(16)災害は忘れた頃にやってくる

私 が原稿を書いているこの時点で、関東地方は台風11 号の接近に伴い、激しい風雨に見舞われているところが出ているようです。最近台風や地震など自然災害が多くなっていますので、何事もなく通り過ぎてくれることを祈っております。つい先日も宮城県を中心に震度6 を記録した地震がありました。このところ地震が多いこともあって、デパートなどでも防災用品が売れているということです。9 月1 日は関東大震災のあった日であり、今では防災の日として、この季節には「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉もよく耳にします。これは岩波のことわざ辞典にも載っており、「災害は、日が経って悲惨な思いが希薄になり、災害への心構えなどを忘れてしまった頃に、再びやってくるものだという意。物理学者であり災害防止にも多くの提言を残した寺田寅彦の言った言葉だとされる」と、ありました。このような時ですから地震や台風などが来ても、災害とならないように、私たちの心構えをしっかり持ちたいものです。
このことわざは災害のことを言っているのですが、「災害」を「一見マイナスの出来事」に置き換えることで、真氣光を続ける上での教訓とも捉えられます。私たちの魂が成長する過程の中には、一見マイナスの出来事が起き、そこで何かに氣づけることで魂が大きく成長するというステップがあるようです。私なども真氣光の会長をやっているからといって例外ではありません。頭でわかっていても行動が伴っていないなど本当の意味で理解できていない時や、氣づきが必要な時には、絶妙なタイミングでマイナスの出来事は何回でも現れるものです。真氣光をやっているのにマイナスの現象が出るということで、氣のことが信じられなくなったり不安を感じたりすることがあるかもしれません。そのような時は、氣の効果が無くなったとか自分には合わないと考えがちですが、このような時こそ焦らずにじっくりと自分自身を見つめてみることです。真氣光で何か良いことがあったから、今まで続けてこられたはずです。急に真氣光が届かなくなったり、効かなくなったのではありません。真氣光のエネルギーを、より強く信じることで宇宙の波動に同調できます。一生懸命に氣を受けることで何かに氣がつくことがあるはずです。そしてそれにもとづき、小さなことでも良いですから行動に移してみることです。確実に自分が変わり、その結果同じようなマイナスの出来事が現れることは無くなるのです。

(47)戦後60 年と平和への祈り

私が会長セッションで氣を送っていると、氣を受けている人を通じて、苦しんでいる魂が出てくることがあります。先日、会った二人の魂の話をしましょう。初めの人は「苦しい、苦しい」と、呻き声を上げながら最初は、かなり辛そうでした。「俺達は日本人に頭を踏み付けられて、土に埋められて死んだんだ。お前達のことを、決して忘れない。俺達を苦しめた、この恨みは決して忘れちゃいけないんだ。」話を聞いていると、どうも中国人のようです。私は「いつまでも苦しませておけないよ。今までずっと苦しんできて…。私は、どうにかしてあげたいんだ。だから光を送るよ。」と言いながら氣を送り続けました。彼は「痛い、痛い」と呻いていたのですが、氣が届きだんだん楽になって来たようで、最後には「許すということが、どんなに大切か、気持ちを楽にするものか。それを初めて知った」と、言って光の世界に逝ったのです。もう一人は原爆で亡くなった人でした。初めは随分苦しそうでしたが、氣が届き楽になったのでしょう。「私達は何もしていない。突然爆弾が降ってきて、こんな目に遭ったのです。誰が過ちを犯したと言うのですか。誰が過ちを繰り返さないと誓っているんですか」と、私に強い口調で聞くのです。私は答える言葉も無く、一生懸命氣を送りました。そうするうちに氣がどんどんと浸透したのでしょう。その人は「誰が、ということはないのですね。一人でも多くの人が、それを心に刻んでくれればいい。私は、そのお手伝いができる」と言って光の世界に逝きました。戦 後60 年ということで新聞やテレビなどでは、いろいろな特集が組まれているのを目にします。私も各地で氣を送っていると、特に今年は、先の大戦で犠牲になった魂が出てくることが多いと感じています。2000 年にも20 世紀最後の年ということで、世紀中のいろいろな戦争や紛争で犠牲になった、たくさんの魂達が出て来て、光になりました。年月には、節目というものがあるようです。人々の記憶が薄れ、思い出されなくなることが、辛く悲しい魂達に光を届き難くするのです。逆に、何十周年ということで、人々があらためてそれらの問題に関心を持って目を向け、二度と過ちを犯さないよう決心したり行動できることで、辛く悲しい魂達も犠牲にならなければならなかった本来の意味に気がつきます。光に満ち溢れ、光の世界から今度は私たちを見守ってくれるのです。戦後60 年、節目の年の節目の時期です。ちょうど生駒での研修講座が始まりました。そういう意味で今週末からお盆にかけては、私もそれを意識し、集中して氣を送ろうと思っています。

