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1月 「野村 進」さん

野村 進(のむら すすむ)さん

1956年東京生まれ。ノンフィクション作家。拓殖大学国際学部教授。在日コリアンの世界を描いた『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞。『アジア 新しい物語』でアジア・太平洋賞受賞。ほかにも、『千年、働いてきました』『解放老人』『どこにでも神様』など多数の著書がある。

『神様に手を合わせるのは気持ちいいこと、幸せなこと』

出雲の山奥まで若い女性が。一過性ではない神社ブーム

中川:
野村先生の書かれた『どこにでも神様』(新潮社)という本を読ませていただきました。とても興味深く読ませていただきました。ちょうど、新年号なので、神様の話はいいかなと思ってお願いした次第です。
これはどれくらいの期間、取材をされたものなのですか。
野村:
大学での講義やほかの取材も続けながらですが、7年くらいかけました。
中川:
3人の若い女性と一緒に出雲の神社を回っておられますが、あれはいつごろのことなのですか。
野村:
2016年の4月から5月にかけてですね。
中川:
若い女の子たちの反応がとても新鮮に感じられました。最近は神社巡りが好きな若い女性が増えているようですね。
野村:
この本とは別に、月刊「文藝春秋」に「女子はなぜ神社を目指すのか」という記事を書きました。出雲だけではなくて、東京でも若い女性の間で“神社ブーム”が起きています。
千代田区に東京大神宮という神社があります。最寄駅の飯田橋から女性たちの波ができていますよ。行列が延々と続いていて、正月だと2、3時間待ちだそうです。30年くらい前は、正月でも境内で凧揚げができたと宮司さんはおっしゃっていました。ここ20年くらいの現象だそうです。平日の9時くらいでも、けっこう若い女性たちがいます。会社へ行く前にお参りしていくようですね。
中川:
神社というと、お年寄りが集まる場所のようなイメージがありますけどね。
野村:
マスコミは、「神社ガール」とか「御朱印ガール」とか「神かみ女じょ」とか、ちょっとからかうように書いています。若い女性の神社ブームなど一過性のものと軽く見ているんでしょうね。実は、私もそう思っていましたが、出雲の山奥にまで若い女性たちが来ているのを見ると、これは一過性じゃないなと、考えを改めざるをえませんでした。
これまで、神社について、若い女性たちの声をきちんと聞いたレポートは、ほとんどありませんでした。それで、神社ガールたちと実際に出雲の代表的な神社を巡ってみて、彼女たちが感じたことや考えたことをその場で尋ねて、記録しようと思い立ったわけです。
中川:
出雲に興味をもったきっかけはスーパーマーケットでの福引で出雲旅行が当たったことだったそうですね。
野村:
そうなんですよね。10年以上も前の話ですが、当時小学校5年生だった娘がスーパーの福引で金賞を当てまして、それが「松江・出雲大社・足立美術館二泊三日ペア」というものだったんです。それを娘からありがたく頂戴しまして(笑)、夫婦で出かけていったのがきっかけでした。
妻は、初めての松江にとても興奮していました。彼女の、いまは亡き明治生まれの祖母が幼少期に過ごした借家というのが、「小泉八雲」と改姓する前のラフカディオ・ハーンが暮らし、現在は小泉八雲記念館と隣り合っている日本家屋だったのです。
いま考えれば、“ご縁”の強い力があったのかもしれないと思いますね。何しろ、福引で金賞を射止めたというのは、わが家にとってはあとにも先にもこのときだけですから(笑)。
中川:
出雲の神様のことをもっと世に知らせたいというご先祖様の力が働いているのかもしれませんね。
私どもは、目に見えないものを氣と呼んでいます。霊とか魂とか神様も氣のひとつとして考えています。科学では測定できないし説明もつきませんが、日々の生活の中で、そういう理屈では説明できないことというのはいくらでもありますからね。
野村:
私の場合、50歳を過ぎたころから、「シンクロニシティー」というんでしょうか、「えっ!」と思う偶然によく出くわすようになりました。
中川:
どんなことあったのですか。
野村:
東京西部の山間地で林業を営む田中さんという方に取材でお会いしたら、「うちの親父も『野村進』なんです」と言われてびっくりしたことがあります。田中さんのお父さんは田中家に婿養子に入った人で、旧姓は「野村」、名前が「進」だったというんですね。それまで同姓同名の人には、一度も会ったことがありませんでした。こんな形で同姓同名の人に巡り合うというのは、どれくらいの確率で起こることなんでしょうかね。
もうひとつは、取材で山形県の重度認知症の病棟に取材でうかがったときのことです。ナースステーションに入ったら、デスクの上にカルテが重ねておいてあるのが目に入りました。何気なく一番上のカルテを見てびっくりしたのです。そのカルテの女性患者の生年月日が、私の母親とまったく同じで、そのころ母も認知症を患って都内の施設に入っていましたから。
つまり、この病棟には、母と同じ年の同じ日に生まれ、しかも同じ病気にかかっている女性がいて、その人のカルテが私の目に止まるようなところに、これ見よがしに置かれていた。いったいどういうことなのだろうと、私は考え込んでしまいました。

<後略>

(11月22日 東京・拓殖大学 八王子国際キャンパスにて 構成/小原田泰久)

著書の紹介

「どこにでも神様:知られざる出雲世界をあるく」野村 進 著(新潮社)

           

6月 「楊 名時」さん

()さん

『』

           

10月 「迫田 時雄」さん

()さん

『』

           

7月 「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ りょういち)さん

1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。東大病院第三外科医局長、都立駒込病院外科医長を経て、82年埼玉県川越市に帯津三敬病院、2005年に東京・池袋に帯津三敬塾クリニックをオープン。人間まるごとのホリスティックな医療を実践している。帯津三敬病院名誉院長、日本ホリスティック医学協会名誉会長。著書は、「粋な生き方」(幻冬舎ルネッサンス)「ドクター帯津の健康暦365+1」(海竜社)「健康問答」(平凡社・五木寛之との共著)など多数。

