何か意味があることかもしれない

 先週末は宮島での真氣光研修講座が終了して直ぐに、私は飛行機の関係で宮島を離れなければいけませんでした。
時間があれば、もう一泊して、島の中央にある弥山に登りたかったのですが、残念でした。
実は一昨年、研修終了のあと1日滞在し、カメラを用意して登っているのです。
写真を撮って皆さんに、Instagramなどで山頂からの様子をお見せしようと、準備は万端でした。
当日、山に登ってみると快晴で、とても見晴らしがよく、アングルやカットも吟味して写真や映像をカメラにしっかりと収めたはずだったのですが、下山してみてビックリです。
あんなに一生懸命に撮ったものが、全く写っていなかったのです。
唖然としました。
カメラが動作しなかったのか?記録されずに消えたのか?理由がわかりません。
私は、カメラがメモリに記録する時にランプが光るので、しっかりとそれを確認していたのです。
何らかの操作ミスだったのかもしれません。
本当に力が抜ける程、ガッカリしたのを覚えています。
 私は、このような時に、カメラなどの技術的、物理的な問題や私の未熟さ等もあるかもしれないですが、何か氣の関係があるのかもしれない、何か意味があるのかもしれないと、考えるようにしています。
 宮島は、小さな島ですが、人との関わりが深い、とても歴史ある所です。
神社やお寺など宗教的なものが多いですし、戦いの碑も多く見かけます。
氣という観点では、いろいろな氣が、存在しているということになります。
今回の研修でも、真氣光を嫌がるマイナスの氣がたくさん光の方に行かれましたが、そのような氣の関係があったのかもしれないということなのです。
 私の場合、写真を撮って皆さんに見てもらうことで氣が届きやすくなりますから、それを嫌がるマイナスの氣の影響が考えられますし、逆に光が必要なので、もう一度来て登ってほしいというプラスの氣の影響かもしれない等と考えています。
 一般的に氣が関係している場合には、ただ単に邪魔をしたい、足を引っ張りたいというマイナスの氣ばかりではなく、応援してくれているプラスの氣が関係していることも考えられます。
どちらにしても、途中でやめてしまわないで、またトライしてみるのが良いでしょう。
私も、また今度の時には、時間を十分にとって、さらにはカメラもよく点検して、再度トライしたいと思っています。
ところで、今回の研修が始まる前でしたが、私の早朝散歩の様子を写真と映像に撮ってみました。
写真は既にInstagramで紹介したのですがYouTube でも配信しようと思っています。
お楽しみに。

家族が仲良くすることの重要性を再認識

4月9日は家族でお花見に行く予定でしたが電車の予約がとれず、急に広島・宮島の真氣光研修講座に参加することを決めました。
参加して本当に良かったです。
同じ部屋になった方は以前から縁を感じていた方で、真氣光セッションに参加するとなぜか必ず私の隣になっていた方でした。
今回、二泊三日を共にして語り合ったことで、私と抱えている問題、苦しみが一緒だとわかり、思いを分かち合えたことが本当に嬉しかったです。
その方の話がヒントになり、両家のご先祖様の苦しみにも気づき、ずいぶん氣が届きました。
一年ぶりの会場での参加なので、県外の仲間や遠くのポーランドの会員さんと(ラインで)いろいろ話ができたのも本当に素晴らしかったです。
また、広島の地で戦争のことを思った時に、「まずは生きている人がみんなで仲良くすることが大切」との中川会長のお話から気づきました。
嫁姑の争い、親子喧嘩、兄弟姉妹の喧嘩は、まるで戦(いくさ)のようです。
御先祖様に氣を送るにしても、家族で喧嘩しながらでは意味がない。
家族が仲良くすることの重要性を再認識できました。
(岡山県 Mさん)

真氣光枕カバーで睡眠不足を解消

これまでは、毎晩必ず夜中の2時か3時に目が覚めて、それから朝までほとんど眠れませんでした。
真氣光枕カバーのことを会員さんから聞いて購入してみました。
最初2~3日は気が付かなかったのですが、枕カバーを使い始めて以来、朝の4時半くらいまで一度も目が覚めず、ぐっすり眠れるようになっていることに気づきました。
朝も気持ちよく目覚められるようになって、感謝しています。
これはやっぱり間違いなく「氣のせい」です。
毎日気持ちよく眠れるのが嬉しいです!
(大阪府 Kさん)

母が私のことを覚えてくれていました

広島の真氣光研修講座に参加しました。
母の具合が悪くなったのがきっかけで決意しました。
今回一番印象に残ったのは、何と言ってもハイゲンキ8型。
ご購入された方達が持参してくださり合計4台も会場にありました。
参加者の中に歩行の難しい方がいらっしゃって、初日のお散歩の時間はスタッフさんにおぶられていました。
2日目の昼、実習の時にみんなでその方にヘッドを当ててあげることになり寝てもらうストレッチマットの下とその方のお腹の両脇に8型が置かれました。
実習後にその方は歩けるようになったのです!夕方、プレゼントの当選者としてその方のお名前が発表された時は、とても喜ばれてものすごいスピードで歩いて取りに行かれていました(笑)。
私はというと、研修から帰宅した翌日から、我が家の壊れていたプレイヤーが動くようになり新しい真氣光D V Dをかけられるようになりました。
母が、電話をかけてきてくれて「広島はどうだった?」と聞いてきて普通に会話をしてくれました。
認知症が進んでいて、もうずっとおかしな話ばかりを言い、何でもすぐに忘れてしまうのに、私が広島に行っていたことと帰ってくる頃をちゃんと覚えてくれていました。
(福岡県 Aさん)

