8月「井下田 久幸」さん
井下田 久幸(いげた ひさゆき)さん
1961年生まれ。青山学院大学理工学部卒業後、日本 IBMに入社。その後、 IT企業4社を渡り歩き、東証一部上場企業で執行役員を務めたあと、独立してドルフィア株式会社代表取締役。今も現役のプログラマーとして活躍している。著書『コンペ 300戦無敗のトップエンジニアが教える理系の仕事術』(かんき出版)は、理系に限らず幅広く読まれている。
『コンペ300戦無敗。根底にはお客さん目線の温かさ』
再現性があり応用が利く法則を見つけて対応する
- 中川:
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井下田さんの『理系の仕事術』というご著書を読ませていただきました。私も、大学は工学部したし、卒業後も10 年くらい電機会社でエンジニアをやっていました。バリバリの理系です。氣の世界には30 年近くいますが、氣というとどうしてもあいまいな部分が大きいので、最初はずいぶんと戸惑いました。敏感な人もいればぜんぜん感じない人もいます。測定もできないし、再現性もないし、物質だかエネルギーだか、それも明確になっていません。私自身、氣によって体調が良くなったり、人生観が大きく変わったりしましたので、氣をもっとわかりやすく伝えることができる方法はないものかと、ずっと試行錯誤してきました。エンジニアという立場で、プレゼン 300戦無敗というすごい成果をあげた井下田さんの体験は、理系の人間として伝え方を考える上でとても参考になりました。
- 井下田:
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ありがとうございます。中川会長は、氣の出る機械を作っておられるとお聞きしました。
- 中川:
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私の父が夢で見て作ったものです。時計の技術者だった父が夢で教えられた通りに作ったところ、使った人から元気が出たとか体調が良くなったとか、喜びの声が寄せられました。でも、なぜ体調が改善するのか作った本人もわかりませんでした。あるとき、中国の氣功師がその機械を見て、「氣が出ている」と教えてくれたそうです。父は、宇宙にある癒しのエネルギーを中継しているという言い方をしていました。当時、私はエンジニアだったので、機械を分解してどういう構造になっているのか調べたこともありました。とても気になる部分が一つだけありました。小さなピラミッドとセラミックの板と永久磁石が意味ありげに組み合わさっていたのです。
私はそこに氣を中継するカギがあるのではないかと思い、父の死後、もっと性能を向上させようと、サラリーマン時代にやってきたコンパクト化、集積化という技術を使って、機械を改良して今に至っています。エンジニアのときはマイクロマシンという小さなロボットを開発していましたが、そのときの経験が生きましたね。 - 井下田:
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お父様も理系だったのですね。私は氣については門外漢なのですが、世の中にそういう機械はあまりないように思うのですが。
- 中川:
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あまり聞かないですね。一般的には機械と氣というのはなかなか結びつかないみたいですね。理屈ではなかなか理解していただけなくて、今の時点では、体験して判断してもらうしかないかなと思っています。
- 井下田:
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会長は、それを何とか論理的に説明しようと努力されているわけですね。
- 中川:
- 氣というと感覚的にとらえることが多いのですが、そればかりではなく、しっかりと頭で考えることも必要だと、私は思っています。人は、理論的に考えたら起こる確率の非常に低いことに不安や恐怖、怒りを感じて落ち込んだり、イライラしたりします。そんなときこそ、しっかり考えることが大切だと思います。考えることで感情に振り回されることが少なくなるのではないでしょうか。余計なことで不安にならないし、取り越し苦労をしなくてすみます。感情に振り回されて落ち込んだりすると、良くない氣の影響を受けてしまいます。それを防ぐためにも、しっかり考えていく理系的なアプローチは必要かと思っています。
- 井下田:
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ノリや直感も大切ですが、それだけではなくて、再現性があり応用が利く法則のようなものを見つけて対応する人には、まわりの人もついてきます。会長のようなリーダーにとって、理系の戦略的思考はとても大切なスキルではないでしょうか。
- 中川:
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ただでさえもわかりにくい氣というものをどう伝えればいいか、まだまだ工夫しないといけないと思っています。
ところで、井下田さんのご著書では、最初に「人生すごろく」でご自身の半生を紹介しているじゃないですか。とてもわかりやすくて、自分をプレゼンするのにとてもいいツールだと感じました。