(46)氣がついてくれるかのぉ

暑い日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。お勤めの方などは、これから夏休みを取られる人も多いのではないでしょうか?来週末あたりは、田舎に帰省したり、お墓参りに行ったりと、例年日本列島は移動する人で混雑する時期です。私のところにも、お墓に入れたり、仏壇に置きたいと、水晶の刻印依頼が多くなるときです。皆さんが、一年のうちでも一番ご先祖様を意識する季節かもしれません。それだけ良い氣も届きやすくなるときなのです。そ のご先祖様の気持ちを理解するうえで参考になる話がありました。先日の会長セッションでの出来事です。Aさん母娘が氣を受けに来てくれたのですが、お母さんのすでに亡くなっているお父さん(娘さんにとってはお爺さん)が娘さんのところに出てきました。その時のお話しをしましょう。セッションがもう終わる頃です。Aさんの娘さんが腕が痛いと言うので、私も少し集中して氣を送っておりました。すると彼女からお爺さんの声が出てきたのです。「何も財産を残してやれなかったのに、もったいなくて光を受けとれん。」A さんは日頃から真氣光を一生懸命してくれているので、お爺さんにもたくさん光が届きずいぶん楽になったようでした。「わしは頑固で何も笑わなかった。それが素直に笑いたいときに笑えるようになった。金や物が大事だ。だが今となっては何もしてやれん。」A さんたちにとても感謝しているようですが、何もしてあげられないから、これ以上良くしてくれなくてもいいと言うのです。私は「見える物ばかりが重要じゃないよ。お金はあっても不幸な人はたくさんいるし…。」と言ったのですがお爺さんには通じません。「いや、でもこの世は金が無いとだめだ。俺には何も力になれん。」と強く言うのです。私は「じゃ、このまま何もしないつもり?こんなに良くしてくれたのに何とか力になりたいでしょう?」と聞くと、お爺さんは「そうじゃのう…」と、しばらく考えていました。「できるよ、してあげられるよ」と私が言うと、お爺さんは「氣がついてくれるかのぉ。いろいろしてやっても、氣がついてくれんと寂しいからのぉ。」と言ったのです。どんな人にも、いろいろと気配りをしてくれているご先祖様がいます。身の周りに起きる良い事は、そのお蔭と言えるでしょう。生駒でも毎日の「いいとこ探し」をおすすめしていますが、それに氣がつく事とご先祖様に対する感謝の気持ちの重要性を私は再確認したのでした。最後に私は「よく話しておくから、すぐにわかってくれるよ。だからよ ろしくお願いします。」と言って、お爺さんを見送ったのでした。

