毎月第一週には、中川雅仁が撮影した写真に自筆の一言を入れた氣の出る画像(氣配り画像)を配信しています。
(ご質問、ご要望などがありましたら、各センターのスタッフへお問い合わせ下さい。)
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体験を通してわかること
私は、阿蘇での研修講座から月曜の夜に東京に戻りました。水曜日には台風がやって来て東京も一時は電車が全てストップしましたので、帰宅時に影響を受けた方も多かったのではないでしょうか。前日火曜日には東京で無料体験会がありましたが幸いにも台風の影響は無く予定通り、来ていただいた皆様に、氣のお話と真氣光の体験をしていただくことができました。
私は4年前からこの無料体験会を開催しておりますが、最近は氣に興味を持っているという方が多くなっているようです。一般的には「怪しい」と映ってもおかしくない氣を提供する株式会社に、思い切って足を運んでいただけることは、本当にうれしいことです。
ところで、1週間ほど前になりますが本屋に行くと「人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-」という本が平積みになっておりました。どんな人が書いているのだろうと著者をみると東大・医学部教授、付属病院救急部・集中治療部部長 矢作直樹とあります。私は、そのような先生が、こんなタイトルの本を書いて大丈夫なのか? と心配になりました。内容は、先生のお母様にまつわる医学的には説明の出来ない体験から、霊とか魂は存在するという立場で「人は死なない」と書かれていました。
魂の存在は、今の科学では証明できるものではありません。存在を否定する立場の人からは、どう考えても怪しいということで、魂の有無を議論していると水掛け論になりエネルギーを消耗するだけです。しかし、その存在を認めると、たくさんの人が生きる上で、よりいっそう幸せな方向に向かえるように思います。私は、そんなことから一般的には非科学的と思われることを体験から現職の先生が言われたことが、すごいことだと感じたのでした。
私は、心を持った氣のエネルギーつまり魂という存在があると、いろいろなところでお話ししていますが、科学的思考をされる方には、オカルトだと思われてもおかしくないと気が引けていました。
この世では、本当はそうだと思っていても、いろいろな事が邪魔をして、なかなか言えない、行動に移せない、そんなことが多いものです。しかし、どんなこともいつか、(誰かの)良心というものによって進むものです。それは周りからの圧力を受け一時的には後退しても、やがてはそれに共感する人が増えて、少しずつ時間をかけて進むものだと思います。真氣光も、先代によって不思議な話を躊躇する事無く広めようとする行動力で始まりました。私も、真摯に説明し、皆様に数多く体験していただくことで、わかりにくい宇宙からのエネルギー真氣光を広めて行きたいと思っています。
おもしろことがありました
きのう、主人が「このDVDを止めてもいいでしょうか」といつになく、とっても丁寧な口調で言ったのでした。
今までおどおどしながら主人に氣を使いながら、会長の真氣光DVDをつけていたのでした。主人に「まだ手をひらひらするのをつけとるんか」と言われると、丸くおさめようとする私は、そそくさと消すのでした。主人が帰宅する頃を見計らっては、DVDを止めていました。
でも最近はつけたままにしています。主人は以前のようにDVDを見てもほとんどいらつく様子がなくなりました。よかったぁ。それにしてもどーしたんじゃろ。きのうの主人のあの似合わない丁寧な言い方(笑)。(広島県 A.Iさん)
やってくる事は自分の中に原因がある
ずっと、左の後ろの首の辺りが痛くて、いつもホワイトセラミックヘッドをコロコロしていました。コロコロをすると痛みが無くなるけど、暫くするとまた戻ってくるという感じですっきりしません。
先日の会長セッションの時に、その患部に集中して当てて頂きました。すると、お侍さんが隠れていました。確か、首をはねられたと言っていました。そして、光の国へ上がられる時、「ここは、居心地が悪くなった。最近、私の言う事をきかなくなった。」と言っていました。その時ハッとしたと同時に、改めて、このお侍さんを引き寄せたのは、自分なんだと実感しました。
誰のせいでもなく、自分の責任。日々の心がけや何を考えているかで、やってくるものが決まる。洗心の心の大切さと、やってくる事は、自分の中に原因があると、強く感じました。マイナスさんも含めて、人のせいにするのではなく、起きている事の原因を自分の中で探すように、心がけたいと思いました。(大阪 Y.Nさん)
遠隔真氣光で手術がうまくいきました
先日、ノドのポリープ除去手術をしまして、その際東京センターへ遠隔真氣光をお願いしました。
皆さんのお蔭でパワーを頂けたので安心して手術を受けました。手術は出血量も少なく良かったそうです。術後は眠いのと少し吐き気がありましたが、数時間後には正常に戻りました。痛みもなく自分でもびっくりです。その日の夕食時は桃の煮物、夜にはヨーグルトを食べる事ができました。
真氣光に感謝です。(秋田県I.Fさん)
研修で自分自身を見直すことができました
いきなり思いたちカナダから飛んできまして、やってきたかいがあったと、皆さんに感謝しています。
定員一杯だったのに一週間前に一つ空きができ、飛行機の席も無事に確保し、子供の面倒をみてくれる人をすんなり見つけ、うまく行ったのも、私がここに来るのを見えない手が応援してくれたのではないかと思っています。
