期待とプラスの氣・マイナスの氣

 私は、広島・宮島での真氣光研修講座を終え、もう一泊だけ島に滞在して、こちらに縁あった人たちに氣を送りながら弥山に登ってきました。
これまで宮島には何回も来ていて、あちらこちらは観ているのですが、いつも時間が無かったのです。
ロープウェイがありますので登りやすいのですが、どうせなら自分の足で…と思っていたのが、これまで山頂に辿り着けなかった理由です。
幸いにも晴れていましたので、登ると期待通りの絶景が広がっておりました。
標高535Mといえども登頂したときの清々しさ、何らかの期待があるから少々の苦労も乗り越えられ、達成したときの大きな喜びにもなるものです。

 ところで、プラセボ効果といいますが、ただの偽薬も薬だと思って飲むことで効果がでることがあるので、真に薬の効果を調べるには、薬を与える医者も、それを飲む患者も、どちらが本物か分からないようにするとのことです。
逆に言えば、私たちの期待という思いには、何らかの力、つまり見えないエネルギー「氣」があるということです。
患者が「これで治るかもしれない」と思ったり、医者が「これは良薬だ」と思うことで効果が出やすくなるのです。
そして、これは科学も認めているから、敢えて誰もわからないように試験をするわけです。

 このことについて私は、その人が期待できることで発する(プラスの)氣と同時に、その人を応援しようと働く霊的な存在(プラスの氣)と、邪魔をするように働く霊的な存在(マイナスの氣)をも加えて考えています。
期待にパワーがあると言っても、期待通りになる人と、ならない人がでるのは、あるいは同じ人でも期待通りになる時と、ならない時とがあるのは、何らかのタイミングでプラスの氣やマイナスの氣の影響が強くなったり弱くなったりするからだと思うのです。

 ですから、たとえ期待通りにならなくても、どんな人にもプラスの氣の応援は必ずありますので、自分にとっても、家族や友人など周りの人に対しても、「こうなったら良いなぁ、できたら良いねー」と思うのはとても良いことです。
真氣光を受けることでも、その人の周りにあるマイナスの氣がプラスへと変わりますから、よい効果を引き出し易くなります。

 さらには、マイナスの氣は「期待が裏切られた」などと私たちを失望させて、さらなる味方のマイナスの氣を呼び込むように仕向けますから、その手にのらないようにすることも大事です。
また、株や、競馬・パチンコのような賭け事など、自分ではどうにもならないものに過度な期待をするのは、マイナスの氣の付け入る隙を作りますから注意が必要とも言えるでしょう。

プラスの氣の後押しを感じて行動しよう

 今日から広島・宮島での真氣光研修講座が始まりました。
2年ぶり5回目の宮島です。
昨日から、25年前の阪神・淡路大震災のニュースが取り上げられていました。
私も「そうだった」と思い出し、今朝7時の真氣光の時間には、あらためて被災された方々に氣をお送りしたのでした。
’95年は、いろいろなことがあったので、私の中でも忘れがたい節目の年になっています。
大震災の後、3月に先代が長野での体験会開催中に倒れ、そのあと地下鉄サリン事件からオウム真理教の摘発がありました。
ヨガや氣、宗教など、目には見えないもの全般に対して、人々の不信感が広がりました。
先代は6月に復帰しますが、この年の12月に再び倒れ、亡くなっています。
真氣光のエネルギーも、光を嫌がるマイナスの氣による強い抵抗を受けていたのだと思います。
それを変えたのが、マイナスの氣が真氣光によって光の世界に旅立つときに発した「まだまだ苦しんでいるものたちがいる、光を強くしてほしい」という要望でした。
私はその言葉に後押しされて、2000年、照射ヘッド用10倍パワーユニット開発を皮切りに、強力なヘッドや氣グッズを段階的に開発してきました。

 真氣光は毎年変化していますが、それは、自分に光が入り輝けると、それが伝わって、次第に周りが輝けるようになるということであり、それが顕著になっている歴史だといえます。

 私は、昨年末からハイゲンキ3型のパワーアップサービスを始めましたが、これは辛くて苦しい魂ばかりではなく、いろいろな宗教や自分なりの修業を行い、プラスの氣となっている魂たちにも、真氣光の良さをわかってもらい、この光を利用して欲しいとの願いをこめたものです。
彼らに、もっと光の方に進んでもらい、いっそう積極的に、より多くの生きている人たちをサポートしてほしいということなのです。

