(5)魂について考える1

 最近テレビで霊的な能力を持った人が、ある人に憑依している霊を霊視し除霊している番組を観ました。この場合、霊視できる人は、普通の人ではありません。特殊な能力とでも言いましょうか? その人は、霊と呼ばれる魂がなぜここで苦しんでいるかを霊視して、その人から出て行くよう呪文のようなものを唱え除霊をしていました。除霊ということについては、後ほど詳しくお話することにしますが、この番組では霊などというものは存在しないということではなくて、霊というものが存在していて、その結果こんな現象が生じているという内容でした。霊の存在を否定していないところに好感がもてましたが、「視聴者の怖いもの見たさ」を狙った興味本位の部分があり、さらには霊という見えないものを扱っているだけにどういう風にも解釈する点が気になりました。また対策ですが、よくわからないものだから宗教家や霊的な能力を持った人にお任せしてしまい、関わった本人への学びが少なくなっていることです。良くわからないから、いつも誰かにお任せでは一向に成長がありません。霊的な現象が生じるにも理由があるでしょう。ただ取り除くのではなく、そこから何かを学ぼうとすることによって、本当の解決に結びつくと思うのです。では、どうすればよいのでしょうか?
 よくわからないものに対するアプローチとして、まずそれが起こるメカニズムを推測し、いろいろな現象に当てはめてみて、その推測に矛盾がないか確認してみるということです。そして、矛盾なく説明ができるようであれば、その時点ではその推測が正しいものに近いと言えるでしょう。さらに、そのような現象が起こるメカニズムが解れば、特別な能力を持つ人ばかりでなく誰にでもできる可能性があるということになるでしょう。私はいろいろな魂たちに会ってきた経験から、今のところはこれが正しいのではないかと思っている仮説があります。それを少し説明しましょう。
 まず、魂は自分の身体が有る無いに関わらず、意識を持ったエネルギー体だということです。そして、その意識のレベルによりその魂の状態、つまりエネルギー量が大きいか小さいかが決まるようなのです。意識のレベルとは、宇宙的に調和のとれた心にどれだけ近づいているかということです。前回お話した、自分の心が苦悩で一杯という状態では、魂のエネルギー状態は低くなっていると言わざるを得ません。そしてプラスやマイナスの状態に関わらず個々の魂は、周りの他の魂にエネルギーをあげたり、もらったりしているようなのです。〈つづく〉

(4)わかって欲しい

 真氣光を受けていて、その人ではない全く違う魂が話を始める場合、一番多いのは痛みや悲しみ、苦しみなどを訴える症状です。氣を受けている本人は意識がはっきりしていて、何故こんなに苦しくなるのかと思いながらも、どんどんマイナスの症状が出てくることもあります。私が推測するに、その時現れている魂は、「どんなに辛いのか」という自分の今の状態を、わかって欲しいのです。マイナスに心が傾いた魂には、光がありません。つまり、真っ暗闇の中にいるのですから、自分しかわかりません。他にもっと辛い体験をして苦しんでいる人が居たとしても、それを見ることができないのです。ですから、「何故自分だけが、こんな目に遭わなくてはならないのか」「こんなに苦しんでいるのは自分だけだ」と、自分一人でどんどんマイナスの方に考えてしまいます。
 このような魂は、辛い状態で自分が存在していることを誰かにわかって欲しくて、似たような気持ちを持つ人や子孫の誰か、あるいは何かご縁のある方に、同じような病気や体験をさせてしまうことがあるのです。
 しかし、生きている我々でも経験することですが、誰かにそれをわかってもらえたと感じた時は、何か救われた気持ちがするものです。意識の同調(共鳴)作用が働き、線で両者が結ばれる状態になり、相手からプラスのエネルギーが入り込むのです。しかし、与えられるプラスのエネルギーが足りないと、与えている方もエネルギー不足になり、共倒れになります。
 例えば、胸が痛く苦しんで亡くなった魂がそれをわかって欲しくて、誰か子孫のところに現れたとしましょう。その人も胸が痛み、嫌と言うほどその先祖(実際には先祖か誰かは分からない場合が多い)の苦しみがわかったとします。しかし、それでは共鳴状態のままであり、すぐに身体をもっている側はエネルギー不足に陥ってしまいます。そこで、ハイゲンキなどで真氣光のエネルギーを外から自分自身の魂に充電し、ご縁があった魂に光をお分けして、光の世界に旅立ってもらうことが必要なのです。

