(54)物は試し

 最近は、料理レシピのアプリが優秀で、私の食生活を大きく向上させてくれています。
料理本からアプリになって利便性が向上しましたが、さらにスマホで動画を視聴できるという点が私には良いようです。
料理を作っているところが1分ほどの動画にまとまっているので、食材をどう切って良いのかもわからない私にとっては、いかにも簡単そうで、敷居が低くなるのです。
「物は試し」と簡単にトライできるというわけです。
 この「物は試し」という発想は、人類の進歩にとって、人の成長にとって、とても大事だと痛感しています。
先代が夢で白髭の老人から教えられ試しに作ってみたのが、氣中継器ハイゲンキだったのですから、これがなければ真氣光も始まっていません。
私も、これまで数々の氣グッズを作ってきましたが、「物は試し」と、やってみたところ、それがとても良い結果に繋がってきたのです。
 ことわざ辞典で調べてみると『とにかく一度試してやってみようということ。
・・・チャレンジ精神を評価しているとも言えよう。
江戸中期からのことわざ』とあります。
ここで、人は、なぜ「試してみよう」と思うか(思えるか)?ということですが、ここに私は、見えない氣の大きな影響があると思っています。
よく鬱病などを患って無気力のような状態になった人の話を聞くと、「試そうなどという発想にならない、だるいし面倒」などマイナスの氣の邪魔ともとれることを言われます。
だから、やってみようという意識の大本にはプラスの氣の応援がないと、なかなかそうは思えないのだと思うのです。
しかし、プラスの氣の応援があっても、その間隙を縫って、マイナスの氣の邪魔があり、時にはやってみたことが失敗に終わることもあるでしょう。
しかし、そこで「失敗が嫌だから、もう何もしない」では、マイナスの氣の思うツボにはまってしまい、魂の成長はありません。
失敗を体験できたことも貴重な学びで、真氣光を受けながら良く考え、さらに「物は試し」を続けることで、精度も上がり効率の良い成長があるのです。
私も自分自身の生活を省みると、まだまだマイナスの氣に邪魔され、時間・お金・自信が無い、未経験・・・などの理由を付け敷居を高くして、試してみようとは思えないことがあります。
邪魔をしているマイナスの氣を意識し、真氣光を受けながら、いろいろなことにチャレンジしたいと思うのです。
そして、さらにもう一つ付け加えると、失敗があるかもしれない他人の「物は試し」を、「いかにプラスの氣の応援を受けながら温かい目で見守れるか」ということも大事ですので、ここにも真氣光の利用を忘れるわけにはいかないのです。
(中川 雅仁)
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母の日にプラスの氣を送ろう

 今週の日曜日は母の日ですね。
あちらこちらで母の日に因んだものを目にします。
目に見えるプレゼントも良いですが、感謝という気持ちを持てることで、プラスの氣は誰でも送れますのでオススメです。
この感謝心をもてるように真氣光研修講座では石井光先生による内観法の講義があります。
このなかで先生は、特定の人に対して、「してあげたこと、してもらったこと、迷惑をかけたこと」を過去に遡って調べる実習をしてくださいますが、実際にやってみると「してあげたこと」が少ないのに、「してもらったこと」、「迷惑をかけたこと」が多いことに気がつきます。
そして、思い出そうとする機会を増やせることで、思い出せることがだんだん多くなり、感謝できることがさらに増すのですから、良い氣に包まれやすくなるというものです。
 ところで、連休中は、あちらこちらで小さい子を連れたお母さんを目にしましたが、見ていると実にたいへんそうです。
言うことを聞かない、目を離すと何処かに行こうとする、疲れてどこでも眠ってしまう、お母さんは相当なストレスを抱えることになりますが、私の母の場合、もっとたいへんなことだったでしょう。
なぜなら幼少期の私は、周りに大人がたくさんいて、初めての子どもということで、皆から良くしてもらっていたせいで、思う通りにならないと何処でも「だだをこねる」、北海道弁で言うと、すぐに「だはんこく」子どもだったのです。
さらには、じっとしていられずに、デパートに行けば運動場に行ったと錯覚しているかのごとく走り回り、探検して回るのです。
そのくせ泣き虫で母が居ないとわかると大泣きするものですから、迷子としての館内アナウンスも1度や2度ではありません。
体も弱く、すぐに熱がでたものですから、よく病院に行くことになり、母にしてみれば心配の種は尽きなかったことでしょう。
