(22)光を装った影-3

 センターの会長セッションでの出来事です。私が氣を送り始めると、ある女性が急にお腹が痛い、痛いと苦しがるのです。どしたのかと思って近くによって、お腹に手をあてると、「悔しい」と私に訴えます。どうして悔しいのかと思いながら、さらに氣を送ると「腹を刺された」と言うのです。「人のために良いことをしたのに、なぜこんな目に会うのだろうか」と私に尋ねるのです。どうもその人は、ある人のために何かをしてあげたのに、恩を仇で返され、刺し殺されたらしいのです。身体を無くした後は、悔しいという強いマイナスの思いのために、暗いところに長い間居なければならなかったのでしょう。「良いことをしてあげたのになぜだ」と、私にしきりに尋ねるので、わたしも返事に困って「なぜ良いことをしてあげたのですか?」と尋ねました。その人は少し考えていましたが「自分のしたことが後で、私の家族のためになると思った」と、答えたのです。良いことをしてあげれば、後でなんらかの家族への見返りがあるだろう。どうやら彼(?私の想像ですが)は、それを期待していたということらしいのです。そう答えた後彼は、結局は見返りという自分の欲で、人に良いことをしていたと気がつくのです。そしてそれは、本当にその人のためにはなっていなかったことがわかったのです。彼は真氣光の光を受けるうちに、氣づいて、間もなく光の世界に旅立って行きました。
 良いことをしてあげたら、良いことをしてもらえる。単純に逆にとらえれば、自分にとって良いことをしてほしいから、良いことをしてあげる。私は彼を見送りながら「我々の毎日の生活の中にも、これはよくある事だなぁ」と考えていました。人は、見返りを求めて誰かのためになるのでは、本当の光を放つことにはならないのです。人に親切にする時、真氣光の氣を送る時や、ハイゲンキをしてあげる時も同じです。その人の喜ぶ顔が見たいから、それが嬉しいから、ただその人が良くなって欲しいから、純粋にそう思える時、本当の光が放たれるのでしょう。見かけは同じでも、心がそこに有るか無いかで、光の質は全く違います。本当の心が伴っていなければ、それは光を装った影になるのでしょう。