何事もないことが有難い

 今週月曜日のことです。
10時からセッションが入っておりましたので、少々気が急いていたのでしょうか?朝一番に行った銀行に財布を忘れてきてしまいました。
忘れたというよりは、落としてきた?ようなのですが、銀行の待合椅子の上にあったというのです。
私は、銀行から家に電話が来るまで財布のことには全く気がつかず、電話が来た時には「本当に私の財布ですか?」なんてトンチンカンな返答をしていたのです。
よく調べると、やはり財布がないことがわかり、丁重にお礼を言って後で取りに伺ったのでした。
そんな体験をしていたところに、水曜日には大分で体験会とセッションがありました。
スタッフの八木君が「カードを無くしたと思って慌てて失効手続きをしたところ、銀行のATMに置いてきていたということが後で分かった」という話を、会員の皆さんに話しておりました。
どちらも大事な物の紛失です、共時性でしょうか。
聞くと、彼と同じ日に、同じ名前の銀行です。
私は、落としていた事に全く気がつかなかったのですが、彼は気がついたばかりに大変だったという話です。
どちらにも言えることは、もっと氣を付けましょうということでしょう。
大いに反省です。
 私の場合は、まったく気がついていなかったのですから心臓をドキドキさせることもなく、有難いことに良い方々のおかげで幸いにして事無きを得たのですが、もしかしたら、このような事は多々あるのかもしれないと再確認したのです。
つまり自分では全く認識せずに、周りの皆さん、その中にはプラスの氣もあり、それらのお蔭で何とか何事もなく過ごせているのではないかということです。
 私たちの周りには、どんな人にもプラスの氣とマイナスの氣が存在しています。
マイナスの氣は、自分の辛い気持ちを分かって欲しいということから、生きている人の邪魔をしたり、良くない現象を起こしたりします。
その影響で、ちょっとした隙に一見良くない出来事が起きるのですが、それを何とかしようとプラスの氣の応援があるものです。
「一見」と言ったのは、その良くない事から、気づくことがあったり、そこから学べることがあると、それはとても良いことに繋がるということだからです。
毎日が当たり前のように何事もなく過ぎていくのは、その蔭には、周りの人やプラスの氣のかなりの応援の結果ということです。
真氣光を受けることで、確実にその応援が強くなります。
何かがないとなかなか気がつけないことですが、感謝の気持ちを忘れずに過ごすことが大事ですね。
(中川 雅仁)
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