 小学校に進み学年が上がるにつれ、そんなことも無くなりましたが、当時の私は母に対して、「いつも怒りっぽい、イライラのかたまり、心配症」…困ったものだと思っていたのです。
しかし、氣を知れば知る程、イライラ症や心配症など性格のように扱われることが、マイナスの氣を引き寄せた結果、それに強く影響を受けているということであり、先祖の誰かの影響を受けていることも考え合わせると、その人に固有のものではないことが分かるものです。
私が母に迷惑をかけてしまったことが原因の一つだったということが、後々よくわかりました。
そのようなことで母には感謝してもしきれず、離れて暮らしていますので、いつも会う時には「少しでも良い氣が届くよう」背中から氣を送っている次第です。
(中川 雅仁)
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「氣にとめる、とめない」をしっかり判断しよう

 昨日から、たいへんお得な黄金週間の後半、長野は安曇野での真氣光研修講座が始まりました。
初日の私の話は、「洗心のための指標」について解説しています。
「プラスの氣を引き寄せる心」「マイナスの氣を引き寄せやすい心」についての話ですが、自分の心をしっかりコントロールして、プラスの氣から応援をもらい、マイナスの氣との縁を少なくしていくということです。
これを実践するうえで、毎日いろいろなことが心に浮かんできますが、「氣にとめるべきこと、氣にとめないほうがよいこと」がありますので解説します。
 私は、どんな人にも守護霊のように働いてくれているプラスの氣と、一見良くないことを起こすマイナスの氣の両方が存在していると、お話ししています。
どちらとも関係しているのですが、私たちの心の持ち方次第で、それと同調する氣を引き寄せますので、強く影響を受ける氣が決まることになります。
また、私たちの心に浮かんでくることも、このどちらの氣の影響も受けています。
いつも氣を抜くことなく見守り応援してくれているプラスの氣は、私たちがプラスの氣を引き寄せる心が持てると、より強く応援の力を発揮できます。
しかし、ちょっとした隙に周りから同調するものを寄せ集めて急に大きな強い勢力を持つようになるマイナスの氣が、何かと私たちに気になることをつくり、マイナスの氣を集めようとします。
気になってしまったり、考えなくても良いことを考えさせられたり・・・周りからより一層たくさんのマイナスの氣を集めてしまう結果、不幸にしたいマイナスの氣の思うツボにはまってしまいます。
 このような氣の観点から考えると、プラスの氣が関与していることは、しっかり記憶に止め、それを意識して、時には「ありがたい」と感謝するとともに、マイナスの氣が関与していると思われる、余計な心配や取り越し苦労、考えてもどうにもならないこと、気にしても仕方がないことなどは、氣にとめることなく軽くながしていくことが大事です。
 「氣にとめる、とめない」をしっかり判断して、自分をコントロールするのです。
次第に、マイナスの氣も付け入る隙が無くなり、その影響も小さくなるでしょう。
最初は、判断できても、なかなかコントロールできないことがあるかもしれません。
マイナスの氣の強い影響を受けていることが原因ですから、気落ちすることなく、まずはしっかりと真氣光を受けるところから始めてみてください。
マイナスの氣がプラスに変わり、少しずつ自分でコントロールできるようになることでしょう。
(中川 雅仁)
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たいへんお得な黄金の週間

 私は昨日から、岡山は総社市に来ています。
新聞によりますと、今年のゴールデンウィークですが、工場などでは中二日を休みにして、9連休にする会社もあるようで、国内外の旅行の予約も多いとのことです。
私は、前半がここ岡山で、後半が長野・安曇野で研修講座を開催します。
これまで全国にいる会員の皆さんにお話を聞くと、1ヶ月の中でも研修講座の開催される日程(毎月4日間)に合わせて、真氣光のエネルギーが強くなると感じてくださっている人が多いのです。
つまり、研修には参加していなくても、ハイゲンキや氣グッズを通して無料で強い氣が受けられるということです。
そういう意味では、このゴールデンウィークは、5/1,2を挟んで前半4日、後半4日になりますので、氣の観点から言っても、たいへんお得な黄金の週間ということになるでしょう。
 それでは、どのようにこれを利用すればよいかということです。
