(64)一難去ってまた一難

 私は、ハイゲンキや各種ヘッド、いろいろな氣グッズの開発を行っていますが、それが自分の役割のように感じて始めたのは2000年からのことです。
’95年に先代が亡くなりましたが、先代が夢で教わり作ったものを、夢を見ない私が同じようにできるとも、改良できるとも考えてはいませんでした。
しかし、私が氣を送ると出てくる魂たちの「もっと強い光のものを作ってくれ」という要求が高まり、尻を叩かれるようにして始めたのでした。
ですから特に最初のころは、どうして良いか分からず試行錯誤の連続でしたし、問題が次から次に出てくるなど、作ってくれる工場も含めて「一難去ってまた一難」ということが多々ありました。

 そして、私ばかりではなく、いろいろな人の話の中に似たようなことをよく耳にするものです。
私は、このことわざが、とてもよく氣の性質を言い表していると思っています。
私たちには、応援するように働いてくれるプラスの氣と、足を引っ張りたいと思っているマイナスの氣が関係しています。
マイナスの氣は、自分の辛い気持ちを分からせようとしたり、先祖をはじめその人まで恨みの対象と考えていたり等、いろいろな角度から私たちを不幸にしようとするのです。
そのような中で、私たちが何か問題があっても打ち勝とうと一生懸命に努力出来ることで、見えない光のような氣のエネルギーが増し、その光によって暗いマイナスの氣に光が届き消えて行くということもあるでしょうし、プラスの氣の応援を受け易くなるということもあり、「一難」が去るわけです。
マイナスの氣の影響が一旦は途切れて、また次には出てくるのですが、一度完結している兆しが見えるということがポイントです。
マイナスの氣は、一つではありません。
同じようなものがグループとなっていることもありますし、同じマイナスの氣が、あの手この手と隙をうかがっていることもあります。
その人を落ち込ませ、更なるマイナスの氣を味方として寄せ集めたいと狙っているわけですから、また一難がやって来た時に、その手に乗ること無く再び難に立ち向かえると、さらに光が増えます。
一難の一つひとつが、魂の輝きに繋がり、その繰り返しが人を強くし、心の余裕度を上げ、やがては他の人にとって「たいへんな事」という一難も「難」と感じなくなっていくのです。
さらには、難は無くとも自分から積極的に難しいことにチャレンジできることも自分自身の光を増し、周りをも明るくすることに繋がります。
真氣光を受けることで、それが容易になります。
宇宙からのエネルギーを利用して、自分から確実・着実に光を広めて行きたいものです。