(27)もう笑えない

月刊ハイゲンキの8月号はもうお手元に届いたでしょうか。今月号の対談は神津先生で「毎日の生活の中で『笑い』発見!笑いの種は、自分の心の中にある」というタイトルが付けられています。先生は身の回りにある「笑い」を見つけることが重要とお話してくださいました。私はその話を聞きながら、毎月の真氣光研修講座でやっている“いいとこ探し”と一緒の考え方だなと思いました。最初は見つけにくくても、見つけようと努力していくうちに、いろいろな発見があるものです。どんなところにも“いいとこ”があるように、どんなところにも笑いが隠れているのですね。つまり発見できるかできないかは自分の心が決めているようです。
 以前私がAさんに真氣光を送っていた時のこと、Aさんの口を借りて「もう笑えない」という魂さんが出てきたことがありました。Aさんは明るい人でしたから、私はすぐにご本人ではないと思い、氣を送ることに専念したのです。出てきた魂は、『自分は、交通事故で右半身に重症を負ってしまい、特に顔の右半分が傷ついて整形手術でやっと普通の顔を取り戻した。事故のショックと何故自分がこんな目に遭わなければならなかったのかという憤りで、心に深い傷を負ってしまった。病院でいろいろな処置をして何とか身体は元どおりになったが、すっかり笑うことができなくなり、結局生きる希望が見えなくなって自らの命を絶ってしまった。そして分かってくれそうなAさんのところに来た。』と言うのです。今ではそうは見えませんが、何年も前にはAさんにも笑えない時代があったようです。
 しかしその後Aさんには、笑える事が多くなったようです。一方Aさんにくっついている魂は「えへら、えへら笑うのが気にくわない」とAさんの前歯を虫歯にして変色させ、口を開けて笑えないようにしたと言うのです。でもAさんは、そんな事はおかまいなしに、よく笑う生活をするようになりました。さらには真氣光を受けるようになり、ますます光が届いたのでしょう。ついにくっついていた魂が浮き出てきたという訳です。最後にその魂は「私は、自分の事だけしか考えていなかった。たくさんの人が励ましてくれたり、力を尽くしてくれたり、周りにいるたくさんの人達がいろいろな事をしてくれていたのに全く目に入らず、笑うこともできなくなっていた。でも、この人は笑いを絶やさなかった。」と言い、光の世界に逝かれました。笑顔は自分ばかりでなく周りにも光を与えます。誰でも、たいへんな時には笑えないものですが、“いいところ”を探す努力と真氣光が少し目先を変えてくれ、笑いを運んでくれるようになるのです。

(6)人を呪わば穴二つ

「人を呪わば穴二つ」ということわざがあります。これは、人に危害を加えたら自分も害を受けるものだというたとえでしょう。このことわざですが、氣の性質をよく表している表現なので、私は氣を説明する時に使うことがあります。ことわざ辞典で調べると次のように書いてありました。「幕末の河鍋暁斎の『狂斎百図』という絵に、人を呪い殺すために藁人形に釘を打ちつける丑の刻参りをした女に対して、傍らの魔神が二つの穴を指し示しているようすが描かれている。昔はふつう穴を掘って埋葬する土葬だったので、呪いを受けて死んだ者が入る穴が一つと、そして呪った者自身が入る穴がもう一つというわけである。この墓穴説は江戸中期の平元正信のことわざ解義書がすでに述べている。」
 氣は電波のように発信すると、それと似たような氣が同調するように集まってくる性質があります。だから、呪いというマイナスの氣を出すと、それを出した人のところにマイナスの氣が集まって来て、その人もそれにより死んでしまうということなのです。科学が進んだ今の時代では非科学的と一笑に付されてしまうかもしれませんが、昔の人は経験的に氣の事を分かっていて、呪いという氣の効果を認めるだけではなく、さらにはそれを簡単に使わないよう戒めたのだと思います。
 今では呪いというような強いマイナスの心を持つ人は少ないですが、不平不満、咎め、怒り、ねたみなど日常の生活で、ついついマイナスの心を持つことがあります。そのような時には、強くはないですがマイナスの氣に影響されるので、知らず知らずのうちに疲れの元になっていることがあるのです。「私にはストレスはありません」という人も、何らかのマイナスの心がマイナスの氣を集め、それが何年も経つうちに積もり積もって身体のいろいろな症状として現れることも考えられますから、注意したいものです。
 また逆に考えると、プラスの氣となる心を持てばプラスの氣が集まるということが言えます。例えば他人の幸せを祈る心を持てば、プラスの氣が集まってきて、その人自身も幸せになれるでしょう。自分が幸せになりたいから他人の幸せを祈るのでは本末転倒ですが、見返りを期待することのないプラスの心をたくさん持ちたいものです。真氣光は高次元からのエネルギーですが、それを受けることにより自然にマイナスの心が少なくなり逆にプラスの心が多くなる不思議な氣です。この真氣光を使って、自分も周りもたくさんの人が幸せになって欲しいと思うのです。