私は、より深い所に存在する、マイナスの氣にも真氣光のエネルギーを届けられるチャンスですので、ぜひそれを意識していただきたいと思っています。
深い所とは、自分自身に隠れている深い部分に存在するマイナスの氣、あるいは遙か昔の先祖の代から自分の家系を恨んでいるような、影に隠れていて表にはなかなか現れて来ないようなマイナスの氣です。
そのような氣は、私たちが意識し難いために、なかなか光も届き難いのです。
しかし、氣と心と体は繋がっていると私はいつも説明していますが、どんなに深い所に存在するマイナスの氣であっても、その影響が何らかの形で体や心に現れているものです。
そして、それが分かり難い、意識し難いものであっても、真氣光を受けることで、それがわかりやすくなるのです。
ですから、真氣光のエネルギーをしっかり受けて、痛みや違和感など体に現れるものやマイナス的な感情など心に現れるものに対して、普通なら「気のせい」と気にしないことも、何らかのマイナスの氣による影響ということがありますので見逃さないようにして、そこに光が届くように思うのです。
自分の性格だと思い込んでいるような気持ちだったり、こんなものだと諦めていることにもマイナスの氣は関係しているものです。
 旅行に行かれる方も、ハイゲンキヘッドや氣グッズがあれば、旅先でも氣は受けられます。
また、センターを利用していただければ、より多くの氣のエネルギーが受けられるのでオススメです。
各地のセンターは、ゴールデンウィーク中も定休日は、いつもと変わりません。
この期間、多くの方に真氣光を利用していただきたいと思います。
(中川 雅仁)
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(53)隗(かい)より始めよ

 「真氣光で家族を良くしたい」あるいは「私が良くなったので、次には家族や友人を何とかしたい」と言われる方が多いものです。
そのような方は、真氣光の良さを十分に理解したうえで、周りの人にも氣をお分けしたいということなのです。
自分から周りの人へと、良い氣の輪を拡げられるというのが、真氣光の良い所でもあります。
しかし、周りの人が理解してくれなくて、なかなか直ぐには、それが思うようにできないということもあるものです。
 「隗より始めよ」ということわざがありますが、氣の性質を捉えた言葉ですので、きょうは氣の観点から、これについて説明したいと思います。
ことわざ辞典を開くと『(1)大きなことをするには手近なことから始めよということ。(2)何事も、言い出した者から始めよということ。中国・漢代の故事で、郭隗(かくかい)という人が燕(えん)の昭王(しょうおう)の問に答えて、国力を充実する ために賢者を招くには、自分のように優秀ではない者を優遇すればすぐに集まってくる、と言った言葉に由来する。もともとは、まず手始めに私、すなわち隗を用いてみなさい、という意』とあります。
 私は、氣というものは波動的な性質があると、よくお話ししています。
波長の似たものは共鳴したり同調したりするのですが、波長の違うものはそれが難しくなります。
例えば水と混じり易いものはたくさんありますが、水と油のように全く性質が違えば、混じることが無いばかりか、ものによっては交わる・接することもできないこともあるほどです。
ですから真氣光という、プラスの氣が素晴らしいと思っても、それが直ぐに理解出来る人と、そうではない人がいるのです。
しかし、氣は少しずつ浸透するものですから、まず誰かが取り入れることで、周りの人も時間とともに理解できる方向に変化していきます。
さらには真氣光を受けようと「言い始めた」人は、既に何らかのプラスの氣の期待を受けてのことですから、まずは「隗より始めよ」、直ぐにでも出来るところから、じっくり自分自身に真氣光を取り入れることです。
そして、それができたなら、少しずつ周りの人にも、氣グッズなどを利用して真氣光を取り入れた生活をしてもらえるように促すのです。
その方の様子を見ながら、話し過ぎてもいけませんし、まったく話さないのもいけません。
その加減が難しいのですが、自分自身に真氣光の氣のエネルギーの充電ができていると、応援してくれるプラスの氣も周りにたくさん増えるでしょうから、その力もあるのです。
時々、少しずつ話しているうちに、ある時、急に理解を示してくれるときがあるものです。
焦りは禁物、まずは隗より始めよ。
(中川 雅仁)
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気持ちを切り替え楽しくいこう

