真氣光DVDに続き個人用のUSBメモリ版を発売します

真氣光研修講座の受講者に限り購入できる真氣光DVDですが、この度USBメモリに入れた個人用真氣光ビデオを発売することにしました。
元映像はDVD版と同じ内容ですが、私の発光映像の下に「〇〇〇〇様 たくさんの光が届きますように」の文字を全映像20分に渡って名入れすることによって、真氣光プレートに名入れするように、映像の所有者に氣が集中して届けられるようにしたものです。
今年2月末から販売している真氣光DVDですが、ドローンを使った空撮やストーリー性を持たせるなど、私が氣を送る映像に工夫をして、より高い氣中継量にするべく制作したもので、既に多くの方に利用していただいておりますが、研修講座受講者の中には、DVDプレーヤーを持っておらずスマホやタブレット、PCなどで観たいから「DVDではなく、そのままの映像データが欲しい」という声が多くなっていました。
そこでUSBメモリに記録すれば、一つひとつ手作りとはなりますが、名入りの映像制作と氣入れが可能になることで、強力に氣を中継することがわかり販売することにしたわけです。
このUSBメモリ版は、USBタイプA、USB2.0という規格で、その中に下記三つのファイルが格納されています。
①真氣光ビデオ高解像度(1920×1080)movファイル約2GB
②真氣光ビデオ低解像度(640×380) movファイル約300MB
③先代からのメッセージ低解像度(640×380) movファイル約10MB
このようにDVDよりも高解像度な映像や、低解像度の映像を持っていただけることで、御自宅のテレビで観るときは、映像のキレイな高解像度を視聴し、普段スマホなどで視聴するときは容量の少ない低解像度を視聴するといった使い方ができます。
さらには、DVDプレーヤーは長時間の使用での劣化が著しいため、毎日長時間の使用に耐えませんが、USBメモリ版であれば映像自体に劣化が無くテレビやメディアプレーヤーを使いますので長時間使用が可能になるといった利点もあります。
全ての映像は、音氣CD同様、コピーは可能ですが、その際スマホやパソコンなどには、氣ホログラムシールもしくは氣ホログラムゴールドシールを貼ってからコピーしてください。
名入れは、研修講座で氣中継実習を修了した有資格者が対象で個人名が入ります。
8月末発売開始で価格は価格55,000 円(但し'22 年版の DVD 所有者は 3万5千円で交換)
9月末迄上記金額から1万円引きのキャンペーンを実施します。
詳細は10日発売の月刊ハイゲンキ9月号、真氣光教室のページを参照してください。

(75)あしたはあしたの風が吹く

 先週末、私は阿蘇での真氣光研修講座を開催しておりました。
阿蘇もまた歴史ある所ですので、受講生ばかりではなく、ご先祖様も含めて、私は多くの関係している方々に真氣光を受けていただけたように感じております。
受講していただいた皆さん、ありがとうございました。
 ところで、研修講座では前半の2日目ぐらいまでは、初めて受講する人・もう何回も受講している人に関わらず、好転反応がでることが多いものです。
今回の研修でも反応がでた人がいましたが、少しばかり体や気持ちが不調になっても氣をどんどん受けていくうちに、マイナスの氣がプラスに変わり以前よりも良くなる、つまり「好転」していくことを体験されたようです。
 しかし、研修ばかりではなく、ピンチに陥った時、たいへんな状況に遭遇したとき、私たちは、「この先どうなるのだろう?」と心配したり、悩んだり、先が見えないことで気持ちが落ち込んだりしてしまうものです。
体や心に現れる問題ばかりではなく、身の周りにいろいろな問題が山積みで、気持ち的に追い込まれているときなど、好転反応を何回も見聞きしたり体験している私でも、先が見えないような不安感に苛まれることがあります。
先のことは、考えてもどうなるか分からないものです。
今できることを精一杯やって、準備できる手段は十分にとって、後は天に任せるしかないのですが、そんなことは頭で理解していても、不安にさせるマイナスの氣の影響を受けてしまうことがあるものです。
 夜になって、明日はどうなるのだろうと考えているうちに、夜も眠れなくなってしまっては、さらに物事を悪い方に向かわせてしまうことになります。
そのようなときに、私も自分で自分によく言って聞かせるのですが、「あしたは、あしたの風が吹く」という諺が、とってもピッタリするものです。
 ことわざ辞典では「変わりやすい風向きを、ああだこうだと心配していても無駄なだけ、向かい風が逆に追い風になることもある」とあり、江戸時代から先人が使っていたことわざのようです。
 誰にもプラスの氣の応援があるのですが、一時的にマイナスの氣の影響が強くなることがあるもので、そのようなときに悪い出来事や現象に直面するわけです。
そのようなときにマイナスの氣を引き寄せないよう、「いいとこ探し」や気分を明るい方向にすることで、早めに切り抜けられるものです。
取り越し苦労の多い人は、既にマイナスの氣の影響があるかもしれません。
真氣光をしっかり受けると共に、このことわざで気持ちを切り替えていただきたいと思います。

