私は、1992年に真氣光研修講座を受講して、初めて目には見えない氣の世界の存在を知り、いろいろな氣の中でも真氣光というものの重要性に気がつきました。
そこで、当時勤めていた会社に相談して、一年かけて仕事を整理し、このエスエーエスに入社したのです。
それが1993年の10月1日のことですから、その後2年2ヶ月ほどで先代が亡くなったということになります。
僅か2年少々の期間ですが、セミナーや研修講座に同行して先代の講義を頻繁に聞けたことは、私にはとても重要なことだったのです。
講義の中の一つに、「真氣光を宗教にしようと一時期考えたけれど、既に宗教に入っている人が、そちらをやめなければ入れないということになるので止めた」という話があります。
その時、私は何気なく聞いていましたが、これは先代の「宗教的な教えを伝える宗教法人ではなく、氣グッズや氣中継器・研修講座を販売・運営する株式会社として社会に貢献する」という凄い決断だったと思うのです。
これにより、生きている人も既に亡くなっている人も宗教などに関係なく、いろいろな人が真氣光のエネルギーを利用しやすくなりました。
そうして、一人ひとりが良い方向に変化し、真氣光の受け皿が大きくなるから、真氣光そのものの中継量が増すという良い循環が起こりやすくなったのです。
もともと氣というものは、プラスやマイナスの心に同調して、周りからプラスやマイナスの氣を引き寄せるという波動的な性質がありますから、これを語る上では、心や意識の話が不可欠となります。
そのようなことから真氣光を宗教的だと捉える人もいらっしゃるのですが、真氣光というプラスの氣のエネルギーは氣中継器や氣グッズから受けられ、どんなにマイナスの心の状態でも氣を受けようとすることで、これを吸収できるという特長があります。
ですから私は、「真氣光は便利な道具」という捉え方をしています。
道具ですから、使わなければ本来の意味がありません。
そしてハサミだって切り絵の達人のように上手く切れる人がいるのですから、氣中継器ハイゲンキや氣グッズも使い方を練習することで達人のようになれるのです。
自分で真氣光を受けたり、誰かに真氣光を送ったりする一回一回に、自分なりの工夫をすることで使いこなせるという感覚も湧くのだと思います。
この真氣光は便利な道具であり、私達は使いこなそうと一生懸命に工夫しているうちに、いろいろなことを学んだり気づいたりして、知らないうちに魂の輝きが増し、成長させられるということなのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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