氣のつながりを意識しよう

 いつも顔を合わす家族や職場の人など、そのような人からは、氣の影響をとても受けやすいものです。
周りの人がハッピーな感じだと元気をもらえるのですが、機嫌が悪いと、「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、あまり関わらないようにする人も多いのではないでしょうか。
私なども、不徳の致すところで妻の機嫌を損ねたときには、いろいろと「氣」を使います。
(笑)
 このことわざについて調べてみると、『御霊信仰(ごりょうしんこう)』が由来となっているそうで、これは大きな不満を抱きながら亡くなった人や不幸な死に方をした人の霊が、『祟り神』として現世に災いをもたらすという信仰のようです。
これは私がいつもお話しするマイナスの氣のことで、昔の人は良く分かっているなと思ったのは、そのようなものには「触らぬ」、つまり縁を結ばないようにしようということだと思うのです。
 ところで私は、誰にでも体の中にある氣のエネルギーは光のようなものだと説明しています。
光ですから、ボワーッと体の周りにも放射されているわけです。
氣が高い・低い、強い・弱いとは言いますが、強い光の人もいれば弱い光の人もいるわけで、特に強い光の人であれば、どこまでかはわかりませんが、連続的に体の外にも随分光が届いていると想像できます。
 さらに私は、私たちの周りには自分よりも暗い氣であるマイナスの氣と、明るい氣として存在するプラスの氣があって、そのような氣との間にしっかりとした境界がないことから、つねに何らかの接触があるのではないか?そして私たちの意識が非常にこのつながりを強めるのではないか?と、推測しています。
 ですから、ご先祖や守護霊などプラスの氣とのつながりは「お蔭様で、ありがたい」と意識できると強くなり、ますます応援を貰えるのだと思います。
 一方、マイナスの氣とのつながりは、それを感じられたり、それが分かった時点で、意識して結ばないようにすることです。
既につながりがあったものには、それらを意識して真氣光の光を届けるようにすることでしょう。
 自分の身近な人、特に先祖や家族など、切っても切れない縁で結ばれている人とは、しっかりと氣でつながっています。
中にはマイナスの氣を放つ人、マイナスの氣となってしまったご先祖、さらには先祖の代から恨みを持つマイナスの氣があるかもしれませんが、これは簡単に切り離すことはできません。
しかし、氣中継装置や氣グッズを使えば24時間絶え間なく真氣光のエネルギーが受けられます。
これを利用して、まず自分の光を増やすことです。
そして、少しずつ意識を拡げ、マイナスをプラスの氣に変えていきましょう。

亡くなった母から教わった歌『早春賦』

中川貴恵先生による趣向を凝らした映像と共に送られて来る、エス・エー・エスの会員用サイトの中の“今月の歌”。
毎月とても楽しみにしています。
2月は『早春賦』でした。
私は小さい頃から明治生まれの母からいろいろな歌を教わりながら大きくなりました。
『早春賦』もそのひとつです。
「春は名のみの…」で、始まる詞とメロディーは、子供心に「難しいなぁ」と思っていた事を覚えています。
でも大好きな歌のひとつでした。
今回はアカペラで歌われていらして、純粋に歌だけを楽しめました。
母は30年ほど前に亡くなり、普段は思い出す事も少なくなりましたが、歌をきっかけに、懐かしく母を思い出し涙が溢れました。
そして歌を聴く事により沢山の光が母のもとに届いたに違いないと確信し、「放っておいてゴメンね」と心の中で謝りながら歌を聴いています。
これからも“今月の歌”を楽しみにしています。
(京都府 Yさん)

土地に光を送るのも必要なんだと実感

久しぶりにリモートで会長の真氣光セッションを受けました。
携帯を使って真氣光USBメモリの動画を流し、iPadで中川会長とスタッフの方とでセッションをして頂きました。
会長が2人いて氣を送って頂いているような不思議な感覚でした。
自宅で受ける事で、この地域にもたくさんの光が届いたと思います。
たまにはリモートで土地に光を送るのも必要なんだと実感しました。
(熊本県 Yさん)