 プラスの氣は、辛い魂をできるだけラクにしたいと考え、私たちの周りに人の縁をもたらします。
ですから、それに応えるべく、プラスの氣の後押しを強く感じ、他のために良いことを行うことなのです。

 つまり、真氣光を利用していたり、真氣光研修講座を体験した私たちは、周りのいろいろな縁ある人たち・・・それは初めて会ったという人から、同じ家系という身近な縁の人まで・・・そのような人たちにマイナスの氣を感じたなら、真氣光を使って積極的にそれをプラスの氣に変える努力をしていくことなのです。
私は、それがプラスの氣ばかりではなく宇宙の思いに応えることに繋がるのだと思うのです。

氣プレートカードで周りに光を広げよう

 あけまして、おめでとうございます。
皆さん、年末年始は、いかがお過ごしだったでしょうか?私は、年末は忙しかったのですが、年始は比較的時間の余裕があり、十分に氣の充電ができました。
新年は4日から会長セッションや無料体験会を中心にエンジン全開で始動しております。
今年も、どうぞよろしくお願いします。

 ところで、もう間もなくお手元に届く月刊ハイゲンキ2月号の真氣光教室のページでも説明しておりますが、新年より新しい氣グッズ「氣プレートカード」を発売することにしました。

 この氣プレートカードは、真氣光の氣を受信する際のアンテナとなるSAS三連マークを金属箔に千個刻印し、縦85mm横55mmの透明樹脂で覆ったものです。
クレジットカードとほぼ同じ大きさになりますが、厚さはカードより遙かに薄い0.18mmですから湾曲させることもできます。
ポケットに入れたり、財布や携帯電話のケースなどに入れて、身につけるばかりでなく身の周りに置くこともできます。
また、複数枚をヘルシー氣サポート腰用などに入れるなどして、真氣光プレートと併用することで氣中継量を大きくすることも容易になります。
氣の中継量は真氣光プレートとほぼ同じですが、宛名などの刻印ができませんので、特定の人や土地などに氣を送りたい時には、これまでのように真氣光プレートを利用するほうが良いでしょう。

 今回の氣プレートカードは、真氣光プレートに比べ安価ですが、氣中継量は同等で効果も期待できますから、真氣光の必要性を強く感じられる方へ差し上げるという使い方もできます。
その際には、真氣光への理解ができるだけ進むように説明やアドバイスを付け加えて下さい。
大きな氣中継量のものほど意識して使えるほうが、氣の吸収量は上がり、それが効果につながります。
さらには、良い体験は氣の効果が分かりやすいのですが、マイナスの氣がプラスの氣に変わるときに起きる一時的なマイナス現象つまり好転反応のような場合もありますから注意が必要です。
初心者の人には分かり難いことですから、経験豊富な人のアドバイスなどによって、上手くサポートできるかどうかということがポイントになるわけです。
絶え間なく中継される真氣光のエネルギーによって、マイナスの氣は必ずプラスの氣になり、やがて必ず良い結果に繋がります。
初心者の人をサポートできることで、更なるプラスの氣の応援がありますから、自分自身も大きく飛躍できるきっかけになります。
自分で使うばかりではなく、自分の体験を生かし周りの人に光を広めるための氣グッズとして、氣プレートカードが多くの人に使われることを願っています。

良い年を、お迎えください

 先日の真氣光メンバーズの集いには、たくさんの方が参加してくださいました。
誠にありがとうございました。
宇宙からのエネルギーも受け皿がしっかりしていないと、どんなに宇宙には無尽蔵にあっても地球に注がれて来ません。
今年は、メンバーズの集いに加え、年内に約300台のハイゲンキ3型のパワーアップが完了しますので、これまで以上に変化の大きな年だったように思います。

