お子さんやお孫さんの受験に向けて、先月から遠隔真氣光の申し込みを受けることが多くなりました。
持てる力を十分に出し切って欲しいと、私も精一杯やらせていただいております。
大学入試では先月のセンター試験に続き、私立、公立と試験が続くのでしょうが、私の時代と入試も変わっているようで良く分からないのが実情です。
しかし、親子共々そのストレス的な厳しさは昔と余り変わらないのではないでしょうか?
先日、大学時代の友人と新年会をやったのですが、「受験生が二人もいると地獄のようだ、オマエは子供がいなくて良かったなぁ」などと言われます。
「苦労は報われるよ。居なけりゃ居ないで違うところで苦労は多いぞ」と答えたのですが・・・。
私は一度目の受験に失敗し一浪で大学に入ったのですが、当時はセンター試験とは言わず共通一次試験と言っておりました。
私はその共通一次の元年、ちょうど制度が変わったその年が一度目の受験だったのです。
答案に文字を書くのではなく、印のあるところを塗りつぶすという新しい方式にかなり戸惑いがありました。
今でこそ当たり前になっているマークシートなるものに全く免疫がありませんから、塗りつぶす講習や練習もありましたし、マークシート用鉛筆も売り出されていたように記憶しています。
今の子には、笑われてしまうかもしれません。
先日新聞を読んでいたら「お守り握れば安心と自己暗示」という記事がありました。
「テスト不安」は心理学では50年代からの研究テーマだとか。
緊張で実力が発揮できない原因として、注意力には容量があるという仮説があるそうです。
注意力が心配事に使われると、テストへの集中力に振り向ける分が足りなくなるというもので、「緊張しやすい原因は性格ではなく物事の捉え方、それを変えればリラックスできる」ということです。
とらえ方を変える一つの例が自己暗示、例えばお守りを握れば安心できるとリラックスできる自分を想像しておくということですから、昔からの方法はやはり理論的にも効果がありそうです。
ところで、心配や緊張がよくないことはわかっていて、お守りに加え深呼吸など、いろいろな対処法をやってみても、マイナスの氣が強く影響している場合には、どうしても思うようにならない場合があります。
そのような時には真氣光のエネルギーが効果を発揮します。
氣を受けることで、影響を与えていたマイナスの氣を取り除き、プラスの氣の応援が受けやすくなるのです。
しかし、応援をあてにし過ぎるのは禁物です。
先ずは地道な努力、私も一度目に比べ二度目は、よく精進(勉強)できたから合格できたのだと思います。(笑)
(中川 雅仁)
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投稿者: 中川雅仁
薄型大判プレート発売します
2007年11月22日のこのニュースで真氣光大判プレート発売の記事を書きましたが、これまで、たくさんの方々に購入いただき、さらにはこのニュースにもいろいろな方から20件ほどの体験談をお寄せいただいております。
この真氣光大判プレートはSAS三連マークが一万個、厚さ2mmのステンレス板にエッチングと呼ばれる技術で刻印されたものです。
プレートシリーズはこの他にも、100個刻印された真氣光ミニストラップや1000個刻印されたチタンプレートがあり、どれも真氣光のエネルギーを集めるアンテナとなるSAS三連マークを多用したものです。
その中でも最強となるのが、この真氣光大判プレートですが、家族や御先祖などに遠隔真氣光で氣を送りやすくするために、盤面に名前や住所などの無料刻印サービスを実施しています。
これは御先祖のような方々にとっては、墓石等と同じように、いつまでも変わらない物に名前を刻まれることで、変わることなく光が届く安心感もあるようです。
ところで、この宛名の刻印ですが、刻印する宛名が複数の場合には、真氣光のエネルギーは届きやすいところから、時間経過と共に徐々に浸透していくことがわかっています。
ですから最初は敢えて、気になる方の名前だけを入れて、順次継ぎ足していくということもできるわけです。
また、私たちは人生のうちに結婚や出産などで、いろいろなご縁ができるものです。
その度に追記できる、つまり一生使える、さらには次の世代まで使えるというのが、この大判プレートの良い所なのです。
今回発売する薄型大判プレートですが、SASマークの刻印数一万個をそのままに、若干小さなB5版サイズ0.3mmの薄板を使用しています。
宛名などを刻印した後、プラスチックフィルムでラミネートすることで、安全上も問題がないものにすることができました。
