(34)姥捨て山

先日のリーダー研修講座でのことです。特にこの講座では真氣光の時間をたっぷりと取り入れ、氣を受けることによって自らが気づけるということを重視するように企画しています。講座も中日を過ぎたころだったと思います。氣を受けていた一人の女性が、苦しそうにしていました。私は、「何かマイナスの魂さんが出てきたのかなぁ」と思いながら、近づいて氣を送りました。苦しそうに唸りながら、身体を動かそうとするのです。どうも起きあがろうとしているようなので、「どうしたのですか?」と尋ねると、「杖はどこだ、帰らなくちゃならない」と辺りを手で探りながら、息も絶え絶えにやっと答えるのです。私は直感的に出てきているこの魂さんは老人で、山に捨てられたのだと思い、「山に置いてきぼりにされたのか」と聞くと「そうだ」と頷くのでした。力を振り絞って必死で身体を動かそうとする姿を見て、私は何も言えず一生懸命に氣を送りました。すると次第に、身体から力が抜けて少しずつ穏やかになり、最後には安堵の表情を浮かべ光の世界に逝かれたのでした。 私はかつて姥捨て山という昔話を聞いたことがあります。貧しさのあまり、食い扶持を減らすために親を山に捨ててくるという話です。当時は真氣光も知らない時でしたから、「昔の日本には、そんな事もあっただろうな」ぐらいの軽い感覚でしかなかったように思います。私が、あちらこちらで「歴史が苦手で…」と話していたところ、ある方が「飢餓と戦争の戦国を行く」(藤木久志著、朝日選書)という本を貸してくれました。本には11 世紀から16 世紀まで毎年のように日本のどこかで旱魃、水害など天災による飢饉や疫病、さらには度々勃発する戦争があり、私達の先祖がいかにたいへんな時代を生きて来たかが記されていました。真氣光によって、いろいろな魂さんに出会うことになり、少しずついろいろな人達の苦しみや悲しみが見えてきました。時代は変わり、今では日本は世界の中でもトップクラスの経済大国です。物は豊富になり餓死する人は居なくなりました。しかし、このような世の中になったのは、本当にたくさんの人達のかけがえのない一生があったからです。豊かになった生活の中にも、辛いことやマイナスの氣が絶えません。貧しい時代には生まれて来たくなかった人達の辛い気持ちは、マイナスの氣の連鎖として消えぬまま、まだまだ私達の周りに残っています。しかし一方で力強く生きてきた人達の応援が光となって、真氣光の光とともに私達にサンサンと降り注いでいるのです。