「原発をとめた裁判長」という映画

13日の新聞では「東京電力福島第1原子力発電所事故を巡る株主代表訴訟で、東京地裁が株主側の訴えを認め当時の経営陣4人に対し総額約13兆円を支払うよう命じた」と報じられていました。
この判決では、過去に例がない巨額の賠償金もさることながら、経営幹部個人の責任を認めた意味も注目されるところです。
 ところで、先日私は月刊ハイゲンキ誌の来月号巻頭対談の取材で映画監督の小原浩靖さんにお会いしました。
小原さんは「原発をとめた裁判長」という、'19年6月号で対談した樋口英明裁判長の映画を作り、この9月から各地で上映予定とのことですが、監督によりますと「皆さんの応援が必要です」ということなので、少し解説したいと思います。
 先代は、氣の観点から原子力について、原爆はもとより発電などでも「反対」の立場で、チェルノブイリ原発で被曝した人たちの治療にロシアに出向いたり、具合が悪い子供達を日本に招待して治療したり、そればかりではなくウラン採掘で被曝したホピ族の住む土地にも帯津先生と治療のために訪問しています。
「ウランは利用時ばかりではなく採掘から処分まで問題」というのが、先代の考えでした。
そのようなことで、私は反原発を訴える方々に、月刊誌でお話を伺って来ましたが、原発違憲の判断を下した裁判長樋口さんのお話は非常にわかりやすいものでした。
小原さんの作った映画は、これを樋口理論として、原発の危険性が誰の目にも分るように解説されているばかりではなく、電気の問題を解決するのにソーラーシェアリングというものを提案しているのが興味深いところなのです。
 このソーラーシェアリング、農地の一部に支柱を立ててパネルをはり、農業と発電事業を同時に行う日本の革命的な発明とのこと。
この映画では、福島で被災した農家の若い人たちが中心になって、発電しながら作物を作る姿が映されています。
 ですから、この映画は日本のエネルギー問題、農業問題の未来にも関係するもので、ぜひ皆さんに観ていただきたいと思うのです。
小原監督によりますと「まだ上映してくれる映画館は少なく、東京の集客状況を見て地方の映画館は上映するかどうかを決める」ということですので、東京の方はぜひ観てください。
また、全国の劇場で公開するための資金をクラウドファンディングで集めています。
こちらは8月9日締切ということですので、協力できる方はお願いします。
各センターに、この映画のチラシを送りましたので、興味のある方は見てください。
詳しくは、こちらを参照願います→https://saibancho-movie.com/

