グッと来る

先々週、ときめきの話を書いたところ反響が多く、何人かの方から感想をいただきました。ありがとうございます。ときめきを模索中の私ですが、また似たような話がありました。先日、車に乗っていたところ、あるラジオ番組が耳に入りました。パーソナリティーが『「あの人のこんなところにグッと来る」もしくは「あの人のこんなところにガクッと来る」という話をメールやファックスで募集しています』と言っていたのです。たまたま信号待ちでしたので、私は隣の妻の顔を見て、「最近グッと来ることあったかな?」と聞いてみたのですが、やがて二人で宙を見つめたまま「ん?ん」と考え込んでしまったのでした。グッと来るとは、好印象の感情が胸から湧き上がってくるということでしょうか?寂しいことに二人とも、すぐには何も思いつかなかったのです。ラジオでは、どんな話が集まってくるのだろうと注意深く聴いていると、「冷蔵庫の余りものから、すぐにおいしい料理を作ってくれる妻にグッと来る」というファックスが読まれていました。私は「なるほど」と感心してしまいました。次に読まれた男性からの便りは「八重歯がかわいい彼女の笑い顔を観てグッとくる」という話でしたが、思わず「ホーッ」と唸ってしまうほどでした。我が家の場合、結婚して20年ですが、お互いに相手に対しては慣れっこになっているためか、グッと来る感覚を見つけるのは少々難しそうです。仮に見つけることができても、照れくさいものですから、私などは素直にそれを表現できません。ラジオでは、ガクッと来る話も募集しておりましたが、その時間では集まらなかったようで、他にもたくさんグッと来る良い話が紹介されていました。まさしく毎月の研修講座で行っている“いいとこ探し”の人物編のような番組のテーマで、後々心に温かいものが残りました。研修講座の“いいとこ探し”でも、家族や職場の同僚や友人に対して、グッと来るような良い話が出てきます。また発表しているその人に、周りの人達がグッと来ることがよくあり、時にはグッと来すぎて涙してしまうこともあるほどです。その場の氣と言いましょうか、一人が発するプラスの氣がきっかけとなり、集まり始めるとどんどん相乗効果的に増えていくことがわかるのです。それを考えると、やはりまず自分ですね。私も妻や家族、まわりの人達に「Good(グッド)くることを、たくさん見つけなければ」と、あらためて探してみたのでした。皆さんは何か思いつきますか?

声と心をつなぐ氣

2月の研修講座が今週の月曜日に終わりました。やはり以前より一日少ない3泊4日は、時間的にもアッという間です。その研修講座には、いつも音感行法という音楽に触れる時間を設けておりますが、今月は‘90年の開講以来、通算196回を通して初めての出来事、講座の中で合唱団をお迎えすることができました。その合唱団とは、月刊ハイゲンキや本誌でも何回か話題に上っているSASミュージックサークルの皆さんのことです。メンバーの皆さんも研修講座を受講したことがある、いわば同窓生、氣をお分けする実習も体験している方々です。私はこれまで何回か、ミュージックサークルの皆さんの歌声を聞いたことがありますが、当日はいつもにも増して素晴らしい出来栄えで、そのハーモニーに感心してしまいました。施設のホールの関係もあったのでしょうか?男性の低音が良く響いていたように思いました。皆さん結成当時は合唱などやったこともない人ばかりだったと聞いていますが、そのような事は全く感じさせないものでした。私は音楽が好きで、いろいろなジャンルのものを聞きますが、合唱曲も好きなものの一つです。特に思い出すのは、街ではメジャーな合唱団に入っていた小学生のときの友人です。彼は、ボーイ・ソプラノという声ばかりではなく、見た目もかっこ良くクールな感じで、クラスの女子の憧れの的でした。当時私は野球好きの少年で、全くタイプが違ったのですが、彼に仲良くしてもらったおかげで、合唱というものにも興味を持つことができ、ずいぶん幅が拡がったように思います。昨年の今頃発売になった「クワイヤーボーイズ」という3人の少年グループが出した、同名タイトルのCDがあります。その解説書によりますと、ボーイ・ソプラノは変声期を迎える前のわずかな時間だけ許される特別な存在で、ヨーロッパを中心に高い人気を得ていると言います。特にイギリスではほとんどの教会に聖歌隊があり、名高い大聖堂には高いレベルの少年聖歌隊が古き良き伝統を受け継いできたが、21世紀に入り少年達の興味もサッカーや、ゲームに向き、聖歌隊には向かなくなっているとか…。合唱とは一人ひとりの声という氣が、全体との調和の中で、歌う人と聴く人を心地良くさせ、皆が一つになるような共鳴現象を感じることができるのだと思います。身体は一人ひとり別々ですが、魂や氣という観点からは、すべてのものが繋がっています。たくさんの人が声を揃える合唱は、潜在意識の中からそれを思い出させるのかもしれません。今の時代だからこそ必要なもの。SASミュージックサークルの皆さんのますますのご活躍を祈っております。