『潔く、はりがあって、色っぽい。そんな粋な生き方で養生を極める』

先代とは上海で初めて会って、 被曝したインディアンの治療にも行った

中川:
先生、お久しぶりです。私が「氣―こころ、からだ、魂を満たす光のエネルギー」という本を出したときに、対談をお願いして以来ですから、7年ぶりくらいでしょうか。
帯津:
そんなになりますか。会長は、いくつになられました?
中川:
55歳です。先生は、うちの父親と同じで1936年生まれですから、80歳になられたんですよね。お元気ですね。
帯津:
そうそう、先代の中川先生とは1ヵ月くらい、私のほうが早く生まれているんです。いくつでしたか、お亡くなりになったのは。
中川:
59歳の12月でした。あと3ヶ月くらいで60歳だったのですが。
帯津:
じゃあ、20年以上もたつんですね。楽しい人でしたね
中川:
先生が最初に先代に会われたのは、中国だったですよね。
帯津:
1988年でしたね。上海で「国際氣功シンポジウム」というのが行われたんですね。第二回目で、日本からもたくさんの方が参加されていました。もう亡くなられましたが、ユング心理学の研究で有名だった湯浅泰雄先生とか、氣功とカイロをやっていたひげの吉見猪之助さん、山内式気功体操の山内直美さん、日本気功科学研究所の仲里誠穀さん、日本気功協会の山本政則さんとか、その後の日本の氣の世界をリードしていく面々がそろっていました。いずれも、個性豊かな人でしたね。
そんな中に混じっても、中川先生は目立っていました。何しろ、髪の毛が真っ白、白い顎ひげでしょ。氣が出る機械・ハイゲンキもインパクトありましたよ。
中川:
怪しさプンプンですよね(笑)
帯津:
いやあ、あれくらいがいいんですよ。これから氣を広めていかなければならないときですから、ああいう目立つ人を、神様は送り込んだんじゃないですか(笑)。
上海から帰って来て、中川先生から電話があって、一緒に飲もうということになりましてね。そのときに、夢に白髭の老人が出てきて、明日から氣を出せと言われたという話を聞きました。
下田の一週間の合宿も見学に行かせていただきました。
中川:
そうでしたね。それから、アメリカインディアンのホピ族が住む村へ同行してくださいましたよね。
帯津:
1994年の8月でしたね。一緒に行ってくれないかと言われて、ちょっと難しいかなと思ったのですが、当時から場のエネルギーにとても興味があって、インディアンが聖地だと崇めている場所はどんなエネルギーなのだろうと思って、スケジュールを調整して行きました。
飛行機の中では隣同士だったのでゆっくりと話ができました。機内食を、「おいしい、おいしい」と言って、本当に嬉しそうに食べている中川先生の姿に感心しました。ああ、この人は素直な人なんだなと、ますます好きになりましたね。
中川:
食べるのが好きな人でしたから。ホピの村へは、ウランの採掘で被曝した人たちの治療に行ったんですよね。
帯津:
そうなんですね。「ホピの予言」という映画を作った宮田雪きよし監督が案内してくれました。最初は、ホピ族やナバホ族の被曝者が入院している病院へ行ったのですが、治療の許可が出ませんでした。それで、個人の家を訪ねたり、コミュニティセンターのようなところで治療会をやったりしました。
コミュニティセンターのときは、最初は数人だったのですが、その人たちが家へ帰ってからまわりの人に話すものだから、次々と人が集まってきました。トラックの荷台に人がびっしりと乗ってやってきたのにはびっくりしました。
中川先生だけでは追いつかないので、私まで氣功治療をすることになりまして。それにしても、すごい人でした。
中川:
ホピの予言の岩絵も見られたんですよね。
帯津:
見てきました。ホピの大地のエネルギーはすごかったですね。あるところでは、写真を撮ろうとしたらシャッターが切れませんでした。私のカメラだけじゃなかったので、何かエネルギーの影響があったのかなと思います。
長老のマーティンさんの家も訪ねました。生のニンジンが出てきたので、それをかじりながら話を聞いたわけです。
なかなかできない体験をさせていただきました。
帰りの飛行機は、ビジネスクラスが予約してあったのですが、何かの都合で、ファーストクラスに乗せてもらいました。ホピの神様からのプレゼントだと、中川先生と楽しく話したのを覚えています。

<後略>

(2016年4月26日 埼玉県川越市の帯津三敬病院にて 構成/小原田泰久)

著書の紹介

粋な生き方 病気も不安も逃げていく「こだわらない」日々の心得
帯津 良一 著 
(幻冬舎ルネッサンス)

           

4月 「田沼 靖一」さん

田沼 靖一(たぬま せいいち)さん

1952 年山梨県生まれ。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。米国国立衛生研究所(NIH)研究員等をへて、現在、東京理科大学薬学部教 授。細胞の生と死を決定する分子メカニズムをアポトーシスの視点から 研究している。主な著書に、「ヒトはどうして死ぬのか」(幻冬舎新書)「ヒ トはどうして老いるのか―老化・寿命の科学」(ちくま新書)「遺伝子の夢 ―死の意味を問う生物学」(NHK ブックス)などがある。

『細胞の死があるから個体は生きられ、個体の死があるから種は繁栄する』

がんやアルツハイマー病は、細胞の死と深くかかわっている

中川:
先生の書かれた「ヒトはどうして死ぬのか」という本を、とても興味深く拝読させていただきました。遺伝子というレベルから死を語るというのは、とても新鮮に感じました。本を読みながら、どこかでこの話を聞いたことがあるなと、気になっていたんですね。しばらく記憶を探っていまして、そう言えば爆笑問題がやっているNHKの番組で、先生が死の話をしていたぞと思い出したんですよ。
2年くらい前ですかね。それで、もっとお話をお聞きしたいなと思っておうかがいしました。今日はよろしくお願いします。
田沼:
こちらこそ、よろしくお願いします。会長が見られたのは、「爆笑問題のニッポンの教養」という番組ですね。「ヒトはなぜ死ぬのか」というテーマで、2007年の6月に放送されました。会長が読んでくださった本は、去年、出たものです。
中川:
本は「どうして」で、テレビは「なぜ」だったんですね。
田沼:
「どうして」には、「どのようにして」と「なぜ」の両方の意味があると思うんですね。どのようにして死んでいくのかとか、どのようにして老化していくのかというのは、サイエンスになりますね。しかし、なぜ死ぬのかとか、なぜ年をとるのかということになると、人それぞれ考え方が違いますから、多分に哲学的な問題になってきます。
中川:
なるほど。サイエンスだという意味を込めて、ご著書は、「どうして」とされたんですね。でも、死というのは、なかなか科学では扱ってこなかったテーマじゃないでしょうかね。扱いにくいということもあるでしょうしね。
田沼:
死が生命科学で取り上げられるようになったのは、ここ20年ほどじゃないでしょうかね。それまでは、死というのは科学ではとらえられてきませんでした。どうしても、死というと宗教が扱う領域でしたから。
でも、がんとかアルツハイマー病とか、社会問題にもなるような病気が増えてきて、そこに細胞の死が関係しているということがわかって、死が科学的にとらえられるようになってきました。
がんというのは、細胞が死なないから怖いんですね。肝臓の細胞は1年くらいすると疲れてきて新しい細胞にリニューアルされます。しかし、がん細胞はいつまでも増え続けます。死を忘れた細胞ですね。
アルツハイマー病は、その逆で、神経細胞が死んでいくスピードが非常に速まってしまったために起こる病気です。
中川:
がんもアルツハイマー病も、現代人がもっとも恐れる病気ですよね。それが細胞の死と関係があるというのは面白いですね。片方は死を忘れ、片方は死に急ぐという正反対の動きですが。
でも、先生は、どうして死のことを研究しようと思われたのですか。
田沼:
私の専門は、生化学・分子生物学という分野です。研究はもっぱら、「生物の細胞がどのように増殖・分化するか」ということです。つまり、細胞がどのようにして生きているかを解明するための研究でした。
私はまた、遺伝子が傷ついたときに、どのように修復するのかということも研究していました。がんは、細胞内の遺伝子DNAが活性酸素などで傷ついて、それが十分に修復されずに変化してしまい、細胞が無秩序に増殖していくことで発生します。修復能力が高まれば、がんを防ぐことができるわけですね。DNAが修復されるというのは、どういうメカニズムで行われているのか、それが知りたくて研究をしていました。
中川:
つまり、生きるという方向での研究ですね。それが、どう死の研究につながっていったのでしょうか。
田沼:
修復のメカニズムを調べるには、遺伝子を傷つけないといけませんね。放射線や紫外線を当てて、遺伝子に実験的に傷をつけ、どういう酵素が働いて修復されるのかを見ていくわけです。
その実験の過程で、ときには放射線を当て過ぎて、細胞が死んでしまうことがあります。そんなときは、放射線を強くかけすぎた、失敗しちゃった、今度はもう少し弱くしようと、そう考えるのですが、あるとき、ふと思ったことがあったんです。細胞というのは、修復できるとか、修復できないから死んでしまうという判断をどうやってするんだろうと疑問になりました。
修復の限界点というのを細胞は決めているのではないだろうかと思いました。それは、今までのように、生きる方向からの研究ではわからないだろう、それなら死の方向から研究をしようと、そんなことを思ったんです。