 今週、私は大阪でのセッションを終えたあと一晩泊まり、四国は松山に寄って東京に戻りました。
松山へは飛行機を取っていたのですが、空港で予約されていないことが判明。
「あれー、おかしいな」とばかりに確認すると、なんと反対方向の便つまり松山から大阪行きを予約していたのです。
本来の大阪発の便は「残り1席」、間一髪で予約でき「あー、ありがたい」。
私は、すべてを自分で予約するのですが、寝ぼけていたのか、マイナスの氣の影響か、取材の時間が決まっていたので遅れるわけにはいきませんから、ホッと胸を撫でおろしたのでした。
松山に着いた後はレンタカーで移動したのですが、車に付いているナビで目的地を検索できなかったので、スマホのグーグルマップで検索して走ったのです。
ところが今度は、グーグルさんの示す道が、大きな道ではなく、最短コースなのか、抜け道のような細い道、それも路地を右に左に、さらには通ってもいいのかと思うような川の土手を延々と走ることに・・・狭い道は、車同士がすれ違うにもたいへんで、慌てると事故につながります。
「おい、おい、大丈夫かな・・」でも夜なら恐くてたいへんだったでしょうが、昼間でしたから「ありがたい」。
さらには渋滞もありません。
たまたまレンタカーは小さな軽自動車。
気持ちを切り替え「楽しくいこう」とばかりに安全運転でドライブを楽しんだのでした。
 不満を言いながらいくのも、楽しみながらいくのも、同じ道のりです。
どうせなら楽しい気持ちをもって、プラスの氣を引き寄せながらいけると、知らないうちにずいぶん違う結果になるものです。
もしかしたら私の場合、松山には来て欲しくないというマイナスの氣が私の頭にいたマイナスの氣と結託し、ボーッとさせて、反対方向の飛行機を予約させたのかもしれませんし、さらには、松山の難しい細道を選ばせたのかもしれません。
サラリーマン時代の私だったら、「なんで俺ばかり」「どうしてこんな目に合うんだ」と悪い出来事や他人にあたり、不平と不満と愚痴、文句、マイナスの氣を吐き続けていました。
そんなことを言っても、状況は何も変わらないのに、ただただ言ってマイナスの氣を集めていたように思います。
もし、そんな状態で今回のようなことに遭遇していれば上手くいくこともいかずにマイナスの氣の思うツボにはまり、細い道で事故にでも遭っていたかもしれません。
悪い出来事が起こっても、それには氣の観点から見るとわかる深い理由があり、さらによくよく見てみると本当にありがたいことが隠れているものです。
そうなると自分の失敗も楽しめます。
ですから気持ちを切り替え、楽しくいきましょう。
(中川 雅仁)
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いいとこ探しと敬愛の心

 福岡での真氣光研修講座を終えて東京に戻ってみると、雨の中、少しずつ桜が咲き始めておりました。
今回の研修でも、私は「あの人も、この人も、すごいなー」と、皆さんの大きな変化が印象的でしたので、それを思い出しながら少しばかり夜桜見物を楽しみました。
暗い中に、まだ小さな花びらでしたが、これから次々に花開き、この桜並木にたくさんの人が押しかけ、春のひとときを満喫している様子が想像されました。
研修での氣づきの時間(いいとこ探し)でも、誰かの発表に、また違う方の発表が呼応するように連鎖反応的に良いお話となるのですが、どこか似ています。
 ところで先日、Aさんに氣を送っていると、その人に影響を与えているマイナスの氣が話し始めました。
「おまえのことが嫌なんだ。
上から目線のモノ言い、高圧的な態度・・・」どうも、Aさんのご先祖のことを憎んでいる魂が、光を失いマイナスの氣となって、Aさんをご先祖だと思い、家族の仲など人間関係が悪くなるように邪魔をしてきたらしいのです。
昔は今ほど、平等な社会ではありません。
立場が上の人に対して下の人は、酷い時には虫けらのように扱われ、人間としての尊厳も奪われるほどだったでしょう。
そのように考えると、そこにも社会が作り出した、たくさんのマイナスの氣の存在が想像できます。
 このようなマイナスの氣の影響を受けると、自分の身の周りにも、同じような人間関係が構築されます。
普通に言っていることなのに、周りの人は高圧的なモノの言い方と捉えたり、自分が誰かに対して、そのような気持ちを抱いてしまうなど、自分ではなく周りの人が悪いと思いがちになるのです。
 しかしこれは、自分の側に存在するマイナスの氣の働きによって、その状況が作られているのですから、そこを意識しないと問題は解決しません。
