身近にオーロラを見た

11月も半ばに差し掛かろうとしています。時間の経つのは早いもので暦の上では、着々と寒い冬に向かっているようですが、例年に比べ今年は暖かい?それとも寒いのでしょうか?私は、ここのところ、あちらこちらと慌ただしく移動しているために、季節の変化が感じられずにいます。皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。昨日は月刊ハイゲンキの対談取材のため札幌に行って参りましたが、日帰りでしたので周りの風景と言ったら、空港と駅、昼に入ったラーメン屋ぐらいしか印象がありませんでした。お恥ずかしい。
ところで札幌では、オーロラの写真を撮っている写真家の中垣さんにお話を聞いて来ました。死ぬまでに一度は見てみたいと言われる人も多いとか、私も見たことがなく興味はあったのですが、昨日はその映像を堪能させてもらいました。というのも中垣さんは変化するオーロラをカメラで連続撮影し、一枚一枚の静止画写真をパソコン処理により、あたかも実際と同じように動く映像として見せてくれる人なのです。オーロラは夜に見られる光のカーテンですが、太陽や月に比べると本当に少ない僅かな光量です。ビデオ撮影でははっきり映らない色が、中垣さんの方法では実物に近い色で再現でき、本物のように変化するというわけです。満点の星空に彩られる色の変化に、自然は何て美しいのだろうという思いと、宇宙の不思議さを感じます。オーロラは太陽の活動と地球の地磁気に加え大気との相乗効果で光を放つということですが、最近は太陽の活動が活発ではないので、大物(おおもの)が撮りにくくなっているのだとか。さらには地球の地磁気も少しずつ弱くなるので遙か遠い将来にはオーロラが見られなくなるときがあるかもしれないとのこと(その頃には人類も存在していないでしょうが)。刻々と変わる色、二度と同じものは見られないし、それも永い年月の中で変化していく。無常という言葉がありますが、宇宙には変化しないものはない、変わっていくのがこの宇宙のシステムということを感じさせられます。変わりたくないと思っても、私たちも少しずつ変わっています。人々が変わっていくのですから、もしも全く変わらないものがあるとすると、それは逆に変わってしまったと感じてしまうのではないでしょうか。何百年の伝統も老舗の味も・・・、いかなるものが僅かながら変わっている、だから続いているのでしょう。私たち人類も、どうせ変わるなら良い方向に変わりたいものです。宇宙からの真氣光のエネルギーも進化しつつ、それを促しているのです。

希望の光

テレビや新聞では米国での大統領選でオバマ氏が圧勝したニュースで持ちきりでした。6年目に入ったイラク戦争や、‘29年の大恐慌以来とされる金融危機で、米国に閉塞感が充満する中、「変革」を訴えたオバマ氏に期待が集中し、人種の壁を打ち破ったとの報道です。シカゴでの勝利演説では「イエス・ウィ・キャン(そうだ、我々にはできる)」との20万人を超える聴衆の大合唱でした。その映像を見ながら、これだけの人々に“希望という光”を与えられたオバマ氏には、過去に辛い思いをした、たくさんの魂達の応援があったことでしょう。強い光には一見マイナスの影が生じることもありますが、それをチャンスに変えて、さらにこの光を強めて欲しい、日本も、いや一人ひとりが自分自身の閉塞感に立ち向かうために頑張らなければ・・・と思いました。
病気がなかなか治らない、人間関係がなかなか良くならない、家族が・・・、出口がなかなか見つからない、希望が見えないというマイナスの氣による閉塞感はいたるところにたくさんあります。ある意味では、真氣光という氣つまりこの宇宙エネルギーは、これらの“閉塞感”に打ち勝つためのエネルギーとも言えるでしょう。人によって違う問題の解決に、真氣光という氣を受けていただくことで、その人自身に生じる氣づきというかたちで結果を出していこうとするものです。さらにSASは、その真氣光を活用していただけるようにサポートする会社です。もっと言い方を代えれば、一人ひとり違うライフスタイルや家族構成・氣の習熟度・考え方などに合わせて、いかに有効に氣を取り入れてもらえるかがポイントになるわけで、それをご一緒に相談させてくださいというのがSASなわけです。
来月にはメンバーズの集いを開催しますが、それにちなんでいろいろな氣グッズを割引価格にて販売します。もともとたくさんの氣グッズが開発されたのも、先代が夢で教えられ、多様化した人々の生活のあらゆる場面で、真氣光を受けられるようにするためです。できるだけお安くすることで、今まで手が届かなかったものを試せるチャンスになることもあるでしょう。ぜひこの機会にお試しください。また研修講座に参加された方が購入できる真氣光DVDもセールの対象となっていますが、もう間もなく新しい映像になり発売の予定です。地上デジタル放送対応の横長テレビが普及したことにより、画面のサイズが現状のDVDでは横に拡大して写されるため、それに対応したもので、山や海など私が自然の中で発光して録画しました。新しいものには解像度の関係で先代の映像が入りませんので、これまでの物が良い方には今回のセールがお薦めです。