(15)仏造って魂入れず

先代は、いろいろな物に真氣光の波動を記憶させる「氣入れ」のやり方を、夢で白髭の老人から教えられました。私も生駒にある「氣入れ室」を使って、今でも先代と同じようにやっているわけです。「氣入れ」された氣グッズというと、真氣光を知らない人は不思議な感じがする人もいることでしょう。しかし、昔から氣を入れた物が、たくさん造られていました。「仏造って魂入れず」ということわざがありますが、仏像などは、まさしくその類の代表と言えるでしょう。このことわざを、岩波ことわざ辞典で調べると『物事のだいたいを果たしながら、最も大事な点をなおざりにすることのたとえ。開眼供養という法事は、新しくできた仏像などに眼を書き入れて仏に魂を入れ、彫像を仏にするための儀式のことで、こうした儀式があるように、仏像が新しく造られても魂が入れられなければ仏にはならない。…』と、あります。魂を入れて初めて、素晴らしい氣を放つことになるのですから、まさしく氣グッズと言えます。魂を入れる、すなわち真氣光で言うところの「氣入れ」は、物に物理的な変化を与えることではないので、見た目には何の変化もありません。氣は科学の力では測定できないので、どんな機器を駆使しても、その変化は分からないのですが、そのものが放つ氣が変化するのです。
しかし、本当に氣入れの効果はあるものなのです。先代の時代から真氣光にご縁がある、和歌山でペインクリニックを開業されている西本医師が実際にハイゲンキを使って試験し、学会に発表してくれています。当時、私も非常に興味深く論文を読ませていただきました。その解説記事を月刊ハイゲンキ2002 年6 月号で紹介してくれていますので、興味のある方はご一読ください。この試験は二重盲検試験と言って、外見は全く同じハイゲンキヘッド(一つは氣入れし、もう一つは氣入れしないもの)を二つ用意して、患者さんには、どちらが本物か知らせないで治療するという実験です。先生は50 代から70 代のいろいろな病気の患者さんに試した結果、氣入れしたヘッドでは有効率が74 %、氣入れしないもの方は有効率が42 %になったとしています。明らかに氣入れによる違い、「仏造って魂入れず」ということが確認できていると言えます。
私は「氣入れ」について良く聞かれることがありますが、簡単に言えば気持ちを込めるということです。これはハイゲンキを使う人にも応用できるものです。氣が入って来る事を強く意識することで、より強い氣が受けられるようになるのです。

(45)耐えてこそ武士の妻(2)

<先週より続く>「話してくれてよかったですよ。」と私は言いました。彼女は話し続けます。「女に生まれたことを恨んでいるのではありません。勤めを全うできなかった事への申し訳ない思いだけなのです。私のような者はたくさんいる。なぜそうなってしまったのか。自分の運命を呪うしかない。命を繋げることが出来なかった女の悲しみ。なんと罪深きこと。なぜ私はこの世に生まれてきたのか。そのような運命(さだめ)を受け入れて耐え抜くしかできないのです。しかし耐えたところで…。」私 は、少しでも楽になってほしいと思い一生懸命に光を送りました。少しして「光は届きますか?」と聞いてみました。「少しだけ前を向くことができた気がします。もう過ぎてしまったことです。決して死ぬまで口にしまいと思っていましたが、死んでから口にしてしまいました。なぜ死ぬまで言わなかった事を死んでから言ってしまったのか…。」全てを自分の中だけに留めておくことは、とても苦しいものです。口に出来ることで、益々真氣光の光が届き楽になれるのです。「辛かった事、苦しかった事。確かに私は子を持つことができなかった。家を繋げなかった。しかし、子を持った多くの母親は、我が子を戦場に奪われていった。そのたくさんの悲しみがあったはずです。私はそれに気がつかなかった。そこには女としての別の悲しみがあったのです。ああなんと女は悲しいのでしょう。」自分の辛さを乗り越え、他の人にも目を向ける。私はなんて素晴らしいことだろうと思って聞いていました。「私にも何か出来ることがあるのでしょうか。ぜひ何かさせていただきたい。今までの事は過ぎた事です。ああ、心が晴れやかになり娘時代に戻ったようです。」みるみるうちに顔が変わっていきます。最期に彼女は言いました。「私に出来ることは何でしょう。私でもお役に立てることを、人として精一杯出来ることを…、何ができるでしょう。女としてではなく、他の人のために役に立てること、人として生きること。…。人として役に立てる、他の人を幸せにできる。そのために一生懸命生きること。女としての生き方に苦しむことなく…。それを皆が、わかってくれれば女としての悲しみを背負うことはない。人としての幸せ、周りの幸せ、それを信じて強く生きる心。わかりました。その事をお伝えすることですね。これは光なのでしょうか?この光をどうすれば…。この光とともに、私が行けば良いのですね。」昔から女には女の、男には男のたくさんの辛さや悲しみがあったことでしょう。私は心から、よろしくお願いしますという気持ちで彼女を見送ったのでした。

(45)耐えてこそ武士の妻(1)