水晶を車の四隅に置いてみました

私は水晶が好きです。
真氣光の水晶を少しずつ購入していき、自分の家の敷地内や周辺の土地一帯に埋めていきました。
最近は、「巾着付き水晶」を購入して自分の車の四隅に置いてみました。
大好きな水晶に守られている気がして安心して運転ができ、いい感じでした。
巾着袋をそのまま置いておくだけなのも扱いやすく便利で気に入りました。
うちの旦那の車にも置いてみようかなと思っています。
旦那も水晶が好きで、真氣光の水晶でしたら買っても文句を言わないんです。
(鹿児島県 Tさん)

牡蠣の産地・広島で研修講座が始まります

 今日から、広島は宮島での真氣光研修講座が始まりました。
広島といえば牡蠣が有名です。
こちらの宿泊施設は今年で6回目、滞在中の食事には必ず牡蠣が出ておりました。
スタッフが気を利かせて「会長は牡蠣アレルギー」と伝えており、今朝は私の分だけ牡蠣無し味噌汁が配膳されました。
ところが今回私は「牡蠣は大丈夫になりました」と説明して、残りの食事には気兼ねなく出していただくようにお願いした次第です。
 実は私、浪人時代に牡蠣にあたって以来、食べると気持ちが悪くなりトイレから出られなくなるという、もともと好きなものなのに、身体が受け付けなくなってしまったのです。
食後数時間して苦しい目に合うのですが、それ以降は後遺症もないので、いろいろ食べて調べてみました。
判ったのは、鍋やフライなどの調理法や新鮮さには関係なく、無意識に少量食べても駄目ということと、ニューヨークやボストンなど東海岸のものは大丈夫だけれど、同じ米国でもサンフランシスコでは駄目、つまり太平洋産ついでにインド洋産も駄目だったのでした。
 この話は2000年11月2日の本ニュースに書いており、その時に食べて駄目だったのが最後ですから、22年程試していませんでした。
それが今年の正月休みに、恐る恐る食べてみると「全く問題なし」晴れて解禁となったのでした。
近所の魚屋では、岩手産の殻付き牡蠣が美味しそうに並んでいますので、最近では頻繁に堪能しています。
 牡蠣の話ばかりではなく、人は氣の影響が変わることで、体質や性格も変わることがあります。
私も牡蠣については、さんざん試してはみたけれど、何か諦めのように捉えてしまっているところがありました。
さらには、40歳迄は試すという勇気もあったのですが、ある時から、苦しい目には合いたくないという気持ちが先行しておりました。
 人も動物ですから危ない事に遭遇したときは、それを恐怖として、しっかり記憶しておくようにできています。
そうしないと、命の危険に曝されやすくなり、場合によっては死に直結するからです。
ですから、酷い目に合った、大変だった、辛かった等の記憶は、とてもよく記憶され、それが強いと、時には喜び・楽しみや活躍の場を狭めることにもなりますので注意が必要です。
過去のマイナス体験に、マイナスの氣が影響を与えていて、心配や恐怖によって、本来なら出来ることが出来なくさせられていることがあるわけです。
毎日、真氣光を受けていると、そういうものもいつしか光に変わります。
そうすると、変わらないと思っていたことも変わることがありますので、命に関わることは難しいですが、勇気を持って試してみるのも良いでしょう。

ゆっくり歩けるようになり助かりました

横断歩道を渡っている時、砂利を運んでいる大型トラック2台がすごい速さで向かってくるので、思わず走った拍子に左ひざにピシャッと感じ、渡り切った時に歩けなくなりました。
すぐに整形外科で診てもらったところ、レントゲンでは骨に異常はなく電気治療に通うことになりましたが、私が住んでいるところは坂が多く、とくに下り坂がキツくて降りる時に酷い痛みでした。
整形外科で頂いた、足にあてるサポート用の板はすぐにズレて落ちてきてしまい、あまり役に立ちませんでした。
ふと思い出し、「ヘルシー氣サポート・ひざ用」を身に付け、「氣スポットチタンシール」も貼ってみました。
だいぶ落ち着いてきて、ゆっくり歩けるようになり助かりました。
また、私が痛そうにしていた時、小学5年生の孫が近づいて来て中腰になり私に背中を向けて、「おばあちゃん、おんぶするよ」と。
びっくりしました。
孫が2〜3歳の頃は、私がよくおんぶをしてあげていて、その度に満面の笑みを浮かべて喜んでいました。
その頃のお返しでしょうか。
孫の言葉には涙が出そうになりました。
(東京都 Hさん)

またひとつ生きるのが楽になりました

3月4日の次男(46歳)と8人目の孫(11歳)の誕生日に、息子にはメールで、孫にはカードを添えてお祝いを送ったところ、当日あちこちから年齢が間違っているとの指摘が…。
まさかと思い「満年齢早見表」を見ると、令和3年でした。
弁解の余地もなく、改めて二人に電話をした後、「あれ、私、変わっている」と気づきました。
以前の私は、針の穴ほどの小さな失敗でも、くよくよと後悔し、マイナスの「氣」のループにはまり、立ち直れませんでした。
でも今回の出来事では、悔やむ気持ちは全く起きず、自然に失敗を受け入れていて…。
有難い気持ちでいっぱいでした。
真氣光に出合って25年。
またひとつ生きるのが楽になりました。
真氣光に感謝いたします。
(千葉県 Hさん)