年貢の納め時という時期

 私は、今週火曜日の夕方に米国から帰国しました。
テキサス州オースチンでの2泊3日の真氣光&沖ヨガセミナーは、ボストンの桑原浩榮先生と現地在住のメアリー・ニコシアさんの主催で、地元やカナダから鍼灸師やカイロプラクター、気功家、病院勤務など医療に携わっている方が多く、総勢十数名の参加となりました。
自然に涙されたり、声が出たり、体が動いたりなど、真氣光を受けることで体や気持ちがラクになり、マイナスの氣はプラスに変わるということを体験によって理解していただけました。
セミナー開催地のテキサス州は、奴隷が多かった米国南部にあります。
たまたま私は、飛行機の中で、リンカーンという実話をもとにした映画を観ていました。
リンカーン大統領は、南北戦争の中、奴隷制度廃止の憲法を困難のうちに成立させ、最後には暗殺されてしまいます。
基本的人権が失われ、たくさんの苦しみや悲しみ、辛い気持ちを抱えたまま亡くなった多くの人がいたのです。
参加者の中にも、そのようなご縁を持つ方がいたことでしょう。
私は、今後益々生活の中で、真氣光を活かして欲しいとお話ししました。
 帰国後、水・木曜に個人セッションを行いましたが、ここでも人権を失い苦痛の中で亡くなった農民の魂が出てきたのです。
彼らは「働いても、働いても…」と、重い年貢に苦しめられた辛さを強く訴えていましたが、最後には真氣光によってラクになり、光の世界に逝かれました。
その時、私の頭に「年貢の収め時」という言葉が浮かびました。
江戸時代まで農民は、年に一度、年貢を納める必要がありました。
しかし、天候や災害で思うように作物を収穫できない、働き手が足りていないなど、年貢を払えない家も少なくなかったようです。
滞納が見つかれば、最後は無理してでも年貢を納めるか、受刑するかを選択しなければならず、これがこの言葉の由来です。
つまり、もともとは納めていなかった年貢を清算する時期のことを指すもので、これが物事の見切りをつける時期という意味になりました。
 この年末に向かう時期は、このような年貢やお金、見切りをつけなくてはいけなかったことなどによって、悲しみや苦しみのうちに亡くなった、多くの人がいたことでしょう。
世界中には、現代においても、まだまだ人権が確立していないことが多いのですが、私たちの先祖は、たくさんの苦しみを抱えながらも、命のバトンを私たちに繋げてくれています。
私たちは、恵まれています。
努力できることもたくさんあります。
感謝の光とともに、真氣光の光が届きますようにと、お祈りしたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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真氣光のエネルギーを集中させよう

 私は、米国テキサス州はオースチンでの2泊3日のセミナーのため、まずは乗換地のロサンゼルスに向かっているところです。
あっという間に師走に突入し、毎年恒例の慌ただしさに加え、出張前ということもあり、やらなければならないことが目白押しの状態でした。
現在、真氣光プレートブースターが303台、プレートブースターミニ282台の累計出荷となり、年末の真氣光メンバーズの集いに向け、例年にも増して、真氣光のエネルギーは強くなっています。
光が増えると暗い影のようなマイナスの氣は存在できなくなり浮かび上がる、いわゆる好転反応が、現れることがあります。
私は、月刊ハイゲンキの真氣光教室で説明しましたが、マイナスの氣はちょっとした隙に集まるようにして現れます。
そのような時には、真氣光のエネルギーも集中させる必要があります。
マイナスの氣を意識して光を集める気持ちに加え、氣グッズを活用するのです。
家族の中の誰かがポイントになっていることもありますので、私はハイゲンキミニ・ハンドルタイプのパワーアップサービスを始めることにしました。
(正会員価格170,100円税込)ハンドルタイプは円筒状アクリルの中にエッチングシートが1枚入っている構造でしたが、シートを10枚に増やしてパワーアップさせるというものです。
もともとハイゲンキミニは、真氣光のエネルギーを一人に集中させるものですが、日光を虫眼鏡で集めるように、その集中度を上げるのです。