人生すごろくに沿ってお話をお聞きしていきたいのですが、おじいさんがドイツ人で、子どものころは父親のDVでずいぶんとつらい思いをしたようですね。
- 井下田:
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ひどい暴力を受けていました。部屋に閉じ込められたりして、私は引っ込み思案なのですが、あのころの体験が原因ではないかと思っています。まわりからもいじめられましたし、学校でも、勉強が遅れました。
だけど、今振り返れば、とてもつらかったですが、その分、人の痛みがわかる人間になれたかなと思います。弱い人を見ると助けたくなるんですね。
<後略>
東京都品川区・シンシア高輪にて 構成/小原田泰久

コンペ 300戦無敗の
トップエンジニアが教える
理系の仕事術
井下田久幸著
かんき出版
字を上手に見せるには規則性があるんですね。それに則って練習すればだれでも簡単にできます。「私は字がへたくそなので」と言っていた人が、90分後にはしっかりとした筆文字が書けるんです。みなさん、びっくりされますね。 ある程度書けるようになると、楽しくて仕方なくなります。「練習しなさい」と言わなくても、どんどん書くからますます上手になにくい。だったら、それは捨ててしまえばいいと気づきました。つまり、直線で書くことを意識するんです。それだけでも、字全体の統率がとれると同時に、図形のような字になって、バランスが整います。
20年間やっていましたね。その後、コミュニケーションのコーチングを知って、そちらに力を入れるようになりました。 ヨガはみんなが元気になればいいなと始めたのですが、体からのアプローチが中心でした。私は、元気になるには、人間関係や自分らしく生きるためのアプローチも必要なのではと思い、コミュニケーションの世界に足を踏み入れました。 コーチングも好きでしたが、もっと簡単に人が笑顔になって元気になれるものはないかと、コーチングをやりながらずっと模索していました。
ひらがなは響きにとても近い文字だと思います。ひらがなは一文字一音です。漢字は意味を伝えるけれどひらがなからは音が伝わってきます。
まわりの人の氣を敏感に感じ取ってしまうんでしょうね。覚 詩も気が乱れている東京では書けなくて。今は八ヶ岳にアトリエがあって、詩作はもっぱらそちらですね。 人の気配があると集中できないんです。『千と千尋の神隠し』の主題歌のときは、八ヶ岳にまだ家がなかったので、静かな夜の時間を使って東京で書きましたけど。 
東日本大震災と原発事故には日本中がショックを受けたと思います。日本全体が追い詰められた感じになっていて、こんなとき自分にできることは何だろうかと考えました。 息子にも相談して、インターネットでライブ配信をすることにしました。 ほぼ毎日、50日間配信しました。ぼくにとっては修行のような毎日でしたが、すごくたくさんの人が喜んでくださって、やって良かったと思いました。 チャリティコンサートも企画しました。500人以上の大きな会場でしたが、すぐに満員になり、義援金もたくさん集まりました。
ミュージシャンがオンライン化するのは難しいのではないでしょうか。でも、ぼくの場合はスタジオがあるし、機材もあるし、息子の助けがあって、恵まれています。それに、スタッフがオンラインで広げていくノウハウをしっかり勉強してくれました。スタッフの2人はネットでの配信が得意なので助かっています。 音はCDで聴けるくらいのレベルにはしています。映像もカメラ4台を使っていいのを撮っていますよ。 先ほど言いましたが、写真が趣味だったので、いいレンズがたくさんあって、それが使えるんですね。 YouTubeの広がりで音楽が映像ありきになってきました。音楽よりも映像の制作費の方が高いということも起こってきていますね。
歯科大学を卒業して、国家試験を受けて合格したのですが、歯科医にならずに、すぐにアメリカへ渡って音楽の道に進みました。それが1980年ですから約40年前です。 ロスで25年ほど活動し、東京に戻って10年、その後ハワイ島で暮らしていました。2021年11月に東京へ帰ってきました。そして、ある歯科クリニックで仕事を始めました。67歳の新人歯科医です(笑)。
あるとき、レコード会社から自然の音を録音してほしいと依頼されました。やったことがなかったので試行錯誤しながらやっと録音ができて、ある日、ロスのスタジオで夜中に自分の録った自然の音を聴きました。ものすごくショックを受けました。感動するほど美しかったのです。パーフェクトな美しさでした。 なぜこんなにも美しいのだろう? と考えました。答えはすぐに出ました。神が作った音だから完璧なのです。美しいのです。 人間は音楽や絵画、彫刻など芸術作品を作るとき、完璧を目指すけれどもとても完璧には到達できません。完璧ではないところが人間の美しさであり良さだと思いますが、自然の音は非の打ちどころがありません。人間にはできないことを自然はやってのけていることにすごさを感じました。 そのことがきっかけで、神が作った音の完璧さを意識することができるようになりました。自分のこれまでの録音や編集といった経験、感性を全部注いで作品として自然の音の美しさを伝えたいという思いが湧き上がってきたのです。