(26)苦しい時の神頼み

「何か面白い話は無い?」私はよく原稿のネタに困ると妻に聞くようなのです。妻は「無い」と答えると、私がいろいろ執拗に責める(笑)ので迷惑だということです。私はあまり意識していないのですが、妻はそれが「苦しいときの神頼み」だと言って笑うのです。私にすれば、神頼みでもないが…という気持ちですが、そんなことを考えながら、このことわざを調べてみました。すると自分が苦境の時だけ、他人に頼る身勝手さのたとえとあります。「自分が悩んでいるのだから、お前も考えて当たり前」のようなところがあり、確かに身勝手なものだと少々反省いたしました。しかし、このことわざ、良く考えると氣の観点から非常に興味深いので、今回のテーマに使わせてもらうことにしました。 と いうのも苦境に立たされているときほど、氣の効果を実感できるものです。氣とは波動的な性質があるものですから、信じようとすればその分だけ、あるいは氣を集めよう・氣を受けようとすればその分だけ同調作用が働いて吸収率が増します。ですからハイゲンキも、苦境に立たされ必死になってやっていると、効果が引き出されるということがあるのです。以前ある方に、山中で一人、車のバッテリーが上がって困り、ボンネットを開けてハイゲンキで氣を照射したらエンジンがかかったという話を聞いたことがあります。この方の場合は、普段からもよくハイゲンキを使っていて良さが実感できているからこそ、そのようなときにも手元にあり、咄嗟に「使おう」とひらめいたのだと思うのです。 話 を元に戻しますと、苦しいとき困ったときに神に救いを求めるのは、恥ずかしいことでもなく、氣の効果を引き出しその良さを実感できることに繋がります。しかし、このことわざが批評している、自分の都合だけで相手を利用し、事がすめば、「はい、さようなら」とする身勝手さは、注意したほうが良さそうです。ハイゲンキで氣を受けるのも身体の調子が悪いときばかりではなく、日頃からよく使っていただきたいと思います。私たちの周りにはご先祖様のように、数限りなくたくさんの方々が居ます。ハイゲンキからのエネルギーは使っている人の魂を輝かせ、さらにその人を通じて縁の深いところから順にエネルギーが浸透していき、その背後の霊的な存在にも行き渡らせるのです。自分のためだけではありません。もしかするとあちらの人が、ハイゲンキを使って欲しくて、あなたが真氣光を知ることになったのかもしれないのです。そのようなことを記憶に止め、末永くそして毎日のようにハイゲンキを使って欲しいのです。