 ところで、より強い真氣光のエネルギーが受けられるということは、より深い所の存在、より強いマイナスの氣にも光が届くということですので、それなりの心構えが必要です。

 私は、この世には論理的に説明ができることと、どうにも説明ができないことがあり、論理的に説明できないことが何故起こるかといえば、その原因として考えられるのが、「(プラスやマイナスの)氣のせい」だと言っております。
プラスの氣のせいであれば、良いヒラメキなどに繋がるのでよいのですが、マイナスの氣のせいの場合は問題です。
より深い所に存在するマイナスの氣は、いつまでもそこに存在し続けたいので,気づかれないように隠れようとしますから、「氣のせいなのか、違うのかの見極め」が難しいのです。
しかし、ここで論理的な思考ができると「何かヘンだ」と思えるわけです。
例えば、なぜか理由を付けて真氣光を受けないようにしてしまっているときに、頭でよく考えられれば、「氣は受けたほうが良いのにできない自分はマイナスの氣の影響を受けている」と気づけるというわけです。

 人の脳は、感覚的なものは右脳で、論理的な思考は左脳が受け持つと言われますが、プラスの氣がもたらす良い直感やヒラメキを感じやすくするとともに、マイナスの氣の影響を受けないように論理的な思考ができないと、影響を受けていてもそれを認識できないということに繋がってしまいますから、両者のバランスをうまく保ったまま、伸ばしていくことがとても大事です。

 また、より深い所に存在するマイナスの氣であればあるほど、自分自身とは区別がつきにくくなっていますので、自分では論理的な思考が出来ていると錯覚してしまいます。
これを防ぐには、人の話なども素直に聞くなどして、自分を省みることができるかどうかということになりますので注意が必要です。
氣の高まりによって、昔から家系に存在する「こだわり」の氣の影響で、これまでは省みることが難しかったりすることも、より深いところに氣が届くことで、変われるかもしれません。

 早いもので、今年最後の真氣光ニュースとなりました。
そのようなことも頭に入れながら、来年に向け氣をしっかり受けて、輝かしい年を迎えましょう。

(65)流れる水は腐らず

 ことわざに、「流れる水は腐らず」という言葉があります。
先代も、溜まり水があるような台所やトイレ、風呂場などの水回りにマイナスの氣が集まりやすいということで、水に氣を入れるアクアリフレッシャーを開発した理由の一つに上げているほどです。
 このことわざを辞典で調べてみると『常に活動し新陳代謝をしているものは、腐敗したり停滞したりしないということ。
常に流れている水は、生活排水などが混入するようなことがなければ、きれいで腐敗することはない。
「流水腐らず」とも表現し、古く中国の文献に見られる』とあります。
「氣が滞る」とも言いますが、活動が止まっていたり、新陳代謝のないところにマイナスの氣が溜まりやすいということで、このことわざは、まさしく氣の性質を言い表している言葉だと思います。

 例えば、年末の大掃除の季節ですが、マイナスの氣は人の手が届きにくいところ、人が意識しにくいところに溜まりやすいので、溜まりがちなマイナスの氣を掃除によってプラスの氣に変えるという、氣の観点からも新陳代謝を促すことに繋がる「掃除」は大切なことというわけです。

 また、真氣光研修講座で龍村先生が教えてくれるように、体は動かさないと筋力が落ちるばかりか筋肉や関節は硬くなり血流が悪くなって、そこにマイナスの氣が集まり易くなります。
ですから、体に真氣光のエネルギーを取り入れるとともに、ヨガやストレッチなど適度に体を動かすことが大事なのです。
同じように考えると心にも、泣いたり笑ったり、感動したりなどの心の活動と、心の新陳代謝(古いものを新しいものへと入れ替えていく)つまり成長していくことが大事だということがわかります。

 ところで、真氣光のエネルギーは、宇宙に無尽蔵にあり、いつも変わること無く地球に向かって注がれています。
滞ること無く、流れるように、真氣光の光が自分に注がれるようにするには、私たちが氣グッズやハイゲンキを利用して、調子が悪い時はもとより調子の良い時にも、真氣光を意識して取り入れようとすることが大事です。

 それは、自分を輝かすだけではなく、周りにも広がり、暗い部分に光となって伝わることで、よりいっそう自分と周りが明るくなるのです。

 明日から真氣光メンバーズの集いを開催します。
皆さんには、来年に備え、氣の新陳代謝の大きなきっかけとなるように、たくさんの真氣光のエネルギーを受けていただきたいと思っています。

