ツインヘッド改めソフトヘッドに

日曜日、私は愛知での真氣光研修講座を終え、参加者の皆さんのおかげで多くの人たちに光が届いたようで、何だか嬉しいような気分で東京に戻りました。
本当にありがとうございました。
4月の研修講座はつくばみらい市での開催となりますが、5月のゴールデンウィークは愛知に続きはじめて金沢で開催されます。
その講座の前準備ということで、今週末には金沢の地で真氣光セッションが予定されておりますので、そちらも楽しみです。
新しいことをするということは不安もあるのですが、後になってみるとそれらは全て計画されていることのようにも思います。
毎回、私はただ全力投球あるのみだと感じている次第です。
 話は変わりますが、こちらも新しいもののお話です。
昨年末から私は、通称ツインヘッドなるものを試作し、各センターや毎月の研修講座で会員の皆さんにお試しいただいております。
これまで実際に使われた方々から、「良いようだ」という声を多数いただきました。
少しずつ改良していますが、長さ20cmほどの円筒状のスポンジに最初はホワイトセラミックヘッドを二つ、両端から差し込んで封をしたというものでしたので「二つ入れた」という意味合いでツインヘッドと仮に名前を付けたのでした。
表面が柔らかいのでベッドなどに置き、その上に体をのせることもできますし、座りながらでも頭や肩・腰などに付け、振動させて氣を受けられるという少し変わったヘッドになりました。
ホワイトセラミックヘッドは、ダイヤモンドの次に硬いという特殊セラミックを使用しているために、従来にない波動を中継してくれるようになったわけですが、硬いセラミックの部分をつくる際、宝石を磨くようなものですので、どうしても値段が高くなり、各センターに配備するにも多数置けないという難点がありました。
私はホワイトセラミックヘッドの良い部分を残して、できるだけ安くできないかと少しずつ改良を続けた結果、ホワイトセラミックヘッド特有の新しい波動はなくても、良い物が作れることがわかりました。
結局、円筒状のスポンジの中に、ホワイトセラミックヘッドとは構造的に少々違うものが入っても良いようです。
ですから「ホワイトセラミックヘッドを二つ入れた」という意味のツインヘッドは名称的に合いませんので、スポンジを用いた柔らかいヘッドという意味で、外見上は変わりませんがソフトヘッドと名称を変えたいと思います。
まだまだ改良途中ですが、現在センターにあるものを順次改良版に置き換え、数を増やして各地の体験会などでも使えるようにしますので、どうぞお楽しみに。
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ベテランさん

各地を廻っていると時々、真氣光歴約20年という方が気功体験会の葉書を片手にいらっしゃいます。
もちろんお会いするのは初めてだったりするのですが、皆とても素晴らしく謙虚で暖かな方々ばかり。
それもそのはず。
お話を伺うと「購入して以来、毎日欠かさずハイゲンキを使用しています。だから壊れても修理期間中使えないので修理せずに使っていました。」
という方も。
各地のセンターにご連絡も何もない方でもコツコツ真氣光を続けられている方は多いです。
ベテランさん!是非各地のセンターへ気軽にご連絡くださいませ!スタッフ一同お待ち致しております!
(東京センター 庄子和志)
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愛知での研修を開催中です