(後略)

(2011年1月31日 東京理科大学野田キャンパスにて 構成 小原田泰久)

           

3月「天外 伺朗」さん

天外 伺朗(てんげ しろう)さん

東京工業大学電子工学科卒業。工学博士(東北大学)、元ソニー上席常務。ソニーでは、CD、ワークステーションNEWS,犬型ロボットAIBOなどの開発を主導。現在、ホロトロピック・ネットワーク代表。医療、教育、企業経営の改革に取り組んでいる。主な著書に、「運力―あなたの人生はこれで決まる」(祥伝社黄金文庫)「経営者の運力」(講談社)「いのちと気」(共著 ビジネス社)「教育の完全自由化宣言!」(飛鳥新社)など。

『病気は死と直面し意識を変容できる大きなチャンス』

目に見える世界と見えない世界は一体になっている

中川:
今日はとても楽しみにしていました。天外さんと言えば、見えない世界についてたくさんの本を書かれていますし、非常に興味深いネットワークを作られていて、どんなお話がお聞ききできるのかわくわくしながらおうかがいしました。
天外さんは、長年、エンジニアとしてお仕事をされてこられたわけですね。実は、私も氣の世界に入る前には、電機メーカーで技術屋として働いてきました。
私など、父が気功をやっていたにもかかわらず、氣のような見えない世界にはあまり興味を持ちませんでした。その点、天外さんは、お父様が特殊な能力をお持ちで、見えない世界は、ある程度、当たり前のこととして受け止めておられたとお聞きしていますが。
天外:
2006年まで現役で、エンジニアリングとエンジニアリングマネージメントの仕事をやっていました。父は、今で言うサイキックな力がありましたから、私としては、子どものころから、見えない世界があることは刷り込まれていました。ですから、サイキックな現象については、殊更不思議に思うことはありませんでした。そういうことをあまりベラベラとしゃべると人から変な目で見られるということを、後から学んだくらいです。
中川:
見えない世界が別段不思議ではないという状態で、その一方で技術者として、CDやAIBOの開発をされていて、物理的な世界と見えない世界というのは、別々に考えておられたんでしょうか。
天外:
デヴィット・ボームという物理学者がいましたが、彼はホログラフィ宇宙モデルというのを考え出した人で、ノーベル賞こそもらっていませんが、それに匹敵する学者だったと思います。ボームは、目に見える物質世界を明在系、目に見えない世界を暗在系と呼びました。それが別個に存在しているのではなく、一体になって動いているというのが彼の説です。
私は、彼の明在系、暗在系という言葉を、この世とあの世という言い方にしました。つまり、この世の中にあの世があり、あの世の中にこの世があるということになります。ですから、物理の世界と見えない世界は別個に考えるものではないということですね。私は、ずっとそういう感覚でいましたね。
中川:
死んだからあの世へ行くということではなくて、生きているときからあの世にもいるということですね。
天外:
哲学の世界では昔から言われていることです。死んでどこへ行くかと言うと、永遠の時間の中に溶け込んでいくといった言い方がされています。永遠の時間というのは、時間のない世界のことです。時間がないということは、向こう側から見れば死は見えません。こちらから見ると見える。だから、死んだら行くという考え方はおかしいわけです。
中川:
よく、死後の世界はこうだって話が本には出ていますが。実際に行って見てきたという話もあったりしますし。
天外:
向こう側には時間も空間もありません。でも、時間も空間もない世界というのは、私たちには想像もつかないわけです。ですから、こちら側の常識で向こう側も色付けしています。もともと、言語というのは、この世のことを記述するためにあるもので、あちら側のことは言語では説明できません。宗教は、あちら側のことを説きたいのだけれども、言葉で説明できないので、まわりをうろうろしているわけです。
中川:
天外さんは、もともと目に見えない世界になじんでおられたわけですが、改めて勉強したり体験したり、さらにたくさんの本を書かれるようになったきっかけというのはあるんですか。
天外:
私は、ソニーの創業者の井深大という人と非常に近いところで仕事をしていました。彼は、いろいろなことに興味をもつ人で、1984年に、筑波大学で開かれた「科学技術と精神世界」というイベントにも参加したんですね。このイベントはフランス国営テレビと筑波大のジョイントのイベントで、世界中から、科学者、哲学者、心理学者、宗教家を呼んで、非常に盛大に行われました。新体道という武道の青木宏之さんが氣の演武をやって、外国の人たちを驚かせたようですが、その青木さんと井深が親しくなって、青木さんがときどき、ソニーへも来られていました。
そのイベントの内容を、主催者の一人である湯浅泰雄さんという哲学者が5冊の本にまとめました。それを私は井深から、読むようにと渡されまして、読んでみたら、すごく面白くてですね。学者がまとめたものなので、きちんと参考文献も出ていましたから、その文献を片っ端から取り寄せて読みました。ボームのことも、そのときに勉強しました。
中川:
目に見えない世界のことが科学的に説明されるような内容だったんですか。
天外:
いや、科学でもないし、科学的な仮説までもいっていませんね。ボームの言っていることも、私が書いていることも、私は科学的ロマンと呼んでいます。仮説とするには、まだ詰め切らないといけないところがたくさんありますから。

(後略)




(2011年1月18日  東京都渋谷区のホロトロピック・ネットワーク事務局にて 構成 小原田泰久)

           

7月 「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ りょういち)さん

1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒。東京大学第三外科、共立蒲原病院、都立駒込病院を経て、1982年に埼玉県川越市に帯津三敬病院を開院。2004年東京・池袋に帯津三敬塾クリニックをオープン。現在、帯津三敬病院名誉院長、日本ホリスティック医学協会会長、日本ホメオパシー医学会理事長など。『大養生』(太陽企画出版)『あるがままに生き死を見つめる7つの教え』(講談社)『健康問答』(共著・平凡社)など多数の著書がある。