(3)氣による反応

 真氣光を送っていると、氣を受けている人とは全く違った人格が出てきて、話し始める事があります。つまり、その人ではない、違う魂が話をしていると考えないと、どうにも説明がつかない現象です。そのような場合一番多いのは、痛い・苦しいなどの苦痛を訴える魂です。氣を受けている人が本当に苦しくなってくる場合もありますし、苦しがりながら冷静に自分を見られる場合もあります。後者の場合は、ちょっと不思議な感じがするかもしれません。痛い・苦しいと訴えながら、自分の心の中では「何でこんな事をしているんだろう」とか、声に出している言葉と反対に、何故か気持ちよい感じがするようなのです。
 どちらの場合も、真氣光を受けていくうちに一時的にどんどん辛くなっていき、訴えもエスカレートしてきます。別人格の魂が浮いてきて、表面化してくるという段階です。その後、咳や涙、あくびやげっぷなどが出てくることがあります。このような症状がでてくると、だんだん苦しい感じは次第に薄れていきます。これは最初、外から入ってくる真氣光の波動と、そこにいる魂の波動があまりに違うために起こるのではないかと考えられます。
 例えば、私たちも暗い部屋に居ながら突然すごく明るいライトで照らされると、眩しさと共に、これから何があるのかと不安で恐ろしく思えるでしょう。しかし、だんだんその明るさにも慣れ、自分がどのような状況にあるか認識し、次第に心地よく思えてくるのと似ています。魂にとっても同じような感じで、だんだん光のエネルギーが入っていくと自分自身が楽になると共に、同じように存在していた他の魂も急速にエネルギーを得て昇華していくのです。
 その時に、身体の中からマイナスの氣を外に出す反応として、咳等が出るようです。そして、たいてい魂達は光が見えてきたと言います。痛みや苦しさが取れていき、周りがだんだんと明るくなるのです。軽く、暖かく、そして気持ちよい感じがしてくることもあるようです。そうなると、以前の苦しみから解放された歓びから、自然に有り難いという感謝の気持ちに変わります。自分が違う人の身体を一時的にも苦しめ、そして楽になれたことから、申し訳ないという感情が出てくることもあります。また、真氣光という光のエネルギーに対して、有り難いと思えたりするのです。さらには、自分がこんなに楽になったのだから、他の人にもこの歓びを伝えたいと思う魂もあります。つまり、真氣光のエネルギーにより、自分の苦痛という狭い部分しか見えなかった心が、より広い目で見られる心に変わるのです。

(2)はじめに

真氣光を受けて特に何も感じない人もいますが、中には気持ちがよくなる、眠くなる、有り難い感じがする等のプラスの反応が出る人、涙が出る、あくびが出る、咳が出る、苦しくなる、痛くなる、声が出る、悲しくなる、イライラする等のマイナスの反応が出る人がいます。最初は特に何も感じなくても、真氣光を継続的に受けているうちに、次第にプラスの反応やマイナスの反応が出てくる人が多いようです。仮にマイナスの反応が出てきた人も、それは一時的なもので、さらに氣を受けるうちに必ずプラスの反応に変わっていきます。
 なぜ氣を受けているうちに、自分の気持ちとは関係のない反応や気持ちが出てくるのか? よく考えると普段の生活の中にも似たような現象があります。例えば、カッとして言いたくないことまで言ってしまったとか、泣いている人を見て自分まで悲しくなるとか。ふと、とんでもない事を思いつくとか。私たちは多かれ少なかれ、自分とは違う気持ちを持った何か別の意識体の影響を必ず受けているのではないかと、私は推測しています。それが魂です。身体とは別のものですから、身体が無くなってもそれは単独で存在します。 これまで亡くなった人は相当な数に上りますから、生きている私たちの周りには、既に身体を失った魂がたくさん存在していることになるわけです。
 そのように言うと、「取り憑かれたらどうしよう?」と、怖く不安に思う人がいるようです。よく聞いてみると、「悪霊ならば怖い」とのことですが、「守護霊なら歓迎する」ということのようですが……。一口に魂と言っても、生きている我々も千差万別ですから、亡くなった人もいろいろな気持ちを持っていると考えた方がよいでしょう。恨んでいる人もいれば、有り難く思っている人もいるし、死んだことを嘆いている人もいれば、未知の世界への旅立ちを前に希望にもえている人もいるのではないでしょうか? さらには人の心は、一時的には忘れていても心の深い奥底には温かいものが必ずあり、それは亡くなった人も同じだということです。
 氣を受けることにより、マイナスの反応が出ていてもやがてプラスの反応に変わるということは、真氣光というエネルギーが魂に届き気持ちが変わったと考えてよいでしょう。
魂にもいろいろな状態があり、そのエネルギーが増えていく過程で、その魂の気持ちが表面化して我々の意識下に出てくるようです。ですから、マイナスに傾いていた魂は、一時的にマイナスの反応を強く出すことがあるのですが、それもやがてプラスの反応に変わるのです。

