できることから、一つずつ

 私は、今週は火曜日から休暇をとりました。
月末月初は、大忙しのスケジュールだったので、久しぶりに旅行をと考えたのです。
月曜日にラジオの収録を済ませて家に帰ると、少々疲れを感じ、ずっと音氣をかけました。
夜10時の真氣光タイムが終わったところで、不覚にも明日の計画もせぬまま早々に寝てしまったのです。
気がつくと朝7時の真氣光の時間でした。
終わって、しばらくしましたが、どうも氣力が湧いてきません。
ボーっとしたまま「いろいろやりたいことがあったはずなのに…」等と考えながら、体を動かそうという気にもならないのです。
昨晩からしっかりと睡眠は取っていますから体の疲れというよりは、これは「マイナスの氣のせい」だと思い、さらに音氣で1時間ほど氣を受けました。
そのうちに空腹に気づいたのですが、出かける予定でしたから冷蔵庫には何もありません。
しかし、買いものに出て朝食を食べたあたりからエンジンがかかりだしました。
トイレに行きたくなり、用を足したら、ふと気になり便器掃除から床の掃除、ついでに居間も、そして拭き掃除まで、さらには洗濯もしたくなり、普段できないようなところにまで手を広げて……、それからはどんどん、できていなかった仕事を思いつき2日間、家に缶詰状態で、結局は充実した休み?となりました。
そして昨晩のこと、「本当は自然に浸りたかった…」と思いだし、今日の原稿は気になったのですが、朝早くから出かけようと決心して、いま富士山を眺めながら、この原稿を書いている次第です。

 図らずも、この次の「い氣い氣ラジオ」の内容は、氣力の話です。
私は、氣力とは氣のエネルギーのことだと思います。
マイナスの氣の影響を受けていると、氣力が湧かず、何もしたくなくなるものです。
真氣光を受けてマイナスの氣の影響を少なくすることはもちろんですが、何かできることをやろうとすることです。
私たちは、自分の意思で体を動かせることで、氣のエネルギーを増やせます。
生きていると、お腹も空きますし、生理現象もあります。
それは、意思で体を動かさなければならないということで、それをきっかけに、さらに何かできれば氣はもっと高まります。
さらにはできたことで、「よくやれた、その調子」と自分を褒めるのです。
何か食べて美味しいと感じたり、トイレに行ってスッキリ感を得たり、そこから「生きていて良かった」じゃないですが、感謝の気持ちにも繋がります。
そんなことは、体が無くなると全くできません。
いかようにでもマイナスをプラスにできる、そこが魂だけの存在と体を持つ私たちとの相違点です。
真氣光を利用すると、さらにそれが容易になるのです。