母の月命日に・・・

14日という日のこと。
母の月命日に、娘とセンターに来て終了時刻まで氣を受けて充電しました。
娘が、この頃胸のあたりの気分が悪いと言っていたので、亡くなった母のことを思い出しました。
私にはできないことですが、母は生前、人の悪口は言わず、争いごとは嫌いなので、言いたいことも言わず、自分だけ我慢すればいいわと耐えて生きていた人でした。
娘はそんな母とよく似ています。
次から次へと母と父にまつわる話をしました。
天から私たちの健康と幸せを祈ってくれているのだなあと、ひしひしと感じる時間でした。
スタッフの方々とも交われて余計に嬉しく温かい気持ちで帰宅しました。
いつもあたたかく対応していただき、会長始め、スタッフ、仲間の皆さまに感謝申し上げます。
ありがとうございます。

(大阪府 大阪のばばちゃんさん)

「ヘッド装着」ビフォーアフター

学校に勤めていますので、年度末、年度始めは大忙しな私。
息子の高校進学も重なり、なかなかセンターへも行けず仕舞い。
忙しすぎて身に付けているヘッドを無くしたら大変!という気だけはなぜか回り、大事に鞄の中へ2週間ほど仕舞い込んでおりました。
それからというもの、寝ても疲れが全然取れないほどクタクタで、「あれれ、何で?」となりまして、「こりゃぁ困った・・・」と首からミニスティックヘッドCを再び装着してみることに。
「お?お!あ?」何とか1日動けるじゃないの。
センターに行ってスタッフさんに報告すると「そりゃ、そうやで」と即答。
なんだスタッフさんも経験者だったんですね。
いつも的確なアドバイスありがとうございます♪

(愛知県 Kさん)

(60)待てば海路の日和あり

私の思い出のことわざに「待てば海路の日和あり」があります。
意味を調べてみると「待っていれば、いずれはよい機会がやってくるというたとえ」ということです。
お恥ずかしい話ですが、この言葉を、私はある時まで耳にしたことがありませんでした。
亡き妻が、何の理由で使ったかは今となっては定かではありませんが、私と結婚することが決まった後、何かの折に発した言葉なのです。
私は、知らない言葉を彼女に言われたので耳に残り、後で意味を調べて学んだので、とても印象深いことわざになったというわけです。

せっかちな私は、待つという行為が、とても苦手なほうでした。
昔は「どうしてもっと早くできないのか」と、文句を言いたくなってしまうこともありました。
待つ時間に対する人の反応は様々です。
同じ時間が経過するのに、ある人は平和な気持ちのまま待てるのに、私のようにイライラしながら、文句を言いながら待つ人、不安感で一杯になりながら待つ人、心配しながら待つ人…等々いろいろなのです。
この言葉は、待っていれば、いずれ悪くなるのではなくて、「よい機会がやってくる」ということなのですから、私たちを見守るように働くプラスの氣の存在というものを前提とした、ことわざとも考えられます。
私だけかもしれませんが、この言葉には、どこか柔らかい時間が流れる印象があるから不思議です。

何もしないで良いことが起こるのを、ただ待ってばかりいても、よい機会など訪れるはずはないでしょう。
しかし、精一杯の努力はするけれど、どうしても結果が出るまでは、待たなければいけない時というものがあります。
私たちの邪魔をするように働くマイナスの氣に対して、私たちを応援しようとするプラスの氣が、いろいろな局面で奔走あるいは画策してくれています。
時には、マイナスの氣の影響が少なくなるのには、少々時間がかかることもあるでしょう。
その時が来るまで、私たちは、マイナスの氣を引き寄せることなく、着々と光を増やし続けることが大事です。
真氣光をしっかり受けて、いいとこ探しをしたり、心が明るくなることを増やす等、できる努力を精一杯やってプラスの氣を集めるのです。

広義に「待つ」という行為を考えると、体が良くなるのも、自分の目標に到達するのも…、一足飛びには成りませんから、待たなければなりません。
そのような神様から与えられた時間を、自分自身の時間にできるか、マイナスの氣の思うとおりの時間にしてしまうかは、自分次第です。
私も、時々「待てば海路の〜」と心で言ってみるのです。

捻挫した足首の痛みが消えました

友人と神宮にお参りした後、150段ある階段を降りている途中で足首を捻ってしまいました。
とても痛かったので、その場ではひとまず持っていた氣スポットチタンシールを貼り、家に帰ってからシンキコーマッサージオイルでマッサージをしたら少し痛みが和らぎ、これだけでも十分有り難いことでした。
そんな時に、夜、荷物が届き、びっくりなことに中身は先日注文していたディスクヘッド。
「なんてタイミングが良いんだろう。
」と、早速ディスクヘッド2個を、履いてるヘルシー氣サポート・足首用の中に入れて、痛む足首に当てた状態で過ごしてみました。
足首にヘッドを当てていても特に違和感なく過ごせましたし、一晩寝て朝起きたら、痛みはすっかりひいていました。
皮膚はまだ紫色になっていて内出血の痛々しい跡があり、こんなにひどい捻りかただったのかとびっくりしましたが、その割にはもうすっかり痛みがひいてしまって本当に有り難いです。
ディスクヘッドは軽いし、身体に張り付けやすい形状なのが良いと思います。
今までは、身体にずっと張り付けておきたい場合、氣グッズはシール類を利用していましたが、サポートにディスクヘッドを入れて身体に固定するこの方法はとてもいいな、ということがわかりました。