天皇家に40 年以上男の子が生まれていないということで、今年に入って皇位継承問題がテレビや国会でも議論されていました。天皇家ばかりでなく、昔から家を継ぐということでは、その蔭にたくさんの人々の辛さや悲しさがあったことでしょう。特に武士の社会では、家を維持・繁栄させるということが一番の大きな課題だったようです。今のように安定した社会ではありません。男も女もそれぞれの置かれた立場で、その時々を一生懸命に生きたことでしょう。今回は、そんな事を垣間見ることができる、武将の妻だった一人の魂さんのお話です。私 が氣を送っていると、ある女性が苦しそうに顔を歪めながら話し始めたのです。「耐えてこそ、耐えてこそ武士の妻。妻たる者、決して弱みを見せたり、泣き言を口にしてはなりませぬ。」私はすぐに、これは氣を受けている本人ではなく、その人の口を借りて出てきた女性の魂だとわかりました。どうも武士の家で、相当厳しい教育を受けているようです。私は、彼女が苦しそうなので、どこか身体が悪いのかと思い、いろいろと尋ねて見たのですが、「決して弱音を吐いてはいけない。苦しいと言ってはいけない。しょせん女の身、たわごとを殿方に聞かせてはならない。強く耐え抜くのが武士の妻の勤め。」と、自分自身に言い聞かせるように繰り返すのです。私は少しでも何か話せれば、光が入りやすくなり楽になれるだろうと思い「何かに耐えて、辛かったのですか」と聞いてみたのです。彼女は「耐えることなど、私には何も辛くはなかった。」と言います。私は、どういう事なのかよくわからず、ただただ氣を送るしかありませんでした。やがて少しずつ氣が届いたのでしょう。「私は子供を宿すことができなかった。唯一の女の勤めを果たせなかった。耐える事など何でもないこと。子供を産み育てることができなかった。家を守り、次の世代に繋げる事なくして、武士の妻の勤めを果たしたとは言えぬ。」苦渋に満ちた顔で、静かに話すのです。「さりとて男のように戦をするわけにもいかず。私に何ができたのでしょうか。武士の家に生まれ、武士の家に嫁ぎ、唯一のお役目も果たせず、私の人生は何であったのか?申し訳ない。申し訳ない。」私も何と声をかけたら良いかわからず、氣を送ることしかできませんでした。すると「殿方に決してこのような事を聞かせてはいけない。そして、言ってはいけない。このような事を口にした事を恥じております。後悔しております。このまま人知れずいられれば…。」真氣光の光が自然に彼女の心を開かせたのです。 <次週に続く>

(44)い つも見守ってくれている

先日、「会長は苦しかったマイナスの魂さんの話はしますが、プラスの魂さんの話はないのですか」という質問を受けました。確かに私は、苦しかった辛かったと言われる魂が、氣を受けている人の口を借りて出て来て、だんだん楽になり光の世界に消えて行く話をずいぶんしています。それはその際、貴重な気づきをくれ、それが多くの人にも参考になるものですから、できるだけ紹介しようとしているのです。光り輝く魂さんも、本当に必要なことがあれば出てくる時もあります。しかし、たいていはその人自身を尊重し、自然なかたちで見守ってくれているのです。そして何か、ふとしたところで、力になってくれているのです。時には一言、「見守っているよ」とか「一生懸命やってるね」「ありがとう」などの話が出ることがあります。いつも力になってくれていることでしょうが、それをいちいち恩着せがましく長々と「私は○○をしてあげた!」とは言われないものですから、この紙面を埋めるほどの話にならないのです。今回は質問に答えるため、A さん母娘の話しをしてみたいと思います。会 長セッションでの事ですが、お母さんと大学生の娘さんが氣を受けにいらしたのです。親元を離れて生活している娘さんのことは、お母さんも気になるようで、前から氣グッズをいろいろ持たせていました。その日は帰省していた娘さんが戻らなければならないので、氣を受けさせたいとセッションに連れて来られたのでした。セッションがもう終わるころでした。そばにいた方から、A さんのご先祖様が出て来たのです。手を伸ばして娘さんに触れようとすると「おお冷たい、おお冷たい」と言います。私は何のことだろうと思いながら、お二人に集中的に氣を送りました。「一生懸命守ってるんだけど、冷えるからたくさん集まってくるんだ」私は、「冷える???」と思いながら娘さんを見ました。彼女は若いですから、最近のファッションです。よく見ると、まだ寒いのに裸足です。ズボンも今風の股上が短いタイプで、かがむと腰が出てしまいます。私たちの身体は冷えるとエネルギーを失うようにできていて、そこにマイナスの魂さんが集まる傾向にあります。私はピンときました。彼女のファッションがマイナスを集めていて、ご先祖様がそれらから一生懸命に娘さんを守ってくれていたのです。私がそれを説明すると、お母さんもそれが気になっていたらしく、彼女もその意味がわかり、皆でありがたいご先祖様に感謝したのでした。どんな人にも、どんな時にも、光溢れる魂たちが私たちを見守ってくれています。決してそれを忘れてはならないのです。