ときめきって・・・?

女性スタッフと雑談をしていたときの事です。「最近会長は、ときめいたことあります?」と聞かれて私は「うーん」と唸ってしまいました。“ときめき”という言葉は、相当長い間忘れていた感覚です。彼女の説明によると、あるテレビ番組で、最近流行のアンチ・エイジング“若さ”を保つ秘訣が“ときめき”にあり、ということで、“ときめき”によって免疫力がどれだけ上がるかという実験をやっていたというのです。「気分の高揚や若き日の感動がよみがえる“ときめき”は、日々の暮らしに疲労感を覚える熟年世代に、張りと潤いを与える」というわけです。落語などの笑いが、免疫力を上げるという効果も調べられています。熟年奥様方で構成される「氷川きよしファン」が黄色い声援をおくる前後で、免疫力の数値が上がるということは当然あり得るでしょう。これらは、心が身体を変えるということに着目しているのです。以前、私は本誌111号(‘99年3月11日)で“小さな幸せ”について書いたことがありました。これもあるテレビ番組の中でSMAPのメンバーが、ファンからの「小さな幸せを感じるのはどんな時か?」という質問に答えていたという話から、「我々の場合小さな幸せって何?」とスタッフみんなに聞いてみると、とても意外な答えが返ってきたという話でした。その時、私自身、なかなか小さな幸せが思いつかなかったものでした。しかし、今回のテーマは、それ以上の難問題。“ときめく”って何???っていう感じです。辞書で「ときめく」を引いてみると「喜びや期待などで胸がどきどきする。心が躍る。」とあります。・・・無いですね、ドキドキが・・・。「胸がどきどきする」などと妻に言おうものなら、動悸・息切れ=心臓病と思われてしまいます。ですから「ときめいたことあります?」という質問は、すっかりオジさん化している自分を発見してしまったのでした。答えに困っていた私に、彼女がある熟年スタッフにこの質問をしてみたという話をしてくれました。「三船俊郎のファンで、その頃はときめいたわねー」とのこと。なるほど、私もかつては「女優の○○さんのファン」などと言っていたと当時を思い出したのでした。私はこの記事を書くに当たり、直接聞いてみました。「○○さん、三船俊郎のファンなんだって?」「えー嫌だ、会長、どこでそんな話・・・」少女のような恥じらいに、アンチ・エイジングの効果を強く感じたのでした。私も“ときめく”ことを探してみたいと思います。