この薄型大判プレートですが、従来の大判プレートとの最大の違いは、宛名など最初に刻印はできるのですが、刻印後にプラスチックでラミネートしてしまうために、名前などの追記ができなくなります。
また熱や永年の耐候性あるいは大きな力による変形という点でも従来の大判プレートに比べると劣るでしょう。
さらには私が刻印後手作業でラミネート作業をしますので若干の色ムラなどが発生し、その点もご容赦いただかなければなりません。
しかし薄板にすることで、氣の効果をできるだけ落とさずにお値段を安くすることが出来ました。
何と言っても軽く持ち運びやすいという点が最大のポイントですので、職場や旅行、場所を変えての遠隔真氣光などに使っていただけると思います。
一般価格168,000円(税込み)、発売は1/29から受付けます。
(中川 雅仁)
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気分を変えること
私が帰宅すると、妻がテレビを見ながら大笑いしていることがよくあります。
私には、番組の面白さがよくわからないのですが、最近わかったことには私の場合、テンポの速い口調と大勢の人が甲高い声で言い合っていると、何を言っているのか聞き取りにくいというハンディーがどうも根底にあるようなのです。
ですから「くだらないテレビを見て、何が面白いのか」とばかりに、もっと静かな別の番組にしてほしいと言いたくなっておりました。
しかし、これを分析すると、結局は私の老化現象の現れであり、妻の精神状態が“大笑い”によって改善されるなら、こんな素晴らしことはないと思うようになり、最近は随分考え方が変わったように思います。
こんな話をするのも先日、「落ち込んだとき、気分を変えるために、どのような行動を取るか」ということを調査した結果が新聞に載っていたからです。
「取りあえず、寝る」というのが3人に1人以上の人の回答で第1位、続いて「よし!と大きな声を出す」「外を歩く」「好きな音楽を聴く」と続きます。
記事には、適度な運動が脳の血流量を増やし脳内の神経伝達物質の分泌を活発にするため、ストレス対策によいという医学的な裏付けも解説されておりました。
誰でも憂鬱になることはあるものです。
しかし、その気分を変えて、いつまでも引きずらないことがとても大事です。
長引けばそれだけ、周りにあるマイナスの氣と波長が合うこと(同調現象)によって、それを引き寄せやすくなり、もっと悪い方向に引きずられてしまうからです。
まずは気分を変えようと思うこと、つまりは自分がマイナス方向に向いていることを自覚することでしょう。
それに気がつけば、上記のような自分に合った方法に加え、いつもお話しするように私たちには氣を受けるという強力な方法で対処ができるのです。
しかしマイナスの氣は、“そーっと気づかれないように”影を潜めてやって来る傾向があり、知らないうちにその影響を受けていることがあるものです。
私も自分では自覚せずに、機嫌が悪くなっていることがあります。
もちろん自覚できたときには、ハイゲンキや音氣などを使って氣を受けるのですが、このように自覚できていないときは、私の気分が少しでも変わるようにと、あの手、この手で妻がいろいろと氣を使っているようなのです。(妻の弁)
誰かがマイナスに傾いたときも、それに同調しない家族や周りの人がとても大切です。
そのようなゆとりを持てるのも日頃の心の余裕のなせる技、真氣光の充電が欠かせないということでしょう。
(中川 雅仁)
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(37)好きこそものの上手なれ
先日、古いデータを探すために、物置に埋もれていた古いパソコンを掘り起こすことになりました。
結局データは見つからなかったのですが、当時を思い出し懐かしいものでした。
仕事で使ってきたパソコンですが、使い始めたのは25年以上前のことです。
どうしても使わなければいけなくなり、マニュアル片手に始めたのですが、突如動かなくなり何時間もかけて修復することも一度や二度ではありませんでした。
当時の私はパソコンやワープロなど、キーボード機器のアレルギーで、私は頭から「こういうものは苦手だ」と決めつけていたように思います。
結局、いろいろ試行錯誤を繰り返すうちに仕組みが分かってきて、理解できることで苦にならなくなり、だんだん思った以上の結果を引き出せる便利な道具になったことで、使うのが好きになったのです。
「脳に悪い7つの習慣」林成之著によりますと、脳内にはA10神経群という感情をつくる中枢があり、そこが「好き」「嫌い」「感動した」などレッテルを付けるそうです。
