明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。一月も3分の1が過ぎましたが、今年初めての真氣光ニュースですので、ご挨拶させていただきました。私は今月すでに、会長セッションで大阪、名古屋、仙台のセンターを周り、今週末からいよいよ“つくばみらい市での研修講座”が始まりますので、それに向けて準備をしているところです。皆さん、この年末年始は、どのようにして過ごされたでしょうか。主婦の方の中には、忙しかったという方、あるいは十分休息し体調を整えたという方もいらっしゃることでしょう。私が会長セッションでお会いした皆さんは、いろいろな事が良い方向に進んでいる人が多かったようです。年が変わり真氣光のエネルギーそのものが、より一層高まっているように感じました。私は、日頃出来ない仕事を年末ぎりぎりまでやっていましたが、年始は真氣光を十分に受ける時間がとれ、ゆっくり過ごす事ができました。今年はたくさんやりたい事があり、いろいろ決意した次第です。前々からやりたくてもできなかった事が、年が変わる事でできるような氣になるという事があるものです。このような場合、ご先祖様や守護霊さん、さらにはご縁のある見えない存在からのいろいろな応援もあっての事だと思うのです。「来年は良い年にしよう」と思いながら頑張って来たのは、私たちばかりではありません。このような見えない“氣の存在”の方々のほうが、もしかすると強く念じていたのかもしれないのです。そのような気持ちを受けて、年頭に決意や決心ができるという事は、とても良い事でしょう。前述の年頭の話ではないのですが、先日また決意が増えました。(笑)夫婦でイタリアンレストランに入ったのですが、ランチの時間でとても混んでいて30分程待ちました。私はすっかりお腹が空いて、それに氣を取られたのか、知らないうちに言葉少なになり、ぶっきらぼうになっていたのです。妻が「そんなに怒ったような口調でオーダーしなくてもいいんじゃない?」と一言。別に怒っていたわけではないのですが、「ニコニコ笑っていたわけでもなかったかな」と考えていると、パスタが運ばれて来ました。食べていると妻が笑いながら、具に入っている蟹の量が随分違うと言うのです。偶然でしょうが私の皿にはそれらしきモノが見あたりません。すっかり反省しました。身体的にマイナスの状態にあるときには、心もマイナスに傾きやすくなります。そのような時こそ「心に余裕を」微笑みが重要です。簡単そうな事ですが、なかなか難しい課題です。
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うまく出来ているとしか、いいようがない
こうやって毎週上手でもない文章を書いているのですが、たくさんの方が楽しみにしてくれている事は、本当に有り難いことです。
「会長さん、毎週大変ですね」と暖かい言葉をかけてくれる方もいます。
このFAXニュースはウチの社長が「是非やりましょう」ということで始まったのですが、話が持ち上がった時は、自分でも毎週書けるかどうか疑問だったのです。
時間がたくさんあれば良いのですが、私の場合地方に行ってしまうと何日も帰らないということがあるので、一瞬「無理かな」と思えたのです。
しかし常日頃から「やってみなければ何も氣づけない」と言っている手前、舞い込んできた話を断るわけにもいかず「無理をせずにやってみましょう」ということになったのでした。
実際やり始めると、けっこう楽しんでいる自分が発見できました。
もっと良いことは自分の考えが書くことで整理できることです(締め切りが無ければもっと楽しいのですが・・)。
以前勤めていた会社では定期的に研究報告書や論文などの執筆があったのですが、とても苦痛でした。
今は小さなパソコンを購入して、旅先でポチポチ打ったりしています。
私は小さい頃、暗くなるまで体を使って外で遊んでいた子供でしたが、小学4年生の時に転機があったのです。
当時、小学校高学年では必修クラブという時間が週に1時間あり、皆好きなものを選択するのです。
私は野球とか、バスケットボールを希望しましたが、まさか入ることはあるまいと軽い気持ちで第3希望に読書クラブと書いたのです。
そうしたところ、どこも定員一杯で見事<読書>をすることになってしまったのです。
このクラブは、好きな本を読んで良いのですが、読んだ本は必ず原稿用紙に感想文を書かなければならないのです。
さらに、最初の日教室に行ってびっくりしたのですが、30 人程の全員が女子生徒で先生までが女性だったのです。
当時、赤面恐怖症で女性に弱かった私にとって、この1時間はとても苦痛なものになりました。
一言も話すことなく、ひたすら図書室の本に集中せざるを得なかったのです。
おかげさまで、文字を書くことにも慣れたのかもしれません。
当時は考えにも及びませんでしたが、やはりどんなことにも意味があるのですね。
(中川雅仁)
蕎麦屋の役割
私が会長になって間もない頃だったから、もう3年ほど前になるだろうか。
北海道の道東を旅行したことがある。
小さな町だったが、蕎麦屋があったので入ってみた。
私は父に似てか、蕎麦が大好物である。
店に入って、メニューをみると、見事に蕎麦しかない。
蕎麦屋に入ったのだから当たり前といえば当たり前だが、我が家の近所の蕎麦屋は、ご飯ものがあったり、うどんもあったり、ある程度メニューのバリエーションがある。
一方、この蕎麦屋は、ざる、もり、天ぷら、蕎麦掻き等々、確かに蕎麦の食べ方の種類は多いが、「こんな小さな町でよく蕎麦だけでやっているなあ」と、感心してしまうほどだ。
食べてみて、蕎麦の旨さに「なるほど」と思った。
ご主人によると、その店は老舗らしく昔から変わることなく、素材から蕎麦の旨さを引き出すよう今もなお追求しているらしい。
食べながら、こういう店があるから飽食の時代にも蕎麦が無くならないのだと、嬉しくなった。
私は別にラーメンやうどん等、たくさんの麺類をやっている店が悪いと言っているのではない。
例えば、蕎麦を知らない人は蕎麦屋が何か分からないから、入りにくいかもしれない。
その点、ファミリーレストランなら、メニューなどで目について蕎麦を知らなくても食べる機会ができるかもしれない。
それぞれに皆、役割があるのだと感じたのだ。
ふと私は、うちの会社もこの蕎麦屋のような役割かもしれないと思った。
似たような健康法や波動グッズがたくさんある中で、この会社が無くなれば、真氣光という蕎麦の旨さを広める店は地球上のどこにも存在しなくなる。
うちの場合、たった一軒しかない会社だから、その役割も大きい。
徹底的に蕎麦の旨さに絞り、つまり真氣光の良さをしっかり把握し、十分に引き出せるよう一生懸命努力をしなければならないのだ。
その時蕎麦を食べながら、会長である私から始まるのだから、まず真氣光という氣をしっかり受けなければと感じた。
(中川雅仁)