(78)家を守っていた②

 最近、セッションの中で、「家のために自分を犠牲にしてきた」という方が出てくることが多くなったような気がします。

 以前、「たましいの話」シリーズ第67話で「私が家を守ってきた」という魂の話を書きました。
家を守るという信念のもとに無理を重ねていたその魂は、真氣光を受けて自分の過ちに気づき、光の方へ逝かれました。
このような家を守る魂の中でも頑な心を持ち、さらに深いところの魂たちに、先週もお話ししたハイブリッドタイプの影響なのか?光が届くようになったように思います。

 今回お話ししたい魂は、決して足を引っ張るような存在ではありません。
単純にマイナスの氣とは呼べない、どちらかというとプラスの氣として、強い信念を持って長い間、家を守ってきたような存在です。
ただ、自分がそのために無理をしている、犠牲になっているという自覚そのものが、まったくないのです。
「これが当たり前、やるべきことだ」と、本人は心から思い込んでいます。
だからこそ、真氣光の強い光が届くと、自分が弱くなっていくような気がして、光を拒もうとするのです。

 先日のセッションで、氣を受けている方の口を借りて出てきた魂は、真氣光の光を一生懸命に拒もうとして、苦しそうな様子を見せていました。
私は「この光はラクにする光だ」「もう自由にしていいんだ」と、声をかけました。
その一言に、長年の緊張がほどけていくような間があり、やがて、その魂は「そうか、わかった」と、ほっとしたように答え、憑き物が落ちたかのように、すっと静かになって光の方に逝かれました。

 このような魂には、宇宙にお任せして、もっと自由に、より高い次元から見守ってくれる存在になってほしいと思います。
自覚のないところにまで光が届くということは、それだけ真氣光の光が浸透しやすくなったということなのでしょう。
これは亡くなった方だけの話ではなく、生きている私たちにも、同じようなことが起きるのではないかと思うのです。
「自分は大丈夫」「これくらい当たり前」と思い込んでいることの裏に、実は無理をしている部分がないか。
本当はやってみたかったことを諦め、思うようにできなかった思いを見ないようにしてしまってはいないか。
心のどこかに、自由にさせてもらえないという気持ちはないか。
真氣光を受けて、より深くまで氣が届くようになると、こうした「もっと自由に」という気持ちが自然と出てくることがあります。
若くなければできない、ということではありません。
できることから、少しずつやってみると良いのではないかと思うのです。