そこでマイナスのレッテルをはられると、脳はその情報に対して積極的に動かなくなり、しっかり理解できず、思考が深まらず、記憶もしにくくなってしまい脳を退化させるというのです。
著者は、『「嫌いだ」と言い続けて何も変えようとしない態度は、自分の脳をダメにし、結局、勉強でも仕事でも良い結果を残すことはできません』と言っています。
「好きこそものの上手なれ」ということわざがあります。
ことわざ辞典によると「好きであることが物事の上達の道だということ。一般に芸事や習い事は、好きになると関心が深まり、それに割く時間も長くなり、結果として腕前があがるものである。江戸時代中期からのことわざ」とあります。
昔の人は、脳科学はわからなくても、このことを経験的にわかっていたのでしょう。
私は、脳内のA10神経群にマイナスの感情を起こさせるものの中の一つに、周りにあるマイナスの氣も関係しているのではないかと思っています。
先祖の代から、もしくはいろいろな体験で引き寄せてしまったマイナスの氣の影響を受けると、マイナスの感情が生じやすくなり、その人が良い方向に変われないようになってしまうのです。
私たちは、人や物あるいは物事に対して「嫌い」「苦手」「ダメ」等とマイナスのレッテルをはりがちです。
良くないことはわかっていても、そうなってしまいます。
ですから真氣光を受けることで、マイナスの氣の影響を少なくするとともに、ある程度それができたなら、自らもマイナスの先入観を持たないように工夫する努力をしてみることなのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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謹賀新年
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年初めての真氣光ニュースとなりますが、年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか?
たくさんの年賀状とメールをありがとうございました。
今年も皆様にとって良い年となりますようにお祈りいたします。
この休日、私は「日頃読めない本をできるだけ読もう」「日頃ゆっくり考えられないことを考えよう」という決心で望み、
いつもの仕事一辺倒モードから少し離れてゆっくり過ごすことが出来ました。
この元日で私は50歳になったこともあり、私自身の「魂を輝かせる」作業についてもう少しピッチを上げるべく(笑)、あれこれ年頭の決心をした次第です。
「一年の計は元旦にあり」とは言いますが、年初というこの時期に、自分はこの先どんな風に変わって行きたいのか?ということを意識することは氣の観点からも大事なことでしょう。
ただ漠然と過ごしてしまうよりは、その目標に向かって毎日真氣光を受けることで、受け身的な氣づきから、より積極的な氣づきへと変わっていきます。
そして気づくことで、人は変わるのです。
周りが変わるよりも、まず自分をいかに変えていくかということが魂を輝かせることにとっては重要なことです。
真氣光をしっかりと受けて、ますます光り輝く人生にしたいものです。
ところで、今年は真氣光にとっても25周年という記念すべき年です。
そこでこの輝かしい年の幕開けに、日頃から真氣光のエネルギーを利用していただいている会員の皆さんへ感謝の気持ちを込めて「ハイゲンキ誕生&真氣光25周年記念セール」と題してセールを開催することにしました。
照射ヘッドのバージョンアップ、ソフトヘッドやスティックヘッドなど各種ヘッドやパーソナルHGさらには照射ヘッドのケース交換などを特別価格で販売します。
ハイゲンキを永く使っていただいている方の中には、既に20年を越している方も珍しくはありません。
少し古くなった照射ヘッドを修理したいという方、より強力な氣が受けられるようバージョンアップしたいという方、違う種類のヘッドでいつも氣を充電したいという方にもお薦めです。さらにはこれをきっかけに、ご家族の方にも各種のヘッドやパーソナルHGを使い、たくさんの氣を受けていただけるようにと、この記念セールを企画致しました。
ぜひ、多くの皆様に利用していただきたいと思います。
今年も精一杯やらせていただきますので、スタッフ一同よろしくお願い致します。
(中川 雅仁)
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ふらふら探しながらやってみる!?
