるようになるということなのでしょう。 より多くのプラスの氣の真の応援を受けるためにも、真氣光の実践が欠かせないのです。
(77)これは教えではないのか?
先週末から、私は地方でのセッション回りを始め、ウイルス問題前の週末出張生活に戻ってきております。
最近はオンラインでの個人セッションも多くなりましたので、むしろ以前よりも仕事量が増えた状況です。
鍼灸やマッサージと違って、真氣光は氣というエネルギーですから、遠くに居る人にも送れます。
これからの時代、ますますそちらにも注力したいと思っています。
ところで、私が氣を送ると、氣を受けている人の口を借りて出てくる魂があり、私はこのコラムで「たましいの話」シリーズとして取り上げています。
前回、密教の修行をしていたような魂の話を書きましたが、今回も宗教に携わり人々を導いてきたような魂の話をしたいと思います。
私が氣を送っていると、氣を受けている人が、お経や念仏を唱えているような仕草になり、とても苦しく険しい表情になるのです。
どうも出て来ている魂はお坊さんで、極楽浄土に行けると信じて信仰していたけれどマイナスの氣になってしまった多くの人が、その人にすがっていて、その為にその人自身が苦しいようなのです。
私は、一生懸命に真氣光を送っていたのですが、その魂は真氣光が光のように見えるようで、自分のやってきたものがあるから「そんな光は必要ない」と言います。
一口に宗教をやっていたと言っても、お葬式の時だけという人もいれば、お寺のお坊さん、さらにはその宗派を創設した人まで様々でしょう。
何事もそうですが、何かに人生をかけた人であればあるほど、それ以外のものを薦めても耳を貸すようなことはありません。
その魂は、ずいぶん信仰していた人のようで、いっこうに私の話に耳を貸そうとしないのです。
私は「この光を利用してみてください」と、氣を送るだけでしたが、しばらくすると「これは教えではないのか?」と聞きます。
私が「これは、この宇宙にある、誰でも利用できる光です」と応えると、確かめるように真氣光を受けはじめたのです。
そして最後には、「こんなものがあるのか?…ラクになった。
光が見えて来た。
利用させてもらいたい」と言っていなくなりました。
真氣光は目には見えませんが、太陽のように、宇宙からの光のエネルギーです。
それを受けると、この宗教家のように自分自身の魂の光が増え、ラクになるとともに、何かに気づいて自然に意識が変わっていくのです。
この魂が言ったように、真氣光には、これまでの体験から分かった、できるだけ上手く使うための解説書的なものはあっても、経典や教えというものはありません。
ですから、誰もが使えるものであり、たくさんの人がこれを利用して、それぞれに必要なことに気づいてほしいと思うのです。