パワーユニットの可能性

2000年に、私はハイゲンキの照射ヘッドに取り付け、強力にする部品:パワーユニットを開発しました。これができたことで、その後スティックヘッド、ミニスティックヘッド、アクアリフレッシャーなどの氣グッズが開発できたのです。パワーユニットの構造上のポイントはピラミッドとセラミック、マグネットで構成される基本部品ですが、中でもピラミッドの数を多くすることで通常のヘッドの250倍というパワーユニットまででき、今ではたくさんの方々に使っていただいております。さらに、私はより小型低価格で高出力が得られる構造を研究した結果、微小な突起からなる立体ピラミッドではなく、SASペンダントで使われている平面上に描いたピラミッド(ペンダント下の三角部分)でも同様の効果が得られることがわかったのです。これは大きな発見でした。なぜなら、世の中ではコンピュータに使われる集積回路技術が進んでおり、容易に微小なパターンを平面上に描くことが可能だからです。厚さ数十ミクロンの薄板に肉眼では見えないほどの小さな平面ピラミッドをエッチングという技術で描き、それを多数積層すれば従来とは比較にならないほど小型で大きな中継量が得られるわけです。私は昨年末までに試作・試験を繰り返し、「これは使える」と確信したのです。この技術を使うと、ハイゲンキの照射ヘッドばかりではなく、前述のいろいろな氣グッズが様変わりします。一つ一つが強力になるばかりではなく、安くできれば、より多くの方に使っていただけるかもしれません。少なくとも、センターにはたくさん置いて利用してもらうことができるわけです。宇宙からの光の中継量が飛躍的に上がる可能性があります。私は250倍のパワーユニットができたとき本紙347号(2003年10月2日発行)で、ある魂の話を紹介しました。その人が光の世界に逝かれるときの「人は初め、自分の事だけを考えて光を受ける。だけどその陰には私のようなたくさんの辛さや悲しさがあるんです。そのような人にも光を送れるような『人を愛せる人』にこれを使って欲しい。」という言葉です。光が増えれば、それに抵抗する影もあるでしょう。そういう意味では「神を信じ人を愛す」を心して使える人でなければ真価を発揮しないのかもしれません。しかしこの時期だから、それを理解してくれる人も多いのだと思うのです。遡れば、本紙154号(2000年1月3日発行)で述べたように「神を信じ人を愛す」、私も身を正す気持ちです。2月のうちに試作品として全国のセンターに配備できる予定です。まだ値段も決まっていませんが、今使っていただいているものが、できるだけ利用できるようにと検討中です。もう少し詳しい話は、2月11日の真氣光レッスンでもお話ししたいと思います。

(3)シューマンのトロイメライ

今の世の中は便利になりました。私のパソコンは、いろいろな場面で活躍してくれます。この原稿を書いて送るのも、いろいろな資料や写真を作成したり、保存するのにもこれがないと不便でなりません。資料の他に音楽もたくさん入っていて、ちょっとした息抜きや、頭の切り換え、ホテルに泊まった時のくつろぎの時間に聞いています。私が面白いと思っているのは、パソコンが無作為に曲を選んでスピーカーから鳴らしてくれる“シャッフル”という機能です。CDを一枚一枚プレーヤーに入れて聞いていた頃にはいつのまにか聞かなくなって、どこにあるのか分からなくなってしまっていた曲が、偶然のようにある日突然に出てきて、「こんな曲があったかな」と新鮮な気持ちで聞くことが出来るからです。その“シャッフル”ですが、原稿に取りかかる前に何か聞いてみようとしたところ、パソコンが無作為に選んだ曲は、フジコ・ヘミングのピアノ名曲集の中からシューマンの「トロイメライ」でした。これは彼女のベストアルバムで、3ヶ月くらい前に買ったのですが、いろいろ忙しくしているうちにゆっくり聞く時間も無く、すっかり忘れていたものです。美しい曲をじっくりと聞いた後、インターネットで何の気無しにシューマンについて検索してみると名言を残していました。「人間の心の奥底へ光を送ること?これが芸術家の使命である」という言葉です。私は、頭で理解するしないに関わらず、芸術によって人の心が癒されたり豊かになったりすることから、作った人や演奏する人を介して、見えない氣のエネルギーの一種が伝わるのだと考えています。そういう意味では芸術家も氣光師も似ています。話は代わりますが今月の研修講座で、ある受講生が、音感行法の素晴らしさを“いいとこ探し”で発表してくださいました。たしか「いつも音楽をシャッフルしてBGM的に聞いていたけれど、音感行法で音楽をじっくり聴くと良かった」という話でした。私も、その時「そのとおりだなぁ」と実感したのです。氣のエネルギーは、受信する側が、それをキャッチしようとすればするほど効率よく受け取れます。じっくり聞くことで、その曲に関わっているいろいろな人達の氣が伝わるのでしょう。私も時には、あれこれしながら…ではなくて、コンサートに行ったり音楽鑑賞ができる時間を作ろうと思ったのでした。同じように真氣光の氣も、時には家やセンターで、じっくりと受けてみるのがお奨めです。

