先週のこと、ビルの地下にある、一段高くなったところに車を止めるタイプの自走式駐車場でのことでした。私は重い鞄を手にして慌てて車から降りた為に、車輪ガイドにつまずいて大きくバランスを崩し、派手に転んでしました。コンクリートの壁に腕を強くこすりつけたために、1cmほど皮膚が切れて流血の惨事(?)、久しぶりです、血が出たのは。頭も強く打ったのですが、持っていた鞄も床に叩き付けるような具合でしたので、私は咄嗟に自分の身体よりも鞄の中のパソコンが気になってしまいました。私にとってこのパソコンは、いろいろなものが詰め込まれているとても大事な道具です。お金には換えられないデータに加え、この原稿を始めメールや原稿の修正を入れると月に10,000文字を打ち込み、いろいろな写真の取り込み編集から、研修講座でのスライドショーDVDや気配り画像の作成、さらには真氣光レッスンの映像配信を、この道具が一手に引き受けてくれているわけです。私は皆さんに氣を送るのが一番の仕事ですが、こいつが無いと他の仕事は全くといっていいほど出来ないということになります。もはやこうなると、私の手の一部ですから、不思議なほど愛情のようなものが湧いていて、道具を服従させる・道具に使われるという感覚よりは「手伝ってくれ、一緒に頑張ろう」という感じに近いのです。ですから転んで身体はかなり痛かったのですが、「大丈夫か、おい」とばかりにまずパソコンを開いて電源を入れたのでした。薄暗いところで宇宙の画像がディスプレイに表示された時には(これは私のパソコンの起動画面です)、何やら眩しいほどで「無事だったか」と胸を撫で下ろしました。
これもパソコンでネット検索すると「道具とは、生活のために用いられる様々な物品のことである。石器のように、切る、叩く、などして他に直接作用するものから始まり、近代のスイッチのように何かに間接的に作用するものまで広く発展している。道具は文化の重要な側面の一つで、人類は道具を作り、使いこなし、さらに発展させる能力を持ち、ここから複雑な文明を形作ってきた。」と、あります。
私にとっては同じように、ハイゲンキも今の時代にあった道具だと思うのです。これを使わないと、どうやって自分に光を取り入れたらよいのか、他の魂に光を送ったらよいのか、わかりません。道具は、人間には出来ないことをやってくれます。ですから「本当に有難い」と、心から感謝できることで道具の氣も高まり、高い仕事の質として返してくれるのだと思うのです。日々活躍してくれるハイゲンキという道具にも感謝の氣を送りたいものです。