物に宿る氣と真氣光の効果

 妻が最近、「ハーブが自律神経に良い」と聞いて、はまっています。
自律神経・・つまり交感神経、副交感神経のバランスを適度に保つということですが、イライラや緊張は交感神経を優位にしますから、あまりイライラが多いとバランスが崩れてしまいます。
もちろん、この両者のバランスを適度に保つには真氣光が良いのですが、妻の場合は元々の体質が交感神経優位になりがちだったのに加え、私がイライラのもとを作りがち(笑)ですから、何でも取り入れて良くなってくれるなら、それも良かろうと思って見ていたのです。
 ところが、ハーブを飲んだら、胃がムカムカして吐いてしまう。
分量を半分にしてみると、吐かないにしても気分が悪くなるのだとか。
気持ちが悪い時は、イライラどころではないから、これも効能かもしれないと、本人は止めずに飲んでいるのです。
止めれば良いものですが、購入してしまったから何としてでも飲みたいのだとか…。
私は、「それならハイゲンキ3型プラスの上にハーブを置いてみたら?」と提案してみました。
 すると「ハイゲンキの上にのせたら何やら調子が変わった」と、今のところ気分も悪くならないようです。
私は、もしかすると氣の問題があるのかもしれないと思ったわけです。
ハーブでも薬でも、一般的な家電やどんなものでもそうですが、物質の部分の他に、目には見えない、科学でも捉えられない氣というものがあります。
ハーブの成分つまり物質の部分は良い物でも、氣の部分にマイナスの氣が宿っていて、それに同調する因子を持った人が飲むと気持ちが悪くなるかもしれません。
 少し対象が違いますが、先代が言っていたのは「質屋で買ったダイヤモンドの指輪に、前所有者の悲しみのマイナスの氣が宿っていて、それをつけると調子が悪くなった人がいた」という話です。
 どんな氣が物に関係するかと言えば、それを作ったり流通・販売する人、使用している人の意識や感情がネガティブなものであれば、それがマイナスの氣となって宿りますし、既に亡くなっている人のマイナスの氣が関係することもあります。
逆に、物を感謝して大事に使うなどするとプラスの氣が宿るのです。
 近年、フェアトレードという言葉を目にしますが、途上国の経済的・社会的に弱い立場にある生産者に適正な賃金支払いなど生産者の生活向上を図り公正な貿易をしようという動きは、氣の観点からもすばらしいことなのです。
物に宿るマイナスの氣を少なくしていくことはもちろん、ハイゲンキや氣グッズを使うと、マイナスの氣があってもプラスの氣に変えられますので、人ばかりではなく物にも真氣光を使ってみてほしいと思います。

暑さに負けないよう「真氣光」

 突然、夏がやってきたという感じで、毎日暑い日が続いております。
私なども、マスクをつけて外を歩いていると、頭がボーッとしてきましたので、木陰で少し休みながら、熱中症にならないよう普段より水を多く飲むようにしました。
このような気温の中でも、道路工事や駐車場で誘導してくれたり、建築現場や配達に従事するなど、外で働かなくてはいけない方々には本当にご苦労様という気持ち「感謝の心」が湧いてきます。
 このような環境に置かれると、体も思うように動き難くなってしまいます。
また体ばかりではなく意識が散漫になるので、思わぬ不注意により、仕事でトラブルになってしまったり怪我をすることもありますから、普段よりも「氣をつけて」、適度なところでの休憩も必要です。
 さらには、暑いことで冷房の風に当たり過ぎたり、冷たい物を多く摂ったりと、普段より過剰に摂取するものが増えてしまうと、体もそれを異変と捉えて生活のリズムが崩れてしまいますので、これも自分をよく見て調節することが大事です。
そのようなことで、マイナスな外的要因が多い時は、マイナスの氣の影響を受け易くなりますので、生活の中で真氣光をしっかりと受けていただきたいと思います。
 私たちの周りには、氣のエネルギーが高いプラスの氣と、低いマイナスの氣が存在しています。
マイナスの氣の中には、辛い・苦しいなどの気持ちを抱えたまま身体を失った魂があります。
遠い昔には、冷房もありませんでしたが、働かなくてはならなかったり、体を動かさなければいけなかったりして、苦しい気持ちを抱えたまま亡くなった人がいます。
そのような人がマイナスの氣になって、悪気はないのですが辛い気持ちを分かって欲しくて、暑くて辛いと感じる私たちに影響を与えることがあるのです。
そのような影響を受けると、さらに心や体が辛く苦しい状態になるわけです。
 さらには、自分がうまくいかないまま亡くなったことで、いま生きている人もうまくいかないように邪魔したいマイナスの氣も存在していて、私たちの足を引っ張るために隙を伺っていることがあります。
暑いことから気が弛んだ、ちょっとした隙に、悪い出来事を引き起こすように仕向けたりするのです。
 暑い中で、イライラや怒りが出たり、不平不満や体の心配、氣を受けるのが面倒な気持ち…などが出て来たら、それはマイナスの氣の影響かもしれません。
このような時だからこそ、毎日の生活の中でしっかりと真氣光を受けるようにして、マイナスの氣に負けないようにしていただきたいと思います。

