アップグレードを受け取りました

7年前の初めての『下取りキャンペーン』の時に、母の実家の前田家のハイゲンキ3型を購入し、パワーアップやアップグレードをして来たのですが、なかなか光(氣)が入って行かなくて、昨年フレームをバージョンアップし、前田家の除籍謄本を入れてから、少しずつ光が入り始めたとこでしたので、今回先ず前田家のアップグレード4セットを申込みました。
夕方センターに取りに行き、膝に乗せて運転していたら、背中がズンと重くなったので、車の中で「前田家に一杯一杯光が届くよ」と叫んだら、ゲホゲホ咳込んで楽になりました。
6月に横から追突され、頚椎と腰椎の捻挫と自律神経のバランスを崩し、首から頭の鈍痛、眠れず食べられず思考力が低下していて、寝る前に漢方を飲んでいましたが、届いた日は飲むの忘れたのに、よく眠れて、翌朝鈍痛も軽減されました。
2日後スタッフのHGセッションでは、今まで痛くなる程冷えていた足首や右股関節、左腰、肩、首、頭と痛かった所に光が入り、マイナスさんが浮き上がって来ました。
強烈な抵抗勢力にやっと光が入り始め、まだまだこれからですが、前田家と前田家に関わる辛い魂さんに沢山の光が届きます様に!
(熊本市 Iさん)

アップグレードを決心しました

家族は真氣光をやっていないけど、光(氣)を届けた方がいいかな~。
でもハイゲンキ7型があるからアップグレードしなくてもいいかな~、でもできることはしておこうかな~、と迷っていました。
大阪センターで貴恵さんの歌を聴いたとき、「家族のみんなが光あふれる生活をしてほしい」と気づき、家族名義のハイゲンキ3型のアップグレードを決心しました。
「真氣光マスタートレーニングプログラム」を始めてから、いろいろな変化が続いています。
今まで気づかなかったことにもいろいろ気づきました。
例えば、子供の頃、同級生にのけ者にされた事を思い出したとき、これまでは彼女がマイナスに邪魔されていたと考えていましたが、二人のご先祖同士の関係がわかり、咳やあくびがたくさん出て、より深いところで気づけました。
(大阪府 Aさん)

アップグレードのおかげ!?

コロナも収まって来たので8月のお盆休みに長男と一泊旅行に出かけました。
その日は楽しく過ごしましたが、翌朝主人が急に気分が悪くなり嘔吐し始めました。
私達はてっきり何かにあたったのだと思いました。
家に帰りたいと言うし旅先だしお盆で病院も休みだし、頑張って自宅に戻りました。
もしかしたら頭ではないかと嫁が言ってくれたので病院を探し脳外科が一軒だけ「連れてきて下さい。」と言ってもらいMRIを受けると脳梗塞でした。
左手左足は力が入らず言語障害、顔もゆがみ記憶障害もありました。
私も必死でしたので2週間程の記憶がありません。
ある時から私もうつ状態みたいになりました。
藁をも縋る思いで熊本センターに電話をしました。
泣くまいと思ったのですが、スタッフさんの声を聞いたら涙が溢れて止まりませんでした。
主人が悪くなったのがお盆と言うことで、もしかすると御先祖様が関係あるかもとハイゲンキ3型のアップグレードを勧められたので、取り敢えず2セット頼みました。
病気が病気なので半信半疑でしたが、翌日病院へ行くと、主人の眼に力が戻り明らかに今までと違うと感じられました。
本当に不思議です。
アップグレード申込んだだけなのにその時点で氣が届いたとしか思えません。
それで嬉しくなり追加でもう2セット頼みました。
それから、薄皮を剥ぐように少しずつ回復しています。
言葉も出るようになりました。
表情も柔らかなりました。
左手も力が入ります。
あとは左足だけです。
本当にありがとうございました。
(宮崎県 Nさん)

