大志を抱け

 私の母校、北海道大学は、いろいろなことで世の中に知られていますが、構内に農場がある関係で敷地面積が広く、観光地としても有名です。
私が小中学生の頃は家が近かったので、よく自転車で乗り入れ、緑と自然が溢れる広い構内を遊び場にしていました。
北大と言えば札幌農学校時代、初代教頭を務めたクラーク博士の「少年よ大志を抱け」という言葉も有名でしょう。
 札幌では、羊ヶ丘にあるクラーク博士の全身の銅像は有名ですが、北大の中央ローンという芝生の広場にも胸から上の銅像があります。
札幌駅からも近いので、観光客にとっては見逃せない観光スポットです。
 私が小学生の頃のことです。
朝早く、先代と北大構内に散歩に行ったのです。
当時は学生運動が盛んになっていた時期で、椅子や机などで建物の入口にバリケードのようなものができていたり、あちらこちらにビラが貼られていたりしました。
中央ローンのクラーク博士の胸像も、胸の下の台座となっている部分が何枚ものビラが貼られ埋め尽くされていました。
先代は、それを見て、どこからかバケツとタワシを借りて来て、水をかけながらゴシゴシこすり、ビラを全て綺麗に剥がしたのです。
その時に、胸像の台座の部分に彫られていた「少年よ大志を抱け」という言葉を教えてくれました。
その頃の私には、難しくてよくわかりませんでしたが、「ここに貼ったらダメだ」と、一生懸命に掃除していた姿は、私の中ですごく印象に残りました。
北大に入学して幾度となく、この銅像を目にしましたが、いつも当時のことが思い出されました。
ある時、ことわざ辞典に、この言葉について書かれている部分を見つけました。
この言葉は、立身出世を意味することと思われるけれど、人間が人間として当然身につけなければいけない、全てのものに対して、大志を抱けと言っているのだということです。
 「大志」という言葉を辞書で調べてみると、「大きな志。
将来や未知なものに対する遠大な希望」と、あります。
大志とは、もちろん若い人に必要な事ですが、良く考えると将来のない人はいません。
たとえ体を失い、死んでしまったとしても、つまり魂となってしまっても意識は残ります。
まだまだ先が続くということであり、将来というものがあるわけです。
ですから、生きている私たちなら、どんなに老いてしまったとしても、「遠大な希望」を持つことができるし、持つべきだと思うのです。
 魂を輝かせる努力をし、自分がある程度輝くことができれば、他の人が輝くお手伝いが出来ることで自分自身がさらに輝けます。
これに終わりはありません。
真氣光を利用して、それを加速させていきたいものです。