ご縁が広がる真氣光

 今日から7月の真氣光研修講座が始まります。
今月は北海道での開催ということで、昨日夜、私も準備のために東京からこの新篠津村にやって来ました。
札幌からJRとバスで約1時間、周囲を見渡すと点在する農家と畑さらには緑、石狩平野のど真ん中というところにありますから広い大地を十分に感じることができます。
今日はまた良いお天気で暑すぎず寒すぎず、私は北海道を満喫しながらこの原稿を書いています。
今回の研修もどんな感動があるのか、今からワクワクしているところです。
 ところでスタッフと話をしていて、先代が生まれた深川市多度志町が、ここ新篠津からそう遠くない所だと誤解している事がわかりました。
ここから約100km、車で2時間はかかる山の中になります。
北海道に住んでいる人は近くとは言いませんが、確かに道外の人から見れば隣村ぐらいの感覚なのかもしれません。
北海道にたくさんの炭鉱があったころは、人もあちらこちらに多かったのでしょうが、その辺りもかなり前から過疎化が進み、我が家の親戚も早くから札幌に引っ越しましたので、私も何回かしか行ったことがありません。
交通の便が悪い、かなりの山奥といった印象です。
そんなところから先代は中学を卒業し深川市の時計店に単身出てきたところから、いろいろな歴史が始まったわけです。
本人は「農家が嫌で」と言っておりましたが、当時友達も親戚もまだ村に残っていたでしょうから、かなり勇気のいったことでしょう。
さらには独立して店を出すために札幌へ移り、真氣光を始めるようになって東京に移ったわけです。
真氣光を始めてからは、東京を拠点に日本全国ばかりではなく世界各地を飛び回るようになりました。
 人との「ご縁」という視点で考えてみると、それは時間とともに飛躍的に増えています。
特に真氣光をはじめてからは、毎日、毎日いろいろな人との繋がりが出てくるわけですから、その人の先祖まで含めると多分「ご縁」の数は天文学的な数字になっていたことでしょう。
私も日々感じることですが、宇宙は応援してくれているということなのです。
 真氣光のエネルギーを受けることで、自分の魂に浸透した光のようなエネルギーは周りにも及びます。
身のまわりの身体を持たない魂だけの存在に、エネルギーを与えることになるのです。
その結果、よく言う守護霊様のような存在、さらには私たちを陰から支えようとしてくれている先祖にもエネルギーが届くことで、より一層自由度が増し出来ることが増えるのです。
今回の研修も、いろいろな不思議な「ご縁」で集まってくれています。
ありがたいことです。
(中川 雅仁)
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(12)まずは氣を受けること

 世の中には目には見えない氣、つまりエネルギーみたいなものがたくさんあります。
先代は、科学では測定も証明も出来ないけれど、そういう氣というものを大事にしないといけない時代だと、「氣」の文字をあちらこちらに使うようになりました。
それで真氣光を現すロゴとして古い字体の氣の文字を使うようになったのです。
この古い字体は、気がまえに〆ではなく米の文字です。
「お米にフワフワとエネルギーが漂っているのを昔の人は感じて、この文字ができたのだ」と、いつも説明しておりました。
 ところで氣は、いろいろな場所にもありますし、物にもあります。
植物や動物、ペットなども氣を持っています。
人間にももちろんあるわけですが、人の場合、始終変わる心や意識というものも、氣として発したり受けたりしているのです。
電波や電磁波といった類も、科学が未発達な昔には、氣として捉えていたのかもしれません。
 ところで、私の長年の経験から分かったことの一つに、氣には波動的な性質があるということがあります。
音波のように、目には見えませんが波のようにして伝わってくるということです。
波ですから、どこからか出て、どこかで受けられるということ。
氣の場合、出すことも重要なのですが、まず氣を受けるということをよく知ることが大事だと思うのです。
 テレビの電波も放送局の違いにより空中にたくさんの種類の電波があって、テレビという受信機でチャンネルをあわせると、その放送局の番組が見られるように、上手に受けられると効果が表れやすくなるからです。
虫の音の小さな音でも「聞こう」と注意を向けると、どこに居るのかがわかるように、人の場合、注意を向けたり意識するということで、そこにある氣と同調作用が働き、受信感度が上がり、氣を吸収しやすくなります。