人は必ず周りの家族や先祖などの影響を受けているので、一人だけ光を受ければよいというわけではありません。
ハイゲンキや各種プレート、さらにはブースターなどで周りにも光を行き届かせてはじめて、今回のパワーアップサービスは効果を発揮することでしょう。
(中川 雅仁)
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目には目を歯には歯を

 体と心と氣は、相互に強い関係があります。
ですから、体のいろいろな部位にマイナスの氣の影響を受けると、その部分の見えない光のような氣が下がり体の調子が悪くなることがあります。
時には、私たちの心と、マイナスの氣の心や気持ちが関係することがあり、それが体の症状となることがあるものです。
例えば、地団駄を踏んで悔しがると言いますが、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むような気持ちのご先祖がいたり、ご先祖が誰かにそのような思いを向けられていると、その人に悔しい気持ちが多くなったり、足が痺れたようになるのです。
さらには、歯を食いしばると言いますが、苦痛や無念さなどを懸命にこらえてきた方の影響を受けると、歯の調子がわるくなったり、かみ合わせや額関節症のような症状がでたりなど、すべてがこのようになるとは言えませんが、とても興味深いことです。
マイナスの氣は、苦しさや辛さを生きている人に知って貰いたい、分かって貰いたい、恨んでいる魂であっても思い知らせてやりたいということですから、体の部位と心や思いとの間に何らかの関係性が生じるのでしょう。
 ところで、目に症状が現れる場合は、悲しいマイナスの氣の影響が多いものですが、やられたからやり返す、「目には目を歯には歯を」という言葉に関係することがあります。
この言葉を調べてみると、『受けた害に対して、同等の仕打ちをもって報いること。
ハムラビ法典の言葉。
旧約聖書の出エジプト記などにも見え…』とありました。
私たちは、やられたらやり返すものだと、それを正当化する時の言葉のように捉えていますから、マイナスの氣も、それを知っているのでしょう。
 やられたからやり返したり、倍返しなどにすれば、その時気持ちはスッキリするかもしれませんが、さらなる強い報復の連鎖となって、後々の自分や家族、子孫にまで及ぶものになります。
私は「償え」と言うマイナスの氣にも、「それを繰り返しても苦しくなるだけだ。
その代わり、この子孫に光を送って貰い、ラクにして貰ったらいい、それができますよ」と言い、真氣光を送っています。
どんどん光が届くうちに、自然に恨みの気持ちが消えラクになるものですから、最後、光に向かって逝くときには感謝の気持ちをむけてくれるのです。
目や歯に症状はなくとも、何かおかしいと感じたときには、背後のマイナスの氣を意識して、自分がじっくりと真氣光を受けることです。
マイナスの氣に光が届かなければ、同じようなことが繰り返されてしまうからなのです。
(中川 雅仁)
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ご先祖に力をもらっています

 気象庁は先日「エルニーニョ現象が発生したとみられる」と発表し、暖冬になる可能性が高く、この1週間の気温も全国的に平年並または高いと予想しています。
東京では朝晩少し寒くなってきたという今日この頃ですが、「足が冷え、足先にしびれを感じる」という方が、セッションに来られました。
氣を受けると、寒いところで一生懸命に働いていたご先祖が、辛さを分かって欲しいと出て来られ、氣を受けることでラクになり光になって逝かれました。
 私のご先祖も、北海道ですから、さぞかし寒かっただろうと思います。
私は、除籍謄本をとり真氣光フレームの中に入れているのですが、謄本を見ると、いろいろなことがわかりました。
私の祖父の、さらに祖父にあたる人が明治初期、富山から札幌の丘珠という地域に渡りました。
それから、石狩川に沿って遡るように開墾できる土地を求め移住して、曾祖父の時代に、先代が生まれた今の深川市の山間の部落に落ち着きます。