早いもので、今年最後の真氣光ニュースとなりました。
私は、月刊ハイゲンキの巻頭言で、今年一年の真氣光の進歩についてまとめてみました。
既にお手元に届いたでしょうか。
さて私自身について今年を振り返って見ますと、思うようにできたこともあるのですが、なかなか進まないこともありました。
これもできなかった、あれもこうすれば良かったと反省モードが強くなりすぎると、客観性を欠き、悪いとこ探しになるので注意したいものです。
先日、ちょっと面白い記事を目にしました。
大阪大学生命機能研究科特任教授・柳田敏雄さんの話で、筋肉の収縮を担っているアクチンとミオシンという2種類のタンパク質分子の動きについての解説です。
「ミオシンは、アクチンの上をきちっと動くのではなく、前後左右にふらふらとしながら、よく見ればある方向に進んでいるとわかるという動きをしていた。脳は例えば『コップをつかめ』というミッションを送るだけで、各分子に『君は右にどれだけ進め』なんて言いません。ミッションに基づいて、自分でどう進めばいいかを確かめなきゃいかんとなったら、ミオシンはふらふら歩いて、いろいろな可能性の中でいい方向を探すしかない。コップがつかめない時も脳は『ダメだ』と言うだけ。それで分子は『あかんらしいぞ』と、また探すんです」つまり脳が全てを決めているのではなく、それぞれの分子がふらふら適当な位置を探しながら、ジワジワ良い方向に進んでいくというのです。
よくこんなことでコップが持てるものです。
単純な動作一つとっても、すごいことを私たちの体はやっているんですね。
私は、この話の「ふらふら探す」という部分が特に興味深かったのです。
結局、よくわからず、ふらふらする。私たちは、何に気づいたら良いのだろう、あーかな、こうかなと、いろいろやってみます。
どれも必要なことで、一見失敗のように見えることでさえ意味があって、途中の過程を経て真に氣づき、だんだん方向性が見えてくる。
あたかも一人ひとりが筋肉の一分子のようです。
宇宙の何か大きな存在が発したミッションに従って、一人ひとりが休むことなく進むべき道を探し動いているように思ったのです。
真氣光はそれをできるだけ短縮できるように応援してくれているようです。
学校の冬休みも始まり交通機関もふるさとへの帰省でにわかに混雑しているようです。
何となく気ぜわしく、こちらもついせかせかモードになってしまいがちです。
あまりふらふらし過ぎないないためにも(笑)こんな時こそしっかりと真氣光を受けて今年一年を締めくくりたいものです。
(中川 雅仁)
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他に期待しているあいだは自分は何も変われない
ある人に氣を送っていると、その人の口を借りて出てきた魂がいました。
「もう、どうでもいいんだ」そんなことを言って、何もやる気がしないという感じです。
強いマイナスの感情ではありませんが、エネルギーを失っている魂のようです。
どうしてそんなことになったのか聞いてみると、仕事を指示されたのだけれど、彼の上司は指示したことを忘れてしまっていたと言います。
「あいつは、人のことをどう思っているんだ。結局どうでもいいような仕事をやらされて、やってられない。」と言うのです。
気力が無くなり、生きる希望も失い、エネルギーを失ったまま体を無くしてしまった魂のようでしたが、氣を受けるうちに重く投げやりな気持ちはどんどん変わり、最期は光の世界に逝かれたのでした。
私は、これは単純な話のようですが、重要なことだと思ったのです。
私たちは、つい自分以外の何かに期待してしまいます。
そしてそれが自分の思うとおりになっていないことで、マイナスの感情をため込んでしまうのです。
日常生活の多くで現状が良くならないのは自分のせいであり、自分が変われていないこと以外の何ものでもないわけです。
それを「分かってくれない」「もっとこうして欲しい・欲しかった」「なぜ分からないんだ」と思ってしまうのです。