マイナスの氣から学ぶこと

 今日から、愛知は三ヶ根山での真氣光研修講座が始まりました。
いつも参加者の皆さんは、自分が良い方向に変わろうという意識を持って集まってくれるのですが、これが氣の観点では、とても大切なことなのです。
 私は、心や意識には科学では捉えられないけれど働きがある、だから目には見えないエネルギーつまり氣だと考えています。
例えば、思っていることが現実化したり、咄嗟の時に意識が急速に集中されると「火事場の馬鹿力」のようなことがあるなど、この心や意識には働きがあり、だからエネルギーであって、科学でも捉えられないから「氣」だと考えているわけです。
エネルギーですから量がありますし、どこに向けるかという方向性も考えられるでしょう。
例えば、好きな人がいたら「好きだ」というポジティブな氣を、その対象となる人に送っているということになり、「好きだ」という思いが強ければ強い程、大きなエネルギー量の氣となります。
こんな風に思いや意識は大きさを持っていて、それを対象となるものに向けることができるわけです。
 さて、何か良い方向に変わりたいという場合、自分のまだ至らないところを見つけて、それを克服するから今より良い方向に進めるということです。
自分の至らないところや欠点、ネガティブな部分などには、マイナスの氣が引き寄せられていたり、縁などによるマイナスの氣が影響を与えられているものです。
 ですから、自分の欠点などを見つけ、克服できるよう努力するということは、ポジティブな思いを関係しているマイナスの氣に向けて送っていることになるわけです。
さらに真氣光研修講座では、たくさんの真氣光という宇宙からのプラスの氣を受けます。
これが、自分のポジティブな思いに加えられますから、マイナスの氣に届いて良い方向に変わり易くなるのです。
 簡単に考えるとマイナスの氣は悪いものと捉えがちですが、そうではありません。
どんな人もマイナスの氣の影響を受けていて、それに気づけることによって、より良い方向に変われるのであって、それを見つけようとすることは、人が成長するときのポイントとなるわけです。
さらには、この真氣光が利用できると、マイナスの氣はプラスに変わり応援してくれるエネルギーとなり、さらに深いところに存在するマイナスの氣をもプラスに変える手伝いをしてくれます。
ですから、マイナスの氣を悪いものと考えるのではなく、それがどのようなものなのかを理解することで、自分の考えや行動をより良い方向に変えるための材料にしようとすることが大事なのです。

もうすぐ父の日ですね

 父の日は母の日に比べると、お店のプレゼントコーナーも、やや盛り上がりにかけているような気もします。
氣の観点から言うと、お父さんやお母さんは、最も縁がある人ということになり、氣のエネルギーも行き来しやすいということになりますから、マイナスの氣ではなくプラスの氣が送れるようにして、どちらも大事にしていただきたいと思います。
私は、父が亡くなって27年目に入りましたが、毎月の真氣光研修講座では、皆さんに先代のビデオを見てもらっていますので、何か身近な存在のような気がしています。
 今回この原稿を書くにあたり、我が家の強力氣グッズ、真氣光フレームダブルの中から、父方の除籍謄本を取り出してみました。
私は、十年程前から、先祖を含む家族に真氣光が自動的に送られるように、除籍・戸籍謄本を取り寄せ、真氣光フレームという氣を送る装置に入れています。
 私の父は本名は数字の一と書いて(はじめ)、この名前の由来を昔聞いたことがあります。
謄本を見るとよくわかるのですが、父の前にお姉さんが二人いて、生まれて間もなく亡くなっています。
昭和のはじめのことですから、医療が進んでいるわけでもなく、さらには北海道の山奥ですから、今のようにチョット車で移動というわけにも行きません。
冬は馬ソリだったと聞いています。
子供を亡くして、さぞ祖父母は残念だったのでしょう。
父は3番目に生まれて来た子ですが、もう失いたくない、元気に長男として生きてほしいという思いから「はじめ」になったとのことです。
父の下にも亡くなっている弟たちが居ますから、その時は、どんな様子だったのだろうと、父が生きている時には思いもしなかったことですが、今となっては聞きたいことがたくさんあります。
後で考えることは多いものですが、そんなふうに思い出すこと、気持ちを向けるということも、見えない氣のエネルギーを送っていることになります。
 ところで、いつも父からは氣のエネルギーが送られてきていて、私は何となくそれを感じることがあります。
この真氣光を始めた人ですから、今でもエネルギーは潤沢にあり、出来ることも多いに違いありません。
もはや、何かを言葉で伝えてくるという次元ではないのだと思うのです。
 誰にもプラスの氣という存在があり、私たちを見守ってくれています。
深いところで私たちの意識に影響を与えているのだと思います。
ただ、マイナスの氣も影響を与えて来ますので、しっかりと自分の頭で考え、採用するものしないもの、進むべき方向を判断することが大事です。
真氣光を受けることでも、マイナスの氣の影響は少なくできますので、日頃から活用して欲しいと思います。