本当に山の中ですから、交通も医療もなく、冬は馬そりが最も強力な交通手段だったとか…、今は、ブルドーザーなど機械がありますが、当時は主には人力で木を倒し、根を取り払い藪を切り開いて畑をつくったのでしょう。
 私の父・先代もそうですが、東洋医学の治療家だった祖父も働き者で、95歳で亡くなりましたが、亡くなる直前まで仕事をしていました。
その祖父は、ある冬に積もった雪を除け、硬くなった土を掘って、少しずつコツコツと潅漑のために川の流れを変えてしまったと叔父たちが話していました。
私は、父をはじめ、そんなことができる祖父やご先祖を誇らしく思い尊敬しています。
また、そんな先祖に思いを向けると、少々朝が早くても、どんなに体が疲れていても、不平・不満・愚痴など、こんな事ぐらいで弱音を吐いてはいられないという気持ちになるばかりか、ご先祖が力を貸してくれるように思うから不思議です。
体と心と氣は相互に関係しています。
たぶん、体は疲れてマイナスのほうに傾いていても心が疲れない、つまり心がプラスの氣を引き寄せ、体を氣の面からケアするカタチになるとともに、真氣光を受け外からも氣を補充するので、仕事が出来ているのだと思うのです。
 昔々は電気も機械もなく、水や食料も不十分など物質面ばかりではなく、無理矢理戦いに駆り出される・奉公に出される・嫁がされるなど自由もなければ人権もない、たいへんな時代を乗り越えて来た、ご先祖が一生懸命に生きてくれたお蔭で私たちが存在しています。
今は今で現代特有の辛さがあるかもしれませんが、恵まれているプラスの部分に目を向け、真氣光を受けながら乗り越えていただきたいのです。
(中川 雅仁)
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氣のエネルギーを大きく増やそう

 昨日から、富士山での真氣光研修講座が始まりました。
私は、一昨日からこちらに来たのですが、散歩を兼ねて研修施設そばのスターバックスまで歩いてみました。
コーヒーを飲みながら、ふと見ると、僅かなスペースに毎年開催されている『富士山「絆」フォトコンテスト』での作品が十数点、展示されていました。
富士山登山での風景や友人・家族の写真なのですが、山頂で嬉しそうに映っている写真などがありました。
私も、サラリーマン時代(25歳の時)に、組合主催の富士山登山のイベントに参加したことがあり、それを思い出しました。
会社の同僚達に誘われて、仕方なく重い腰を上げたのですが、今思えば、その時に登っておいて良かったと思います。
それからは、仕事が忙しくなってしまい、そのうちに結婚したり、サラリーマンを辞めたり、先代が亡くなったり、いろいろなことがありましたから、富士山に登るという機会は、もう無かったことでしょう。
今では、体力が落ちていますので、はたして山頂まで辿り着けるか(笑)疑問です。
遠くから見ると、なだらかそうな山ですが、日本一の山だけあって、いざ登ってみるとけっこうな急勾配で、当時やっとの思いで、何とか山頂まで辿り着いて、ご来光を拝みました。
登り切った達成感と、眼下の景色で、とても気持ち良かったという記憶が残っています。
 よく人生は、山登りに例えられます。
私は、氣のエネルギーというものが、生まれてから死ぬまでの間に、下から上へ富士山の稜線のように増えて行くものだと考えています。
ただ順調に増えるのではなく、いろいろな問題に直面して悩み、苦しみ、時には体調を崩して一時的に氣が落ちるのですが、そこから気づいたり、回復して、前よりも氣のエネルギーが上がる…そうやって上がったり、下がったりを繰り返しながらジグザグに、少しずつ上がっていくのです。
私は、真氣光のエネルギーを受けることによって、そのピッチが上がると言っています。
真氣光をやっていても、時には直面する問題に悩み、体調を崩すこともありますが、宇宙からのエネルギーを取り入れることで早めにクリアできるのです。
 私も、いろいろな問題に直面しましたが、真氣光のお蔭で、これも何か意味があることかもしれないと、気持ちを大きく落とすことなく、前向きに乗り越えられてきました。
つまり、早めにクリアし、次に進むことができたのでしょう。