 真氣光の場合、宇宙のどこからか発せられた氣のエネルギーが、たくさん地球にも降り注いでいます。
そして、それを受信できる氣中継器や氣グッズは、私たちがいつも利用できるように波長変換してくれています。
真氣光のエネルギーは私たちの氣つまり魂に浸透し、意識や身体を良い方向に変えてくれますから、誰でもがたくさん取り入れたいと思うものです。
波動的な氣の性質を理解したうえで氣を取り入れるコツを考えると、ポイントは度々受ける、意識を集中して受ける、ということになるでしょう。
各種のヘッドや氣グッズを持ち歩いて度々氣を受ける、その時に意識を集中することで効果が上がりやすくなるということなのです。
お出かけが多くなるこの時期、いろいろな氣グッズの携行をお薦めします。
(中川 雅仁)
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(34) 教えるは学ぶの半ば

 私は、毎月各地で無料体験会や真氣光レッスン、さらには会長セッションを開催していますが、参加者からの質問に答えるなかで「勉強になるなぁ」と感じることがよくあります。
それは、質問に答えようと自分が考えることで、思ってもいなかった発見があるからです。
ときには、日頃一人で考えていては出てこないようなことまで頭に浮かんできて整理されるのですから、不思議なものです。
 「教えるは学ぶの半(なか)ば」ということわざがあります。
『人にものを教えることは、半分は自分の勉強にもなるという意。出典は古く平安時代の金言集“世俗諺文”に見られる』と、ことわざ辞典にはあります。
人にものを教えるには十倍の力がいると言われますが、単に知識面ばかりではなく適切な教え方やノウハウ、いろいろな力が必要とされます。
教える側にも曖昧な点や不確かな面があれば、自分自身で確認しなければならなくなり、謂わばその復習を通して自分が学ぶということにも繋がります。
そればかりではなく、実際には教わったことが単に知識としてだけではなく、その人自身にしっかりと身につかなければ本当の意味で教わったことにはなりませんから、そのようなところまで教えるためには、教える側の“いろいろな力”と弛まぬ努力が必要となるでしょう。
それによって教える立場にある人が、大きな学びを得るということなのです。
 宇宙に存在する生命は、身体を持つ・持たないに関わらず、他をサポートすることで自分が成長するという仕組みにあるようです。
例えば、親は子供が生まれて来てくれたことで親として成長できるし、御先祖様も「どうしたら子孫は気がつくだろう、ああかな、こうかな」と日々考えながら、私たちを支えてくれて、あちらはあちらで学んでいるということです。
 これは真氣光を送ってくれている宇宙も同じ事のようです。
私たちは、氣づくことで魂を大きく成長させることができるのですが、どうしたら氣づけるだろうかと遠いところから見えない光のエネルギーを送ってくれているのです。
ですから私たちは、時には一見マイナス的なことからも何かに氣づき、それを乗り越えることができるのだと思います。
私たちも、そのエネルギー的な応援を受けていますから、自分のことが大変な人も少しずつ余裕が持てるようになり、他への心配りに目が向けられるのです。
それができることで、自分自身のさらなる学びになるということで、これは“半ば=半分”どころではなく、自分の学びのうちの大きな割合を占めているのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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便利な物を使いこなす

 本の代わりになるとニュースでも取り上げられていましたipad(アイパッド)、我が家にも先週届いたのですが家を留守にしたり忙しかったりと、まだよく使っておりません。
先月ニューヨークに行ったときに、5番街にあるアップルストアに行ってみると、子供も大人もipadの前に群がっておりました。一足先にアメリカで発売になったのですが爆発的な反響から品薄になり、日本での発売予定日は私がアメリカに飛び立つ翌日だったのです。
私は実物も見ること無しに先行注文だけして、ニューヨークで初めて目にしたのでした。
 紙の本に代わり電子書籍の時代になるのでしょうか。
本棚一杯の本が全部この中に入ると言います。
確かに、学生の頃は古語・漢和辞典、英語の辞書など教科書に加え辞書・辞典類がとても重かった記憶があります。