(43)光が弱いところ

3月も今日で終わりです。4月からは、新学期、新社会人と新しい生活を始める人も多いことでしょう。中には入学や就職で、親元を離れた人もいるのではないでしょうか。今日は、この時期に思い出される魂の話をします。2 年ほど前のことですが、A さんが久しぶりに会長セッションにいらっしゃいました。A さんには、就職して親元を離れた息子さんがいるのですが、最近体調が悪いので、母親として何かできることはないかと言うのです。私は遠隔真氣光の話をして、息子さんの名前を聞き、氣を送ってみましょうとお話してセッションを始めました。すると、すぐにA さんが苦しそうに唸り始めたのです。先ほどまでは苦しい様子はみせていなかったので、私はすぐに霊的なものの影響だとわかりました。何の関係だろうと思っていると、A さんとは別の魂が「こいつらは許せない。俺たちはひどい目に遭わせられたんだ。絶対に許さない。」とA さんの口を借りて話し始めました。話をまとめると、A さんの先祖が地位のある武将で、戦を指示して女・子供に至るまでたくさんの人たちを苦しみに陥れたので、その恨みを何代にも渡って晴らしてきたと言うのです。私は、彼の言うことをよく聞きながら、気持ちが変わってくれるよう、集中して真氣光の光を送り続けました。すると口調が少し柔らかくなってきたので、恨むと余計に苦しさが増すことを説明し、光が届いて少しずつ楽になることを告げました。最初はとても苦しそうに話していた魂も、ずいぶん苦痛が薄れてきたようなので、「A さんから光が来るから楽になる」ということを教えました。するとそれが感じられたらしく、「本当に申し訳ないことをした」と繰り返します。そして、「ここは(A さんの事)光が強くて狙えなかったから、光の弱い息子を苦しめた」と言うのです。私は「迷惑を掛けたなら、その分もこれからよろしくお願いします。」と言って光の世界へ見送ったのでした。セッションが終わって、びっくりしていたA さんですが、すべてが腑に落ちた様子です。氣のことをよく知らない息子さんにも少しずつ教えるつもりだと話して帰られました。誰 でも、肩や腰に疲れが出やすい等、ウィークポイントがあるもので、そのようなところは光が弱くなっている部分です。家族や親戚、職場・会社などというグループも同じように全体を包む光があり、その中に光の弱い部分があるものです。そこにマイナスの氣つまり影たちが同調して集まることがあるのです。ですから気がつける人によって、光を強める心配り・氣配りがとても大事なのです。