そうやって、頂上という死に向かって氣のエネルギーを大きく増やしながら、最後はどんな思いが湧いてくるのか?…出来れば希望を胸に光のほうに進みたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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人にはそれぞれの輝きがある

 氣は、誰もが持っている、目には見えないけれど、光のようなものだと、私はお話ししています。
光が強くなり、眩しいように光ると、それは輝くということになります。
私は、氣の観点から、この「輝き」に着目していますので、きょうはその話をしましょう。
輝きについて考えてみると、例えば停電などで部屋が真っ暗な時には、豆電球でも眩しいように感じますし、それまで暗かった電球が僅かに明るくなっても輝きですから、輝きとは絶対的な光の強さではなく、周りや、それまでの状態との相対的な話だと思うのです。
 氣は、波動的な性質があって、似たような氣のものは集まり易いという性質がありますから、暗いものは、より暗くなったり、どんどん大きく拡がったりする傾向があります。
その中で、少しでも光があるもの、相対的に明るいものを探して輝きを見つけること、つまり相対的に良いところを見つけることは、氣を高めるためのポイントになると言えます。
 氣の光が増えるということは、体が良くなったり、心が明るくなったりというように、氣と体と心は強い関係があります。
ですから、いつも胃の調子が悪かった人が、ほんの少しでも調子の良い日が見つけられれば、それは「氣の輝き」に関係することになりますから、大いに感謝して、心をプラスにすると、さらに「氣の輝き」が増えるというわけです。
さらには、胃の調子は悪くても、腸や肝臓など周りの内臓が元気な状態であれば、それに感謝できます。
また、いつも心配ばかりしている人が、少しでもそれが気にならなくなったら、それは「輝き」ですし、怒りやイライラなど他のマイナス的な感情に浸ることなく、いつも感謝の生活ができていれば、それも「輝き」と言えるでしょう。
そうやって、まずは他の人と比較することなく、自分自身の「輝き」を見つけることです。
 さらには、自分ばかりではなく他の人にも、これが適用できます。
いつも怒ってばかりいた人が、少しでも穏やかになったなら、この「輝き」をしっかりと認め、いいとこ探しができると自分自身の「輝き」にもなりますし、子どもさんに対して、不得意な教科はあるけれど、何か得意なものが発見できれば、それは親子の「輝き」に繋がります。
 また、この「氣の輝き」には、たくさんのプラスの氣が関係していますし、真氣光のエネルギーも応援してくれていますので、それらにも感謝する毎日を送りたいものです。
 マイナスの氣に気がついてプラスに変えていくことは大切なことですが、プラス(光)の部分をより強くしていくことも、とても大事です。
それには「輝き」を見つけることだと思うのです。
(中川 雅仁)
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体にプラスの氣を送る

 少しずつ寒くなってきて、上着を着る季節になりました。
私は、自分のお腹の出っ張り具合が目に入りにくくなることで、つい悪い姿勢になったり、貯めてしまった脂肪に意識が向きにくくなる自分を発見しました。
氣の観点からも、体を意識することは、とても良いことで、時々目にする「結果にコミットする…」の宣伝も良い刺激になります。
今ではフィットネス、ストレッチ、ヨガ、くびれを作るための体操…、体にアプローチするための多種多様な方法が紹介され、多くの人の意識が心身の健康に向くようになっています。
私は、そこに氣という観点も加えて貰えたらいいなぁと思っています。
 真氣光研修講座では、ヨガの第一人者・龍村修先生の指導の下、1990年の開講時から今も変わらずにヨガを取り入れています。
これは、氣と体と心の三つの要素が密接に関係し合っているので、良い氣をただ外から取り入れるばかりではなく、体をとおして心つまり意識や精神性を向上させていくことで、よりいっそう氣の高まりが早くなるということからなのです。
 例えば、普段私たちは自分の意思で体を動かしているから分かり難いのですが、体と心は別物です。