(1)たましいの話を連載するにあたって

 魂(たましい)という言葉を岩波国語辞典で調べてみると、「身体に宿って心の働きをつかさどるとされるもの。古来、肉体 から独立したものと考えられた。」とあります。意味からすると、「心の働きをつかさどる」という、とても重要なものです。しかし、意味の最後の部分「とされるもの」という言が、単にその存在は一説であって、「医学や科学が発達した現在の世の中では必要がないものだ」ということを表現しているかのようです。
 しかし何故、昔からこの言葉があるのでしょうか。どこの国にも、同じ意味をもつ言葉が存在するのはどうしてなのでしょう。日常の生活では使う言葉な
のに、私自身、学生時代に深く教えてもらった経験はありません。もしかしたら昔から人にはとても重要なものなのに、宗教的ということや、よくわからな
いからということで、だんだんそれについて触れたり考えなくなってしまったのではないでしょうか。私には、現代の生活で生じるいろいろな不具合が、こ
のことををよく知らないために生じているような気がしてなりません。
 職業上、私はあちらこちらでいろいろな人に氣を送っていますが、中には氣を受けると自分の意識とは無関係に泣きたくなったり、苦しくなったり、話を
始める人たちがいます。そのような人たちが口を揃えて言うことは、自分の意識はしっかりしていて、「何故、意味不明な言葉が自分の口から出るのかわからない」ということなのです。
 そのような人たちの話を総合すると、魂という何か違う意識体があり、それが出てきて、その人の口や体を使っているとしか考えられないのです。そうい
うものを信じない方には、それは本人の過去の体験がもたらす潜在意識や妄想、さらには幻聴幻覚の類だと言われるかもしれません。それらを妄想の類として片づけることは容易にできますが、その魂らしきもの達の話を聞き、理解しようとすることにより、私は多くの事を学びました。魂の有無を議論しても、真実は死んでみないとわかりません。信じないという方も、体がある私たちにはちょっと考えられない、体の無い側からの視点も参考にしてほしいのです。
 さらに、信じている方には、私が出会ったいろいろな魂の思いをもっと深く知ってもらうことが、自らの魂に磨きをかけるための参考になると思うのです。そんなわけで、不定期に連載を組もうと思います。私の思いつくままに、「たましいの話」をするつもりです。〈つづく〉

(19)自分自身を変えていく

 先日、「会長には嫌な人、合わない人はいないのですか」とお便りいただきました。私の場合、職場に上司や同僚がいるわけでもなく、逆にスタッフは私の事をいろいろ考えてくれるという特殊(?)な立場ですから、一般的ではないかもしれません。ですから、マイナスの感情が出るという悩みよりも、「分かって(気づいて)くれるには、私がどう努力すればよいのか」というのが悩みでしょうか。 私は、「真氣光を利用して、まず自分自身を変えることが必要です」と、よく言っています。それは当たり前の事のようですが、なかなか難しく、私たちは、つい人のせいにしてしまいます。「職場にとても自己中心的で嫌な人がいます」とか、「父がすごく頑固で、私は本当に嫌いなんです」といった相談です。そのようなマイナスの人は、たくさんのマイナスの氣を周りに出していて、その影響でマイナスの感情がたくさん浮かんでくるかもしれません。 しかし真氣光では、自分が変わるということをお薦めしています。まず、マイナスの感情を取り除き、それから冷静に自分ができることを見つけるのです。その人の嫌な面(マイナス)がとても気になるというのは、自分の中にその人が出すマイナスと同調するマイナスの氣を持っているからです。同じ人に接していても、マイナス因子を持っていない人は、あまり気になることもなく平静を保って生活できるものです。さらに、自分のマイナス因子が、相手のマイナスをあぶり出させるようになっていることも多いものです。つまり、自分の霊性を向上させ、マイナス因子を浄化して、気にならないようにするのです。一般に、自分にマイナスがあることや欠点があることを、きちんと把握できていないと、それを材料にして自分自身が向上することは難しいものです。自分は完璧だと思っている人には、成長はないのです。 そういうふうに考えると、周りにいる人は、自分の中にマイナスの因子があることを気づかせてくれる大事な人です。もしかすると、神という存在が、魂の向上のために、その人を身近に配置したのかもしれません。そのような場合、魂が向上してその人が気にならなくなった時、嫌な人がマイナスを出す理由もなくなるので、自然に嫌な人ではなくなってしまったりして、周りからいなくなるのです。つまり、すべては自分の発している氣により、周りの現象は起こっているということです。ですから、まずは真氣光を受けながら、自分の気持ちに浮かんでくるマイナスの気持ちに焦点を当て、「何故、嫌なのか?」を冷静に掘り下げて考えると良いでしょう。あまりマイナスの感情が気にならなくなったら、今度はその人の気づきのために、自分はどんな工夫ができるのかを考えるとよいのです。