いませんね。片野先生は岩手大学におられるときに大冷害があって、ほとんどの田んぼが全滅したのに、自然栽培の田んぼだけはコメが実ったのを見て、自然栽培の研究を始めたそうです。 もっと本格的に研究をしようと九州東海大学へ来られたのですが、私が入学したころは完全に異端児でした。ある授業で、教授が「うちには片野というとんでもない奴がいる。無農薬という社会の役に立たないことを研究している」と言っていたのがとても印象に残っています。ほとんどの人がそう思っていたんじゃないでしょうか。 そんな状況ですから、大学に自然栽培のコースがあるわけではありませんでした。授業では現代農業のことしか教えてくれません。遺伝子組み換えの実験とかもやりました。 学校の勉強ではやりたいことが学べないとわかったので、片野先生にお願いして、県内を中心に自然栽培や有機栽培をやっている農家さんを回り、無肥料栽培についての論文を書いて卒業したわけです。
学生が訪ねて行くと、みなさん大歓迎してくれました。九州ですから、必ず焼酎が出ました(笑)。泊めてくれて、朝方まで飲みながら語り合いました。 どなたもこだわりがあって、みなさん独自の道を進んでおられましたね。もっと協力し合えば、自然栽培や有機栽培は広がるのにと思ったものです。 でも、考えてみれば、当時は無農薬の技術や知識も少なかったから、試行錯誤しながら自分のやり方を築いてきた人ばかりです。まわりの人たちには理解されず、村八分になった人もいました。お前のところが農薬を使わないからうちの父ちゃんが怒っていた、と子どもたちが学校でいじめられたりもしたようです。 家族を守るために、歯を食いしばってやってきた人たちばかりですからね。自立心とか自尊心が強いのが当然だと思います。 そういう人たちの苦労があったからこそ、今になって、彼らの技術を使わせてもらっているという面もありますよね。<後略>
その中に人間もいるわけですが、ほかの生き物から見たら、人間ってすごく不思議な生き物なんじゃないでしょうか。ほかの生き物が人間を見てどう思っているのだろうと想像したことがあります。獲物を追いかけるわけでもないのにわざわざ走ったり、釣った魚を食べずに逃がしたり、動物たちをペットにしてご飯を与えて散歩をさせたり、会社という群れで来る日も来る日も何かを手分けして作り、それを自分では使わずに紙切れと交換して喜んでいる。私たちがナマコを見て不思議だと思う以上に、彼らには人間のことが理解できないんじゃないでしょうか(笑)。
私は、アロハこそ人間の役割なのかなと思いました。 それで、私がずっと疑問に感じていた、なぜこんなにたくさんの生き物が地球上にいるのかということをカイポさんに聞いてみました。 カイポさんからはこういう答えが返ってきました。 生き物にはみんな役目があって、パズルのピースが集まって形を作り出すように、地球を成り立たせているのです。 ハイエナやバクテリアだったら大地の掃除をする存在だし、ミミズは土を耕します。なんのためにいるのだろうと思えるような小さな生き物も、自分では気づいていないかもしれませんが、もっと大きい生き物に食べられて栄養を与えるという役目があります。植物は酸素を供給したり、動物に食べられて命を養うという役目があります。 彼らはすべての生き物は意味があって存在するということをまったく疑っていません。食べられるというのも大事な役目だというのは、新しい発見でした。 海に潜っていると、逃げまどって一生を終える小魚たちを見ますが、彼らは逃げながらも嬉々として生きているように見えます。役目を果たしているからなんでしょうね。植物たちも「さあ、食べてください」と言わんばかりに凛として大地から生えているように見えます。
買い物に連れて行っても大変です。息子がスーパーへ入ったとたんに突進していく場所はお菓子コーナーではなくて鮮魚売り場。ケースの中に入った鮮魚をつかんで大騒ぎするんです。 水たっぷりの樽にドジョウを入れて売っていたことがありました。おもむろに樽に両手を突っ込み水をばしゃばしゃかき混ぜながらドジョウとたわむれ始めました。床は水浸し。ドジョウだって飛び出したりしますよ。必死で止めようとしましたが、全身全霊で号泣ですよ。もう収拾がつきません。ほんの数分が永遠と思うほどの長い時間に思えました(笑)。
事情を知らない人たちが、目の前で起こった出来事だけで非難を口にするのには参りましたね。上から目線で「私が正してあげる」というある種の正義というんでしょうか、もっと相手の立場に立って、非難ではない別の伝え方があるのではと思いました。 理不尽な非難を受けて、最初は悲しんでいましたが、何度もそういう体験をするうちに、私は「言うのは相手の自由。聞かなかったことにするのは私の自由」と割り切ることができるようになりました。 とにかく何が大切なのかと考えました。私が非難されないのが大切ではなく、息子にいろいろな経験をさせてあげることを優先しよう。そのためには、私が防波堤になる、と覚悟を決めましたね。
結婚して専業主婦になりました。今は26歳の娘と23歳の息子がいます。
母と子どもの絆という面では強くなったと思います。ずっと仲のいい親子ですねと言われますから。3人で支え合って生きていこうという意識が自然に芽生えたのだと思います。ただ、子どもたちも精神的に不安定な部分はありました。下の子が4年生のときだったかな。行動が変なので病院へ連れて行ったことがありました。今は、私の仕事を手伝ってくれたりしてとても助かっています。