(熊本県 Hさん)

なんだか身体も軽くなったようでいいねぇ

先日、里帰りした時に母の身体中に直径1㎝くらいの赤い斑点があちらこちらに出ていました。
薬の副作用でなるらしいです。
氣スポットプチシールを貼ってあげました。
翌日、はがして付け直してあげようとした所、氣スポットプチシールを貼った所だけ、綺麗に丸く肌色に戻っていました。
母は、「塗り薬よりもこっちのほうがいいねぇ、なんだか身体も軽くなったようでいいねぇ。」と喜んでいました。

(大阪府 Mさん)

義母が穏やかな最期を迎えられました

一昨年の秋から闘病していた義母が天に旅立ちました。
手術して退院後は、私が介護する予定でしたが、義母を一時的に預かっていただく予定だった施設の医師に勧められるまま、寒い時期でもあったので施設にお願いしました。
その数日後の昨年元日から私が体調不良で2ヶ月間寝込んでしまい、3月初めにセンターへ行った時、スタッフの松本さんに「仕事も辞めたことだから毎日センターに通ってみたら?」と勧められ、続けてみました。
私も随分元氣になり、医師からどんどん悪い状態になっていくと言われた義母も特に酷い状況にもならず、穏やかな最期を迎えられました。
私が体調を崩したことで、真氣光をたくさん受ける機会をいただき、真氣光を知らない義母にもしっかり届いていたのだと感じています。
ありがとうございました。

(愛知県 Rさん)

温かく優しい人たちが多いと感じます

センターの一番近くにあるコンビニで、カフェオレをよく買っていたら、店員さんの方から、「カフェオレのレギュラーサイズですよね」と笑顔で言ってもらったことに驚き、とても嬉しかったです。
またセンターの隣にある居酒屋のイケメン兄さんは、会うといつも挨拶してくれます。
私が一人の時は目が不自由で杖をついているので、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれます。
センターのビル内では、エレベーターから降りてきた方が、わざわざ「何階に行かれますか?」と言ってボタンを押してくれます。
センターがあるから周りの人たちにもプラスの氣が届き、温かく優しい人たちが多いのかと感じています。

(大阪府 チョコ大好きタルトさん)

真氣光で多くの氣づきを!

今週の月曜日に新元号の発表をテレビのニュースで見ました。
日本中が「令和」という言葉に沸いた日でした。
この元号の出典は、万葉集の一文「初春の令月にして、氣淑く(きよく)風和ぎ、…」からということでした。
私も「氣淑く風和ぎ」というところが気に入っていて、令和に次の時代への明るさを感じている一人です。

ところで、この明るさとは、何かもっと明るくなりそうだということであり、あくまで比較して感じる相対的なものです。
つまり暗さがあってはじめて、明るさがあるということで、暗い部分によりいっそう輝きが出て、明るくなるということでもあります。
これは、私たちの体の中にある見えない光のような氣のエネルギーも同じで、明るい・暗い部分があったりするのですが、暗い部分がよりいっそう明るくなれば、魂の輝きが効率良く増えるということに繋がります。
私たちの氣は、周りに存在するプラスの氣からは光のような氣のエネルギーの応援を受け、マイナスの氣にはそれを分けていますから、マイナスの氣の影響を強く受けると光が吸収され暗くなります。

プラスの氣である真氣光の大きな特長は、浸透力が強く、暗い部分にどんどん光が注入され、そこに影響を与えているマイナスの氣にも光が届きやすくなるところです。
その時に、フッと気づき、意識が向上するので、先代は「真氣光は氣づきのエネルギーだ」とも言っていたわけです。
マイナスの氣が外れるから氣づきが現れるのか、氣づきがあるから外れやすくなるのかどちらもあるでしょうが、これにより大きく魂は輝くのです。

この時のポイントは、暗い部分つまり体や心にあるマイナスの部分に、私たちが意識を向けられると、光が届きやすくなるということです。
逆の立場から言えば、光を失った魂は、時代が変わってしまうと平成、昭和など…過去は忘れ去られる、つまり意識を向けられないことで光が届かなくなるという危機感を持っており、何とか分かって貰おうと浮き上がりやすくなるものです。
また一方で、元号が変わることで、645年の大化から248番目の令和まで、テレビ番組でも取り上げられるなど過去の時代にも人々の目が向き、マイナスの氣がプラスへと変わりやすくなる時でもあります。
つまり氣の観点から言えば、時代が変わる直前は、真氣光で過去のマイナスをプラスに、多くの氣づきが得られる大事な時期と言えるでしょう。
図らずも今月末開催の真氣光研修講座は、古墳の多い、歴史ある岡山・総社で行います。
平成最後の研修に、多くの皆様の参加をお待ちしております。

(中川雅仁)