『倒れるまでまい進する。ゆっくりするのは死んでから。』

先代とは20年前に上海で初めて会った

中川:
ご無沙汰しています。ハイゲンキ誌への原稿、いつもありがとうございます。相変わらず、お忙しそうですね。
帯津:
こちらこそ、ご無沙汰です。なかなか時間がとれずにすいませんでした。今日も、横浜で講演があって、その帰りに寄らせていただきました。会長と、お会いするのは何年ぶりでしたかね。
中川:
もう、ずいぶん、お会いしていませんね。川越の病院へおうかがいして、先生のお部屋でお話をうかがったのを覚えていますが。
帯津:
そうだ、そうだ。確か、漢方薬のことでお見えになりましたね。
中川:
えーっと、あれはまだ先代が亡くなる前のことだったと思います(笑い)。
帯津:
そんな前になりますか(笑い)。いずれにせよ、久しぶりですね。先代が亡くなって13年でしたね。会長も、貫禄が出てきて、ずいぶんと板についてきたじゃないですか。
中川:
いや、まだまだ戸惑うことばかりですが、周りの方に助けられて何とかやっております。¥r¥n先生には、先代のころからお世話になっていますが、先代とお会いになったのは、いつごろのことですか。
帯津:
1988年に、上海で第二回国際気功検討会というのがありまして、私も日本気功協会の山本理事長に誘われて参加したんですね。がん患者を集めて氣功をやっているというのが少しずつ知られるようになった時期で、ぜひ上海でしゃべってほしいと言われましてね。でも、開業医ですから、なかなか病院を空けられません。最初は断っていたんですが、どうしてもと言われるので、しぶしぶ参加しました。そしたら、そこにはなかなか個性的な方が集まっていましてね。中川さんでしょ、それに大阪の吉見猪之助さん、名古屋の林茂美さん、京都の山内直美さん、それに湯浅泰雄先生がいましたね。小原田さんとも、そこではじめて会いました。
中川:
20年前のことですね。先生が病院を開業されたのが1982年でしたよね。それから6年くらいたっていますから、氣功もかなり認知されてきたころでしょうか。
帯津:
そうですね。認知されるまではいかなくても、開業したころとは大分、事情が変わってきていました。
中川:
先生は、中国で氣功のことを知って、がん治療に氣功を取り入れるられたわけですけど、そのへんの経緯を教えていただけますか。
帯津:
中国へ視察に行ったのは1980年です。都立駒込病院にいたころですね。外科医として、たくさんのがん患者さんの治療をしていて、医療技術も急速に進歩していましたので、がんが撲滅できる日は近いと思っていました。しかし、現実には再発して戻ってくる患者さんがたくさんいて、ちょっと方向性が違うのではと思うようになりました。それで、西洋医学とは考え方の違う中国医学を学んでみようという気持ちになったんです。中国医学というのは、氣功ばかりでなく、漢方薬や鍼灸、食養生といったものがありますね。でも、私は、氣功のことを知って、中国医学のエースは氣功だと思いました。
中川:
中国医学のエースですか。それはまたどうして、そう思われたのですか。
帯津:
中国へ視察に行ったのは1980年です。都立駒込病院にいたころですね。外科医として、たくさんのがん患者さんの治療をしていて、医療技術も急速に進歩していましたので、がんが撲滅できる日は近いと思っていました。しかし、現実には再発して戻ってくる患者さんがたくさんいて、ちょっと方向性が違うのではと思うようになりました。それで、西洋医学とは考え方の違う中国医学を学んでみようという気持ちになったんです。中国医学というのは、氣功ばかりでなく、漢方薬や鍼灸、食養生といったものがありますね。でも、私は、氣功のことを知って、中国医学のエースは氣功だと思いました。
中川:
中国医学のエースですか。それはまたどうして、そう思われたのですか。
帯津:
私は、若いころ、柔道や空手、柔術をやっていました。柔術が強くなるため呼吸法を習いました。氣功というのは、『調身』『調息』『調心』という三つの要素が必要です。逆に言えば、この三つの要素があれば氣功と言ってもいいわけですね。そう考えると、呼吸法はもちろんですが、柔道も空手も柔術も氣功と相通じるものがあるだろうと思ったんです。姿勢を正して、息を整え、心を落ち着かせるということですね。これは、生きるための基本でもあります。それが医療として行われていることにとても魅力を感じました。

<後略>

(2008年4月30日 東京池袋の (株)エス・エー・エス本社にて 構成 小原田泰久)

           

2月 「帯津 良一」さん

帯津 良一(おびつ りょういち)さん

1936年埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学第三外科、静岡県共立蒲原総合病院外科医長、都立駒込病院外科医長を経て、1982年、帯津三敬病院を設立。日本ホリスティック医学協会会長、調和道協会会長、北京中医薬大学客員教授などを歴任。主な著書に『ガンを治す大辞典』(二見書房)、『現代養生訓』『<いのち>の場と医療』(以上、春秋社)、『ガンになったとき真っ先に読む本』(草思社)など多数。

『明日はもう少し良くなっているという期待をもって眠る。そんなささやかな希望をサポートする医療を実現する。』

先代とのホピの村への旅は本当に楽しかった

中川:
すっかりごぶさたしてしまいまして。先生とお会いするのは、7年ぶりくらいですかね。
帯津:
それくらいになりますか。ロンドンのスピリチュアルヒーリングの研修ツアーに一緒に行って、天河神社のドクター・ヒーラーネットワークでお会いして、それ以来かなと思います。だから、そんなものですか。
中川:
先生には、先代の時代からいろいろとお世話になってきました。つい先日(12月11日)が、先代の命日でした。まる7年になります。早いものです。
帯津:
そうですか。もうそんなになりますか。懐かしいですね。
先代とは、あちこちの氣功の集まりでお会いして、面白いお話をたくさん聞かせていただきました。
ホピの村へは一緒に行きましたし。あれは、楽しい旅でしたよ。
中川:
この間、アメリカへ行ってきまして、ホピの村の近くまで足を伸ばしました。先代が帯津先生と一緒に来た場所だと、何となく感慨深く景色を見てきました。
帯津:
モーテルでカレーを作って食べたり、ああいう旅をするチャンスはなかなかありませんね。そうそう、帰りの飛行機では、ビジネスクラスだったのが、ファーストクラスへ移ってくれと言われて。儲かっちゃったなとうれしくなりました(笑い)。
中川先生のそばにいると、こちらまでウキウキしてくるようなところがありました。機内食でも、『こりゃうまい、うまい』って、本当においしそうに食べていましたから。
中川:
食べることが好きな父でしたから。
帯津:
会長は、先代が亡くなってその跡を継がれたわけですが、まったくの別世界から入ってこられて、すんなりとなじめましたか。
中川:
いやー、なかなか大変でしたよ(笑い)。もともとはエンジニアですから。一応、父の会社で働いて、亡くなる前は、あちこちついて歩いて、勉強のようなことをしましたが、それでもそばで見ているのと、実際に自分でやるのとは大違いですね。毎日が発見でしたし、いろいろな人に教えていただいて、何とかやってこれたかなと思います。
帯津:
7年と言えば、かなり経験も積まれて、たくましくなられたと思います。この雑誌(ハイゲンキ・マガジン)をいつも送っていただくので、楽しく拝見しています。雑誌を見ていても、勢いが出てきたなと感じます。
中川:
ありがとうございます。先生もずいぶんとお忙しいでしょう。
帯津:
忙しいことは忙しいですね。病院の仕事のほかに、講演があったり、水曜日は休みになっているのですが、埼玉県立大学に頼まれて、毎週一時間目に講義をもっているものですから、休んでもいられません。
横浜に神奈川看護大学というのがあるのですが、そこも毎年呼ばれています。とにかくその場所に体をもっていかなければならないことが多いので、時間のやりくりは大変ですね。
中川:
看護大学というと看護婦さんの卵ですね。これから医療に携わる人ですから、先生の話を楽しみにしている方が多いんでしょうね。
帯津:
すごく熱心ですよ。看護大学にはガン看護課程というのがあって、半年間でガン患者を介護するプロフェッショナルを養成しようという講義や実習があります。私は、ガンの東洋医学的な疼痛対策というテーマに呼ばれるのですが、東洋医学の話もするけど、ほとんどホリスティックな話に終始しますね。死の問題とか患者さんとの付き合い方を話すのですが、みなさん、喜んでくださいます。講義が終わると、控え室まで来てくれて、感想を述べてくれたりします。すごくうれしいですね。
埼玉県立大学でも、理学療法士科や社会福祉学科という医療関係に進む人たちに講義をしますが、彼らも熱心ですね。試験をやっても、力のこもったレポートを書いてきてくれます。やりがいはありますね。
中川:
ホリスティックな話ということですけど、どんなお話をされるのですか。
帯津:
死のことはもちろんですね。患者さんとは一方通行の関係ではいけないといった話もしますね。パワーをもって接する必要がある。だけど、パワーだけではいけない。ときには、一瞬にして弱々しくなれて、患者さんと痛みを分かち合えるようにもならなければならないといった話ですが、みんな一生懸命に聞いてくれます。
彼らには、自分たちが医療者として、日本の医療に貢献していきたいという志があるように思います。