私は、19日~22日まで名古屋駅からJRとタクシーで2~30分「あいち健康プラザ」というところに来ています。
今年初めて愛知で真氣光研修講座を開催することができ、地元の方を中心に定員一杯50名ほどの受講生が参加してくださいました。
今回の研修講座は、お彼岸も近いということで、それを意識して先祖や家族に氣を送りたいと受講された方も多く見受けられました。
ところで、ご先祖様とは何代くらい前の人たちを言うのでしょう?私は、この真氣光を知る前は、出身地北海道は歴史が浅いこともあって、せいぜい4~5代前のご先祖くらいしか頭にありませんでした。
ところが氣の世界を知るようになってからは、どれくらい前に遡れば良いのか見当がつきません。(実際には過去に生きた方、全員ですから頭の中に規制をつける必要は無いのですが)
遠い昔に生きていた人が、氣を受けている人の口を借りて出てこられることがあります。
今回の講座開催地「愛知」というところは、時代が戦国の世であれば、日本の中心ともいえるべき土地です。
織田信長、豊臣秀吉をはじめ徳川家康と、時代の頂点に君臨した人たちが深く関わったところです。
そのような力ある人を出せた土地ということは、それだけ強い応援のエネルギーもたくさん味方したということでしょう。
しかし力で頂点を極めたということは、その蔭で多くの人たちが苦しみを味わったということでもあり、逆に恨みなどたくさんのマイナスの氣とご縁の深い土地でもあるわけです。
 戦国時代には、ここから多くの人が日本全国に出陣しているでしょうし、泰平の世・江戸時代に変わっても、ここを出身とした人たちが各地で要職についています。
まさしく愛知という土地で研修講座を開けるということは、氣の観点からいうと、光を日本全土に拡げることにも繋がるということなのです。
先月の研修講座が終わった後に、私が氣を受けていると「とうとう愛知の地に来るか、心せよ」と低い声が聞こえたのでした。
それは真氣光のエネルギーが強くなって、潜んでいる強いマイナスのエネルギーにもやっと打ち勝てる準備が整ったという意味でもありますし、「油断すると危ないぞ」という警告でもありました。
私も真氣光と洗心を心がけ、スタッフにも「精進して」と伝えたのです。
今回から一人一枚の大判プレート入りストレッチマットを用意しましたので、皆さん氣をより強力に受けられているようです。
図らずも最終日の22日は先代の73回目の誕生日です。参加者全員のより輝いた笑顔を見られるよう、この世での役割をしっかりと果たして、先代に良い報告をしたいと思っています。
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ひとくち歳時記:「ぼたもち」と「おはぎ」

お彼岸の食べ物と言えば、「ぼたもち」、「おはぎ」ですが、その違いについては諸説紛々で定説はありません。
よく言われるのは小豆餡(あずきあん)、の様子を春の彼岸の頃に咲く牡丹(ぼたん)の花に見立てて「牡丹餅」すなわち「ぼたもち」、そして秋の彼岸の頃に咲く萩の花に見立てて「御萩」すなわち「おはぎ」という説です。
また、小豆餡の違いとする説があり、小豆をつぶしただけの「つぶし餡」をまぶしたものが「ぼたもち」で、漉(こ)し餡を塗りつけたものが「おはぎ」というものです。
いずれにしてもお彼岸に食べるようになったのは、小豆の赤色には、災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられていて、古くから邪気を払う食べ物としての信仰が、先祖供養と結びついたからと言われています。
また「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、春の彼岸は農作業が始まる時期で、秋の彼岸は収穫の時期にあたるので、春には収穫をもたらす山の神などを迎えるために、秋には収穫を感謝して作ったとも言われています。
昔はどこの家庭でも作っていたほど身近なものでしたが、今は作らないので「棚からぼたもち」(予期せぬ幸運)ということわざも若い人にはピンと来ないものになってしまったようです。
(本社 加藤)
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ホワイトデーですか?

昨日の夕方のこと、用あってデパートに行きましたら、会社帰りのサラリーマンの男性3人がハンカチ売り場の前で固まっておりました。
「ん~」、「そうですね~」、「確かにエコバックもありですかね・・・」たまに発せられる会話をつなげ、私なりに推測してみました。
年齢の関係から同期ではなく同じ部署の所属長を含む男性陣、三人寄れば文殊の知恵と言いますが、どうやらバレンタインデーのお返しで、何か買わなければならないのですが、なかなか決まらないという感じです。
暗く悩んでいる風でもないのですが、売り場の前で会議中です。
どんなものが女性達に良いのか?ダイエットブームだから食べる物よりは使える物の方が良いだろう。
あれこれいろいろ考え、辿り着いた先がここだった、私も痛いほど気持ちがわかります。
男性は女性に比べて(注:私だけかもしれませんが)、特にこのようなプレゼントものを買うのが苦手というか下手なのだと思います。
どこに難しさがあるかを考えると、もらう相手の心の状態を推測しなければならないという、一種曖昧なところだと思うのです。
これが家電製品のように、製品の仕様を比較してまとめられた機能表から、どの機能が良いからこれを選ぶというのと訳が違う、それが困難にさせている点です。
相手が使っているところなどを想像して、「良さそうだ」という曖昧なところには、機能ばかりではない雰囲気、つまりある種の氣を感じる必要があるのです。
 人を思うということは、氣が届くということ、恨みや怒りではマイナスの氣が届いてしまい良くありませんが、喜んでもらえるようになどプラスの心であれば、プラスの氣が届きます。
自分が発している氣と同じものが同調して集まって来るのですから、自分にも良い氣が集まることになるものです。
この方々の職場は、さぞかし良い職場であろうと思って見ていたのでした。
 まだ、しばらくは時間が掛かりそうでしたので、結果がどうなったのかはわかりませんが、この三人の男性は偉いと思います。
「義理を感じて」ということかもしれませんが、普通なら「面倒だ」とか「適当に」と思ってしまうところでしょう。
心の余裕がなければ、なかなかできないことです。
以前聞いた話には
「宇宙から応援は来ていますが、自分のことだけしか考えていない人には、ひらめきは起こらない。自分のことだけで、他に余裕が無くなっている、そのような人にはひらめきのエネルギーを入れるのは難しい。」
三人の方々、良い買い物ができたことでしょう。
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春は縁が広がるシーズン

