(3)袖振り合うも他生の縁

 毎回の事ですが、真氣光研修講座に集まって来られた方々を観ていて、その「縁」というものを痛切に感じるのです。特に“氣づきの場としての講座”で会う人ですから、お互いに何かを氣づかせてくれる存在という要素が特に強いのです。「袖振り合うも他生の縁」とは言いますが、講座の場合は、ご飯を食べるのも、夜寝るのも、お風呂に入るのも、誰かと一緒ですから、かなりの縁の深さということでしょう。
 ところで、このことわざ「袖振り合うも他生の縁」ですが、古くは室町時代の文献にも記述があるものだそうです。その歴史が示すように、このことわざはとてもポピュラーなものだと思います。辞典で調べてみると、次のように書かれてありました。『ちょっとした人との交わりも、単なる偶然によるものではなく、深い宿縁から生じていると言うこと。「他生」は前世あるいは来世の意。「たしょう」は「多生」とも書かれるが、その場合は何度もこの世に生まれ変わる意。現代では同音の「多少」と間違えやすいが、仏教観に基づくことわざである。道を歩いている時に見知らぬ人と袖が触れたくらいのささいなことでも、それは前世からの因縁によるという意から。』
 人も動物も、植物さえも、見えない氣の身体(魂)を持っていて、それは身体が亡くなっても存在し続けます。またそれは、違う身体を持って生まれ変わることもあるでしょう。私達は身体を持ったり失ったりしながら、学び続けるようです。学ぶと言っても教科書があるわけではありません。いろいろな「他のもの」との関わりの中で体験を通して自然に学ぶ仕組みです。簡単に他のものと言いましたが、家族や友人、たまたま会った人から、既に亡くなっているご先祖まで、多種多様です。ですから、よりたくさんの事を学びたいと考えるなら、出会って別れる、自分の周りの「他のもの」との関わりを意味のあるものとして、自分の成長の材料とすることなのです。
 真氣光という氣を受けると、いろいろな縁がもたらす意味合いに氣づきやすくなります。同時に、自分の氣が変わることにより、周りの氣も変わります。自分をより成長させるために、関わりが深くなる縁もあれば、関わりが薄くなり違う人との新しい縁が生まれることもあるでしょう。真氣光は、そのどちらも、加速させるのです。
 皆さんが真氣光に出会ったのも縁です。それは「…多大?の縁」かもしれません。これからも末長く、よろしくお願いいたします。