(26) 何の価値もない

 最近、左の手足が痛いと訴えるAさんに私が氣を送っていた時の事です。彼女は氣を受けて少々痛みが増したようで、少し苦しそうな表情になったかと思うと、急にすすり泣きを始めたのです。私は直感的に、これは氣を受けているAさんではなく、どなたかご縁のある魂さんが出てきていると思いました。案の定、彼女は泣きながら「私は手も足も動かなくなったんです。私にはもう生きている価値がない。」と話を始めたのです。事故なのか病気なのかはわかりませんが、どうも手足が全く不自由になって亡くなった方のようです。私は氣を送り続けました。その魂さんは「手足が動いているときにはわからなかったけれど、手や足が動くという当たり前の事がとっても有り難いことだったとわかりました。」と言うのです。さらに「自分一人では、何もできなくなったから、いろいろな人にたくさんの事をしてもらいました。だから感謝、感謝…毎日毎日たくさん感謝しています。だけど、動かなくなった手や足はもう元にはもどらない。動くことはないんです。だから、もう誰にも何もしてあげられない。私には何の価値もないんです。生きている希望もない。」と訴えるのです。私は思わず、その方の生きていた時の様子を想像しました。ベッドに寝たきりの状態になって、自分のできることを見失い、すっかり生きる希望を失ってしまったのでしょう。感謝するということは光になるのですが、自分には価値が無いという大きな絶望感が、その方の魂から光を奪っていたのです。私は「もし自分がそうなったら、どうするだろう」と考えると慰める言葉も浮かばず、出てきている魂さんに光が届くよう、ただひたすら氣を送ることしかできませんでした。「・・・」少し沈黙の時間があった後、「あーっ。私にも人の為にできることが一つだけあったんだ。」と言うではありませんか。真氣光の光がAさんを通して、その魂さんに届いたのでしょう。「手も足も動かない、こんな私にも悲しむ人の話を聞いてあげることはできたんだ。アドバイスできることは何もなかったけど、『聞いてくれてありがとう』って言われた。」と言うのです。真氣光が、忘れていた記憶の中から氣づきをもたらしたのです。「どんな人だって生きていれば誰かの為にできることがあるのです。だから生きている限り希望を失って欲しくない。」最後に、そう言ってその魂さんは逝かれたのでした。“人の話を聞かせていただく”ということさえも喜びにでき、そしてそれは本当に強い光になるのですね。