私はAさんに、「そのような人たちがまだまだ存在していると思われるので、それを意識して真氣光を受けて下さい。
そしてもう一つ、周りの人のいいとこ探しです」と、お話ししました。
他の人の良いところを見つけようと努力すること、それをできるだけ伝えようとすることが大事です。
そして「もし自分がその人の立場だったら、どうだろう」と考えてみると、自分にはできそうもないとか、たいへんな苦労がいることだろうと推測できるのです。
すごいな!と思えることは尊敬に値します。
私は、本紙2008/10/02の587号で敬愛という言葉について書きました。
敬愛の心が持てると、プラスの氣を呼び込み、自分自身を幸せに導くばかりか、それを言葉にできることで周りにも広がります。
・・・そんな話になりましたが、良い天気になりましたので、これからちょっと桜の様子を見て来ます。
(中川 雅仁)
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人への恨みと悪口・陰口

 昨日から福岡・志賀島での真氣光研修講座が始まりました。
参加人数は15名と少なめですが、いつもよりは強いマイナスの氣が反応となって出てきているように思います。
氣を送っていると、氣を受けている人の口から、既に亡くなっている人の言葉が出てくることがありますが、私は光を失った魂(マイナスの氣)が真氣光の光によって浮かび上がって来る現象だと説明しています。
例えば、「首を返せ」と言って出てきた魂は、昔々、その人の先祖に戦いで破れ、恨みの念という強いマイナスの思いを代々、その人の先祖を始め今生きているその人にも向けているわけです。
人を恨むということが、氣のエネルギーを下げ、光を失わせるので、ますます苦しくなり、真っ暗なところに向かうことになるのですが、彼らにはそれが分からないのです。
苦しいから、さらに「こいつらのせいだ」と恨みをつのらせます。
このような魂たちは、より深い所に存在していて、なかなか光が浸透せず出てこないものですが、今回の研修では、これに類する反応が多く見られるようです。
 受講生の皆さんは、日頃熱心に真氣光をやってくれている方たちで、真氣光プレートブースターやブースターミニなど強力な氣グッズを持っておられる方も多く、隠れて邪魔をするように働いているマイナスの氣にも光が浸透して行った結果のようなのです。
 ところで、現代の世の中で「いま恨みの気持ちを抱えている」という人は、めったに居ません。
しかし、恨みまではいかないけれど、人に対してマイナスの念を抱く(マイナスの氣を送ってしまっている)ということは、気がつかないだけで、日常には頻繁にあることではないかと思います。
例えば、誰かの悪口を言っている場合、本人に言うのであれば注意を促すということで、意味のあることかもしれませんが、本人の居ない所で言う悪口、陰口・・・話ながらその人を思い出し、つまり本人をイメージしてマイナスの氣を向けているということになります。
恨みではないですが、氣の観点からは似たような行為と言えるでしょう。
マイナスの氣を送るということでは、誰かに対しての不平・不満、愚痴、告げ口・・・等々、注意を促すために正しいことをしているかのように錯覚することも多く、マイナス的行為をしていることに気がつきにくいものですから注意が必要です。
 また、既にマイナスの氣の影響を受けているから、そのようなマイナスなことを言ってしまったり、よく聞かされるということがあるものです。
どちらの場合も真氣光をしっかり受けながら、自分がどのようにプラスの方向に変わらなければいけないかを意識することです。
(中川 雅仁)
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氣を取り直す

 先日、パソコンが壊れて修理していたのです。
原因がある程度分かり、その対策のために、いろいろ手を尽くしたのですが、なかなか立ち上がってくれません。
夜も遅くなり「これはもう駄目かな」と、その日は諦めて寝たのです。
次の日、目が覚めて、どうしても気になるので、もう一度氣を取り直し、最初から頭を整理して順番にやってみたところ無事動き出し、ありがたいことに問題解決となりました。
私は、なかなか諦めきれないというか、問題がはっきりしないと気になるという性格で、逆にそんな状況から問題解決に至った時のスッキリ感が、たまらなく心地良いと感じるタイプのようです。
 2011/6/24の週刊真氣光ニュースで、「氣を取られる」という言葉について、マイナスの氣との関係を説明しました。