<後略>

(2002年12 月13日 帯津三敬病院にて 構成 小原田泰久)

           

2000.09「江本 勝」さん

江本 勝(えもと・まさる)さん

1943年生まれ。横浜市立大学卒。(株) 地産、中部読売新聞社などを経て、 1986年に(株) I.H.M.を設立。1992年10月に「オープン・インターナショナル・ユニバーシィティ」より、代替医療学博士の認定を受けライセンスを交付される。米国で共鳴磁場分析器やマイクロクラスター水に出会い、水の特性や波動の研究に取り組み、水のもつ本来の姿が結晶から判明することに気づき、ユニークな実験を続けている。現在、I.H.M.総合研究所所長、(株)I.H.M.代表取締役、(株)I.H.M.国際波動友の会代表。著書「波動時代への序幕」(サンロード出版刊)、「水からの伝言」(編著、波動教育社刊) 「水は語る」(成星出版)他、多数。

『水の結晶が物語る「波動」の不思議』

水を通して「命」を知る

中川:
はじめまして。先生の「水からの伝言」を読ませていただきました。私どもの会員さんにもこの写真集を持っておられる方が多くて、全国各地でよく見せていただきました。
江本:
ありがとうございます。いろんな方が読んでくれていますので、嬉しく思っています。出版してからずっと部数が落ちないんですよ。コンスタントに売れているんです。それに、海外での出版も予定されています。
中川:
そうですか。おめでとうございます。これは、水を凍らせて、その結晶を写真に収めたものですよね。「凍らせてみよう」というユニークな発想は、どうして生まれたんですか?
江本:
ひらめきというか、やっぱりどこか上のほうから「やらされている」んでしょうね。
中川:
先生は、もともと水にお詳しかったんですか?
江本:
いや、私はもともと、健康にも宗教にも、全く興味はなかったのですよ。ただ、英語を学んだ経験から、外国と取引する仕事がしたくて、それでまず、アメリカの低周波治療器のライセンス社を作ったのです。治療器を扱い、アメリカの健康産業の人脈も増えてくる中で、水に関する新しい技術が出てきたのを知りました。それは「ロッドウォーター」という名称でしたが、ぜひこれを日本でも紹介したいと思ったのです。アメリカから専門家を招き、DMを送って無料の講演会を行ったところ、なんと550人が集まった。水に対する日本人の関心の高さに、こちらが驚きました。講演自体は難解で、聞いたことのない単語や専門用語ばかりが続くので不評でしたけど(笑)。でも、無料ですからね。
中川:
では、それがきっかけで、先生の水に対する探求が始まったんですね。
江本:
そうです。改めて調べてみると、水に関しては科学的に何も分かっていない。どうして 4℃のときに最も質量が重くなるのか、なぜ水だけが凝固して氷になると比重が軽くなるのか、何も分かっていないのです。後に私はMRAを知って、「これは水を調べるのにも使える」と思いました。調べる中でだんだん分かってきたのは、全ての「物の特性」というのは、結局「水の特性」だということです。もっといえば、「波動」という概念が全てを解き明かすのだと思っています。たとえば、物は目に見えますが、心は目に見えません。しかし、目に見える物を構成している原子は目に見えません。目に見える物も見えない物も、最小単位にすればどちらも目に見えないものなんです。それがいわば「波動」です。たとえば、「病は気から」と言いますが、なぜ「思い」が人を病気にするのかと言うと、その人の体験やストレス、DNA、輪廻の間の思いなどが血液や細胞に同調し、体に原子的な作用として広がっていくからなんです。
中川:
「輪廻」ですか。そういう単語が出ただけで、科学的ではないと言われることはありませんか。
江本:
私自身、見えない世界や宗教などに全く興味はありませんでしたし、十数年前まではただの文化系のおじさんだったんです(笑)。今でも私の基本的なスタンスは「科学的に」ということですし、「あっち系」の人ではありませんよ(笑)。しかし、21世紀は「魂」や「輪廻」といったことを語らずには済ませられない。避けて通れないことなのだと思います。水のルーツを調べてみると、地球に元々水はなかった。水がなければ生命は誕生しないわけです。しかし、地球に氷の彗星が降ってきて、それがいくつも降り注ぐことで、地球に充分な水が出来たんです。これは、証拠が見つかっている、科学的な事実です。その水の中の情報が「さはい」をして、最初の原始的な生命が誕生し、進化し、分化して、現在の私達人間が生まれたわけです。つまり、私達のルーツは地球ではない。宇宙のいずこからか、氷の中の情報として送り込まれてきたということになります。では、なぜ送り込まれたか、ということですが、これには二つ説があります。新しくできた地球という星のお守り役という説、もう一つは修行の場という説です。ここで語るまでは、地球の重力に囚われて、使命のある魂として留まるのです。でも、「もうこれでよし」ということになると、「昇華」といって、魂が質量を持たずに、まるで消えてなくなるように「ふるさと」に帰っていくんです。
中川:
使命があって留まる魂には、物質的な質量はあるのですか。
江本:
人間が亡くなる瞬間に、体重が約30グラム減ると言われています。それが一般的な魂の重さで、魂によって重かったり軽かったりします。悟りに近づいた魂ほど軽いわけです。魂は水でできていて、それが質量になるんだと思います。水でできているから、雨かんむりをつけて「霊」と書くでしょう? 水辺に幽霊が出ることが多いのは、やっぱり水と霊の組成が近いからだと思います。
中川:
私もよく魂の話をするのですが、たしかに重い魂、軽い魂というのがありますね。私は重い魂は暗く感じられることから「影」と呼び、それが明るく、軽くなっていくにしたがって光になっていくのだと思っています。
江本:
重い魂は、恨みや辛さを抱えていますから、いま地球上は、そういう魂で満員御礼なんですよ(笑)。満足して死んでいく魂が少ないですからね。
魂はなにも人間だけが持っているわけではない。動物にもあります。動物でも、自分の生を全うした動物は、満足して死んでいく。だから野生では動物の死骸が見つからないんです。銃殺されたとかいう不本意な死だと、思いが残ってしまうから、体もこの世に残ります。ネズミだって、街にはあんなにたくさんいるのに死骸を見ないのは、肉体ごとスッと消えてなくなるからです。
人間だって、チベットの修行僧なんかは、自分の死を予告して高地に登り、後でその洞窟やテントに弟子達が行ってみると、髪と爪と衣服しか残っていないそうです。
こういう話は非科学的に聞こえるかもしれませんが、実は肉体というのは、原子の結合でできています。それも水素結合が主です。その結合は、こうして生きている間にも、常にくっついたり離れたりすることを繰り返しているのです。この結合を一挙にほどいてしまえば、私達の肉体を構成しているすべての原子は、その極限においては目に見えないものですから、この空間(大自然)に返される。それが死して死骸を残さないことだと思っているんです。
中川:
反対に、重い魂は地球でもう少し使命が残っているわけですね。
江本:
たとえば現在、二年で十三億頭の牛が、食料として殺されていると言います。その彼らが満足して死んでいくとは到底思えない。その彼らが満足して死んでいくとは到底思えない。 一頭当たりの平均体重が五百キロくらいですから、その魂の重さはどれくらいなのでしょう。 仮にいくら軽くても、物質的な質量がある限りは留まる場所が必要です。 でも、外はもう満杯で行くところがない。 しょうがないから、そういう動物の魂が人の体に入り込んできているのです。 人の体は水が多いから入りやすい。 入られた状態が霊障です。 だから現代は、霊障が多くなっているのです。 私は、病気はことごとく霊障だと思っています。 この現象はあと一〜二年で臨界点に達し、未知のウイルスや細菌、悪玉菌などが繁殖していくのではないかと考えています。
中川:
牛さん一頭分が何人の口に入るか分かりませんが、多分数百人分になるでしょう。その人達が「ありがとう牛さん、ああおいしい」と思って食べてくれれば牛の魂にも光が届くのでしょうが、最近は「食べ物を粗末にしてはいけないよ」というような、昔からの大事な知恵が忘れられていますからね。

