(21)光を装った影-2

 (先週の続き)Aさんを恨んでいたヤドカリさん達は、相手の非道を分からせるため、結果的にA家の代々の人を恨んで来たのです。当時は仇討ちも認められていた時代です。「目には目を…」、やられたらやり返すのは当然のことだったかもしれません。しかしそれは一見正しいように見えて、結果的に恨みというマイナスの氣を出すことにより、マイナスの氣を引き付けます。どんどん影が集まり黒くなって、余計に苦しくなって行くのです。それがわからなかった彼らですが、どんどん真氣光の光が入って来て、その間違いに気づいたのです。子孫のAさんには何の関係もなかったこと、逆にこんなに心が軽く楽になったのは、Aさん達のお陰だったことが心からわかり、申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちをもって、光の国に行かれたのでした。
 このヤドカリさんの場合は、最初は正義にも似た小さな恨みが、結果的に何百年もの永い年月にわたってマイナスを引き付け続け、より強力な影になったのです。今回こんなに深いところで苦しんでいたヤドカリさんに氣が届いたのは、Aさん達が日頃から一生懸命真氣光を充電してきた結果だったのでしょう。
 時代が変わり今では、恨む、恨まれるということが、身の回りに少なくなっているかもしれませんが、似たような事は私達の身近な生活の中にもよくあることです。たとえば「相手の間違いに気づかせる」という一見正しいことをしているようでも、執拗に相手を咎めたり、怒ったり、非難したり、マイナスの感情をぶつけてしまうことなどです。相手のことを考えているというプラスの氣つまり光を装っていながら、自分にも相手にもマイナスの氣を溜め込ませる影になっている場合です。
 私達は魂を成長させるために体を持って生きています。ですから、逆に考えると完璧な人など身の回りには存在せず、どんなに光り輝く人でも何らかの影があるということになります。そしてよりいっそう魂の光が強まると、強いライトに照らされた物のように、影も強く浮かび上がるのです。最初は光を装っていて見つけにくいものです。しかしそれに気づき、そのままにすることなく、その影をマイナスとして受け止められた時から、それは光へと変わる準備を始めます。真氣光を充電するうちに少しずつ魂は成長していくのですから、周りの人にも自然に気づいていただけるような工夫が、できるようになるのです。