自信となり確信となりました

神棚を触れなかった私が、先日、神棚の掃除が出来ました。
10数年前より、ある日突然、神棚に手を合わせる事が出来なくなりました。
1200年続く神社の家系に生まれ、小さな頃より神様はいつも近くにありました。
しかし、今から20年程前に、私は行をする事になり、山、海、滝の行を2年程行いました。
それから色々なことがあり、段々と神棚、神社、寺に行っても手を合わせる事が出来なくなったのです。
しばらくして、真氣光に巡り合いました。
心の動くままにしようと思い、いつかその時が来るまで待とうと思い、会長に相談しながら待ちました。
ハイゲンキ7型、8型が出て「神、仏などいない…」と恨み辛みを言う方々が出てこられました。
「精神的にも苦しかった」等々、昨年末のメンバーズの集いの時に沢山の方々が光へ上がられました。
今年になって、ある日、心がすーっとして神棚の掃除をしようと思い立ち、数年ぶりに御簾を上げて掃除をすることが出来たのです。
沢山の宗教関係の方々が真氣光の光を受け入れて納得し、光の元へ旅立って下さいました。
辛く苦しい時期が長かったけど、自信となり確信となりました。
(熊本県 Mさん)

痛いの、痛いの、飛んでいけ

2〜3才の頃だと思います。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ」。
母が言いながら、赤チンをつけてくれました。
懐かしく思い出します。
これ、氣ですね!しかし、その当時は意味もわからずに過ごしてしまいました。
勿体なかったなあ…と感じています。
真氣光を学び続けている今だから言えることです。
日々前向きに氣の意識、氣を受けることに努め、心(魂)の洗心と体の元氣を確保して氣のエネルギーの活用を促進させて工夫と実践を通し、体験を深めていきます。
日々感謝することで、生き方や考え方も前向きに変化して、何事に対してもちょっとした「間」をとり、対応する心(魂)の余裕と冷静な判断ができるようになりました。
また、間違いに気づいた時、ただちに謝れる自信と勇気がでました。
真氣光に学び、氣の充実を心がけて続けてきたことに感謝しています。
今後は一層、精神性を高め、充実させて周りの喜びは自分の喜びに思い、工夫と努力を続けようと考えています。
感謝の氣をお届けできる楽しい一日を過ごしています。
(新潟県 Sさん)

自分の体験の中にある糸口

 私は、シートヘッド試作の段階で、これにヘルシー氣サポート(腹巻タイプ)を使ってお腹に氣を入れていたら、たくさん咳が出てスッキリしたものですから、これを商品化しようと思いついたのです。
その時、同時に淋しいような感情が湧いてきました。
思い出されたのが、昔、サラリーマン時代に社宅として住んでいた古い街道筋にあったアパートと、さらにはもっと昔に家族で住んでいた川の側にあったアパートです。
私が咄嗟に分かったのは、もうとっくに光になっているだろうと思っていた、そこに関係していたマイナスの氣が隠れていて、未だに影響を与えていたということです。
意識を向けることがないと、マイナスの氣には光が届きにくいものですが、やっと氣が届いたような感じでした。
社宅は先代もオバケの通り道だと言っていた所で、それから私は調子を崩して研修講座に行くようになったわけです。
さらには、これと似たようなアパートの思い出として、昔々の記憶が蘇ったわけです。
その辺りから先代は会社の倒産を何回も経験して苦労し、最後には白髭の老人の夢を見て真氣光を始めることになったのでした。
どうやらこれもリンクしていたことが分かりました。
 「私は、体の中にある、見えない光のような氣のエネルギーですが、体を失ってしまった魂としての氣は、場所や家、モノの中など身の周りのどこにでも存在していますと、お話ししています。
自分の氣よりもエネルギーの高いプラスの氣、エネルギーが低いマイナスの氣です。
これは科学では測定できませんが、人は感じることができるわけです。
特に分かりやすいのはマイナスの氣で、これを感じるとどうなるか?何となく淋しく暗い嫌な感じ、気持ちが落ち込んだり、イライラしたり、物事がうまくいかなくなったり、体調が悪くなったりするわけです。
さらには、私たちが生まれてから現在までの体験の中で、これが層を成すように積み重なるのです」
 これは月刊ハイゲンキでも紹介した新しく始める「真氣光マスタートレーニング」でのステップ1での講義動画の内容ですが、このトレーニングでは、さらにしっかり自分のものにするために最後に課題が出ます。
その中の一つに、自分の体験のなかで、マイナスの氣の影響と思われる、モノ、場所、事柄をできるだけたくさん記入してみて個別相談を受けるというものです。
 意識もしていなかったことや、もうとっくに氣が届いていると思っていることの中に、マイナスの氣が隠れていることがよくあります。
少し強めに真氣光のエネルギーが入らないと、見過ごしてしまうのです。
皆さんはどうでしょう?ちょっと意識して、氣を受けてみることをオススメします。