「人を愛す」とは

私が、この株式会社エス・エー・エスに入社したのが、ちょうど15年前の‘93 年10月1日です。入社後しばらくは、先代が各地でやっていた体験会やセミナー、当時下田でやっていた研修講座の裏方スタッフをやりました。先代や関先生に同行してヨーロッパにも行きました。‘95年3月に先代は倒れ3ヶ月ほど入院していましたので、先代が亡くなる‘95 年12月まで実質2年ほどですが、先代の話を直に聞いて真氣光が勉強できました。当時そんなに早く亡くなるとは夢にも思っていませんでしたが、今思えばこの2年という時間は貴重で、前の会社も居心地が良かったものですから、もう少し長居していたらどうなっていたのだろうと思うと、やはり神計らいのような気がします。考えてみると、偶然のようにして教えられていることが多々ありましたが、先代が亡くなる直前によく言っていた「意味の無いことは起こらない」ということですから、すべて意味のあることだったんでしょう。ただ、先代がよくサインに使っていた言葉「神を信じ人を愛す」については、「良い言葉だけれど、どうして思いついたのか?」という私の問いに「ふと、ひらめいた」との答えだったので、それ以上詳しく聞かなかったことを後になって後悔したものでした。しかし私は会長になってから、「すべては私たちを成長させてくれるために宇宙が用意しているのだから、それを信じよう」という「神を信じ・・・」の意味がよくわかるようになったおかげで、大きなストレスも無く今までやってこれたのだと思います。
ところで「人を愛す」については、どんな人にも「愛」というプラスの氣を送ることだと理解して来ましたが、どうも今一つよく分かりませんでした。たとえば隣のおじさんに対しても「愛す」のか?など、どうも愛という言葉について馴染まない感じがしていたのです。そんなところに氣を受けていたら宇宙から「あなたたちの言葉では敬愛という言葉が当てはまる」と教えてくれたのでした。尊敬して親しみの気持をもつことという意味ですが、これならよく分かるのです。たとえばどんな人にも自分には真似のできないことや体験がありますから、素晴らしいと思うところは見つけられるわけで、それは敬愛の心です。誰もがお互いに、それぞれの輝いているところを認め尊重しあえること、これはいいとこ探しにも通じます。月刊ハイゲンキ11月号の真氣光教室で、また今度の真氣光レッスンでもこの敬愛について少しお話ししたいと思います。