(18)お祈り行法と遠隔真氣光

私たちは他の人の幸せを思い祈ると、プラスの氣が発せられ、それはもちろん相手に伝わるのです。私は、「病気が治りますように」と祈るよりは、「○○さんの魂が輝きますように」と祈るほうが「より自然なカタチです」と話しています。研修講座のお祈り行法では、祈りという人が出すプラスの氣に加えて、真氣光の強力なエネルギーを足し合わせて実習しています。真氣光を利用する、いわば遠隔真氣光になるわけですが、その方法に2つあります。1番目は、グッズやハイゲンキを使って物理的に氣を送る方法です。これは、真氣光を遠く離れた人に送りたいという方に、以前から説明していた方法ですが、グッズ(ピラミッド、水晶など)やハイゲンキを送りたい方の写真や名前(生年月日・住所なども)の上に置いて、そこからの光が送る人に届くようにするのです。2番目は、もっと意識的にイメージする方法です。まず、ハイゲンキやグッズからの光が自分にどんどん入ってきて、自分自身が光り輝くようイメージします。そして、今度はその光が、氣を送りたい方をもどんどん包み込んでいき、その方も一緒に輝くようにイメージするのです。まず自分が輝くという点で、この方法は少し難しいかもしれませんが、自分の中で増幅された光が、よりたくさん相手に伝わります。以上二つの方法を一緒にやれば、さらに良いでしょう。皆さんも遠く離れた家族や親戚、職場や身の周りの氣になる人に送りたいときに試してみてください。相手が氣が来るのを知っていると、より一層調子を合わせられ良いのですが、知らなくても結構届くものです。 

(17)真氣光は使うもの

毎回真氣光研修講座では、受講生の方々がそれぞれの氣づきを得て、家庭に戻ります。各々が、自分にちょうど良い氣づきを得るとは、すばらしいことです。当たり前に思えるかもしれませんが、一人一人の氣づきが違うということが、実はとっても重要なのです。講座で得られるのは、プラスのことには違いなくても、みんな違う氣づきであり、その人のその時にちょうど良い氣づきです。だから、しばらくすると、もっと違う思いがわいてくるかもしれませんし、一つの正解など無いのでしょう。ある人は肩の力を抜いて生きる必要があるかもしれませんし、ある人はもっとしっかり頑張って生きる方が良いかもしれないし、みんな違っていいのでしょう。以前、ある人が私に相談してくれたことがあります。「プラスの考え方が良いということは分かっているし、そうしようと頑張っています。だけど、一生懸命やってもまだ出来ない自分が居て、ついついマイナスの言葉が出てしまうのです。そうすると、周りの人に、『あなたはだから駄目なのだ』と言われて、結局何も言えなくなり、どんどん苦しくなるのです」と。私は「真氣光を受けていくうちに、マイナス自体が徐々に無くなるから、そんなに心配しなくてもいいですよ」と答えました。ここで少し真氣光の歴史について、お話ししておきましょう。真氣光は高次元からのエネルギーですが、先代が夢で教えられた当初は、エネルギー的に弱いものだったのです。しかし、だんだんとその強さが増し、95年に先代が病で倒れたあたりから、大きな成長期となりました。ですから、最初の頃は(治療哲学というものがありましたが)、プラスに向かう強い心をたくさん足してやらなければならなかったのだと思うのです。ですが、真氣光のエネルギーが増した今では、真氣光を受けているうちに、おのずと氣づきが促されるものになったようです。「明るく生きなさい」とか、「プラスに考えなさい」とか、「こういうふうに生きなさい」というアドバイスを耳にしますが、なかなか思うようにならないものです。真氣光は道具です。真氣光を受けることによって、自分にあった答えに氣づき、ちょうど良い方向に導いてくれる、便利な道具なのです。