神戸に、たくさんの光が届きますように

私にとっては今年早々の一大イベント、新しい場所・つくばみらい市での真氣光研修講座が、受講生の皆さんのお蔭で16日感動のうちに終了することができました。皆さん、ありがとうございました。研修最後の日、いいとこ探しの時間に、大阪から来ていた受講生の一人が阪神大震災の話をしたのです。私は研修講座への連日の準備と初めての場所での研修に心が奪われていて、その時まで明日17日が12年前の震災の日だということをすっかり忘れていたのです。彼女の言葉にハッとさせられました。というのも、偶然にも研修講座が終了した翌17日は、月刊ハイゲンキの対談取材で芦屋にある甲南女子大学の奥田和子教授を訪ねる予定になっていたからなのです。17日朝、行きの新幹線で私は、音氣でたくさんの氣を受けました。最初、頭に浮かぶのは、突然の出来事で命を落とされた方々の悲しみや辛さです。12年の歳月が経過しましたが、まだまだ光の必要性を感じ、被災された皆さんに少しでも光が届くように祈りました。気のせいか京都に着いたあたりから私に伝わってくる感じが変わってきて、新大阪に着いた頃は、すっかり明るい感じになったのです。キャンパスは、遠くに神戸の街が見下ろせる高台にありました。不思議なご縁を感じながら、これからも震災という出来事を決して忘れてはいけないと思いながら、心の中で氣を送りました。大学は女子大ですので、足を踏み入れた経験の無い私は少々緊張しました。被っている帽子、履いている靴、通り過ぎる学生が、私の卒業した学校とは随分違います。私は小学生の頃、極度の緊張症で、特に女性の前では顔が真っ赤になって何も言えなくなるほどだったものですから、何処か緊張してしまうのです。しかし奥田先生はとっても親しみやすい方で、「宗教からみた食のあり方」についてリラックスしてお話を聞くことができました。私の氣の話にも興味を持っていただいて、対談の最後には「もう一ヶ月早かったら生徒に講義をしてもらえたのに」というお言葉をいただきました。お若く見えた先生も70歳とのこと、この3月で退官されるというのです。「こんな良い先生が居なくなるなんて、学生達も寂しくなるだろうな」と思いながら、私は女子学生の前で極度に緊張して講義をする自分自身の姿を想像して、「一ヶ月遅くて良かった」と胸を撫で下ろしたのでした。そのことを妻に言うと「あなたは少し自意識過剰。あなたのような叔父さんは、学生達にとってはその辺の壁ぐらいにしか思っていないわよ」とのお言葉。(笑)対談の模様は月刊ハイゲンキ3月号に掲載予定です。お楽しみに。

一年の計は元旦にあり

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。一月も3分の1が過ぎましたが、今年初めての真氣光ニュースですので、ご挨拶させていただきました。私は今月すでに、会長セッションで大阪、名古屋、仙台のセンターを周り、今週末からいよいよ“つくばみらい市での研修講座”が始まりますので、それに向けて準備をしているところです。皆さん、この年末年始は、どのようにして過ごされたでしょうか。主婦の方の中には、忙しかったという方、あるいは十分休息し体調を整えたという方もいらっしゃることでしょう。私が会長セッションでお会いした皆さんは、いろいろな事が良い方向に進んでいる人が多かったようです。年が変わり真氣光のエネルギーそのものが、より一層高まっているように感じました。私は、日頃出来ない仕事を年末ぎりぎりまでやっていましたが、年始は真氣光を十分に受ける時間がとれ、ゆっくり過ごす事ができました。今年はたくさんやりたい事があり、いろいろ決意した次第です。前々からやりたくてもできなかった事が、年が変わる事でできるような氣になるという事があるものです。このような場合、ご先祖様や守護霊さん、さらにはご縁のある見えない存在からのいろいろな応援もあっての事だと思うのです。「来年は良い年にしよう」と思いながら頑張って来たのは、私たちばかりではありません。このような見えない“氣の存在”の方々のほうが、もしかすると強く念じていたのかもしれないのです。そのような気持ちを受けて、年頭に決意や決心ができるという事は、とても良い事でしょう。前述の年頭の話ではないのですが、先日また決意が増えました。(笑)夫婦でイタリアンレストランに入ったのですが、ランチの時間でとても混んでいて30分程待ちました。私はすっかりお腹が空いて、それに氣を取られたのか、知らないうちに言葉少なになり、ぶっきらぼうになっていたのです。妻が「そんなに怒ったような口調でオーダーしなくてもいいんじゃない?」と一言。別に怒っていたわけではないのですが、「ニコニコ笑っていたわけでもなかったかな」と考えていると、パスタが運ばれて来ました。食べていると妻が笑いながら、具に入っている蟹の量が随分違うと言うのです。偶然でしょうが私の皿にはそれらしきモノが見あたりません。すっかり反省しました。身体的にマイナスの状態にあるときには、心もマイナスに傾きやすくなります。そのような時こそ「心に余裕を」微笑みが重要です。簡単そうな事ですが、なかなか難しい課題です。

