(15)一生懸命生きる

 以前、私がある女性に真氣光を中継していたときの話です。彼女は日頃から何か胸苦しい感じがすると言っていたのですが、氣を受けているうちに突然ゴホゴホと喘息のような咳をし始め、とても苦しそうな状態になりました。私は、マイナスの氣が浮いてきたと思い、より集中して氣を中継させていただきました。
 彼女は最初、苦しさに顔をゆがめていましたが、少しするとだんだん楽になってきたらしく、咳も少なくなりました。「あー、苦しかった」と一言発し、その後男性のような口調で話を始めたのです。「俺は、炭坑で長い間、働いていたんだ」とか、粉塵ですっかり喉と胸をやられて、長い間とても苦しかったのだけれど、今はすっかり楽になったと言うのです。毎日毎日、穴の中に入っては、石炭を掘っていたのだそうです。話を聞きながら、私は、その生活を想像してみました。身体がくたくたになるまで掘り続けていたわけで、「何の楽しみ、何の希望があったのだろう」と、ふと思ったのです。彼が言うには、食べていくためには、つまりお金のためには、働かざるを得なかったというのです。彼には妻も子供もいて、毎日働いても食べていくのが精一杯、贅沢なんか全くできなかったようです。その時、私はそんな彼の人生がかわいそうにも感じたのでした。
 しかし、彼はその後、言葉を続けました。「でも、俺の人生は充実していた」というのです。最初、私にはわからなかった事ですが、彼には「一生懸命働いて家族を養う」という大きな目的と希望があったのです。そしてそれは魂を輝かせるための強い光になっていたようなのです。「今生きているやつの方がかわいそうだ。生きていくのは、たやすくなったが、希望が無い。充足感がないんだ」と言うのです。「俺は身体は苦しくてたいへんだったけど、光に向かって生きていたようだ。だからこうやって早い時期に光の世界に行けることになった」とも・・・。そしてしばらくして「光が見えてきた。行かなくてはいけない」と言って居なくなったのです。私はこの時、たいへんだけれど希望を持って一生懸命生きるということは、強い光になるということを教えてもらったのでした。心の充足感です。それは単に、毎日が楽しく面白いという生活では無く、時には辛くて苦しいのかもしれません。しかしそれは確実に、表面的な一見マイナスの気持ちによるマイナスの氣も吹き飛ばす程、大きな光をもっているのでしょう。