江本:
私はこの十数年、病気の方のベ一万数千人に波動水をお作りしてきました。喜んでいただけた方も多いですし、奇跡的な治癒の事例もありました。でも中には亡くなった方もあり、そういう命のやりとりを続ける中で、病気は霊障だと考えざるを得ないという結論に至ったのです。この十年は、数十年分にも値することを私に教えてくれました。この写真集『水からの伝言』は、はっきり言えば「霊の正体」と同等のものを撮影したものです。それを写真にして見せたことに価値があるのです。だから宗派にかかわらず、いろいろな宗教団体の方々がまとめて買っていかれます。写真は万国共通ですから分かりやすいし、取っつきやすいですからね。
中川:
そこまで明快に「霊」を語られる方も珍しいですね(笑)。「霊」の写真集ですか、そう考えるとすっきりして分かりやすいですね。(つづきはハイゲンキマガジン2000年9月号で・・・)

構成/小原田泰久

           

1998.01「村上 和雄」さん

村上 和雄(むらかみ・かずお)さん

1936年生まれ。筑波大学応用生物化学系教授。1963年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻、博士課程修了。同年米国オレゴン医科大学研究員、1968年京都大学農学部助手。1976年バンダビルト大学医学部助教授。1978年筑波大学応用生物化学系教授となり、遺伝子の研究に取り組む。1983年高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功、世界的な業績として注目を集める。1994年より先端学際領域研究センター長を高める。1996年日本学士院賞受賞。著書に「バイオテクノロジー」(講談社ブルーバックス)、「遺伝子からのメッセージ」(日新報道)他。

『遺伝子の中に神の働きを見た』

アメリカではノーベル賞も過去の栄光

中川:
先生の『生命の暗号』という本を読ませていただいて、目に見える世界を追求してきた科学者がサムシング・グレートという言葉で、私たちに言わせれば「神様」とでも言うべき存在のことを語っておられるということに深く感銘を受けました。私は、氣の世界を通して神様を感じているわけですが、先生は遺伝子の中に大自然の偉大な力を見られたということに非常に興味をもちました。今日は、ゆっくりと先生のお話をうかがえればと思っています。氣の世界も、ほんの数年前まではいかがわしいものとして、特に科学者からは相手にされませんでした。でも、最近は氣という言葉が、かなり当たり前の感覚で語られるようになってきています。そういう意味で、時代が変わってきたという実感がありますね。
村上:
私も時代の変化は痛感しています。大学は、間違いなく大きな変革期を迎えていますね。30年程前、私はアメリカで研究生活を送っていました。アメリカへ行った当初、第一番に感じたのは、こんな国とよく戦争をする気になったなということでした。日米のギャップが、言葉にならないくらいすごいわけです。私のことで言えば、若くても、やっていることは正当に認めてくれて、日本にいるときと比べて給料が一桁違いました。当時の私は27~28歳の、研究者としては駆け出しです。しかし、50代の教授と同じ給料をくれるわけです。どうしてだって聞くと、同じ働きだからというわけです。私の方はいいですが、教授はたまったものじゃないですよ。30年近い実績が無視されてしまっているわけでしょ。アメリカでは、例えノーベル賞を受賞した偉い科学者でも、それは過去の栄光にしか過ぎず、今、どんな研究をしてどんな成果を上げているかがすべてです。4~5年に一回、研究のチェックがあって、研究が駄目ならやめてもらうという、そんな体制なんですね。だから、若い人でも研究次第で認められるという天国の部分もあれば、どんなに実績があっても、今が駄目なら駄目という、地獄ともいえる部分がある。まさに、そんな中から研究者としてのプロが育ってくるわけです。それに比べて日本の大学は、プロ級の人もおられますが、一般的にはプロを養成する環境にありません。プロとアマチュアの集団が闘えば、プロが勝つに決まっています。今までは、日本の大学も、知識とか技術を輸入して使えるというハンディをもらっていましたが、これからはそうはいかなくなる。真剣勝負となるのですから、大学もプロ集団作りに本腰を入れなければならないと思います。国際的に通用する研究や教育をする必要に迫られていますね。
中川:
特に、先生が研究されている遺伝子などはそうでしょうね。世界中で研究がされていて、それも日進月歩で、昨日の研究が、今日は古い情報になっている世界なんでしょうね。何か、すべての分野でテンポが速くなっているような気がしますね。氣の世界も、昨日と今日が違っても何も不思議ではない。私どものやっている真氣光でも、ちょっと前までは病気治しに非常に重点が置かれていた。そもそも、氣なんていうのは、難病が治るということで注目されて、新しい治療法というニュアンスが強かったんですが、今ではもっと深まって、宇宙の真理を知るきっかけとしての位置付けがあります。氣を通して意識を変えていこうというのが、真氣光の重要な考え方になっています。意識が変われば病気も治ってしまうし、幸せにもなれるという考え方ですね。ほんの短い期間で『氣で病気が治る』というだけの見方は古くなってしまっているんです。その変化に、なかなかついてこれない人も多いですけどね。

