すべての事には意味がある 2014

 昨日11日は、先代の命日でした。
1995年でしたから、もう19年を経過したということになります。
時間が過ぎるのは早いものです。
私にしてみると、「毎日いろいろなことに追われているうちに、もうそんなに経ったのか」という感じです。
1995年、3月に先代は一度倒れ、その後3ヶ月で仕事に復帰しました。
それから半年の間、「すべてのことには意味がある」、「自分が病気をしたことにも意味があった。そこから気づくことが大事だ」と言って全国を回りました。
手足が若干不自由でしたので、私も各地の会場に付いて行きましたが、どこででもそれを聞きましたので、すっかり頭の中にインプットされることになったのです。
まさか亡くなるとは思ってもみなかった先代が、再び倒れ帰らぬ人になったときには、皆茫然自失の状態でした。
しかしそんな時、私は先代の言葉が思い出されたのです。
それがあったから私が後を継ぐことになり、こうやって皆さんにお会いできていると言っても過言ではないのです。
 すべてのことには意味があると考えることで、人はとても辛い状況においても、それを乗り越えることができるのです。
そしてさらに何故、自分にとってそのような辛く苦しいことが起こっているのかと、少し冷静になって見てみると、全ては自分のために起きてくれているということがわかるでしょう。
このことに気づくか気づかないかによって、その時の心の状態が大きく変わってくるのです。
「自分だけ何故こんな目に遭わなければならないのだろう」と思ってばかりでは、一つも前に進めません。
そればかりか、心がマイナスに傾いて似たようなマイナスを、いろいろなところで引き寄せてしまうことになります。
そうなると、そのマイナスの思いからどんどん抜け出せなくなり、辛い状況と辛い自分の心が重なり合ってしまうことになるのです。
ですから、どんな辛い状況においても、まずいったんその状況を冷静に客観的に見てみることです、そんなの無理と思ってもやってみるのです。
そして、これは自分のために起きていることなのだと覚悟することです。
そうすることで、少しずつ自分が何をするべきかが分かってくるはずです。
自分のためになることなのだから、自分でどうすることが、より自分のためになるのかを考えるのです。
そして、できることを一つずつやってみるのです。
それができると自分の心や気持ちが前向きに変わっていることに気づけるでしょう。
それと同時に、いろいろな自分にとって必要な氣づきが起こってくるでしょう。
人に与えられている時間は無限ではありません。
是非無駄に過ごすことのないようにしたいものです。
(中川 雅仁)
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