カバンを軽くしたいばかりに古語辞典などは学校のロッカーに入れっぱなしで家では勉強せず、そのおかげで文系学科はまったく出来の悪い生徒になってしまいました。
それが今では電卓ほどの大きさの電子辞書に英語も国語も他の言語も、百科事典みたいなものまで記憶されています。
本棚で大きなスペースをとっていたものがすっかり無くなってしまいました。
このipad、本ばかりではなくメールやインターネット、ゲームなど、いろいろなソフトを入れて楽しめます。
遠くない将来には、このニュースや月刊ハイゲンキも、このようなもので読んでいただくのが当たり前のようになるかもしれません。
 今でも忘れませんが、私が結婚したばかりの安月給サラリーマン時代(20年以上前の話になります)、妻にやっとの思いで了解をとりつけ、ボーナスを叩いてノートブックパソコンを買ったときのことが思い出されます。
今のipadは値段が三分の一以下にも関わらず、記憶容量が3000倍もあり、いろいろなソフトが入るのですから物質文明の進歩は目を見張るものがあります。
 ところで、ハイゲンキをはじめとする氣中継器も照射ヘッドのバージョンアップやスティックヘッドをはじめとする各種ヘッドなどハードの進歩にあわせて、送られてくるエネルギーつまりソフトも大きく進歩したと言えるでしょう。
ヘッドなどを身体に当てることで宇宙からのエネルギーが魂に浸透し、その結果身体ばかりではなく心にも変化を与えます。
私たち地球人は物作りが上手いということでしょうが、技術の進歩に比べ、心というものに焦点を当てた時には、どれだけの進歩が遂げられたのか・・・。
真氣光を利用して、もっともっと加速させていきたいものです。
(中川 雅仁)
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父の日のプレゼント

 私が帰宅すると、妻はパソコンに向かいインターネットで何やらお買い物中でした。
またダイエット関係の物でも?と思い覗いてみると、父の日に実家にプレゼントを送るのだということ、そういえばもうそんな時期なんですね、忙しさに追われすっかり忘れておりました。
反省です。
ところで妻は、以前いただいたお菓子が美味しかったので、それを送るのだと言います。
昔ならデパートに行って何にしようかと悩むところから始まるのでしょうが、今はインターネットで買い物ができるから、プレゼントの買い方もずいぶん様変わりしたかもしれません。
電車に乗って、あちらこちらに出向き、時には店員と話しをして選び、伝票を書いて送ってもらっていたのですから、インターネットが普及して体力と時間が随分と節約できたというものです。
 ここで氣の観点から重要なことは、便利になった分だけ、プレゼントする人への思いが少なくならないようにしたいということです。
人の思いは見えないエネルギーであり、それは氣です。
思いやりなど誰かのことを思うということはプラスの氣が届くと言うことで、逆に妬みや恨み、怒りなどマイナスの氣とは相手に与える影響が全く違います。
さらに大事なのは自分が出している氣に同調して周りから似たような氣が集まりますから、どんな心で生活するかということは自分のためにも大切なことなのです。
プレゼントのように、その方の立場にたって何をすれば喜んでくれるかということを考えたり、それを頭に描いて面倒でも体を動かしているあいだは、プラスの氣が送られているということになるわけです。
 思いを向ける、気にかける、さらには生きている人ばかりではなく既に亡くなっている人への思いも、同じように氣というエネルギーです。
そして宇宙からの真氣光というエネルギーは、自分がそれを受けながら誰かを思うことで、プラスの氣を上乗せして送ることができるのです。
 先代である私の父は、たくさんの気功師を養成したいと20年前に研修講座を始めた人です。
真氣光の気功師とは医療に携わる人ばかりではなく、主婦がお友達に氣を送ったり、学校の先生が生徒達に、サラリーマンが上司に、美容師がお客さんに等々、使われ方は実に様々です。
父は生前、すべての人が良い氣の中で暮らせるようになることを望んでおり、今でもあの世で活躍していると思います。
そういう意味では、私がこの記事を書けたことも父の日の僅かばかりのプレゼントということになるかもしれません。
(中川 雅仁)
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良くないことでも いいとこ探し

 熊本・阿蘇での真氣光研修講座が火曜日に終わり、東京から今日は名古屋に移動中です。