私が行きつけの近所の蕎麦屋ですが、先日も妻とのディナーにでかけました。
蕎麦の前にちょっとビールのつまみを頼んで待っていると、オーダーしていないワサビのおひたしが出てきたのです。
「?」二人で顔を見合わせていると、お店の店員さんが「私、卒業するので今週一杯なんです。いつも来てくれているので、お礼に」とのこと。
「えーっ辞めちゃうの」。
その蕎麦屋ではローテンションを組んで3~4人のアルバイトが日にちを変えて一人で店を切り盛りするかたちです。
小さい店ですが、お客さんが多い時はたいへんです。
それでも彼女は気が利いて、明るく、清々しく・・・そのことをいつも妻と話していたんです。
これまで何回も会いましたが、話したことはなかったので、まさか女子大生でそれも4年生、就職を控えていたとは、まったく分かりませんでした。
 3月は卒業のシーズンですね。
別れがあって出会いがある。
昔は、何だかワクワクするような感覚があったのですが、しばらく何だか寂しい感じだけが残っていました。
妻はそんな私を見て、それは年をとったということで、“おじさん”になった証拠だと言います。
 話は変わりますが、今週日曜の会長セミナーを最後に仙台センターが閉所になりました。
仙台センターは狭いので、真氣光の時間にも横になる空間もないほどでしたが、たくさんの皆さんが集まってくれたこと、本当にありがとうございました。
仙台では、今後も毎月の私の真氣光セッションとスタッフによる気功体験会で月に2回はお邪魔します。
ですから皆さんとはお別れということではないですが、センターの建物とはお別れになるわけで、‘95年の開所以来、いろいろなドラマを見てきたであろう建物にも、感謝の氣を送らせていただきました。
月刊ハイゲンキにも書きましたように、今回の閉所は人員の都合によるものですが、諸事情が解消し良い場所が見つかれば又再開できると、私は一時閉所の気持ちですが、やはり何となく寂しい。
 強くないアルコールの酔いとそんな気持ちも重なったので、蕎麦屋の彼女の話は、私の心にジーンと来ていたのかもしれません。
妻によれば「今日のあなたは“おじさん、みょうに黄昏れるの巻”」だということで、笑っておりました。
会えなくなることで縁が薄れるというわけでもありません。
さらにはまた違う出会いもある。
そうやってご縁は広がるものでしょう。
だから黄昏れもまた良しということです。
真氣光を受けていると、そんなふうに、いろいろな応援が感じられるのです。
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川柳

 ホワイトを
        使い始めて
                湯たんぽ要らず
20代の娘は冷え性と鼻水で困っていました。日頃氣の充電は行っていますが、なかなか体調は改善されませんで年末もつらそうでした.
それで眉間にホワイトセラミックヘッドを当てていますと「気持ちいいわー今までとなにか違うね」と言ってうとうとし始めました。それから貸してあげるともう返してくれません。数日後には朝の鼻グシュグシュがなくなり、毎晩の湯たんぽも必要としなくなっていて、本人も指摘されて「そういえば変わってるわ」というぐらい自然に変わっていました。我が家での体験談でした。
(福岡センター 河地)