アップグレードをしてすごく安らぎを感じます

ハイゲンキ3型のアップグレードを申し込み、数日前に届きました。
ヘッドに通電して氣を受けてみると、以前とは違うなあ、氣が届いているなあ、と実感します。
以前、氣を受けたくなかった時期があり、「忙しくてそれどころじゃない、でも受けなきゃいけない」という感じで、たった20分だけなのに早く終わらないかなと、どういうわけか、その時間が苦痛でした。
アップグレードされて戻ってきたハイゲンキで氣を受けてみるととても心地良くて、20分過ぎてもずっと続けて受けたいと思え、すごく安らぎを感じてびっくりしました。
(広島県 めぐさん)

(79)彼岸が来れば団子を思う

 先日、スーパーで「ずいぶん、おはぎが並んでるなぁ、一つ買おうかな?」と悩んでいるうちに、「そうか、お彼岸か」と思い出した次第です。
「彼岸が来れば団子を思う」ということわざがありますが、秋のお彼岸をすっかり忘れて、甘い物ばかりに目が行っておりました。
 お彼岸は、ご先祖様のいる世界と私たちが生きている世界が近づくとされ、行われる行事です。
私たちが先祖を意識するのはもちろん、先祖も意識していることでしょうから、氣の観点から言えば「あちらとこちらの距離が縮まる」つまり、私は「氣が届きやすくなる」と説明しています。
これを厳密に言えば、(1)こちらからの氣があちらに届きやすくなるのと同時に、(2)あちらからの氣が届きやすくなるということです。
この二つについて、ポイントを説明しましょう。
 (1)でのポイントは、我々の生活の基盤を築いてくれた先祖へ感謝の心を持つことで、私たちの心から発せられるプラスの氣が送れるということになります。
この時、家族で先祖を偲べると、家族の絆や一体感が深まると同時に、先祖に氣が届くことで、共通のルーツを持つ家族として、互いを思いやり、支え合う心が育まれやすくなります。
もちろん、家族でお墓の掃除や手入れ、先祖の好物をお供えしたりなども良いですが、実際にそれが出来なくても、先祖を意識して真氣光を受けることでも氣のエネルギーは届けられます。
さらには、除籍謄本を取り寄せて自分のルーツや歴史にも目を向けながら、ハイゲンキや真氣光フレームを用いて遠隔真氣光ができると、より先祖への感謝が深まるとともに、こちらからの氣のエネルギーが届きやすくなるでしょう。
 (2)について、あちらからの氣も届いて来るとは、どんなことでしょうか? 1つには、先祖の誰かが、氣のエネルギーが下がっていて、辛い苦しいなどマイナスの思いがあれば、それがこちらにも届いて来て、同じような思いになったり、体の調子が悪くなったりすることがあります。
 2つ目には、既に氣のエネルギーが潤沢にありプラスの氣となった先祖が、同じ家系の人や子孫に対し、よりいっそう輝けるように力を貸そうと、あの手この手でこちらに伝えて来ることがあります。
 日頃から真氣光を実践していただいている皆さんは、あちらからの氣をキャッチしやすくなっているかもしれません。
この時期、私たちが輝けることが、よりいっそう先祖への光となりますので、何か思い当たることがあれば、よりしっかりと真氣光を受け、さらには思いつくことがあれば、それを行動に移して欲しいと思います。

研修参加の不思議と必然

北海道の真氣光研修講座に参加しました。
初日の真氣光の時間で、何が起きても受け入れ、「大丈夫。乗り越えられるよー」と思えた瞬間がありました。
内観の時間では、一人では過ごせないことの自覚を持ち、行動に感謝すること、今幸せでなければ、幸せな死を迎えられない。
「今を大切に!」を肝に銘じました。
いいとこ探しの時間では、込み上げる思いがあり、離席してしまいました。
「たくさん頑張ってきたね!乗り越えてきたね!」とやり終えた安堵の涙が溢れました。
さらにプレゼント抽選で氣グッズが当たりました。
両親を亡くし、頼りにしていた兄を亡くし、整理がつけられてきた節目としての受講でした。
これからもいろいろな困難なことが起きるでしょうが、初日のメッセージを思い出し、自分と向き合い、受け入れ、しっかり氣の充電を受け乗り越えて行きたいと思います。
勇気と元氣と覚悟をもらえました。
たくさんの不思議体験、今回の参加もやはり必然だったんだと思えました。
(札幌市 Yさん)