村上:
遺伝子の研究では、2005年には人の遺伝子の暗号が、すべて解読されると言われています。私が遺伝子の研究を始めた20年程前は、人の遺伝子が解読されるのは21世紀半ばだろうと言われていました。現場で研究している私たちも驚くようなスピードで動いていますよ。
中川:
あと10年もたたないうちにですか。遺伝子が解読されると、世の中はどう変わるんでしょうね。
村上:
医学が変わりますね。例えば、今の医学ではタバコを吸うと肺ガンになると言われますよね。それは、タバコを吸う人1000人と吸わない人1000人を比べて、吸う人の方が肺ガンになりやすいといったことで、タバコは肺ガンの原因だという結論が出されているわけですが、遺伝子が解読できれば、この人はタバコを吸うと肺ガンになりやすいけれども、この人はいくら吸っても大丈夫だという診断ができるわけです。遺伝子というのは体の設計図ですから、それを読めば、この人はどういう病気になる可能性があるのかがわかります。だから、その病気になるのを避けるには、どんな生活をすればいいのか、医学はそんなアドバイスができるようになるでしょうね。私は、冗談で、21世紀には見合いのとき、釣り書に遺伝子の暗号を添えて出さなければならなくなると言っているんですけどね。まあ、遺伝子の解読は、そうやって着実に進んでいますが、私がもっとも興味あるのは、この体の設計図とも言える遺伝子を、誰が書いたのかということです。親が書いたわけじゃないでしょ。おじいさんやおばあさんでもない。遺伝子に書かれている情報は、万巻の書に匹敵する量ですが、それが米粒の60億分の1のスペースに書かれているわけです。世界人口が60億人ですから、世界中の人の遺伝子を集めてきてやっと米粒の大きさになるというそんな小さなところに、ものすごい量の情報が詰まっている。これはとても人間のできることではありません。自然が書いたんだろう。自然と言っても山や川が書いたわけではない。何か、人間とか動物とか植物とか、そういったものを作ろうという意思がなければ、設計図は書けないでしょうから、その書き手は何か意思をもった存在である。どんどん突き詰めていくと、そんなとこるに行くわけですね。
中川:
その書き手が、サムシング・グレートということになるわけですね。
村上:
そう考えるしかないんです。細胞一個でできている単純な生き物でも、それが生まれるのは、一億円の宝くじが百万回連続して当たるのと同じ確率です 。つまり、ありえないに等しいほどのものです 。人間の知恵や思いや努力を超えたものが働いている、としか考えられないですよね 。そう考える方が自然なんです 。その働きを私はサムシング・グレートと呼んだわけですね 。神や仏様と言ってもいいと思いますよ 。
中川:
私たちは当たり前のように生きていますが、生きているっていうことはすごいことなんですね 。そんな貴重な生命ですから粗末にしちゃいけないという重要なメッセージを、遺伝子は発信しているわけだ 。
村上:
バイオテクノロジーでは、随分と大腸菌のお世話になっています 。それで、大腸菌の研究もどんどん進んで、今では大腸菌の遺伝子は完全に解明されています 。設計図がはっきりとわかっていて、どんなエネルギー、どんな材料を使っているかもわかっている 。車で言うなら、設計図があって部品もあって、ガソリンもある状態です 。でも、エンジンを動かそうと思ってもスイッチが入らない 。つまり、大腸菌は作れても、命が宿らないんですね 。なぜ、大腸菌が生きているか、そこがわからないままなんです 。体の設計図である遺伝子が解読できるまで科学は進んだのだけれども、生きた大腸菌一つ作れないのが現状です 。それは科学が未熟というだけのことではなくて、それだけ生きているということは偉大だということでしょう 。体重60キロの人で細胞は60兆個あると言われています 。世界人口が約60億ですから、人間を構成する細胞は人口の一万倍ということになります 。人間は一万分の一の数でも、しょっちゅう喧嘩しているにもかかわらず、細胞は自分も生きながら、お互いが協力して臓器を生かすという、素晴らしい調和をもっているわけですね 。まさしく共生の社会ですよ 。それをコントロールしているのが遺伝子です 。でも、その遺伝子をコントロールしているのは何なのかとなると、もう分からなくなってしまう 。昔は、神様が人間を作ったなんて、そんな馬鹿なことがあるかと思っていました 。しかし、遺伝子を研究していると、そう考えずにはいられないですね 。私は、遺伝子の中に、サムシング・グレートの働きを見ることができました 。これは大変な感動でしたね
中川:
私どもも、常に先生のおっしゃるサムシング・グレートの存在を感じながら生きていくことを重視しています。氣は中継するものだという考え方を徹底するようにしているんですね。自分で作り出したり、貯めたりするものではなくて、自分は中継になりきって、神様のエネルギーを中継させていただこうと、そう考えています。自分でやっているんだという考え方だと、必ず限界がきます。天狗になって、だんだんと人から相手にされなくなったり、体調が悪くなったりもしますしね。でも、中継させていただいていれば、それはすべて神様の意思だから、極端な言い方をするなら、人はどんな難病だって治るし、治らない人は肩凝りだって治らない。いくら病気が治ったからと言って、それは神様が治してくれたものだから、いばることもないし、簡単な病気が治らないからと言っても、それは神様の意思なんだから、自分は力が足りないとがっかりすることもないんです。大事なのは、氣を中継するという行為を通して、ああ、自分たちは生かされている存在なんだと。それを感じられればいいと思っています。神様やサムシング・グレートといった、私たちを生かしてくれている大きな存在があると考えて生きるのと、ないと否定して生きるのとでは、人生がまるっきり違ってきますからね。
村上:
その通りだと思いますよ。バイオテクノロジーは神を操るものである、などと言う人がいますが、とんでもない話です。本当に、生命は偉大だと思います。とても人間の知恵の及ぶものではありません。その生命の偉大さから見れば、ノーベル賞学者も知的な障害を持った人も、ほとんど変わりはないんです。人間の狭い判断基準で言えば、ノーベル賞を取った人だとか、大会社の社長は偉いということになっていますが、生きていることのすごさからすれば、ノーベル賞をとるか、知的な障害をもって生きるかは、ほんの誤差にしかすぎません。生きていることというのは、大自然からのギフト(贈り物)ですよ。よく、「子供を作る」という言い方をしますが、人間が子供を作るわけではない。あくまでも生命は大自然の贈り物であって、人間は、そのきっかけを作るだけのことです。日本人は、戦後50年で、数千万の胎児をおろしています。大変な数ですよ。交通事故や戦争以上に、貴重な生命が失われているんですね。かつては、子供が増えると家族が飢え死にしてしまうという、ギリギリのところで悲しい選択をしたこともあったと思いますが、最近は、ほとんどが自分の都合でおろしてしまっていますよね。もちろん、心の痛みをともなって決断しているんでしょうが、その決断のどこかには、自分のものという思いがあるんだろうと思います。大自然からのギフトだと考えれば、そう簡単には、おろすという手段をとらないと思いますね。現代は、自分の命も周りの命も、粗末にし過ぎています。その最たるものが食べ物でしょ、日本では。ほとんどの食べ物を輸入してきて、その3分の2を捨ててしまっている。これは、傲慢以外の何者でもありませんよ。もちろん、それは他人事ではなくて、私も大切な命を食としていただきながら「こんなまずいもの」なんて文句言ったりしていますから、気をつけないとね(笑い)。