私も’92年に初めて研修講座を受講したときに「すべては自分次第なんだ」ということに気がついたのですが、このような意識に変わるのはなかなか難しく、手を変え品を変え、それが心底わかるまで“周りのせい”にしたくなるようなことがやって来ます。
ですから、まだまだ今も勉強中の状況です。
他の何かに期待しているあいだは、自分は何も変わらないのです。
自分の人生ですから、コツコツ自分がまず変わることを考え努力する、自分が変わった分だけ相手や状況が変わるのです。
自分の期待通りに変えようとしていても、何も変わらず一生を終わってしまうかもしれません。
今、前述の彼のようになってエネルギーを失った魂が多くなっていて、その影響を受けやすい状況にあると思います。
「なぜ~しないんだ」などと人を咎めても、こうすべきと言ったところで真の解決にはなりません。
私たちには真氣光のエネルギーがあります。
その人も自分と一緒に氣を受けるようなつもりで、接したりよく話を聞いたりしてください。
なにか良い部分があるはずです。
それを大きくしていくことで、氣づきのチャンスがあるものです。
面倒臭くなったら、何の応援もありません。
私たちが行動する分だけ、後から応援してくれるのが真氣光のエネルギーなのです。
それが宇宙からの光のギフトになるわけです。
(中川 雅仁)
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小学生から肩こりだったという話から
最近妻は、あまり肩こりのことを言いません。
本人曰く「元気な、おばさんになったかな」と、肩も体も硬いけれど、肩こりの自覚はなくなったそうです。
なんと肩こりは、小さい頃からあったとか、小学生のときには親に肩を揉んでもらっていたと言います。
妻に今までの肩こりについて変化の状況を聞き出すと、OL時代から結婚直後が一番の肩こりのピークで、その頃には顎関節症も併発したようです。
しかし、それが結婚後の先代によるハイゲンキ治療をきっかけに少しずつ良くなり、その後症状が悪くなったり良くなったりの波はあったのですが、今ではすっかり軽快というわけです。
10/8のこのニュースでストレスが腰痛の原因という新潟大学の岡田教授が書いた健康コラムの新聞記事を紹介しました。
記事の内容は「腰痛のきっかけは無理な姿勢、重いものを持ったなどいろいろあるが、最新の画像診断装置を使った研究によれば、腰痛があっても85%の人には異常がまったく見つからず、研究が進むにつれ腰痛がなぜ起こるのか分からなくなってきた。骨折や特殊な病気を除くと、ストレスが背景にあることも多い」というものでした。
その後「肩こりもストレスが原因」という大阪大学大学院医学系研究科の大平哲也准教授の新聞記事が目に付きました。
記事の内容は「どんな要因が肩こりに関係するかを明らかにするために約8000人の肩こりに悩む人の生活習慣を調査した結果、当初考えていた運動不足よりもストレスの方が強くかかわっていることがわかった」というものでした。
最近はいろいろな病気がストレスに起因することがあると医学的にも言われるようになりました。私は、確かにストレスもあるのでしょうが、マイナスの氣の影響も強く関係していると考えています。
さらにはマイナスの氣の影響でストレスを強く受けてしまうことがあります。
ストレスを受けやすい人、受けにくい人も氣の影響が考えられるのです。
いろいろな肩こりの人の話を聞いていると、小さい頃から肩こりという人がけっこういるものです。
それでは、そんなに小さな頃からストレスに曝されていたのでしょうか。
妻もその一人ですが、良く聞いてみると普通の小学生で、どう見ても強いストレスはなさそうです。
私たちはどんな人も、生まれながらに先祖や土地の氣の影響を受けていて、それが体に現れやすい人、気持ちに現れる人、身の回りの出来事に現れる人、あまり現れない人がいるようなのです。
肩こり腰痛には、ストレスが主因のもの、マイナスの氣が主因のものがあるでしょうが、どちらの場合も真氣光が有効だと思うのです。
(中川 雅仁)
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“ぽっくり死にたい”祈願ツアーが人気?