シンキコーモイスチャーミルクの話

1 日からシンキコーモイスチャーミルクという化粧品を発売しました。すでに使っていただいている方もいらっしゃるかもしれません。今日は、この化粧品発売にまつわるエピソードを話したいと思います。私 は、昔から男性化粧品も使わないほうなので、SAS の化粧品つまり真氣光アロマシリーズについては、昔から口を挟むこともなく家内がいろいろ試作と改良を加えておりました。私の場合、化粧品を常用するというよりは、身体の痛みなど何かあったときに集中的に使うタイプでした。(氣の出る化粧品は肩こりに良いですよ)それが、昨年の冬の出来事です。我が家はマンションなのでエアコンによる暖房のせいでしょうか?私の体調の変化からなのでしょうか?私の身体(特に足)が乾燥による皮膚の痒みを強く訴えたのでした。それまでは、乾燥時期になると、ちょっと痒いぐらいだったのですが、その頃は知らないうちにボリボリ掻いてしまい、気がつくと足が流血しているという有様だったのです。いろいろ我が家の湿度対策はやってみたのですが出張の多い私には効果なく、家内の話しを聞いて真氣光の化粧品シリーズを使い始めたのです。しかし日頃から、あまりクリームも常用したことがないものですから、使用感といいますか、身体全体に塗ると何かベトベトする感じで、私には心地よくなく、結局ひどくなったら塗ってみるという程度だったのです。そこに、前々から乳液を作ろうかと思っていたらしい家内が、私のこんな様子を見て決心し、サンプル作りを始めたのでした。ちょうど昨年の寒くなるころ、乾燥して血を流している身近なサンプル相手にいろいろ試し、出来上がったのが今回のシンキコーモイスチャーミルクという商品なのです。氣 グッズとして真氣光の化粧品シリーズの歴史はとても古く、’91 年に先代が皮膚疾患の人達になんとか皮膚から氣を取り入れて貰うことはできないかと、開発を始めたものです。結局、原料を吟味しその中に金粉も使用して、それに氣を入れるというスタイルで氣の入った化粧品が、たぶん世界で初めて商品化されたのでした。その後この基本的なコンセプトを受け継ぎ、さらに香りの持つエネルギーもブレンドして現在のアロマシリーズという化粧品になったのでした。このシリーズは’98年の発売以来、クリーム、ローション、オイルと石けんの4 種類だけでしたが、そこに今回乳液のモイスチャーミルクが加わったのです。女性ばかりでなく男性にも、日頃のお顔のお手入ればかりでなく皮膚疾患などにも使いやすいようです。ぜひお試しください。

(42)この子に分かって欲しかった

昔からどこかに調子が悪いところがあって身体が弱かったという30代のA さんが、真氣光を知ったのは1 年ほど前、知り合いの方から紹介されたのがきっかけでした。氣を受けると少し楽になったということでしたが、仕事がとても忙しいので、家では音氣で氣を受けていましたが、なかなかセンターを利用できなかったそうです。それがある日、身体がとても辛くなって久しぶりにセンターを訪れたとき、スタッフから会長セッションがあると聞いて参加してくれました。そ れ以来、月一回定期的に来てくれるようになったのですが、その会長セッションも3 回目ぐらいの時です。いつもは眠たくなって寝てしまうA さんが、突然苦しそうな表情になりました。「ウー、ウー」と低い呻き声を上げるのです。私は、何か苦しく辛い人が関係しているような気がして、手を頭のところに当てて氣を送りました。最初は苦しくて、ただ呻くだけだったのですが氣を受けるうちに涙が出て、激しく咳き込み始めたのです。私は、苦しかった魂さん達にたくさんの光が届くよう一生懸命に氣を送りました。そのうちに咳も止み楽になったようなので、私が「苦しかったね」と聞くと、彼女はお婆さんのような声で「苦しかった。何とかこの子にそれを分かって欲しくて、ずいぶん永いこと待ったんだ。やっと光が見えてきた」と言うのです。「A さんのご先祖の方ですか?」と聞くと、うなずきながら「まだまだ苦しんでいる者がいる」と私の手を握るのです。私が「あなたも光になって力を貸してください」と伝えると、A さんの身体からフッと力が抜け、その魂は光の世界に旅立ったのでした。気 がついたA さんは、「自分が話していたのは分かるのに、何故あんな事を話したのかが分からない」と言うので、「あなたが小さい頃から、何とか分かって欲しかったご先祖さんが居たのです」と説明しました。A さんの先祖は、たくさんの人から恨みをかってしまったようで、その真っ黒い固まりによってどんどん苦しさを増していたのです。A さんがなかなかセンターに来られなかったのも、そのせいだったようです。もう何百年も前から、何とか分かってくれる人は居ないかと待ち続けていたご先祖は、力を振り絞ってA さんをセンターに向かわせたのです。彼らは子供が生まれるたびに、「この子なら私達を救ってくれるのでは…」と思っていたかもしれません。ハイゲンキは家に光を送ります。それは使っていなくても、一定の光が徐々に持ち主を通してご先祖に光を届けるのです。そうやって代々家に続いて来た辛い歴史の繰り返しを取り除きます。先祖が苦しいからA さんも苦しいことが多くなり、子供が出来れば、その子も苦しむことになったかもしれません。私はA さんにハイゲンキをお勧めしたのでした。