(5)氣は心

昨日テレビでニュースを見ていたら、「そごうと西武百貨店、経営統合後初のお中元商戦の出陣式」というのが目に入りました。早いもので今年も約半分が過ぎ、お中元の季節になったのですね。デパートでは、どこも商品を充実させて顧客獲得作戦を展開しているようです。この不況の中ですから、私達消費者は財布の紐も閉め気味にならざるを得ません。お中元選びも「氣は心」というところでしょうか。
 ところで昔から使われるこの言葉、ことわざ辞典で調べてみました。「わずかな物でも自分の誠意は示したいということ。また、それが相手に通じるということ。」とありました。さらに「あまりことわざらしい形ではないが、江戸中期の『尾張俗諺』に収められている京都方面のことわざを集めた「京師通諺」にあるから、少なくとも当時はことわざとして認定されていたと思われる。」と載っていました。江戸時代から人々の中に氣の言葉は浸透していたようです。もう少し、私なりの解釈を加えてみましょう。氣は特別なものではなく、どんな人も持っている心から発せられるエネルギーです。何か物を差し上げる時に、何にしようかと一生懸命その方の事を考えたときに、その心から発せられる氣が相手に伝わるというものです。心から氣が発せられるのですから、これは物をあげるときばかりではありません。毎日の生活の中で眠っている時以外は、私達はいろいろな心の状態を持っています。仕事をしている時、話している時、何かを心で感じて、知らないうちに氣を発しているのです。ところで心の状態というものは、大きく分けるとプラスとマイナスの方向があります。他の人を思う心、楽しくウキウキした状態はプラスの氣を発し周りを幸せにします。そのような人をたくさんつくるために、先代は真氣光を教えられたのでしょう。
 また氣グッズの作り方が、まさしく「氣は心」の原理なのです。私は氣グッズがメーカーで作られSASに入ってくると、氣入れ室に入れて氣入れをします。「この氣グッズを使う人に、真氣光の光が届くように」と強く思い氣を入れるのです。すると私の心が宇宙の何処かに届き、氣を発する物つまり氣グッズに変わるのです。このように作られた氣グッズは、それを贈る人のプラスの氣も増幅します。ですから、お中元に限らず、贈り物には最適なのかもしれません。

(25) 学校が嫌い!

今年の2月から4回にわたり月刊ハイゲンキで不登校の特集をしました。ちょうどそのころだったと思います。その日の会長セッションも終わりに近付いたところで、「ちょっと頭が痛いんです」とAさんが私に訴えました。Aさんは学校の先生です。今年から生徒指導という役をすることになったということで、「これも意味があるのでしょうね」と前回のセッションで私に話してくださったのでした。私はそんな事を思い出しながら、そのまま少し氣を送っていたのです。すると突然「やだ、やだ」と言い始めました。これはAさんじゃないと思い、その後の言葉に耳を傾けたのです。苦しそうな顔をしながら「あんな学校、誰も行かなくなればいい」と言います。どうもAさんの口を通して出て来ているのは、学校に行くことが嫌になり、悩み苦しんで亡くなった子供の魂だったらしいのです。自分を苦しめた学校や先生に、恨みの気持ちを持っているのです。後からわかったことですが、その学校は伝統のある女子校で、昔から変わることのない規律がとても厳しく、生徒の中にはずいぶん窮屈な思いをしている子も多いとの事です。たぶんその子も、そのような規律について行けず先生を通して学校というものがすっかり嫌いになってしまったのでしょう。いろいろ自分が苦しんだから、皆が自分と同じように学校が嫌いになって行かなくなるように、先生と生徒の関係が悪くなるマイナスの方向にいろいろと画策していたらしいのです。しばらく氣を送りましたが、なかなか軽くならず出てくる言葉は暗くて重い言葉ばかりです。その子一人がAさんの口を通して出てきているのですが、私にはその背後にたくさんの悩み苦しんだ子供達が居るような気がしました。私がより集中して氣を送り続けると、真氣光の光が届き始めたのでしょう。だんだんと出てくる言葉が変わり始めたのです。「でも、こんな先生もいるんだね。この先生は一生懸命生徒の話を聞いていたよ。」「だんだん軽くなってきた。自分が辛かったから、みんなが学校に行かないようにしたけど、それは間違っていたんだね。私も光になって苦しんでいる子を助けられるよ。」辛い体験をしたからこそ、苦しんでいるたくさんの子供達の本当の力になれることでしょう。Aさんがこのセッションの前日、一日を費やして生徒の話を聞いてあげていたことを後から聞きました。Aさんは「話を聞いている時には何の意味があるのかわからなかった」と言っていましたが、その行動が、影に光が届くきっかけになったのです。「私の学校は女子校だから生徒は将来お母さんになり、生まれる子は次の世代を担うことになる」と何気なく言われたAさんの言葉に、私達大人は子供達を通して未来に光を送っている事を、あらためて氣づかせていただきました。