新しい年への準備

 私は、日曜に東京センターでの真氣光研修講座を終え、今年の仕事も残すところあと僅か・・・大きなイベント・真氣光メンバーズの集いと数回のセッション、このニュースも3回となりました。
最近メンバーになられた方は、ご存じないかもしれませんが、来週末開催されるメンバーズの集いは、先代の命日から始まったイベントです。
先日11日が命日でしたが、1995年に亡くなりましたから、既に24年経ったということになります。
しかし私には、そんなに時間が経っているように感じないから不思議です。
真氣光研修講座では、はじめて受講する方のために、生前の講義ビデオを観てもらっていますので、いつも目にしているからかもしれません。
59歳で亡くなりましたが、1月1日生まれの私にとっては、もう何日かでその年になるわけで、先代に比べて何もできていないと、ついつい反省モードになってしまいます。
先代は、よく閃きが大事だと話しておりましたが、先代には、その閃きを実現させるための行動力も備わっていたのだと思います。
ブルドーザーのような機動力で周りをも巻き込んで、グイグイ進んでいた感じがします。
閃きのような目には見えない意識の世界は、瞬時に変えるということも可能ですが、目に見える世界は、急に変化させることが難しいものです。
私たちが本質である魂だけではなく、体を持ってこの世に生きているということは、意識や思いだけではなく、なかなか実現することができない目に見えることを困難のなか行動して、事を成していくということが大事なことだからなのでしょう。
低い山なら、思いつきでもアッと言う間に登れるということがありますが、エベレストなど高い山になればなるほど、登るには計画的に順序立てて用意も万全に、たくさんの人の手も借りなければ実現は不可能です。
自分にとって、どの程度の山なのかという見極めと、それに合わせた準備、つまり段階ごとにできるだけ具体的な目標を設定し、それを着実に実現していくことしかありません。
昔から真氣光にとって、この12月は大きな変化がある月です。
私は、メンバーズの集い開催による真氣光のエネルギー的な高まりも利用して、目には見えない部分と目に見える部分の準備を、新年に向け、万全にしようと考えているところです。

 なお、月刊ハイゲンキ誌などで、3日間のメンバーズの集いは13時から始まる予定をお知らせしていましたが、12時半から15分間、東京センターから中川貴恵さんによる歌をライブ放送することになりました。
3日間、東京センターばかりではなく各地のセンターや全国の参加登録者に向けて配信しますので、興味のある方はご準備下さい。

意識をうまく使おう

 

 今日から、東京センターでの2泊3日の真氣光研修講座が始まりました。
1990年の開講当初から、氣・心・体の三つの側面から総合的に高めることを目的にした講座です。
私は、人というものを構成しているこれらの要素が密接に繋がっていると、お話ししています。
例えば、ストレスなどで気持ちが落ちると体の調子が悪くなり、さらにその時には氣も落ちるのです。
ですから、真氣光の氣のエネルギーが良いからといって、氣を受けることだけやっていても、あまり効果はありません。
研修では、宇宙からの真氣光を取り入れ、氣を高めると同時に、体もヨガを利用して良い方向に、心も講義や行法で良い方向に変えていこうということなのです。

 心について、研修では「洗心のための指標」に代表される講義や行法を通して学んでもらっていますが、心は広く捉えると意識とも言えます。
私は、氣とは電波みたいなもので波動的な性質があると説明しております。
テレビやラジオもチャンネルを合わせるとNHKなどの電波を受信するように、周りにある氣に対して心や意識が、チャンネル合わせをするような役目をしています。
ですから、真氣光という良い氣を受けようと意識できることで、氣は受けられますし、気持ちが落ち込むとマイナスの氣とチャンネルが合い、その影響を受け易くなるということです。

 良くないことに意識を持っていくと、そちらに波長が合ってしまい、周りの空間にあるマイナスの氣の影響を受けますので注意が必要ですが、それが分かっていても、なかなか変えられないことがあります。
マイナスの氣の影響を強く受けてしまっていて、そちらにロックされているのです。
誰かに良い氣を送りたいと思うのも、そちらに意識を向けることで送れますが、マイナスの氣も同じです。
真氣光を受けながら、そのようなマイナスの氣を意識することで、それらにエネルギーが届きやすくなり、受けている影響を小さくできます。