先日新聞を読んでいると「ぽっくり逝きたい」という見出しに目が止まりました。
長寿化で「苦しまず、迷惑をかけず」という思いから、“ぽっくり死ねるという御利益”のあるお寺やお地蔵様が観光スポット化され、祈願ツアーが人気だそうです。
さらには、第一生命経済研究所の調査結果も併記されておりました。
40~70代の男女735人を対象にした「どんな最期を理想と思うか」という07年の調査では、75.9%の人が「ある日、心臓病などで突然死ぬ」と答え、これは4年前の調査から11ポイント以上増えたということです。
さらに記事では、「定年後の第2の人生も長くなり、高齢者は自分の死生観と向き合う時間が増えている。家族の絆、地域社会とのつながりが薄れており、そういった社会情勢が意識の変化を促している」と結んでおりました。
私はこれまで、たくさんの人に氣を送ることで、既に亡くなった人たちに会ってきました。(本ニュースの「たましいの話」を参照)
その人たちの言う、いろいろなことを総合的に考えると、体を失って終わりではないこと、亡くなると容易には心や魂の状態を変えられないこと、生きている間がとても大事だということがわかりました。
体を失っても魂という生命エネルギーつまり氣が残り、体を失うときのエネルギーの状態で、その後が、ずいぶん違ってくるということなのです。
一番問題なのは魂のエネルギーが下がった状態で死を迎えるということです。
体があることで、私たちは気分を変えたり気晴らしができたりするものですが、それができずに、苦しみや辛さを感じやすくなった状態がずっと続くということになります。
さらにエネルギー不足のまま体を失うと、自分では何も出来ないばかりか、生きている人の力を借りなければなりません。
誰でも生まれたからには、必ず死というものが訪れるわけで、そのことについて考える人が増えているということはとても良いことです。
しかし、家族や周りに迷惑をかけたくないという思いだけが強くなっているようにも思えます。
魂はその成長のために、必要な出来事を引き寄せますから、人に感謝するという氣づきが魂の成長に必要なら、人にお世話になるようなことが起きるのです。
そう考えると、どんな死に方であれ、生きているときが重要です。
死後も迷惑をかけないように、さらには強力な光となって家族のサポートができるように、私たちは日頃から真氣光を受け、いろいろなことに気づき、魂を輝かせる生き方を心掛けたいものです。
(中川 雅仁)
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(36) 大事は小事より起こる
沖縄での研修講座では参加者の皆さん、ありがとうございました。
たくさんの方々の笑顔で、すっかり私の方が良い氣をいただきました。
ところで研修前日、施設の体重計にのってびっくり、2キロも増えていたのです。
このところ外食が増えておりました。
さらには先週妻と買い物に出かけたのですが歩き疲れたとコーヒーショップに入り、丁度おやつの時間帯だったことも災いして、コーヒーのみならずケーキも頼んでおりました。
「昼が早かった」「夕飯を軽くすれば良い」「今日は随分カロリーを消費した」と、二人で言い訳し合っておりました。
最近の氣の緩み、「塵も積もれば山となる」式で少しずつ私のお腹は小山の三段重ねのようになり、メタボ体質から成人病に発展しないとも限りません。
氣をやっているからと安心することなく、日頃から過度な食欲は“よろしからぬ欲”と認識し、体に感謝の気持ちを持って適度な運動を心掛けることだと反省した次第です。
「大事は小事より起こる」ということわざがありますが、これは氣の性質を適確に捉えているものだと思います。
ことわざ辞典で調べてみると『どのような大事でも、はじめはごく小さなことが原因で生じるということ…「老子」に出典があり、日本でも室町時代の「金句集」などに収録されている古い部類のことわざ』とあります。
氣は波動的な性質がありますから、プラスの氣とマイナスの氣は水と油のように混じりにくいのですが、マイナスの氣同士であれは、どんどん引き合って大きくなりやすいのです。
例えば私を邪魔しようとしているマイナスの氣が最初は気づかれないような小さな氣の緩みを誘い、少しずつ体を蝕むようにして勢力を拡大することだって考えられます。
逆に言えば、プラスの氣も少しずつ繰り返し取り入れることで、強いマイナスの氣にも対抗し得るような、強大な力を有するようになるのです。
ですから毎日ハイゲンキで真氣光というプラスの氣を取り入れることは、どんなに大きな問題であろうと解決に導く可能性があるのです。
さらには日頃から真氣光を取り入れるということは、大事に至る前に早めにいろいろなことに氣づけるということでもあります。
まずは「小さな氣づきと行動が大事」ということでしょう。
ところで12月4日はメンバーズの集いを開催します。
自分自身が一見マイナスな出来事には直面していなくても、来年に向けてさらなる飛躍の為に、早めにいろいろなことに氣づくチャンスとなるよう氣を受けてみませんか。
当日、センターに来られない方も遠隔真氣光を受けるという方法がありますので、ぜひ参加していただきたいと思います。
(中川 雅仁)
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