明るい氣の応援を感じよう

 6/9から鹿児島県は姶良市の「真氣光庵あかり」がスタートしました。
この「あかり」につきましては、3/25付の1233号に創設の経緯を書きました。
私は、毎月一回の真氣光レッスンの時には、センターに出向くことにしたのですが、先月は熊本センターに行き、そのついでに鹿児島にも寄ってみたのです。
その様子を私のYouTubeチャンネル「それ、気のせいです」で紹介していますので、ぜひご覧下さい。
当日は、スタッフ河地さんのお兄さんご夫婦も来てくれて取材が出来ました。
映像編集の関係から全収録が入らず続編ができてしまいましたので、またの機会にアップしたいと思います。
 ところで、河地さんに話を聞いている中で、既に亡くなっているお母さんが、真氣光を受けている時に出てきて、「この家を使って欲しかった」と伝えて来たという話があります。
今日はこれをたとえに氣と真氣光の話を説明します。
 私は、見えない、科学でも捉えられないけれど何かしらの働きがある、ですからエネルギーと言っていますが、このようなものの総称を氣と定義しています。
 氣は、いろいろなところに存在していて、私たちは、それを感じることができます。
目には見えないけれど光のようなものと考えると分かりやすく、明るい氣は心をラクにして、暗い氣は気持ちをネガティブにします。
自然の中で清々しいと感じたり、嫌な雰囲気の場所があったり、思いや念みたいなものも氣です。
また、私たちの体の中にも生命エネルギーと呼ばれる氣があり、この氣は死を迎え体が消滅しても、氣として残ります。
 真氣光は、この空間や宇宙にある氣ですが、氣中継器や氣グッズを使って取り出すことができ、それは私たちの氣を増やす方向に作用することが経験的にわかっています。
真氣光を受けると、自分の中の氣が高まる(明るくなる)ばかりか、周りにも明るい氣が増えるのですが、いつも真氣光を受けることで、この明るい氣が力を貸してくれることも多くなります。
周りに存在する氣を感じやすくなることもあり、周りの氣つまり魂など霊的な存在が真氣光を受けている人の口を借りて声として出てくることがあります。
河地さんのお母さんは、伝えておきたい気持ちが強かったので知らせて来たのだと思います。
明るい氣となっている魂は、氣のエネルギーが増えているので、できることも多くなりますから、河地さんたちに、自分の思いを伝えるばかりか、その前からいろいろなことを計画してくれていたのでしょう。
このように、私たちは真氣光を受けることで、ご先祖にも氣が届き、たくさんの応援をいただけるということになりますから、良いことを見つけ、感謝という明るい氣を送りたいものです。