マイナスの氣によって氣を取られ、ちょっとした不注意などが起きるということがよくあるものです。
これに似ているのですが「氣を取り直す」という言葉も重要です。
「元気を取り戻すため、心の持ち方を変える」という意味ですが、マイナスの氣の影響により、悪い方向に引っ張られると思うようにならず、気持ちも沈み、何とかなることでも出来なくなるものです。
この時、「氣を取り直す」、つまり心の持ち方を変えようとすることが、とても大事です。
 氣を送っていると、氣を受けている人の口から、既に亡くなっている人の言葉が出てくることがありますが、以前、ある女性に氣を送っていたところ、「こいつは、俺の思うとおりになる。
ここは居心地がいいから他には行かない」と言って出てきた魂がありました。
このようなマイナスの氣には、毎日の生活の中で、彼らの居心地を悪くさせる必要があります。
つまりマイナスの氣が、気持ちを下げようとする時に、その手にのらない、つまりマイナスの氣の思うようにはさせないという、ちょっとした「抵抗」をするのです。
ですから、氣を取り直して、上手く行かなくてもやってみることは、マイナスの氣にとって、とても嫌なことです。
そうすることでマイナスの氣の影響から脱することができ、それがまた貴重な経験となることで、その後も、マイナスの氣に与える隙をどんどん無くしていきます。
 真氣光を受け、氣のエネルギーを充電することで、「氣を取り直す」ことが容易になるものです。
また、真氣光を受けていても、マイナスの氣によってピンチに陥ることはあるもので、そのような時にも「氣を取り直す」ということを思い出せれば、マイナスの氣に対して思うようにはさせないという思いが、問題の解決を早めるのです。
(中川 雅仁)
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マイナスをプラスに、その練習の積み重ね

 昔、私は「人」が苦手でした。
特によく知らない人と接していると気疲れしてしまうので、大学を卒業して就職するときに、電機会社の研究職を選んだのです。
機械相手の仕事だと思って入りましたが、どんな仕事にも人とのコミュニケーションが要求されます。
人の気になる所、悪い所ばかりが気になり、どんどんマイナスの氣が溜まってしまいました。
結局、真氣光研修講座に行って、「自分が変わらなければいけない」ということに気がついたのです。
しかし、直ぐには思うように行かないものです。
何かのきっかけで「やっぱり駄目だ」と苦手意識が出て来たり、自信が無くなったりするのですが、氣を受けるようになり、だんだんそれが気にならなくなりました。
そのうちに、この会社に入り、先代が亡くなってしまったので、私が会長をやるようになりましたから、ますますそんなことは言っていられない状況(笑)になってしまったというわけです。
 苦手意識には、マイナスの氣が関係しています。
マイナスの氣は、いつまでも影響を与えていたいので、その人に変わってほしくありません。
時には、その人の心をネガティブなほうに引っ張り、さらなるマイナスの氣を集めようとします。
嫌な気持ちにさせるばかりではなく、良いことを思わせないようにしたり、やったほうが良いことを行動しないように邪魔したり・・・このように、マイナスの氣が邪魔をするようにして、生きている私たちの気持ちをコントロールすることは、たくさんあります。
 私は、マイナスの氣に負けない強い心が大事だと思っています。
不得意だと思っていること、苦手意識があることは、できるだけ避けて通りたくなるので、これまであまり経験していないことが多いものです。
これでは、できることも、いつまでもできないままです。
私は何事も練習だと思うのです。
鉄棒で逆上がりを練習したように、練習せずして最初から出来ることはありません。
苦手なら、人よりたくさん練習しなければならないはずです。
しかし、私たちは、体を動かすことには練習するという意識が持てるのですが、心のこととなると練習しようとは思いません。
「こういう性格だから仕方がない」と、諦めてしまうのですが、ここにもマイナスの氣の巧妙な手口があるように思います。
ネガティブな心に引っ張られる前に気がつけると良いのですが、引っ張られた後でも構いません。
これも練習だと思って、マイナスをプラスに気持ちを変えようとすることです。
その回数を重ねるうちに、真氣光のエネルギーの応援も手伝って、いつしか変われている自分を確認できるのです。
(中川 雅仁)
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