中川:
それは私も同じですね。ところでですね、先生の本によると、すべての人は素晴らしい潜在能力をもっているんだけれども、遺伝子がオフになっていて、その能力を発揮できないんだということですね。私も、それはよく感じますね。私どもで行っている一週間の講座ですが、一週間で人がどんどん変わっていくんですね。病気の人も治ってしまったりする。生き方がすっかり変わって家庭円満になったり、思わぬ能力が芽生えて、仕事がすっかり変わってしまったりといったことが起きてきているんですね。きっと、そういう人は遺伝子がオンになったんだろうななんて、先生の本を読ませていただきながら思っていました。
村上:
遺伝子のオン・オフについては、少し前に話題になったクローン羊を例にすればわかりやすいのでお話します。クローン羊は、妊娠したメスの羊から乳腺細胞という細胞を取り出すところから始まります。乳腺細胞というのは、ミルクを作る働きだけがオンになっている細胞です。すべての細胞は、もともとは一個の受精卵からなっているわけですから、同じインフォメーションを持っています。ただ、それぞれのインフォメーションがオンになっているかオフになっているかの違いで、髪の毛になったり、心臓になったりするんですね。よく、心臓に毛が生えているという言い方をしますが、心臓を作る細胞にも毛が生える情報はあるんです。でも、それがオフになっているから毛が生えないだけです。クローン羊に話を戻しますが、乳腺細胞を培養するときに栄養を十分の一くらいにして半殺しの状態にします。すると、すべての情報がオンになる、つまり一匹の羊ができる細胞になるのです。遺伝子のオン、オフは、どうもストレスと関係があります。物理的なストレス、例えば火事でやけどしたとしますね。そのときには、やけどに対抗するタンパク質を作る遺伝子がオンになります。アルコールでも、私はあまり強くないんですが、飲み続ければ、かなり強くなると思います。これもアルコールを分解する遺伝子がオンになるからでしょうね。精神的な要因もオン、オフに関係してきます。火事場の馬鹿力というのがありますね。非力な女性が火事のときに重いタンスを一人で運ぶというようなことです。これも、火事だ大変だという精神的なストレスが遺伝子をオンにしたと考えられますね。あるいは、長年歩けなかった人が、ある人と出会って感動したりすると、ふっと歩けるようになったりする。これも、精神的な要因によって遺伝子がオンになったと考えていいんじゃないでしょうか。
中川:
今、世の中を見回すと、マイナスだと思われることが山ほどありますよね。景気が悪いとか、残酷な事件や難病が増えているといったことですね。だけど、それらは決してマイナスではなくて、すべてサムシング・グレートが与えてくれたことなんじゃないかと、私は思っています。いろいろなことが起こってきても、それをどうとらえるかによって、人って、幸せにも不幸にもなれるじゃないですか。これも遺伝子のオン、オフとかかわっているような気がするんですけどね。
村上:
サムシング・グレートは、言葉を発することができません。だから、いろいろな現象で私たちにメッセージを送ってくれているのだと思いますよ。病気になるとか、人に騙されるといった、私たちの狭い価値観からすればマイナスのことも、自分に起こることはメッセージだと受け止めようと考えた瞬間にプラスに転換しますよね。本来の宗教は、サムシング・グレートの存在を認めて、生かされて生きていることを実感する手段としてあったと思います。生きていることのすごさを知ることですね。私たちは、何百万円かもらうとありがたく思うけれども、生きていることにはありがたみを感じない場合がほとんどでしょ。でも、生きていることは何十兆円出したって買えるものではないんですね。いくらお金を積んでも手に入れることができないものです。生きていること自体それほどすごいことなんだから。少々病気したって、障害があったって、そんなのは大したことじゃないんですね。生きていることに感謝することこそ、サムシング・グレートのメッセージをポジティブに受け取ることですよ。それが必要な遺伝子がオンになることにつながっていくんだと思います。
中川:
先生のお話をうかがっていますと、科学と宗教という、これまでは両極端に位置していたものが、見事に統合されていくような気がして嬉しくなってしまいます。これからは、先生のような姿勢で研究活動をする学者は増えてくるんでしょうね。
村上:
中途半端な人は意外と傲慢なんですよ。遺伝子を研究していても、大腸菌も作れないのに、生命の本質を解明したような気になってしまってね。でも、ある程度まで達した人はわかっているでしょう。サムシング・グレートというのか、神というのか、仏というのか、表現の仕方は違っていても、生命を作り出した偉大な力が存在していることをですね。私たちが大学で講義したり研究室で研究したりするのはデイ・サイエンス(昼の科学)。そうじゃない研究の裏側に当たるものをナイト・サイエンス(夜の科学)と、私は呼んでいます。デイ・サイエンスは、理性的で客観的、つまり論理の筋が通って整然としています。一方のナイト・サイエンスは、直感、霊感、不思議体験などから大変なヒントを得たりする世界です。だいたい、科学上の大発見、大発明はナイト・サイエンスから生まれています。でも、なかなかそんなことを言う人はいなかった。大体が、結果だけを見せて、いいことしか言ってこなかった。世の中には科学ではわからないことはいくらでもある。それを語らずに、まるで科学でわからないことは存在しないことであるといった話になってしまった。それじゃ、本当の意味で科学の発展はないわけで、これからはナイト・サイエンスの部分をもっともっと語らなければならないと思いますね。結果だけではなくてプロセスを語るべきでしょう。間違いもあるし、不思議な出会いもあり、直感もある。それが人間のドラマです。そして、そんななかから、生きるということはただごとではないなという発見があるんじゃないでしょうかね。
中川:
生きるということのすごさが遺伝子という目に見えない世界から見えてくるということに、またすごさを感じました。先生には、いずれご講演をお願いしたいと思います。少しでも多くの人に、遺伝子の声、サムシング・グレートからのメッセージを聞いていただきたいと思います。また、私どものやっています氣についても見ていただける機会があるといいなと思っています。これからもいろいろと楽しいご研究をされ、いろいろとご指導いただければと思います。今日は、本当にありがとうございました。

構成/小原田泰久

           

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