アメリカでのセミナーに引き続いて自然溢れる場所での開催でしたので、42名の参加者とともに私もまたまた癒されました。
私は久しぶりに東京に戻り、妻と近所を歩いていたのですが、何とカラスの襲撃に遭ってしまいました。
正確には私の頭をめがけてカラスが急降下してきて軽く接触し電線に止まり、こちらを振り返って、さらにもう一度私めがけて飛んできたのです。
二度目は私も避けましたので、さすがに接触はしませんでしたが、どちらも私がターゲットだったようです。
突然のことで、びっくりしていると、どこかに飛んでいってしまいました。「何だろう?」実は、わたしが鳥に狙われたのは、これで二度目なんです。(笑)
一度目は約20年前サンフランシスコ市内で、カラスより一回り小さな白っぽい鳥でした。
妻は、咄嗟にそのことを思い出し、「あなたは、前にも狙われたわよね」とばかりに可笑しそうです。
私が「何だ、あのカラスは」と面白くない顔をすると、すかさず妻に言われたのが「良くないことでも いいとこ探し」と、先週の真氣光ニュースで氣配り画像にした言葉でした。
 自らの身に起こった悪い出来事は、災難のように振って沸いたものから誰かとの仲違いまで、見えない氣の部分に問題が隠れている場合があり、対応によっては悪い影響が長引くことがあるものです。
私はよく交通事故の例を使って説明していますが、道路や当事者同士にあったマイナスの氣は急激に同調して集まり大きな力となるので、いつも一定の力で守っている守護霊さんのようなプラスの氣もマイナスの氣を抑える限界を大きく越えてしまう結果、事故が起きてしまうというものです。
事故が起こったときに、マイナス面ばかりに氣を取られるとマイナスの氣の方に波長が合い、そこにあったマイナスの氣といつまでも同調してしまうのです。
そんなとき「不幸中の幸い」のような良い面を探せると、その後プラスの氣も守りやすくなるということなのです。
 今回の私のカラスによる襲撃事件は、何も良いところが思いつきません。
強いて上げれば「狙われたのが私で、妻でなくて良かった」ということかと妻に言ったところ「何か違う感じ、いい人ぶってる」と笑いながら一言。
そういえば、いつも持っているヘッドやペンダントをしていなかったなぁと思いつきました。
研修講座から帰って来て気がゆるみ、私も氣不足になっているのかもしれないと気がつき、家に帰って音氣とホワイトセラミックヘッドを使って真氣光タイムにしたのでした。
(中川 雅仁)
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無事に帰国しました

 先週お知らせしたとおり、私はニューヨークで体験会を、さらには2時間ほどの郊外に場所を移して2泊3日のセミナーを開催し、水曜日に無事帰国しました。
今日は、明日からの熊本・阿蘇での研修講座準備のため、熊本行きの飛行機の中で、この原稿を書いています。
今回の米国でのセミナー参加者は40名、そのルーツの国籍まで数えると、実に30カ国ほどに広がる氣のご縁ということになりました。
毎年の米国訪問も、私にとっては日本とはまた違った学びがあります。
まず米国は、軍隊があり、戦争をしなければならない国だということです。
参加者の中に友人が戦場に行かねばならず、兵士ばかりではなく老人や子供まで殺してしまったことで、霊的な影響を受けて苦しんでいる人がいました。
真氣光を受けることで、亡くなった人々が光の世界へ旅立ったとき、私にも平和の尊さが日本とはまた違う角度で思い知らされたのでした。
さらに米国では、容易に麻薬が手に入る環境や、銃が身近にあるために、それがきっかけで苦しんでいる参加者もいましたが、全員が一つになって真氣光のエネルギーを送り、互いの幸せを祈ることができました。
国が変わると歴史も違い、そこに生きている人達ばかりではなく関わっている魂達の苦悩も変わります。
しかし皮膚の色や言葉ばかりではなく、文化や習慣がどんなに違っても、真氣光という宇宙からのエネルギーによって、同じ人間として理解し合い、氣で繋がれることが強く感じられたセミナーでした。
研修施設は、山間の自然が豊富なところでした。
広い敷地に、食堂のある中央棟、宿泊棟、研修棟などが点在しています。
周りは森になっていて小川が流れており、時々リスや鹿が顔を出します。
夜には、満天の星に蛍も見ることができました。
日中は陽射しが強く、少々暑いぐらいでしたが、風が心地よく、私もずいぶん癒されました。
 最終日の夜、今年に限って、たくさんの目に見えないほど小さな虫が研修会場に入って来ていたようで、気がついたときには私もみんなもあちらこちらを刺されていました。
