(28)いいとこ探し

 私は、「いいとこ探しをしましょう」と、よく言っています。日常生活の中でラッキーなことを見つけるのは、コツをつかむと案外できるものですが、いいとこ探しの対象が不幸な出来事だったり、身近な人だったり、自分に肉体的、精神的苦痛を与える人だったりすると途端に難しくなるものです。その出来事や相手側が一方的に悪いと、自分を振り返り見つめ直す材料にすることを、すっかり忘れてしまうのです。以前、このことについて考えさせられる二つの体験がありましたので紹介します。真氣光を送っていると、氣を受けている人とは全く違った人格の魂が出てくることがあります。両方とも、すでに身体をなくした魂の話です。
 一人の魂さんは、若そうな漁師さんでした。雇われ漁師というのでしょうか、自分の船ではなく他人の船に乗っていたのです。ある時、その船は大シケに遭い転覆してしまったのです。日頃から船長に対して強いマイナスの感情を抱いていた彼は、その船を早く降りずに、その日も乗ってしまったことを後悔していました。「その船に乗りさえしなければ死ななかったのに」と、ずっとそのことが頭から離れなかったのです。まだまだやりたいことがあったでしょう。私もただひたすら氣を送るしかありませんでした。しかし、真氣光を受けているうちに彼は思い出したのです。海に自分の身体が沈んで行く時、下から一生懸命自分の身体を押し上げようとしていたのは船長だったということを・・・。それに気がついた瞬間に、彼は光の世界に消えていったのでした。
 もう一人は、お百姓さんです。地主から土地を借りて米を作っていましたが、ある年、大飢饉にみまわれました。しかし地主の年貢の取り立ては厳しく、結局一家は生活を苦に心中しなければならなくなるのです。しかし死んでも苦しさから逃れられません。こんな風になったのもあの地主のせいだと、地主を恨んだのです。しかし、苦しさは募るばかりで、代々その家を恨み続けてきたのでした。私は話を聞いても、氣を送ることしかできずに送り続けました。すると、彼は思い出したのです。以前、同じように大変な時に、米を分けてくれたことがあったと…。彼は恨んでいた地主にも何か理由があったのかもしれないと言いながら、光の世界に旅立ちました。
 真氣光の氣は、氣づきの氣です。死んでしまった魂にとっても、生きている我々にとっても、マイナスの場面に直面した時に、難しくなる〈いいとこ探し〉ですが、真氣光が氣づきを促してくれるものなのです。