(19)「家]嫁ぐということ

 中川家という兄弟の漫才師がテレビに登場しておりました。「…家」とは、面白いネーミングです。ましてや中川とは、つい応援したくなるから不思議なものです。どこかご先祖の方で繋がりがあるのでしょうか。どちらかというと「中川」は、シンプルな名字ですから、あちらこちらに同じ名前の人がいてもおかしくはないでしょうが…。
 さて、我が家のご先祖の話ですが、私の4代前のご先祖が富山から北海道に移り住んだところまでは何とか辿れるのですが、もうその先になるとよくわかりません。唯一の手がかりとなるお墓も4代前からのものですから、その前はどんな人がいたのか皆目検討もつきません。そういう意味で、石に文字が刻まれ長い年月にも風化しにくい墓というものの価値を感じます。後々の子孫が墓の前で手を合わせてくれることは、多くの光をもたらしご先祖のよろこびになるのでしょうから。
 氣を受けて出てくる魂さんの中には、ご先祖のことを恨んでいるという事がよくあります。土地を取り上げられたとか、ひどい仕打ちをされたとか、たいていはご先祖とは他人、つまり違う「家」の人々の恨みをかっている場合です。しかし、同じ「家」つまり身内の中にも強い恨みや憎しみがあったのです。先日、氣を送っていると出て来られた方は、もう2百年あまり前に生きていた方でした。当時の日本は今以上に「家」と「血のつながり」を大事にしておりました。家督相続のため本家の血を絶やさないように、養子縁組等いろいろな工夫がなされた時代です。その結果、いろいろな悲劇が生まれました。つまり、そのとき強いマイナスとなって出てこられたのは、その「家」に嫁いで来たお嫁さんだったのです。話はこうです。本家筋の立派な「家」に嫁いだ彼女は、所詮は血のつながりのない嫁として、いじめられ肩身の狭い、悲しく辛い一生を送ることになったのです。自分の一生がそんな風になったのも、「家」というものがあったからと、死んでからその家系にマイナスの感情を抱くのです。少しでも自分の気持ちがわかって欲しくて、代々嫁いで来た人を自分のように寂しい思いにさせました。またその「家」が途絶えるよう、つまり男の子が育たないように等、マイナスの方向に引っ張ったのです。しかし彼女にも真氣光の光が届き、憎しみや悲しみが薄れていくと同時に、自分のしていた愚かさに氣づきました。自分が寂しいから他人も寂しくさせるのではなく、自分が辛い思いをしたからこそ辛い嫁の立場がよくわかり、本当の意味で力になれることに気がつくのです。最後に彼女は嬉しそうに「自分にできることがあった。光になって見守る」と言ったのでした。