人間不信、人間嫌い…。
周囲でやたらと耳にするこの言葉。
かくいう私も極度の人間不信である。
原因は色々思いつく。
継母の心ない一言。
職場の人の馬鹿にした態度。
友人と思っていた人の冷たい態度。
いくらでも思いつく。
しかし氣を受けて気がついた。
人間不信って、自分の受け止め方に原因がある。
ストレートに表現される愛情しか愛と感じられない。
自分がストレートな分、他人によって表現される複雑な愛は理解不能。
そんなところがある。
心は目に見えない。
愛は感じるもの。
送られてきた愛に一癖あったり、正反対に表現されると戸惑ってしまう。
こちらが受け取りやすいように投げてくれた愛の直球には感謝するけれど。
愛は様々。
人によっては変なラッピングがされていることがある。
人の愛に気づきたい。
もっと感じる心を養いたい。
感謝する心が足りなかったと思う。
そして自分が作り出した“人間不信”に傷ついて、魂が疲れ切っていた。
誰かの感情を受け止める時にも、強く明るく…感謝の“洗心”の姿勢。
全ては私の心のあり方次第。
そんな氣づきを得たのは真氣光に出合ったおかげ。
(うさぎさん)
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