蚊ほど大きくないですし、日本では見たこともない虫です。最初は刺されても気にはならなかったのですが、後から症状が悪化して痒くて痒くて、結局腕中にぶつぶつ小さな赤い斑点ができ、少々恥ずかしいくらいです。
さらには私の場合、裸足で正座をしていたものですから足の裏まで刺されてしまい、それが歩く度に刺激され痒くて思うように歩けないのです。
この憂鬱、しばらくは続きそうです。(笑)
米国でのセミナーの様子は、今月の月刊ハイゲンキをお楽しみに。
(中川 雅仁)
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アメリカに行ってきます

 私は、ニューヨーク近郊で行うセミナーのため、今日から米国出張です。
昨年はインフルエンザ騒ぎで一年抜けてしまいましたが、毎年の恒例行事になって十数年になります。
現地で二泊三日のセミナーと体験会開催ですが、今回も真氣光を通してどんな人たちとご縁ができるのか、今から楽しみです。
一週間ほど日本を留守にする関係で出発直前まで慌ただしく、成田から飛び立ってから落ち着いてこの原稿を書こうと思ったのですが、飲み物が運ばれてきたかと思うと次は夕食、終わるとまた飲み物と、機内ではとてもサービスが良いのです。
さらには、目の前のディスプレイで面白そうな映画をやっていますので、(言い訳のようですが)ついつい見ることになってしまいました。
「こんなことをしていたら原稿ができない」と、誘惑に負けないよう心を強く持ってパソコンを開けたところです。(笑)
 しかし、文明の利器の進歩は目を見張るものがあります。
三代前あたり、私のひい爺さんの時代には想像も出来なかったことでしょう。
快適な空の旅、食べ物・飲み物はおいしく、映画や音楽に溢れ、楽しんだり、飽きたら眠っていればよいのです。
ニューヨーク便は時間が掛かると言いますが、昔を思えばアッという間のことです。
 私たちは心や魂だけではなく体という一見不自由なものを持っている以上、モノや道具とは切っても切れません。
もしも原始時代のようにモノが無ければ、不自由なばかりか今や生きていくこともできないでしょう。
人類はこのモノや道具を進化させて可能性を広げてきたとも言えます。
 真氣光は、父が夢を見てハイゲンキを作ったことから始まりました。
それは魂に光のようなエネルギーを注入し、その結果その人に気づきを与え意識を変えていきます。
昔には知り得なかった、こんな機械もあるのです。
私もこれを使うことで体調不良とは無縁になったばかりか、自分の事だけではなく他の幸せを願えるような人間に変わり、実際に各地でたくさんの人に氣を送るという仕事ができるようになりました。
昔なら、山に籠もり滝に打たれるなど、特別な修行をしたりして手に入れたのかもしれません。
 私は今、アメリカの会社が造った飛行機に乗り、アメリカの会社の機械で音楽を聴きながらパソコンで原稿を作っています。
日本のエスエーエスという会社が作るハイゲンキは、そういう物とは少々違い、心や魂を変えるという機械ですが、人ができることを大きく増やすという点では同じ道具です。
利用することで、その人のもつ可能性を飛躍的に高めてくれるハイゲンキと真氣光を、たくさんのアメリカの人たちに体験していただきたいと思っています。
(中川 雅仁)
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(33) 後悔先に立たず

 私は、いろいろな人に真氣光という氣を送って、そろそろ15年 余りになります。
真氣光を受けると、その人に影響を与えてい た、体を失い魂だけになった存在が、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。私はこれまでたくさんの魂に遭い気づいたこと は、「後悔」している魂がとても多いということです。
 自分には生きている資 格がないと思い自殺した人からはじまり、責任を取らされ切腹した武士や、采 配を誤り自責の念に駆られた武将まで、昔からたくさんの人達による後悔の念 というマイナスの氣が世の中に立ちこめています。
死んでしまうと何も出来な いと思うことで、余計に後悔の気持ちが強まるようです。
そして魂はどんどん エネルギーを失い、苦悩に苛まれるようになるのです。
 私たちは生きる上で 誰しも後悔はあるものです。