内臓などは意識することなく動いてくれていますし、病気や怪我をすれば動かそうと意識しても動かないことがあるのです。
ですから、食べ過ぎ、飲み過ぎ、食後の一服…ゲーム、スマホ…等々、心では気持ち良さや喜びを感じていることも、内臓をはじめとする体は迷惑と感じていることが多々あるでしょうし、せっかく備わってくれている筋肉なども、ちゃんと使ってあげることなく退化させ、使えないようにしてしまうのです。
つまり、体に対して労りや感謝するなどのプラスの氣を与える氣遣いを忘れ、痛くなったり動かなくなっても、「なんで…」と、つい文句を言ったり、落ち込んだりしてマイナスの氣を引き寄せてしまいます。
 私は、年齢が進み体の機能が落ちることで次第に悪い習慣に気がついて反省し、感謝など心が放つプラスの氣を向けられるようになりました。
しかし、今までの蓄積もありますし、まだまだマイナスの氣の影響を受け易くしている部分もありますので、そのような所にも真氣光を利用してプラスの氣を向けると良いと考えています。
体の中の氣は、均一な状態ではなく、氣の滞りと呼ばれるような、外界からのマイナスの氣の影響によって暗くなり、コリや痛み・違和感を感じるようになっているので、ヘッドを当てたり手に持ったり、氣グッズを利用し、できるだけ対象を絞って、そのようなところに氣の光を集中させるイメージをするとよいのです。
ぜひ、お試しください。
(中川 雅仁)
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自分自身の高みを目指そう

 今週は火曜日に京都での真氣光研修講座が終わりました。
京都という古の都での開催ですから、たくさんのご縁ある方々に真氣光の光が届いたことと思います。
ところで研修中、既に何回も研修に来てくれている九州在住の方から、ある質問をいただきました。
私は、洗心の為の指標について、毎回の研修講座で説明していますが、珍しくその時に出た質問です。
指標の中の「マイナスの氣を引き寄せやすい心」は「憎しみ、妬み嫉み羨み、呪い・・」と続くのですが、「妬み(ねたみ)と嫉み(そねみ)」の違いは何ですか?という質問でした。
私は、会長になったばかりの頃にも似たような質問を受けたことがあったので調べたことがありました。
これらの言葉、嫉妬ということですが、「羨ましくて憎らしい」と相手にマイナスの気持ちを向けるのが「妬み」、「羨ましくて悔しい」と自分にマイナスの気持ちを向けるのが「嫉み」ということでした。
ですから「妬み」なら相手の足を引っ張るなどの行為をするでしょうし、「嫉み」なら自分が落ち込んでヤケ酒に繋がることもあるでしょう。
 私がその時、この指標について興味を持ったのは、それぞれの言葉の意味よりも、「妬み嫉み羨み」と嫉妬に関することを三つも項目を分けて上げている点です。
これについて私は、そのような気持ちを持って体を失い、マイナスの氣になってしまった人が数多く存在していて、それを引き寄せないように重いものから細かく分類しているのだと考えています。
今回の京都という地には、権力者や権威者、羨望の眼差しで見られる人が多く居たことでしょう。
その人達もマイナスの氣を受けるのですが、もっと多くの周りの人が魂の輝きを失いマイナスの氣となって苦しんでいるわけです。
 私たちは、つい自分の足りない所を他人と比較して「羨ましいなぁー」と思ってしまいます。
神様が与えてくれたのですから、本来なら人と比較する必要はなく、自分は自分の置かれた環境で精一杯努力し、たくさんの「いいとこ」を探していくしかありません。
「羨ましい」と感じたら、自分が何をしなければいけないのかを具体的に考え行動していく、きっかけにすることです。
 今年最後の11月の研修講座は、日本一の富士山での開催です。
他と比較して自分を不幸と思っているマイナスの氣も、既に私たちを見守っているプラスの氣も、現状に囚われることなく、自分自身の頂点・高みを目指し、さらなる飛躍を遂げて欲しいと願っています。
また、そのような応援が受けられるよう、皆さんのご参加をお待ちしております。
(中川 雅仁)
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真氣光で自分に自信を!