すべての講義一つ一つの内容が自分の生活を改めて見直させてくれました。参加した人達のお言葉も心に染み通りました。
私は今までとても自由気ままにしてきて、その蔭にある迷惑をかけているという心くばりが足りなかったと反省しています。子供や夫に自分の考えや案をおしつけたり、自己満足していることが多く、私とよく暮らしてくださっているなあ、さぞかし大変だろうと思いますが、もっと子供や夫のニコニコ顔が見える家庭になれればと思っています。
この研修で200%氣を吸収したので、100%は皆に与えたいと思っています。(カナダ Y.K.さん)
阿蘇神社にお参りして来ました
今日から熊本県は阿蘇での真氣光研修講座が始まります。
阿蘇での研修も今年で4年目ですが、最初の2年は阿蘇の入り口近くの施設で、昨年と今年は阿蘇の中ほど一の宮町宮地にある「かんぽの宿」を利用しています。
「宮」の字が付く地名は、この地にある阿蘇神社の関係なのでしょう。
私は、昨日夕方準備のため阿蘇入りしましたので、今朝は少し早く起きて、往復約5キロ、散歩を兼ねて阿蘇神社までお参りに行って来ました。
阿蘇神社の歴史は古く、創建は紀元前にまで遡るようです。
私がお参りしたのは、日本全国に450社ある「阿蘇神社」の総本社で、東向きに「日本三大楼門」に数えられる高さ18mの仏閣様式で建てられた立派な楼門がありました。
私は「軒先を借りるようにして昨年も開催させていただきましたが、今年もよろしくお願いいたします」とご挨拶してきました。
各地で研修講座を開催するようになって実感することは、土地には、かつて生きて来た、いろいろな人たちの思いが強く関係しているということです。
真氣光は宗教ではありませんが、見えないエネルギーを使い、人の心や生き方を変えようというものですから、少々宗教と似たところがあります。
真氣光の歴史は25年ですが、神社は2千年以上の歴史。
この地にいる霊的な存在にとっては、「新参者がやってきて何をする」と観られていたことでしょう。
昔から民衆を惑わすようなものもあったでしょうから、この地を守る人たちにとっては、「危ないのではないか」という思いがあっても当然のことです。
先代は以前、真氣光を宗教にしようと検討した時期がありました。
税金の面で優遇されることなどから組織が維持しやすくなるという、物理的な側面を考えてのことだったようです。
しかし最終的には、皆が自由に出来なくなるという理由から宗教にはせず、個人が自由な意志でできる株式会社という形態にしたのです。
私は当時、その話を聞いていて、あまり良く理解できていませんでしたが、いま考えると素晴らしい選択だったように思います。
商品やサービスを「買っていただく」ということで、真氣光のエネルギーを受ける皆さんを通じて、かつて宗教に携わっていた人たちにも光が浸透しやすいのだと思います。
宗教という先入観なしに光を受けるうちに「今はこういうものがあるのか」と理解してくれるのだと思います。
毎年開催し、参加してくれる受講生の皆さんの魂がますます輝く方向に変化していく姿を観て、真氣光のことを理解してくれているからこそ、今年もたくさんの人たちとこの地で開催することができるのでしょう。
どんな研修になるのか今から楽しみです。
(中川 雅仁)
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研修講座の遠隔真氣光はすごい!!
昨年大学院を卒業した息子の就職が、今年こそは決まってほしいという思いから、研修講座の遠隔真氣光を6月にお願いしたところ早速その効果があったのにはびっくりするやら嬉しいやらでした。
とても難しいだろうと思っていた希望する職種に2つ合格し内定までいただきました。
もちろん本人も一生懸命勉強し努力した結果だと思いますがご先祖様や宇宙のパワーをいただいて、より合格圏内に入れたのだと思いました。
この就職難の時に本当に贅沢な悩みですが2つ合格するとどちらかを選ばないといけません。
結局は最初に合格内定通知をいただいたところに決め、親としてはほっと肩の荷が下りた思いです。
遠隔真氣光ありがとうございました。
(Nさん)
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今朝のびっくりした氣づき
人間不信、人間嫌い…。
周囲でやたらと耳にするこの言葉。
かくいう私も極度の人間不信である。
原因は色々思いつく。
継母の心ない一言。
職場の人の馬鹿にした態度。
友人と思っていた人の冷たい態度。
いくらでも思いつく。
しかし氣を受けて気がついた。
人間不信って、自分の受け止め方に原因がある。
ストレートに表現される愛情しか愛と感じられない。
自分がストレートな分、他人によって表現される複雑な愛は理解不能。
そんなところがある。
心は目に見えない。
愛は感じるもの。
送られてきた愛に一癖あったり、正反対に表現されると戸惑ってしまう。
こちらが受け取りやすいように投げてくれた愛の直球には感謝するけれど。
愛は様々。
人によっては変なラッピングがされていることがある。
人の愛に気づきたい。
もっと感じる心を養いたい。
感謝する心が足りなかったと思う。
そして自分が作り出した“人間不信”に傷ついて、魂が疲れ切っていた。
誰かの感情を受け止める時にも、強く明るく…感謝の“洗心”の姿勢。
全ては私の心のあり方次第。
そんな氣づきを得たのは真氣光に出合ったおかげ。
(うさぎさん)
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