(60)霧の中で彷徨う魂たち

私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、別の人格が出てくることがあります。その人に影響を与えている魂で、大別すると、辛い苦しいなどマイナスの感情をもっているものと、子孫を思う先祖や守護霊などプラスの感情をもつものがあるようです。ある時、氣を送っていると出てきた魂は、辛くも苦しくも悲しくもないが、ただ行き場が無いと言います。その魂が話した内容は次のようなことでした。「何がいけないんだ、何も見えない。霧の中に置き去りにされているようだ。私は苦しくも悲しくもない。私の家族は幸せに生きている。誰かを恨んだり呪ったこともない。私は普通に生きたんだ。この世には何の未練も無い。自然にあの世に行けるものではなかったのか。そりゃ死ぬ時は少し苦しかったが、今は苦しくもないんだ。死んでから行くところが無いなんて不思議なものだ。何も要らない、なのに何故行く場所が無いんだ。生きている者に迷惑もかけたくない、世話にはなれん。・・・この霧の中には、会うことはできないが、他にもたくさんの人が立ちすくんでいるようだ。・・・」私は一生懸命に真氣光を送りましたが、なかなか光が見えてこないようです。しばらく時間が経過して、その魂は話し始めました。「何かがはっきり見えるのではなく、霧が薄くなって光が見えてきた。あの光になるということか?この光になったらどうなるのかなぁ、悪い気はしないが・・・」そして最後に「この光の方に行けば苦しいことも無さそうだ」と言って消えていったのでした。 こ れまで、いろいろな魂の話をしてきました。たいていは辛いとか苦しいという強いマイナスの感情に支配されていますので、分かって欲しい、早く楽になりたいという思いがあります。自ら何か楽になれるすべはないものかと必死に求めているがゆえに、最初は真氣光の光が怖くて受けることを拒んでも、次第に楽になっていくことがわかると、光の良さを理解しやすいという特長がありました。ところが、この魂は、そういうわけにはいきませんでした。強いマイナスの感情は無いけれど、行き場がわからなく彷徨う魂の辛さがわかります。そして、今そのような魂がたくさん存在しているようなのです。テレビなどの影響でしょうか、魂の存在を信じている人が増えていると言います。良いことですが、死んでもすぐに生まれ変われるという誤解もあるようです。実際には、亡くなった人を光に導くのはたいへんなことなのです。私は、それができる真氣光の素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいと思うのです。

続けること

おめでたい話が新聞の一面を飾るのは久しぶりかもしれません。ノーベル物理学賞が、素粒子の権威、南部陽一郎さん、小林誠さん、益川敏英さんに、さらには化学賞に下村脩さんが決まりました。これで日本人の受賞者は16人目とのこと、日本の研究水準が改めて世界に認められたとの報道もありました。私は特に「日本人」にこだわることもないと思うのですが、日本人ということでいろいろな逸話が報道されることが勉強にもなり、さらにはすごく親近感がわいてくるというものです。
下村さんは、発光する生物から発光物質を取り出し、その仕組みを研究してきたということです。新聞記事の中で言っています。「僕は十何年かけて85万匹のオワンクラゲを採取した。100トンは超すでしょう。何十人もの人を雇いました。家族も手伝ってくれた。ノーベル賞はその副産物なんです。」どんな研究も相当な労力がいることだと思います。似たようなことを何回も、何回も気が遠くなるぐらい繰り返し、一歩一歩真実の解明に近づくのでしょう。途中で嫌になることもあるでしょうが放り出すことなく地道に淡々と続ける、なかなか出来ないことです。「子どもたちにはどんどん興味を持ったことをやらせてあげて。やり始めたら、やめたらダメですよ」とも言っておられます。「これだ」と感じるものがあり、それがすべての原動力になっているのだと思うのですが、ご自身の経験がお有りだから言える言葉だと思います。
研究ばかりではなく、輝かしい成功談には、いろいろな苦労話が付きものです。氣の観点から言えば、どんな人にも守護霊さんのようなプラスの氣の応援がある一方、マイナスの氣も働いていて、その人に対し一見邪魔をするように働くものです。辛いときに、心配やイライラ、不平や不満など、つい洗心の御法度の心に支配され、マイナスの氣を集めやすくなるのです。特にその人の魂が大きく輝こうとするときに、それを阻むかのように働くものです。しかし、ご先祖や守護霊さんのような存在が必ず一生懸命支えようとしているのです。私は、真氣光で病気が良くなった、自分や、さらには自分を取り巻く環境が変わったなど、いろいろな人の体験談を聞いて来ましたが、真氣光を続けるうえでも同じようなことが言えます。いろいろな一見マイナスの出来事が出てくるけれど、それに惑わされることなく、淡々と真氣光のエネルギーを魂に取り入れるということ、それによって、その人自身の魂の輝きが増し、宇宙からの応援も届きやすくなるのです。