(4)渡りに船

以前、弱り目に祟り目という諺について書きましたが、そういう時には「真氣光をしっかり充電していただくことが重要です」と、お話ししました。それとは反対の意味になるでしょうか、“渡りに船”ということわざがあります。必要としているときなどに好都合なことが起こることのたとえです。辞典には「川を渡ろうとして、身支度などの準備をしていたら、ちょうどうまい具合に渡し船が来たという情景であろう。…鎌倉時代の仏教説話に、この表現がある。」とあります。昔の人も、ちょうど良くいろいろな事が起こるということを、ずいぶん経験していたのでしょう。
 私も時間も調べずに駅に行ったら、運良く待つことなしに列車に乗れたなど、渡りに電車(笑)という経験が良くあります。昔は渡し船が出る間隔も長かったでしょうから、昔の人にとっては、本当に好都合と感じられたことでしょう。確率的に考えると、そんな好条件に恵まれることはあり得ないはずなのに、本当に運良く事が進むということがあるものです。生駒での研修講座に来られた方々のお話を聞くと、そのような方がたくさんいらっしゃることに気がつきます。
 このようなことが起こるのは、そのときの自分の力ではどうにもなりませんから、どこからかの見えないエネルギー、つまり氣の影響と考えられます。私達の周りにはプラスの氣もマイナスの氣も存在します。自分の心に同調してそれらが集まって来るのですが、何らかのプラスの氣の影響で、一見マイナスの現象を引き起こすマイナスの氣の影響が少なくなると、自分が思うことに対して後押ししてくれるプラスの現象が起こりやすくなるものです。真氣光というプラスの氣を受けることでも、そのような現象が多くなるようです。
 私達の周りには、陰で支えてくれているプラスの氣、つまり見えない力があるものです。それはご先祖かもしれませんし、神様や守護霊さんかもしれません。“渡りに船”の状態になった時には、それらのお陰とその有り難さに氣づきやすいものですが、そうでないときにも何らかの応援があるものです。いつも見えない大きな力に支えていただいているということを忘れることなく、それらに感謝したいものです。さらにまた注意すべき事は、いつも“渡りに船”を期待していては駄目です。そのようなプラスの氣の環境に自分自身を置けるよう、日頃から真氣光をしっかり受け、洗心を頭に置いた生活が必要ということになるでしょう。

(24)酒を飲まされる

うちの近所に大学があり、駅前には新入生らしき学生が大勢、やけに陽気に集まっていました。どうも、クラブかサークルの新入生歓迎コンパの帰りのようでした。昔と今では、随分酒の飲み方も変わったと新聞に載っていました。酒を飲んで議論などというよりは、一気飲みが流行り、急性アルコール中毒になる学生もいるとか…。私も学生時代、友人が酒の飲み過ぎで動けなくなり、介抱したことを思い出しました。酒は百薬の長などと言い「適度の飲酒はどんな薬にもまさって効験がある」ということのようですが、飲み過ぎると大きな害につながります。良いのか悪いのか、我が家の家系は代々酒が弱かったようで(先代も弱かった)、私の場合ビール一杯ですっかり顔が真っ赤になってしまいます。
 酒と言えば、「最近頭がくらくらする」と言うAさんに氣を送っていたところ、酔っぱらったご先祖様が出てきました。(後から聞いた話ですがAさんの家系はお酒がめっぽう強く、お祖父さんはお酒のために土地を手放すことになった程、とのことです。)口調が完全に酔っぱらっている感じなので、相当酒を飲んでいるとわかったのですが、まだまだ飲み足りないような口振りです。いろいろ言われていましたが、私はそれには答えず、ひたすら氣を送ることに専念しました。真氣光の光が十分届いたのでしょう。だんだん落ち着いて来られたのですが、最後に言われた言葉が印象的でした。「俺は楽しくて酒を飲んだことは一度もない。辛いから酒を飲んだけど、飲んでも飲んでも辛かった」仕事のことか、家族のことか、わかりませんが、その方には、とても辛いことがあったのでしょう。過度の酒は思考を麻痺させますから、飲むことで一時的に辛さが紛れます。しかし辛い気持ちはマイナスの氣となってどこかに存在し続けますから一時的には良いのですが、また出てきます。それを繰り返しているうちに、身体に負担がかかり亡くなったのでしょう。以前このシリーズ第20話(2003/1/30)に登場いただいたAさんですが、ご先祖はたくさんの恨みをかっていました。今回出てきた方は、恨みを持つたくさんの魂達の影響で辛い出来事が集中し、酒を飲むことになったのでしょう。酒に関して辛いご先祖がいらっしゃると、次の代もそれに引っ張られ酒を飲まされますから、Aさんの家系は代々飲まされて来たのかもしれません。真氣光の光が浸透し、ご先祖を恨む人々が光になってくれたお陰で、Aさんのご先祖の辛さも癒されたのでしょう。深い繋がりがあるものです。