(16)意識の力―その2

前回、真氣光のエネルギーは、氣グッズやハイゲンキから、使う人の意識に同調して入ってくるというお話をしました。例えば、「信じて使うのと疑いながら使うのとでは、前者の方が効果的ですよ」という事です。一口に意識と言ってもいろいろあります。今回はもう少し、その意識の持ち方を説明しましょう。あまりよく氣のことを理解していない人が、何も考えずにハイゲンキを当てても氣は入ってきますが、本当はもっと効率的に集中して氣を受ける方法があります。それは、「氣がどんどん入ってくる」という意識になること  つまり、そうイメージする(思い浮かべる)ことによって、ますます氣が入りやすくなり、短時間でも集中して氣が受けられるのです。痛みがあったり身体がたいへんな人も、辛い部分はちょっと横に置いておいて、氣が入ってくることに集中してもらうとよいでしょう。ここで氣と言っているのは、真氣光という氣であり、それは言い換えれば光です。ですから、どんどん自分の中に光が入ってくると思ってもよいのです。その時ハイゲンキや氣グッズなどが身近にあれば、「それら全てから氣(光)が出て、自分の中に取り入れられる」と思えば、さらに良いでしょう。つまり、自分がそう思い、意識をそちらに向けることにより、まさしくそうなっていくのです。ずっと思い続けていなくても、ある時点から意識のスイッチが入ると、どんどん氣が入り始めます。また最初は、なかなかそういう気持ちになれなくても、だんだん氣を受けて、自分自身の中に真氣光のエネルギーが充電されていくうちに、その感じがつかめたりするものです。それは、真氣光と、それを受ける人の調子が自然と合って来て、同調できるようになるからです。そして、自分が光に包まれている感じになれれば、かなり充電が進んできた証拠です。プラスの氣(光)が、その人自身の魂に充電され、気持ちが良く、心地良い感じにしてくれるのです。しかし、いつもそのような気持ちの良い状態になれるとは限りません。時には、マイナスの氣(影)の影響で、暗い感じに襲われることもあります。そのような時は、特にたくさん真氣光を受けて、プラスの氣を充電していただくと良いでしょう。

(15)意識の力-その1

真氣光というエネルギーは、氣グッズやハイゲンキを使う事によって、次第にその人の魂に充電されます。たとえば、ペンダントを身につけたり、音氣をBGMとして流す事などは、生活の場で無意識のうちに氣を受けられる簡単な方法です。日頃から氣グッズを身の周りに置いて、魂にどんどんエネルギーを充電すると、いろいろな氣づきが起きるのです。では、さらに効率よく、より強く真氣光のエネルギーを利用するには、どうすれば良いのでしょうか? それは意識の力を利用することです。たとえば、テレホンカードをプレゼントされた人が、氣が出ていることを知って使うのと、知らないで使うのとでは差が出ます。ハイゲンキも「なんだか怪しい」という疑いの気持ちで使うのと、「何か出ているのかもしれない」という肯定的な気持ちで使うのとでは、後者の方が効果的です。 これは、氣を受ける人の意識状態によって、中継量に差が生じるために起きることです。つまり、使う人の意識に同調してエネルギーが中継されるのです。しかし、無理に信じる必要は有りません。氣が出ている効果を体験すれば、自然に理解できるようになります。私は、その効果を見つけるために〈いいとこ探し〉をお勧めしています。その場合、真氣光によって効果がどこに出るかは分かりません。自分ばかりではなく、氣で繋がっている家族や親戚に出ることもあるのです。ですから、幅広くいいとこ探しをすることがポイントです。  さらには、たくさんの人が同時に意識を合わせて真氣光を受けることによっても、中継されるエネルギーが大きくなります。先代が朝の7時と夜の10時から、15分間を真氣光の時間にしたことにも、深い意味があったのです。一人でハイゲンキをするよりはグループで、家よりはセンターで真氣光を受ける方が、より効果的です。私が各地で行っている真氣光セッションをグループでやっているのも、こういった理由からです。真氣光研修講座では、このような氣の性質を使って、より効果的に氣を充電していただいているのです。