「人を愛す」とは

私が、この株式会社エス・エー・エスに入社したのが、ちょうど15年前の‘93 年10月1日です。入社後しばらくは、先代が各地でやっていた体験会やセミナー、当時下田でやっていた研修講座の裏方スタッフをやりました。先代や関先生に同行してヨーロッパにも行きました。‘95年3月に先代は倒れ3ヶ月ほど入院していましたので、先代が亡くなる‘95 年12月まで実質2年ほどですが、先代の話を直に聞いて真氣光が勉強できました。当時そんなに早く亡くなるとは夢にも思っていませんでしたが、今思えばこの2年という時間は貴重で、前の会社も居心地が良かったものですから、もう少し長居していたらどうなっていたのだろうと思うと、やはり神計らいのような気がします。考えてみると、偶然のようにして教えられていることが多々ありましたが、先代が亡くなる直前によく言っていた「意味の無いことは起こらない」ということですから、すべて意味のあることだったんでしょう。ただ、先代がよくサインに使っていた言葉「神を信じ人を愛す」については、「良い言葉だけれど、どうして思いついたのか?」という私の問いに「ふと、ひらめいた」との答えだったので、それ以上詳しく聞かなかったことを後になって後悔したものでした。しかし私は会長になってから、「すべては私たちを成長させてくれるために宇宙が用意しているのだから、それを信じよう」という「神を信じ・・・」の意味がよくわかるようになったおかげで、大きなストレスも無く今までやってこれたのだと思います。
ところで「人を愛す」については、どんな人にも「愛」というプラスの氣を送ることだと理解して来ましたが、どうも今一つよく分かりませんでした。たとえば隣のおじさんに対しても「愛す」のか?など、どうも愛という言葉について馴染まない感じがしていたのです。そんなところに氣を受けていたら宇宙から「あなたたちの言葉では敬愛という言葉が当てはまる」と教えてくれたのでした。尊敬して親しみの気持をもつことという意味ですが、これならよく分かるのです。たとえばどんな人にも自分には真似のできないことや体験がありますから、素晴らしいと思うところは見つけられるわけで、それは敬愛の心です。誰もがお互いに、それぞれの輝いているところを認め尊重しあえること、これはいいとこ探しにも通じます。月刊ハイゲンキ11月号の真氣光教室で、また今度の真氣光レッスンでもこの敬愛について少しお話ししたいと思います。

(25)急がば回れ

私たちは、日頃多かれ少なかれマイナスの氣に曝されて暮らしていますが、昔から人はマイナスの氣の影響を受けないための工夫を生活の中に取り入れていたようです。その一つでもある諺は、その多くが言葉を思い出すことによって注意できたり、気持ちを切り替えられるなど、マイナスの氣から身を守る知恵であり、いわば先祖が遺してくれた宝でもあると思うのです。 と ころで私は、毎週末に地方で会長セッションがあり出張なのですが、たいていは一日ごとに場所が変わりますのでセッション後に移動して宿泊となり、時には夜11 時にホテルに入るという日も珍しくはありません。ある時、いつものホテルに予約が取れずに、初めてのホテルに泊まることになりました。たまたま駅に着いたのが11 時を過ぎる頃で、慌ててホテルの場所を確認したのです。分かったつもりで夜の街を歩き始めましたが、道を間違えたのか、5 分で付けるはずが15 分経っても見つけられません。早く宿に着きたいと焦る気持ちに疲れもあったのでしょうか、判断力が鈍ってしまい、ぐるぐる30 分ほど歩き回ってしまったのです。歩きながらふと「これはマイナスの氣に歩かされているかな」と感じたのです。結局、駅にもどり交番でよく聞いて、ホテルに無事着いたのが、そろそろ12 時になろうかという時でした。「急がば回れ」とはこのことで、このような話は、よく登山でも耳にします。7 年程前、本紙でも書きましたが、丹沢を登山して山荘で対談という時にも、道を間違え大方を引き返したことがありました。 こ とわざ辞典を見てみると、「(1)急いでいる時は、危険性のある近道より遠回りでも安全な道を行けという意(2)急ぐ時はゆっくり落ち着いて、着実にやるのがよいというたとえ」 と 、あります。安土桃山時代には「急げば回る」と、「急いでみたけれど、かえって時間がかかってしまった」と後悔のニュアンスで使われたこともあったようです。急ぐと、本来の平常心を失い、イライラ・セカセカや焦りの心になりがちです。焦れば焦るほど自分のマイナスの意識に同調して集まるマイナスの氣によって、ますます迷いやすく、良い方向への決心が鈍ることに繋がるのだと思います。霊的なマイナスの氣は、付け入る隙を狙っています。原点に戻り、ゆっくり冷静に整理して考えてみるなど、本来の自分の意識、つまりマイナスの氣に影響されない自分自身の魂に聞いてみることが大事です。私も一日の疲れがマイナスの氣を集めたのでしょう。真氣光のエネルギーは魂に浸透し光を強めます。「回りすぎる」「回らされている」と感じた時は、より集中して真氣光を受けると良いでしょう。