気が向く・氣を向ける

毎年の友人との年賀状ですが「今年は会おう」と書いていてもなかなかお互いに時間が取れなくて先延ばしになり、気が向かないわけではないのですが、もう何年にも渡って実現しないことがあります。気が向くという言葉を辞書で調べると「ある事をしたい気になる」、つまり、意識がそちらに向いて、それがとてもしたい気になるということで、さらに「えぃ」と決心しないと行動できない、ただ考えているだけではいつまでも行動できないものです。先日、ある人が「何年間もずっとそのままになっていた倉庫を片付けました」と言っていましたが、「掃除は良いことなので、やろう」と思ってから随分時間がかかったとか…。
私たちは良いことをただ待っているだけでは、守護霊さんのようなプラスの氣の存在も応援の手だてが無いのです。たとえばある方の体験で「前日やっていた問題が入試問題にそのまま出ました」という人がいました。前日も勉強した、つまり努力できたから、それに向けて守護霊さんのような存在は応援できたのです。私たちは考えているだけでは、魂の輝きにならず、思うように成長できないものです。どんなに簡単なことでも、思っているだけとやってみるのは大違いです。やってみられることで、またその時の体を通しての体験から、違う氣づきにもつながるというものです。
私は、特にマイナスの氣が関係しているときには、行動になかなか移せないものだと思います。マイナスの氣にとっては、行動されるとその方の魂の光が大きく増え自分の居場所が無くなるので、何とかそれを阻止しようということが起こるわけです。やらなければならないことが意識に上ってから気が向き、決心して行動する。真氣光を受けていると応援が受けやすいのですが、これは、行動に移す前段階にも言えることです。気が向くような状態になるまで、意識して氣を向けていく、真氣光を受けながら実現に向けて必死になって考えてみることです。
しかし、その人にとってそうならないほうが良い場合には、守護霊さんのような存在によって気が向かないようにさせられているということもありますから、全ての出来事に当てはまるというものではありません。プラスかマイナスかは、日頃から真氣光をしっかり受けていくことによって、自然に最適な選択になるでしょう。さらには、真氣光を受けるということについても、何か「気が向かない」とか「忙しい、面倒くさい」という時がありますから注意してください。これはマイナスの氣の影響ですから、そういう時は、よりいっそう氣を受ける必要があるのです。
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おすすめ映画 『禅』 ただいま公開中

予告も宣伝も一度も見た事がなかったのに、映画館の看板を見上げ、「禅」の一文字をみた時、引き寄せられるように入館しました。道元禅師の生涯だったのです。亡き主人の法要の時、いつも説法を説いて下さる僧正様は曹洞宗永平寺で修行を積まれた方で、そのお言葉にはいつも聞き入っていました。道元の幼少の頃、亡くなった母の言葉「私はあの世でお浄土にいけるのでしょうか?でも死んでお浄土にいっても意味のない事。何故この世にお浄土はないのでしょう。人々の争い、病や死の苦しみから抜けでる道をそなたに見つけて欲しい」と、その言葉を胸に仏道に入り、様々な師と出逢うなかで「只管打坐(しかんたざ)」の信念を貫き曹洞宗の開祖となられ、54才で入滅される迄の史実に基づいた生涯です。「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」。この歌のごとく自然と一体であり、他と比べる事なく、共に喜びや悲しみを分ち、人を思いやる心の豊かさ、あるがままの道元禅師の物語を通し、私達が真氣光から学ばせて頂いている事が、どんなに素晴らしい事なのか改めて氣づかさせて頂き、悦びと感謝の心で一杯になりました。また仏教を知らなくても、一つの物語として充分楽しめる大作です。主人公の中村勘太郎も20代と思えないほどの好演で見応えありお薦めです。
(Hさん)
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水晶で甥の人生が好転

6、7年も前の事でしょうか。兄が実家のお墓(石川県)に水晶を埋めて帰阪しました。その夜、バイクで出かけ甥が車に撥ね飛ばされ、全身打撲で入院しましたが、検査の結果、不思議に異常なしですぐ職場に復帰しました。水晶を埋めると良くなると思っていた私は「どうしてですか?」と会長に尋ねると「もう暫く様子をみていて」と言う答えを頂きました。その後、彼の職場が経営不振で倒産したのですが、それは家族が好意的に思っていなかった所だったので、皆、落ち込んでいなかったようです。でもなかなか次の職場が決まらず、1年余りアルバイトをしていましたが、現在、本人も周囲も納得出来る企業に就職しています。中途採用なのに待遇も良いようです。去年は結婚もし、今年の7月に子供が産まれる予定。事故も浄化だったのでしょうか?大きく変化する時って、一見マイナスナ事が起きる事もあるのですね。
(大阪センター 平尾)