(1)氣のはなし

氣(気)という言葉は、例えば雰囲気、空気、湿気、殺気、運気などに使われています。昔から日本人は「何か解らない、見る事も触れることもできないけれど、確かに存在するもの」を氣と呼んでいたようです。空気や湿気等、その一部は今の科学では計測できるようになり、良く解るようになりましたが、雰囲気や殺気、運気などのように、まだまだ良く解らないものがたくさん有ります。実は、人の感知能力は素晴らしく、機械では計測できないものをたくさん感じているのです。今の科学信仰の世の中では、計測できないものは除いてしまい、無視しがちです。ところが、そのなんだか解らない、科学では議論できない部分の氣がとても重要なのです。例えば、偶然誰かにあったとか、知らない人が何人か集まると、同じ誕生月の人がいるとか。どんな科学信奉者でも不思議な事、確率的には考えられない(つまり偶然おきた)良い事や悪い事を体験しているはずです。人・動物・植物・モノ、さらには会社や学校等の団体からも、全てのものから氣という目に見えない波動が出ています。それらがミックスされ、我々の心に感じられたり、知らないうちに影響されたりしているのです。知らないうちに引き寄せられたり、引き寄せたり、それが「氣のせい」なのです。実は、氣は身体の健康のことばかりではなく、生活の全てに結びついているのです。そして、最も重要なことは、この氣は、良くも、悪くも、人がある程度、自由に変えられるということです。占いに凝っている人は、「運気はどうにもならないではないか」と言われるかもしれません。私は、この運というものでさえ、変えられると思っています。