私達親子にとっての唯一の繋がり

8月は長男に研修講座遠隔をして頂き有難うございました。
現在35才の長男は子どもの頃から脳性マヒがあり、ずっと寝たきりで、今は呼吸不全と診断され昨年の11月から入院しています。
人工呼吸器を装着しているので「家に戻ることは難しい」と医師に言われ、落ち込んでいました。
週1回15分のガラス越し面会ですが、息子は気管切開をしていて声も出せないので見ているだけでこちらも辛いのですが、本人はもっと辛いと思います。
いつも目をつぶって、眠っているのか起きているのかよく分からなかったのですが、8月の研修遠隔の後から面会時には目を開けて私達が来るのを待ってくれるようになりました。
以前よりは本人も少し楽になったのかな?と感じています。
直接ヘッドを当てられない私達にとっては、遠隔真氣光だけが頼りです。
以前は遠隔を送ってもらってもよく分からなかったのですが、続けていると不思議な体験もあり、息子に届いていると感じるようになりました。
私達親子にとっての唯一の繋がりです。
今は落ち着いた良い状態を保ってくれている様子で有難いです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
(富山県 Mさん)

今の私達や平和な日本があるのは…

3型のアップグレードの申し込みをしました。
その後、家族との関係で大きな好転反応と思うトラブルがあり、何かマイナスの影響があるのではと思い氣を受けていたら、ご先祖様が居た場所に、松浦党という一族のお城があったというネットニュースの記事が目に入りました。
丁度お盆の期間で、他にも気になっていた事が重なり、ご先祖様からのメッセージのように感じました。
松浦党について調べてみたら、嵯峨天皇の流れをくみ「松浦水軍」や「海の武士団」と言われていました。
大陸や朝鮮等と交易をし、九州の海の安全を守ったり、元寇や朝鮮出兵の時には身を挺して前線で戦ったようでした。
大変な思いをして生きぬいてこられたと思いました。
九州の地で起こった事でしたが、その存在を私は知りませんでした。
大きな歴史の裏に、名も無く、戦い亡くなった多くの方々の存在があり、そのお蔭で、今の私達や平和に過ごしてこれた日本があると思い知り、改めて、先人やご先祖様に思いを馳せ、真氣光の氣を送らせて頂く事が出来ました。
是迄積み重ねてきた事にプラスして、3型のアップグレードをしたことを機に、奥に潜んでいたご先祖様や関係する方々に光が届いたと思います。
(Mさん)

会長セッションで応援をもらいました

一年前の離職を機に、先々を案じた娘が選んだのは、親元に帰るという選択でした。
よく胸中を聞いてみると、11年間の一人暮らしを一旦やめたいということが大きいようでした。
経済事情からいっても、安全地帯になるのは親元と決められるのもわかるのですが、私は離れているからこその親心をふんだんに注いできたので、家財一式を持ち込まれての引越しにたちうちできるのか多少の難をもっていました。
引越しという体力、気力にとにかく応援をいただきたく、会長セッションを申し込みました。
猛暑中の猛暑にかかわらず、準備から引越し当日、その後なんとか収納することができました。
今更に引越しのエネルギーがどれほどのものか、身に沁みました。
誰も倒れず、疲れもゆっくり癒えて、本当に助かりました。
娘が来たことで大幅な断捨離ができました。
(千葉県 Rさん)