(2)「微笑みのひと」

早 いものでもう11 月ですね。今年も残りが少なくなって来ました。私は、いつも週末は地方に出張のことが多いのですが、先日珍しく日曜日朝の山手線に乗りました。私がいつも乗るのは夜の電車で、ほろ酔い気分もしくは疲れたサラリーマン、携帯やゲームに夢中の若者が多いのですが、その日はいくぶん空いた車内に清々しい朝の雰囲気を感じておりました。二人の子供とお母さんらしき人が乗ってきたからです。小学校高学年の男の子はリュックを背負い、小学校1 ・2 年生の女の子はお母さんに寄り添うように立っています。真ん中に立っているお母さんの笑顔の表情が、私にはとても印象的だったのです。山手線を半周一緒に回りましたが、家族は特に何かを話しているわけではないのですがお母さんの絶え間ない微笑みが、私にはとても幸せな感じを与えてくれたのでした。と ころで、明日から真氣光研修講座が始まりますが、私はいつも講座の中で作っている物があるのです。すでに受講した方はおわかりでしょうが、受講生の写真の中から良いものを予め選んでおいて、最終日前日の夜に音楽をバックに写真を一枚一枚(スライドショーという)お披露目するのです。毎回のことですが、研修が終わりに近づくと皆さんの表情がどれも素晴らしくて、写真を選ぶのがたいへんです。そ のスライドショーに数年前から使っている曲が、今井美樹が歌う「微笑みのひと」です。この曲は‘02 年に放映されたNHK の連続ドラマの主題歌でした。当時番組に寄せるメッセージの中で彼女は「…微笑は誰もができる、素敵な気持ちの表現です。日々の中で、それぞれの人の微笑が心に花を咲かせ、柔らかな幸せの波動が、隣の人にも伝わって、そしてまたその隣の人にも伝わって…そんな風に広がっていけるといいな…と思います。…」と言っています。私はアップテンポの明るい曲調と歌詞が気に入って使っています。歌詞は「♪微笑みを絶やさぬ人は ときめきを絶やさぬ人 どんな苦しみも乗り越えて 幸せを掴むでしょう♪争いに満ちた世界も 微笑みを交わすだけで きっと優しさを取り戻すSMILE CAN CHANGE THIS WORLD 微笑みの力どんな時も 信じている 喜びも そして悲しみも 笑顔で包んで 抱きしめるの♪」受講生一人ひとりの笑顔の中には、乗り越えたいろいろな辛さ悲しさがあります。このスライドショーの時間には、私はその笑顔にいつも感動してしまいます。生駒での開催も後2 回と思うと、季節とともに少し寂しい気がしますが、この5 日間また心残りのないように気合いを入れていこうと思います。

