今日から私は、アメリカ・ボストンと、ブラジル・リオデジャネイロに行って来ます。
アメリカには、20年以上前から毎年、セミナーに行っていたのですが、今回はそれに付け足して、ブラジルまで足をのばすことになりました。
昨年「ぜひ、リオに来て貰えないか」という話が持ち上がり、私も興味がありましたので、お受けした次第です。
先代は、1988年日系移民80周年という年に、在ブラジル北海道協会の依頼に応えて、ブラジルはサンパウロに行っています。
翌年も行っていますから、2年に渡って、ブラジル移民のために、ハイゲンキの治療指導会を開催しているのです。
そこで出会ったのが故セルソ・インファント・ビエイラというブラジル人医師でしたが、その方が沖ヨガを習得していたことから先代は沖ヨガ下田道場に行くことになり、現在まで続く龍村先生との真氣光研修講座開催ということに繋がるのです。
本当に縁とは不思議なものです。
ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、1908年以降の約100年間で13万人の日本人が移住し、現在は約160万人(ブラジルの総人口の約0.8%)の日系人が住むということです。
この移民政策の背景にあったのは、日露戦争だったようです。
日本は勝利したけれど賠償金を得られず経済は困窮し農村の貧しさが深刻化したところに、アメリカなどの国が日本人移民を制限したことから、政府は国策としてブラジルへの移民を推奨したと言います。
当時、日本人の多くは、永住ではなく「遠い国だけれどお金を得て日本に戻ろう」と考えていたようですが、その後第二次世界大戦に突入し、日本は敗戦国になってしまいました。
祖国の惨状を知るにつれ、日本に戻っても仕事があるとは思えず、「もうこれはブラジルで生きていくしかない」という覚悟が生まれたのだそうです。
移民の方々はたいへんな苦労をされたと聞いています。
以前に、私が氣を送っていると、「日本に帰りたい」と言う魂が出てきたことがありました。
辛い、苦しい生活の中、遠い異国の地で故郷を思いながら亡くなった方です。
日本に居る親戚や友人を懐かしむばかりではなく、畑や田んぼ、山々などの風景さえもが愛おしいようでした。
私は、一生懸命に氣を送りながら、「もう自由です。光のほうに行ってください」と言うと、喜びの涙を流しながら消えていかれました。
いつの時代も戦争は、膨大な悲劇を生むものです。
私は、今ある自由と平和に感謝すると共に、今回も縁ある皆様に、たくさんの真氣光を届けたいと思っています。
この出張の様子は、月刊ハイゲンキ8月号でもご紹介しますので、お楽しみに…。
(中川 雅仁)
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