しかし、このような見えないエネルギーの影響を 受けると、知らないうちに後悔することが多くなり(後悔しなければならない ような事が多く発生することもある)、後悔することで余計に他のマイナスの氣を引き寄せてしまうという悪循環に陥ることもあるのです。
「後悔先に立たず」ということわざがありますが、昔の人はよく言ったものです。
このことわざを 辞典で調べてみると『物事がすんでしまってから、悔やんだり残念がってもど うにもならない意。「後悔」は文字通り、ある行為の後でその過ちなどに気づき 無念に思うことだから、前もって後悔はできない。ことわざの意味するところ は、後悔が先にできないのだから、物事をなす際には後悔の残らないようにす べきということ。古いものでは「保元物語」(巻中)に「後悔さきにたつべから ず」がある』とあります。
氣の事を知っていたのでしょうか、数百年も昔から 先人は「後悔」ということには注意を促していたのです。
 後悔することによっ て人は、魂が持つ光(エネルギー)を失います。
ことわざが教えるように、後 悔の残らないように全力を尽くすこと、反省することはあっても後悔すること なく次に何ができるのかを具体的に考え行動に移していくことが大事です。
しかしそれは難しいもので、頭では分かっていてもなかなか身につきませんから、何回も失敗しながら少しずつ自分のものになるのです。
先代は「後悔」という言葉とは無縁の人でした。
後悔に打ち勝つ精神力を、若いときから人に騙されるなど大変な苦労をしながら培っていったのでしょう。
私たちには真氣光という氣の応援があります。
後悔よりも、氣を受けながら具体的に何ができるのか考え氣づき、光の方向を見失わないようにしたいものです。
(中川 雅仁)
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氣の世界、真氣光の世界

 私は電機会社でのサラリーマン時代、小さな機械(マイクロマシン)の研究をしていました。
大きなテープレコーダーが、ポケットに入るウォークマンになって大ヒットしたように、いろいろな物がサイズを小さくすることでその価値を上げるということ、それが当たり前になりつつある時代でした。
コンピュータの部品はどんどん小さくなり、その技術を応用してロボットのようなものが、どこまで小さくできるかという限界に挑戦していたのですが、力を作り出すためのモーターやエンジンなど人の作る物は小さくなると取り出せる力が極端に小さくなるのです。
ロボットを動かそうとするとモーターが必要になるのですが、あるところまで小さくしていくと、自分の重さも支えられない、自走もできないということになってしまうのです。
 当時定期的に大学などと研究会が行われて、参考のために細菌やゾウリムシ、昆虫などのビデオも観たものです。
小さい頃は、当たり前に思っていたようなものが、実はトンデモないほどすごいもの、科学技術を突き進めて行くと、とうてい人間の手には及ばないということが歴然となるのです。
そんなときに92年、体の不調から初めての真氣光研修講座受講となり、工学博士の故関英男先生の話から、この宇宙には自然界全体を統制する神のような存在がいるのかもしれないと思ったものでした。
以前の私は、「人間は死んだら終わりだ」とか「科学で証明出来ない物は存在しない」と考えていたのに、氣の世界=スピリチュアルなことに目覚めたわけです。
目には見えない氣の世界を知ると、住む世界が広がるのです。
氣の世界とは見えないエネルギーの世界、その範疇には神社仏閣など神や仏の世界から、霊・魂、風水や占いまでいろいろなものがあります。
そういうものが存在していることに納得できるようになったわけです。
しかし、それらのもの全てが必要かと言うとそうでもありません。
 私は、人が生きる目的とは自分の置かれた状況において魂を輝かせることで、そのために重要なことは、他人・家族・先祖と自分との繋がりの中で、何か一つに集中してエネルギーを取り入れることだと思います。
そうすることでその吸収力が上がり、毎日の生活の中で大いなる力に生かされていることが分かり、考えや行動が自然に変われるということです。
私は、たまたま縁のあった、真氣光を生活に取り入れてみて、たくさんの氣づきがありましたが、それらは他のいろいろなことをやっていたのでは得られなかっただろうと思います。
私は真氣光の世界しか知りませんが、自分の体験で得られた真氣光の良さを皆さんに伝えていこうと思うのです。
(中川 雅仁)
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