人様や魂さんを"救いたい"というのは"自分の我であった"と気づいたあと、さて私はこのあとどう在るべきか何をなすべきかと自問していました。 「ただただ光を受ければよい。ただただ光を送ればよい。」そこに着地しました。 神仏は私達にただ光を送ってくださっている。 私には神仏をも超える真氣光の光がある!真氣光のグッズがある!真氣光と一体となりただ光を使えば良いのでした。 我を捨てればこんなにもシンプルかつ明快な答えに行きつきました。 これも真氣光の意思による導きではなかったのか。 ただ光を使う、そう気づいた時、向こうから「こんな大きな気づきがありました。命があるうちに気づけてよかった」「私の人生の核心部分に影響を与えていた魂さんが光へ逝かれました」等、感動感謝で共に涙するような明るい声が私の耳に届いたのでした。 私が描いた我を捨てた世界はここにありました。 真氣光に全て任せれば良いだけ。 洗心のための指標にある「我を折る」にはこんな深い意味がありました。 高次元のエネルギーを頂きながら私はさらに自分を進化させていきたい。 (福岡県 Mさん)