 意識の世界では、世界中どこにでも行けますし、過去に遡るのも未来へ行くことも自由自在です。
できるだけ楽しいこと、ワクワクすることなどプラスのほうに意識を合わせてプラスの氣に波長を合わせられるようにすることです。
そして、嫌なこと、後悔、不安や心配、怒りなど、マイナスの氣を感じたなら、それをしっかり意識して真氣光で光に変えるとともに、それへの対策をたて行動していくのです。
プラスの氣を取り込むのも、真氣光を利用してマイナスの氣を光に変えるのも、意識をうまく使うことなのです。

生活のすべてを修行とする

 今日から、東北地方では3回目になる宮城蔵王での2泊3日の真氣光研修講座が始まりました。
こちらは晩秋、山の頂には雪があり、木々はすっかり色づいております。
研修会場のある遠刈田(とおがった)温泉は1601年に開湯されたという歴史のある温泉で、信仰登山の基地や湯治場としても栄えてきたところ、このホテルの目の前には大きな赤い鳥居があります。
蔵王山神社について調べると『690年、役行者(えんのぎょうじゃ)が吉野の金峯山寺から金剛蔵王大権現を勧請して、宮城県側の刈田岳山頂に祀った蔵王大権現社。
これ以降、修験道の修行の場となった当地の奥羽山脈は「蔵王山」と呼ばれるようになった』とあります。

 ところで研修講座は、研修生活行法説明の講義で始まります。
講座で使っている行持集から引用すると「・・国際総合生活ヨガ研修会と協賛で行われ、参加者は研修を通して真実(道)を求め、肉体の修行、精神の修養、生活の修行を行います・・特徴は一日24時間の全てを求道の対象として学ぶ所にあり、講義を受けることだけではなく・・眠りも睡眠行法という考え方です」と書いています。
これは、同じ行持集に「この生活ヨガの為の誓いの言葉集は、私の師匠である沖正弘聖師の言葉から主として引用させていただきました」と龍村修先生が書かれているように、沖先生(1919~1985)によるものなのです。

 私の父・先代が1990年3月から、この研修講座を始めましたが、ある方から米国で沖先生のノートを譲り受け、その内容に強く引きつけられて、当時沖ヨガ下田道場の龍村先生を訪ねたことから始まっています。
今月8日には沖先生・生誕100周年記念感謝祭がインド大使館であり、私も行って参りました。
沖先生の活動を再度勉強させていただき、ご縁のありがたさを強く感じた次第です。
合掌に始まり合掌に終わる研修講座のスタイルや、目覚めの誓い〜眠りの誓いまでの数々の誓いの言葉は沖先生によるものですから、毎回私たちは先生の教えにふれているわけです。
つい私たちは、辛いことが続くと逃げたくなりますし、何か問題があると他人のせいにしたくなり、不平や不満、愚痴などが口から出て来てしまいます。
毎日の生活が修行や学びの場という観点からは、大きくそれて生活しがちですが、毎日の生活を魂を輝かせるための修行と捉えると、前向きに生きられます。
宇宙からの真氣光のエネルギーも、私たちを応援するように、山があれば早めに越えられるように、少しでも修行がスムーズに進むように送られています。
それを十分に活用して、私たちの氣のエネルギーを効率良く高めていきたいものです。

(64)一難去ってまた一難

 私は、ハイゲンキや各種ヘッド、いろいろな氣グッズの開発を行っていますが、それが自分の役割のように感じて始めたのは2000年からのことです。
’95年に先代が亡くなりましたが、先代が夢で教わり作ったものを、夢を見ない私が同じようにできるとも、改良できるとも考えてはいませんでした。
しかし、私が氣を送ると出てくる魂たちの「もっと強い光のものを作ってくれ」という要求が高まり、尻を叩かれるようにして始めたのでした。
ですから特に最初のころは、どうして良いか分からず試行錯誤の連続でしたし、問題が次から次に出てくるなど、作ってくれる工場も含めて「一難去ってまた一難」ということが多々ありました。

