考えすぎてしまうときは

 私が氣を送っていると、氣を受けている人が、その人とは全く別の意識が出てきて話し出す人がいます。
以前、セッションで頭の痛い人に氣を送っていると、考えすぎるほど悩み苦しんでいたという、その人の御先祖様が出て来たことがあります。
話の口調や内容から家老職に就いていた武士のようで、お家のためにいろいろ考えていたのですが、良い案が思い付かず悩み苦しみながら亡くなったようです。
最初、その魂は苦しい辛いと言っていましたが、真氣光を受けるうちに、だんだん楽な気持ちになったのでしょう。
「光が見えて来た」と言って、いなくなったのでした。
氣を受けていたその人も、考えなければならない状況によく追い込まれたり、ちょっとしたことにも考え込んでしまうタイプだったようなのですが、御先祖様の影響がずいぶんあったのかもしれません。
 私たちは、よく心配事で悩み苦しむと「頭が痛い」「頭を痛める」という表現を使いますが、考えすぎると本当に頭が痛くなることがあるものです。
そこには、このような苦しんでエネルギーを失った魂の影響があるかもしれません。
逆に考えすぎる人は、そのような魂の影響を受けているかもしれないのです。
 まず、考えて良いことと、考えても仕方が無いこととを分けることです。
自分で考え、対策を立てて少しずつ行動することで、心配事は心配事ではなくなります。
私たちには、どんな人も見守ってくれている存在があり、彼らの応援を受けやすくするためにも、不安や心配と言ったマイナスの感情ではなく、「必ず解決策はある、何とかなる」というマイナスの氣に打ち勝つ強さをもって考えることです。
 そして、手は尽くしたけれど自分の力ではどうすることもできないことなどは、考えないことなのです。
しかし、考えても仕方がないと思っても、どうしても頭から離れなくなることがあるものです。
そのような時には、心配や不安を持ち、それを考えすぎるぐらい考えて亡くなってしまった人の思いが関係しているかもしれません。
それを解決するには、真氣光を受け、そのような魂の影響があるのかもしれないと意識してみることです。
自分に縁のある方に、そのように思い悩んで亡くなった人がいるかもしれませんし、たまたま自分が過去の辛い体験をしているときに同じ思いの魂を引き寄せてしまったのかもしれません。
考え込むのは自分の性格だと思って氣を受けていると届き難かった真氣光の光が、自分とは違う魂の存在を意識できることで届きやすくなり、スッと楽になることがあるものです。
(中川 雅仁)
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