魂に浸透するエネルギー「真氣光」

 昨日の朝、親友が亡くなったと連絡があり、私は「もう会えないのか」と思うと悲しみで一杯になってしまいました。
彼とは、中学から予備校、大学まで、共によく遊び、いろいろなことを学んだ仲でした。
社会人になっても、時々家にやって来て面白かった昔話をしては、私を楽しませてくれる、気使いの上手い男でした。
彼は3年前にガンがわかり、このコロナ禍で会えない状況が続く中もメールで近況をやり取りしていたのですが、「連絡が来ないなぁ」と、ちょうど気になっていた矢先でした。
彼には、してもらったことは多いのに、何もしてあげられなかったと、いろいろな後悔が湧いてきて悲しくなります。
 いま私にできることは、真氣光を受け、彼に送ることです。
音氣をかけながら氣中継器ハイゲンキを胸の上に置き、目には見えないけれど光のような真氣光のエネルギーをイメージしながら、自分にエネルギーを取り入れ、彼に送っておりました。
 人の体の中には、目には見えないけれど、光のような氣のエネルギーがあります。
人はいつか体を失いますが、体が無くなっても、心(意識)とともに氣のエネルギーは残ります。
意識が死後も継続するのですが、死んだからといって急にそれが変化することはありません。
辛い気持ちが強ければ、氣のエネルギーが落ち暗い魂となって、ずっとそれが続きます。
気持ちの切り替えが、生きている人よりも難しいのです。
だから、生きている人が、故人のお墓参りをしたり供養をするわけです。
気持ちが明るくなれば、氣のエネルギーとともに自由になる度合いも増え、天国とも言うべき、光に満ち溢れたところに逝かれます。
 真氣光という、この宇宙からの見えない光のエネルギ−は、先代が白髭の老人の夢に教わり氣中継器ハイゲンキを作ったのが始まりです。
空間からエネルギーを取り出す機械ですが、これを使うことで、私たちの体の中ばかりか既に体を失っている魂にもエネルギーが浸透し氣を高めます。
そして、この真氣光を集中的に受けると、誰でもこの氣を出せるようになるのです。
真氣光を人に送ることで、その人の口を借りて、思いも寄らない言葉が出てくることがあるのですが、私はそれを魂の言葉として聞くことで、このような魂のしくみと真氣光というエネルギーの役割がわかりました。
 遺された人が、悲しんでばかりいては、亡くなった人は気になってしまい光の世界には逝けません。
真氣光は魂に浸透するエネルギーですから、私のような者の救いとなります。
私自身、真氣光を受けながら、彼の旅立ちを力一杯応援したいと思うのです。

プラスの氣について考えると

 私は、これまでたくさんの人に氣を送ってきました。
しかし、私はもともと氣や体•心の健康のことなどに興味があったわけでもない電機会社のサラリーマンです。
特に霊感があるわけでもありませんし、氣を感じやすいわけでもありません。
 先代は、夢に白髭の老人が出てきて、ハイゲンキの作り方や、手から氣が出ること、皆が真氣光を中継できることなどを教わりましたが、私はそういったことを夢で見ることもありません。
 そんな私が、目には見えない、一見すると怪しく見える氣というものを人に送ったり、その氣が出る物を作るばかりか、氣の会社を経営して四半世紀を越えました。
 この職に就いて最初の頃は、何かピンチに陥ると、私にも白髭の老人が夢に出てこないかと待ち望んだこともありましたが、ある時気がついたことは、それを期待する自分がいるということは、一度出てきたらいつも期待してしまうということです。
つまり、ピンチを自分の力で乗り越える能力は少しも養えないということになります。
それからは、そのような時には、ハイゲンキや音氣などの氣グッズを利用して、たくさん氣を受けながら、よく考えることにしたのです。
考えるポイントは、いま出来ることは何か?それを一生懸命にやりながら考えていくと、違う道が見えてきたり、いろいろ思いつくことがあるものです。
私自身の体験から言えることは、如何に宇宙からの真氣光を信じて、それを受けようと自分なりの工夫ができるか、そして、それを周りに送れるかということで、マイナスの氣の影響が少なくなり、プラスの氣の応援が強くなるのです。
そして、いま出来ることをしていくことで、プラスの氣の応援が受けやすくなるわけです。
 マイナスの氣がプラスに変わり、私たちを応援しようとする力が大きくなっても、何もしないと力の貸しようがありません。
出来ることを一生懸命やっていること、つまり普段の連続した生活の先に、応援の結果が現れるのであって、プラスの氣と言えども何もしないところに突然環境を大きく変えることは難しいのです。
 私は、氣に敏感ではありませんが、氣の体験の積み重ねで、あたかも職人さんが、手を動かすことで勘が働くように、何となく「こうかな?ああかな?」と思いつくようになりました。
後から考えてみても何故思いついたかよくわかりませんから、プラスの氣の応援が働いているとしか考えようがないのです。
 氣については、不思議なことも多々あるのですが、プラスの氣に関しては、すごく現実的で当たり前なことの奥にあるのだと思うのです。