思い出すことも氣づき

先日地下駐車場で大転倒し負傷した件をお話ししましたが、いろいろな方から「大丈夫ですか?」と声をかけていただき有り難うございました。年のせいでしょうか、足がだんだん上がらなくなってきているようだと思ったのですが、今度は足が上がりすぎて痛い目に遭ってしまいました。机の端で仕事をしていたのですが、(何を思ったか?)椅子に座ったまま勢いよく足で蹴って身体の向きを変えようとしたら、右足膝の内側を机の脚にしこたまぶつけてしまったのでした。痛さのあまり転げ回りながらホワイトセラミックヘッドを当て、昔もここをぶつけたことを思い出しました。小学5年生のころだったか、野球をしていたのですが、キャッチャーをやっていた私の足に、3塁から走ってきた友達の足が交錯して、彼の足が私の右足膝内側に当たったという場面です。彼は打ち所が良かったのか痛みも無いようでしたが、私の方は酷く痛んで、しばらく試合が中断してしまうほどでした。そのころの私はといえば、真氣光的な考え方とは正反対で、マイナスの氣を引きつけやすい性格でした。身に起こる良くないことは全て人のせいにしていましたから、たぶん心の中では走ってきた友達を非難するとともに、「何でこんな目に遭うんだ」という気持で一杯だったと思います。
「思い出すことも氣づきの一つです」という話を、月刊ハイゲンキ10月号の真氣光教室のページで書きましたが、まさしくそれを実体験させられているような展開です。つまり、私のどこかにその時にご縁があったマイナスの氣が来ていたかもしれず、すっかり忘れていたためにそれが陰に隠れていて、ときどきこちらのエネルギーが下がった時に出てきては、足をぶつけたり転んだり、痒くなったり、身体の反応ばかりではなく心をイライラさせたりしていたかもしれないのです。よく研修講座では、たくさん氣を受けている間に忘れていた昔の古傷などが痛んでくる方がいらっしゃるのですが、これなどと全く同じ現象で、氣を受けていることで炙り出された一見マイナスの出来事だったのでしょう。
真氣光のエネルギーを毎日受けていることで、魂にエネルギーが充電され、氣づきが出てくるとともに、いろいろなマイナスの氣が外れるのです。今悩んでいたり、直面している問題点も昔の体験や思いに関連しているかもしれません。そんなことを考えながら氣を受けていただくと、過去から繋がっているマイナスの氣にも光が届き好転のきっかけとなるのです。