(55)嫁がせたくない

長い人生には、大事なことを決心し行動しなければならない節目が何度かあるものです。そのような時には、自分なりの結論が出るまで、いろいろと思い悩みます。当の本人ばかりではなく相手がある場合、さらには家族や友人などいろいろな人が関係するときには本当にたいへんです。まわりの人達の思いと自分の気持ちを鑑みて、進むべき道を選択するのですが、強い心が無いと決心・行動がなかなかできないことがあるものです。さらにはそこに、ご先祖様のような目には見えない魂達も関係してくることがあるので、話はますます複雑です。先日、こんなことがありました。A さんは結婚することになり婚姻届を取り寄せたのですが、なかなかハンコが押せないと言うのです。「自分でもヘンだと思うのですが…」と、会長セッションの前に話していました。セッションが始まってしばらくすると、A さんの口を借りて「行かせたくない。…この人に頼ってきたのに、居なくなるのは寂しい、誰を頼れば良いのか?」と、ご先祖の一人が出てきたのです。今 に比べ昔は物が無く不平等な社会でしたので、亡くなった後も苦しみの中で、少しでもそれを分かってほしいと願う先祖たちがいるものです。生きている人はどんな人も、亡くなっている人に、見えない光のようなもの(氣)を分けています。さらに先祖を大事に思う人がいることで、それが大きな光となって届いていくのです。このような先祖の中には、苦しみの中からやっと楽になれたので、少しでも近くに居てほしいと、その人が結婚しないよう、あるいは結婚しても戻ってきて欲しいと望むのかもしれません。A さんの場合、真氣光によって、この数年でご先祖たちに急速に光が充電されていたのでしょう。私が氣を送るうちに、どんどん彼らの気持ちが変わって来たのです。まず、A さんのおかげで自分たちには、もう光が十分に届いていたということを言い始めたのです。それは既に頼らなければいけない状況ではなく、これからは本当の意味でA さんを見守り、それによって自分たちも成長していく段階にきたこと。さらに、AさんはB さんの家に嫁ぐことで、そちらにたくさんの光を増やすことができるということであり、それが自分たちの歓びになるということだったのです。人 生には選択しなければならない、いろいろな道があります。人によって皆状況が違いますから、答えは一様ではありません。自分自身で決心しなければならいのですが、真氣光を受けることで、先祖にも光が届き、その答えがより明確になるのかもしれません。

強い意志が大事

 私は学生時代から、計画通り物事を進めるのが苦手でした。
ついつい甘えが出てしまい、いつしか仕事が遅れがちになって、いつも最後の最後で何とか頑張って間に合わせるということになっていました。
会長になってからのことですが、ある時こんなことがありました。
どうしても書かなければならない原稿があったのですが、その日はまったく何を書いたらよいか浮かんできません。
どんどん時間だけが経っていくのですが、まったく話がまとまらないのです。
夜遅くなってきたものですから眠気も増して、ますます頭はもうろうとしてきます。
しかし、眠ってしまっては穴をあけてしまうことになりますから、その時は気力だけで起きている感じでした。
そろそろ夜が明けるというのに、そんな調子で自分自身と格闘していたのです。
そのうちに寝不足からなのか、胃のあたりが気持ち悪くなってきました。
仕方がないので私はハイゲンキを持って来て、お腹に当てることにしたのです。
しばらく当てていると、グーッと気持ち悪い感じが増してきて、咳が出たかと思うと何も出ないのですが、何かをもどすように胃の中の空気を出していました。
何やら悪い氣が出たという感じです。
その後、何だかスッキリして、机に戻ってしばらくすると良い案が浮かんできて、結局原稿の方は何とかなったのでした。
 そのとき初めてわかったのです。
私は知らない間にずいぶんマイナスの氣の影響を受けてしまっていて、それらに話がまとまらないよう邪魔されていたのです。
マイナスの氣の中には自分の思う通りに身体を使いたいと思う霊的な存在もあるでしょう。
彼らは自信を失わせ魂のエネルギーを下げさせて、いつまでも権力をふるっていたいのです。
私は、そんなこととは夢にも思わず、「できない、できないかもしれない」と焦っていたのでした。
そしてさらにわかったことは、最初に重要なのは気持ち、つまりマイナスの方向に引っ張られても抵抗しようとする強い精神力だったのです。
それがマイナスの氣を引きはがすきっかけになり、さらにハイゲンキを当てられたことで、それが促進されたと思うのです。
 どんなときも、何かをやろうという強い意志には光が集まります。
そして真氣光の光が、それを後押ししてくれるのです。
「気合いだ、気合いだ…」というアニマル浜口のかけ声ではありませんが、ここ一番という時には、そうやって自分自身の気持ちを強く持つことが必要な時があるようです。
(中川雅仁)