(3)袖振り合うも他生の縁

 毎回の事ですが、真氣光研修講座に集まって来られた方々を観ていて、その「縁」というものを痛切に感じるのです。特に“氣づきの場としての講座”で会う人ですから、お互いに何かを氣づかせてくれる存在という要素が特に強いのです。「袖振り合うも他生の縁」とは言いますが、講座の場合は、ご飯を食べるのも、夜寝るのも、お風呂に入るのも、誰かと一緒ですから、かなりの縁の深さということでしょう。
 ところで、このことわざ「袖振り合うも他生の縁」ですが、古くは室町時代の文献にも記述があるものだそうです。その歴史が示すように、このことわざはとてもポピュラーなものだと思います。辞典で調べてみると、次のように書かれてありました。『ちょっとした人との交わりも、単なる偶然によるものではなく、深い宿縁から生じていると言うこと。「他生」は前世あるいは来世の意。「たしょう」は「多生」とも書かれるが、その場合は何度もこの世に生まれ変わる意。現代では同音の「多少」と間違えやすいが、仏教観に基づくことわざである。道を歩いている時に見知らぬ人と袖が触れたくらいのささいなことでも、それは前世からの因縁によるという意から。』
 人も動物も、植物さえも、見えない氣の身体(魂)を持っていて、それは身体が亡くなっても存在し続けます。またそれは、違う身体を持って生まれ変わることもあるでしょう。私達は身体を持ったり失ったりしながら、学び続けるようです。学ぶと言っても教科書があるわけではありません。いろいろな「他のもの」との関わりの中で体験を通して自然に学ぶ仕組みです。簡単に他のものと言いましたが、家族や友人、たまたま会った人から、既に亡くなっているご先祖まで、多種多様です。ですから、よりたくさんの事を学びたいと考えるなら、出会って別れる、自分の周りの「他のもの」との関わりを意味のあるものとして、自分の成長の材料とすることなのです。
 真氣光という氣を受けると、いろいろな縁がもたらす意味合いに氣づきやすくなります。同時に、自分の氣が変わることにより、周りの氣も変わります。自分をより成長させるために、関わりが深くなる縁もあれば、関わりが薄くなり違う人との新しい縁が生まれることもあるでしょう。真氣光は、そのどちらも、加速させるのです。
 皆さんが真氣光に出会ったのも縁です。それは「…多大?の縁」かもしれません。これからも末長く、よろしくお願いいたします。