(1)氣を受ける際のポイント

身体の調子が悪いから真氣光をやっている人、心の病で真氣光をやっている人、人生が好転しないから真氣光をやっている人、いろいろな動機があります。一生懸命に氣中継器ハイゲンキを使ってくれた人の貴重な体験談は、これまでの22年間でかなりの数に上り、そのお話を聞くと「不可能は無い」と勇気が湧いてきます。これら数多くの話から共通する、ハイゲンキで氣を受ける際の基本的なポイントをまとめてみました。
まず、自分の直面した一見マイナスな出来事を何とかしたくてハイゲンキを使う場合、「ハイゲンキを信じられた」から「使えた」わけで、簡単なようでなかなかそれは難しいものです。目に見えるものでもなく、科学的に証明できるものでもない氣のエネルギー、さらにはハイゲンキの値段は安い物ではありません。単純に「ハイゲンキを信じて、エネルギーを取り込もう」と思うことが、真氣光のエネルギーに同調できるためのスイッチになっているのです。そして、そのスイッチを入れるためには、体験後に「ハイゲンキで氣を受けると良さそうだ」という自分自身の感覚を信じられるか?ということだと思います。現代は情報社会ですから、いろいろな情報が周りに溢れ自分の感覚に従うという習慣が減っています。また魂としては良さを感じられても、周りのマイナスの氣の影響が強いとそれに邪魔され、良さが感じ難くなるものです。しかし、そうであっても氣の充電が進めば、それも次第に姿を消していきますので、いつかは「良さそうだ」という感覚が出てくるでしょう。やはり自分を信じ、その感覚に素直に従えるかということなのです。
また真氣光のエネルギーは自分の魂に入り、その光を増やすとともに周波数を上げ、知らないうちにプラスの方向へ意識を変えていきます。それと同時にいろいろなマイナスの氣も光を得て離れていくのです。ですから自分の悩みが直ぐに解決できなくても気長に使うということ、例えば腰痛の人が腰を治したくてハイゲンキを使っていても、いろいろ周りに良いところが現れ、腰痛が取れるのは最後になることもあるわけです。
最後にハイゲンキは意識してよく使うということです。魂にエネルギーを充電し、より高い宇宙意識に波動を合わせようとすることが、いろいろな面で生活を改善してくれます。私たちは健康だったり、楽しいことがあると心を奪われてハイゲンキをする時間を忘れてしまいます。私は、ポケットにいつもホワイトセラミックヘッドを入れていますが、ちょっとした時間にも意識を集中して、できるだけ氣の充電をするよう心がけていただくと良いでしょう。

宇宙の波動を呼び醒ます

今月号の月刊ハイゲンキでは、先代中川雅仁のマイナスをプラスに変える生き方のページで治療哲学ができた頃の話が紹介されています。86年、先代は夢で白髭の老人から作り方を教わって、ハイゲンキの照射ヘッド先端に多数の小さなピラミッドを羅列し、セラミックと磁石を配置しました。それによってハイゲンキは氣中継器となったのですが、その直後に当時治療器としてのハイゲンキを扱う心得として、先代は次のような治療哲学なるものを作っています。『もしあなたが治せないと考えるなら、あなたは治らない。あなたがどうしてもと考えないなら、あなたは治らない。あなたを病魔に勝たせたいと思っても、あなたが勝てないと考えるなら、あなたは健康への勝利を得られない。もしあなたがいい加減にやるなら、あなたは全快しない。 あなたがこの病魔との戦いに勝つには「私は必ず治る」「あなたは必ず治るんだ」という、お互いの強靱な信念と信頼によってはじまり、その絆が遙か宇宙の波動を呼び醒ますことによってきまるのだ。』
この治療哲学は、どんな病気も治らなければならないものという誤解を生みやすいこと、さらに真氣光は病気を治すだけのものではないということから、今ではあまり紹介していませんが、病気を治したい、良くなりたいと思うことは人であれば当然の欲求であり、生きる力のようなものです。良くしようと頑張る過程で大きな氣づきもあり、幸せな人生を送られるようにもなるものです。私は「お互いの強靱な信念と信頼によってはじまる」とは、良くなろうとハイゲンキを使うことに他ならない、つまり一日何回でも徹底的にハイゲンキを信じて使うこと、プラスの方に向かって一生懸命努力することで、宇宙の波動が呼び醒まされるということを言いたかったのだと思うのです。ハイゲンキが出来て22年、細い糸のような光が太いパイプに変わるように、今年になって急速に、よりたくさんのエネルギーが集まるようになって来ました。まさに宇宙の波動が呼び醒まされたのです。宇宙から伝わってくるのは、「ハイゲンキは、使ってもらえれば、どんどんエネルギーを地球に送れる」という思いです。逆に使ってもらえなければ、ある一定のエネルギーしか送れなくなるのです。
病気の人が治りたい、良くなりたいと真氣光を使っていただけるのもありがたいことですが、同じように、もっと納得できる生き方や、自分の生きる目的を探している人にも、真氣光を活用していただきたいと願うのです。