 そして、私ばかりではなく、いろいろな人の話の中に似たようなことをよく耳にするものです。
私は、このことわざが、とてもよく氣の性質を言い表していると思っています。
私たちには、応援するように働いてくれるプラスの氣と、足を引っ張りたいと思っているマイナスの氣が関係しています。
マイナスの氣は、自分の辛い気持ちを分からせようとしたり、先祖をはじめその人まで恨みの対象と考えていたり等、いろいろな角度から私たちを不幸にしようとするのです。
そのような中で、私たちが何か問題があっても打ち勝とうと一生懸命に努力出来ることで、見えない光のような氣のエネルギーが増し、その光によって暗いマイナスの氣に光が届き消えて行くということもあるでしょうし、プラスの氣の応援を受け易くなるということもあり、「一難」が去るわけです。
マイナスの氣の影響が一旦は途切れて、また次には出てくるのですが、一度完結している兆しが見えるということがポイントです。
マイナスの氣は、一つではありません。
同じようなものがグループとなっていることもありますし、同じマイナスの氣が、あの手この手と隙をうかがっていることもあります。
その人を落ち込ませ、更なるマイナスの氣を味方として寄せ集めたいと狙っているわけですから、また一難がやって来た時に、その手に乗ること無く再び難に立ち向かえると、さらに光が増えます。
一難の一つひとつが、魂の輝きに繋がり、その繰り返しが人を強くし、心の余裕度を上げ、やがては他の人にとって「たいへんな事」という一難も「難」と感じなくなっていくのです。
さらには、難は無くとも自分から積極的に難しいことにチャレンジできることも自分自身の光を増し、周りをも明るくすることに繋がります。
真氣光を受けることで、それが容易になります。
宇宙からのエネルギーを利用して、自分から確実・着実に光を広めて行きたいものです。

マイナスの氣に負けない不屈の精神

来年のオリンピックで、マラソンと競歩の種目については、札幌で行われることに決定したと、テレビのニュースが伝えていました。
この年末に近づいてからの突然のIOCからの発表で、多くの混乱の中、反対意見も多いようです。
困難なことも多々あるでしょうが、東京そして札幌でも、何事もなく無事に成功して欲しいと今から願っています。
このニュースを聞いて、札幌生まれの私は、’72年の冬季オリンピックの時の思い出も蘇り、北海道や札幌に光が当たることで、少々嬉しい気持ちもあります。
今回はマラソンと競歩ですから、札幌の街並みを世界中の人が目にするということになるのでしょう。

私は、北海道開拓の祖、島義勇という人のことを、小学生の時に社会科の郷土の歴史で習いました。
島判官(はんがん)は、札幌を北海道の中心に据え、何もない荒れ地の原野から碁盤の目の街並みの「五州第一の都」(世界一の都)を作るという壮大な構想を描き着工するも、予算問題から志半ばで解任されるのですが、この思いが引き継がれ、今の札幌があるとのことです。
余談になりますが、私が浪人時代に新聞を配っていた北海道神宮には島判官の銅像があり、私は朝晩その前を横切っていた不思議な「ご縁?」があることを後になって知りました。
側にある六花亭では「判官さま」という焼き餅が売られていて、先日私もいただきましたのでインスタで紹介しておきます。

氣の観点から言うとマイナスの氣の邪魔によって、出る杭は打たれると言いますが、何事も軌道に乗る前は、嫌がらせのようなこともあるでしょうし、綻びのような隙を見つけられて集中攻撃されるなど問題が付きものです。
真氣光も、幾多の困難がありましたが、先代の強い意志によって乗り越えられ、今に至っています。
良くしたくないマイナスの氣の邪魔や抵抗がありますが、それに屈していては何も始まりません。
そして、そういうものに打ち勝った結果のいろいろなことが、いま私たちの目の前にあるのだと思うのです。
先人の不屈の精神には、本当に頭が下がります。

そして、このような先人ばかりではなく、誰でも初めてやるということがあるものです。
それには、多くの困難がつきものです。
学校を出て就職するのも、結婚するのも、親になるのも、あるいは調子が悪くなって氣で癒すということも、自分にとっては初めての体験です。
先がどうなっているのかわからず、不安がつきものですが、マイナスの氣に負けていては何事も始まりません。
真氣光を受けながら、勇気をもってマイナスの氣に打ち勝っていくという強い意志が大事だと思うのです。