(23)平和を祈る

 米英軍がイラク戦争に踏み切ってから21日。今日の新聞には「米軍がバグダット制圧」と大きな見出しが載っていました。早く戦争の無い世の中になってほしいものです。
 先日の会長セッションで私が氣を送っていると、Aさんの顔がみるみる歪んできて、とても苦しそうな様子になったのです。足が重いようです。私は足の方に氣を送りながら、Aさんが何か言おうとしているので、耳を傾けました。「俺はもう歩けない。先に行ってくれ」と苦しそうな声です。どうやらたくさんの人達と一緒に歩いているらしいのです。私が「何かの旅の途中かな」と考えていると、今度は「家に帰りたかった」と苦しそうに言うのです。私は早く楽になってもらいたくて、一生懸命、何も言わずに氣を送りました。すると少しずつ話せるようになり、だんだん状況がわかってきました。彼は戦時中軍隊にいた人で、広い大陸(たぶんシベリアか満州)を仲間と日本に向かって、それはもう延々と歩いていたようなのです。しかし、飢えと寒さと極限にまで達した疲労で、もう一歩も足が前に出なくなったのです。仲間は彼を勇気づけようとするのですが、彼はもう付いて行けず、すでに死を覚悟したのでした。私は氣を送りながら「戦争は終わりました。ゆっくりしてください。」と言ったのですが、彼は苦しそうな顔のままで、まだまだ光が足りないようすです。仲間もみんな苦しんでいると言います。戦後半世紀以上が経過しています。私達には遠い過去の出来事ですが、彼らにとってはまだ終わっていなかったのです。私はたくさんの光が届くことを祈りながら氣を送り続けました。「勝っても負けても、戦争はイヤだ。前線で戦った人間は皆そう思っている。辛い、苦しい、帰りたいと思っても、口に出して言えなかった。誰も口にしなかったけど、みんなそう思っていた。ああ、だんだん楽になってきた。私のようなものが光の世界に逝けるなんて…。まだまだ仲間がたくさん苦しんでいる。私も少しでもたくさんの人を光に導きたい。よろしくお願いします。」最後、彼はそんなふうに言って光の世界に旅立ったのでした。私も微力ながら少しでも力になろうと、決意を新たに見送りました。
 計らずも翌日午後からは、広島で囲む会を企画していただきました。私は早朝から空いている時間を利用して平和記念公園を巡り「すべての魂が光り輝くよう」世界平和をお祈りさせていただきました。素晴らしい快晴と満開の桜。今では広島に世界中から平和の波動が集まっています。かつてたいへんな経験をした、たくさんの魂さん達がこれからの地球に尽力してくれているような氣がして、何とも言えない気持ちになったのでした。

(2)弱り目に祟り目

 各地を会長セッションで回らせていただくと、ずいぶん今年はインフルエンザが流行したようです(まだ流行している最中かもしれません)。私も一年のうちに何回かは感染して2~3日寝込んでおりましたが、昔に比べるとここ数年、有り難いことに風邪をひきにくくなったようです。油断は大敵なのですが、これも氣のおかげと感謝しています。最近もそうですが忙しい時に限って、次から次へと「どうしてもやらなければ…」ということが飛び込んでくるものです。
 サラリーマン時代の私であれば、「どうして私ばかりやらないといけないの」とか「運が悪いなぁ」と不平不満とストレスで一杯になって体も疲れ、そうしているうちに風邪をひいていたかもしれません。これは、似たような氣が集まるという波動的な現象です。ですから自分にマイナスの氣を持てば持つほど、同じ波長の同調現象により益々自分のところにマイナスの事柄が集まってきて、どんどん苦しくなってしまうのです。
 一般的にも、苦しい境地にある時に、さらに悪いことが重なることがよくあるものです。昔の人も、それを経験的にとらえていたのでしょうか?諺(ことわざ)に「弱り目に祟り目」というのがあります。この解釈は「目」を「境目」などの目と同じように、異なる状況に変わるところという意をもつ接尾辞と解し、「に」を位置を示す助詞と考えて、弱っている時に、祟る時、または、弱っているところに祟るところができるという意味ととらえるようです。岩波のことわざ辞典によりますと、「このことわざの先行形と見られるものに、弱った体に物の怪がつくという「弱めの霊気(りょうげ)」があり、江戸初期から常用のものであった。」ということです。
 物の怪とは、何か怖い物のような気がしますが、どこにでもあるマイナスの氣のことです。「何かの原因で自分がマイナスになると外からマイナスの氣が集まってくる」と、江戸時代の人も感じていたのでしょう。外からマイナスが来るからさらにマイナスになり、それが新たなマイナスを集めるというマイナスの繰り返しです。そして、そういうマイナスの繰り返しの時は自分自身の力では、なかなか事態を改善できないものです。弱り目に祟り目の時は、外から少し強めの真氣光の氣を取り入れてください。