 誰かのせいで、自分の気持ちが嫌な気分になったり、落ち込んだりすることがあります。
以前、研修講座で「職場に居るある人から自分は嫌われていて、いろいろ言われて落ち込むし、その人とすれ違うだけで、自分は暗くなってしまうのですが、どうしたら良いでしょう」と相談を受けたことがあります。
私は「自分のところにあるマイナスの氣が、相手の方のマイナスの氣と同調して起きる現象で、相手を変えるのは時間がかかるので、まず自分が、自分のマイナスの氣の影響を受けないようにしっかりと氣を受けること。
すれ違った時に落ち込まされるようでは、マイナスの氣の思うツボで、それに負けないよう笑っていることだ」とアドバイスしました。
笑っていることは難しくても、氣を受け、マイナスの氣に負けないようにする努力が、強い自分を作ることになり、やがてはマイナスの影響を少なくできるのです。
 私は、サラリーマン時代、マイナスの氣の影響をたくさん受け、ストレスで調子を崩してしまいました。
当時の私の上司は厳しく、仕事が順調に進まないと、自分のノートをバーンと机に叩き付け、「何やってんだー」とフロアー中に響き渡る大きな声で怒鳴る人でした。
私は、ビビってしまって、何も考えられなくなり、ただ縮こまってしまうばかりで、私のマイナスな気持ちがマイナスの氣を集めてしまっていたのです。
真氣光研修講座を受講してから、氣を受ける習慣とともに、人や周りのせいにするのではなく、自分がどう変わったら良いのかを考えられるようになりました。
まず、なぜ自分は萎縮してしまうのか?何が恐いのか?何が悪かったのか?自分の正当性を明確にするよう考えました。
そして、ただ命令された仕事をこなすだけではなく、目的をよく考え、自分の理解を深め、技術的な議論ができるよう様々な工夫をしたのです。
すると、だんだん心に余裕がでて、大きな声に負けなくなりました。
逆に相手の気持ちがよくわかるようになって「そろそろ爆発するぞ、そうしたらこんな風に議論を展開しよう」と、先が読めるようになったのです。
いつの間にか、しっかり考えられるようになり、自分に自信がついていたのです。
良く考えれば、上司は一生懸命、私たち部下のために、休日も返上し自分の時間を割いてくれていました。
ですから、ただ私は上司の掌で踊らされていたのかもしれません。
このことで私は、何事も自分が変わるために起きることであって、周りにばかり目が向いていると、それに気がつけないし自分も変われないということを確信できたのです。
本当に良い上司にめぐり会ったもので、今は唯々感謝しかありません。
(中川 雅仁)
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良い氣を持って接する

 月曜日までの熊本での真氣光研修講座では、夫婦、親子、祖母と孫など家族で受講してくれた方も、多くいらっしゃいました。
家族も研修講座を受講して氣のことを知っていると、とても良いことがあります。
それは、誰かがマイナスの氣の影響を強く受けていても、周りがプラスの氣を持って接することができることで、マイナスの氣の付け入る隙が次第に無くなり、事態は自ずと改善の方向に進みやすくなるからです。
 研修講座では、「何か良いことを探して発表してみよう」という、氣づきの時間(いいとこ探し)という行法をやっていますが、これは悪い出来事もそこから気づいたり学べると、それは良いことになりますから、どんなことでも良いこととして捉え発表する、つまりプラスの氣を周りにお分けしようというものです。
さらには、発表を聞いている周りの人が、どんなに悪いことを聞いても、それから学べたり気づけるということであれば、それは良いことになりますから、結局は周りの人の捉え方次第で、どんなことを発表しても良いことになるのです。
 私は、この良い氣(プラスの氣)を持って話を聞けるかどうか、人と接することができるかどうかということも、大事なことだと思っています。
それは、家族の誰かが、あるいは家族以外の人でも同様に、一時的にマイナスの氣の影響を受け、それに引っ張られてしまっても、自分の心掛け次第で、そこに邪魔をするように作用する氣の影響を小さくしていけるからです。
 そしてもう一つ、もしも自分がプラスの気持ちを持って接することができない時には、それは意味のあることで、何かに気づいて変わらなければいけない時ともいえるのです。
例えば、その人の話は聞きたくない・会うのが嫌だ、苦手だ、面倒臭い、聞くのが辛い、相手を咎めてしまう、大きな声が恐い、等々、人の話を聞いている時や接している時に、マイナスの感情が浮かび上がって来たとしましょう。
それは、自分の何処かにあるマイナスの氣の影響ですから、それをいま感じているということに意味を見出し、そこから自分はどうすればよいのかを考え、プラスの方向に進む決心をして、自分を変えるよう行動していくことです。
このように、話をするばかりではなく、話を聞く、人と接するということからも、多くの氣づきや学びがあるものです。
自分のほうに心の余裕が無ければ、なかなか出来ないことですので、日頃から真氣光のエネルギーをたくさん受けて、氣を充電し、どんなマイナスな出来事をも、一つひとつ良いことにしていくように心掛けることなのです。
(中川 雅仁)
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