8月「奥山 暁子」さん
奥山 暁子(おくやま・あきこ)さん
幼少のころより、草木や虫たち、動物たちとお話しすることができた。その後、自らの不思議な力のことは忘れて、ごく普通に生き、マスコミの仕事をしていた。40歳ころの大病をきっかけに本来の能力がよみがえり、縄文土器さんたちともお話しできるようになり、縄文土器さんたちから聞いた古代の暮らしと心について伝えている。
『縄文土器に込められた縄文の神々の思いを現代に伝える』
がんになったのがきっかけで縄文土器に興味をもった
- 中川:
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今回の対談のお相手の奥山暁子さんは、真氣光の会員さん、小松八惠子さんのご紹介です。縄文土器とお話ができる方ということですが、最初に、小松さんはどういう経緯で奥山さんとお知り合いになったのか、お聞かせくださいますか。
小松:
今日は諏訪郡の原村までお越しいただき感謝しております。どうしても会長には奥山さんに会っていただきたかったので、対談が実現してとてもうれしいです。 私は一昨年の2月に腕を骨折して、退院後、ここ「もみの湯」は、自宅から車で3分の所にありましたので、骨折のリハビリを兼ねて通っておりました。その後、昨年の7月からこの施設をお借りして、真氣光サロンもみの湯という、気功整体の仕事をしております。 私が奥山さんのことを知ったのは、昨年「もみの湯」の玄関の所に、原村で奥山さんの「縄文人の健康法」の講演会があるというチラシが置いてあってとても興味があったのですが、その日は都合がつかず、それでも気になって仕方なくて、直接奥山さんに電話をしました。 奥山さんのことを真氣光の仲間にもお話ししたところ、ぜひお会いしたいということでした。奥山さんはその頃、伊東市に住んでいらっしゃいましたが、原村までお越しいただいて少ない人数でしたが、お話を伺うことができました。2回目は、富士見町にある井戸尻考古館を案内していただき、縄文土器さんのお話をお聞きしました。 そのときにすっかり意気投合して、会長に会っていただきたいと思った次第です。 奥山さんも、真氣光のことを以前からご存じで、会長ともお話ししたいとおっしゃってくださいました。
- 奥山:
- 八惠子さんのおかげで中川会長にお会いできて光栄です。今日はよろしくお願いします。 私は、もともとは週刊誌の記者をしておりました。ところが、がんが見つかって手術を受け、そのあと、先代の会長から真氣光を学んだ静岡の高橋呑どん舟しゅう先生のお世話になりました。 関英男先生のご著書も拝見し、真氣光が宇宙エネルギーを使ったものだと知ってとても興味をもちました。
- 中川:
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病気がきっかけで大きな変化があったわけですね。
- 奥山:
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そうですね。記者をしているときは、仕事で成功したり、お金をたくさん稼げることが幸せだと思っていました。物質にしか目を向けない唯物論者でした。 しかし、思い返してみると、子どものころはいろいろなものが見えていて、森や木、川、風などの精霊さんと話をしていました。小学校に入って、私には当たり前に見ているものが、ほかの人には見えていないことを知り、自分はおかしいのかなと思うようになって、次第にそうした能力にふたをするようになりました。 がんになって死んじゃうかもと思ったとき、もともとの能力がよみがえったのかもしれません。
- 中川:
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動物や植物とお話をするという話はよく聞きますが、縄文土器と話すというのは初耳です。縄文土器とはどういうきっかけだったのですか。
- 奥山:
- ゆっくり順を追ってお話ししますね(笑)。ずっとサラリーマンをやっていて、たくさんのストレスを抱えて病気になったとき、自分の体の声を聞いてみようと思いました。何をしたいのだろう? と自分に問いかけると、土を触りたいとか、田んぼでバッタをとりたいという意外に素朴な気持ちが湧き上がってきました。 そんなときに、高橋先生の治療院で長野のこのあたりの人と知り合って、長芋掘りにおいでよと誘われました。 すぐに出かけました。これが大きなきっかけになりました。 長芋を掘って、お昼にしましょうというので近くのおそば屋さんに出かけました。 2人で行ったのですが、とても混んでいて4人掛けの席で相席になりました。向かいに座った60代の男性はカメラマンでした。それも、縄文土器を撮影している方だったのです。
- 中川:
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ここで縄文土器との接点ができるのですね。
- 奥山:
- 最初は、縄文土器なんて撮ってどうするのだろう、と思っていました。 でも、話を聞くうち、じわじわと興味が湧いてきました。 そのカメラマンは、滋しげ澤ざわ雅人先生というお名前ですが、もともと能面の撮影をされていて、そのときに照明の大切さに気づかれたそうです。 能面はもともとは野外で使われるものだから、電気の光のもとではそのものの本来の姿が見えてこないとおっしゃるんですね。それで、かがり火やたき火を意識して能面に照明を当てると、私たちが電気のもとで見るのとはまったく違う表情が浮かんでくると言うのです。 縄文土器も、能面と同じで博物館の人工的な照明では本当の姿が浮かび上がってこないと気づかれました。縄文時代に製作された土器は自然の光のもとで作られたものですから。それで、できるだけ自然の光、つまりかがり火やたき火、月の光を再現できるような照明を工夫して縄文土器を撮影しようと思ったそうです。 自然の光のもとで縄文土器を撮影すれば、縄文人が森や川や空間の中に見ていた八百万の神々の姿が浮かぶだろうというひらめきというか確信が生まれたとおっしゃっていました。実際に、滋澤先生の写真には縄文人が見ていたであろう神々の姿が写っています。
長野県諏訪郡原村のふれあいセンターもみの湯にて 構成/小原田泰久
「鈍感なカナリア」にはなりたくない、と書かれていますよね。 
防災グッズは日常では体験することのない酷な環境で使うもので、これまでの災害を踏まえた上での創意工夫がなされています。そういう意味で、災害の教訓が集約されているのが防災グッズだと思うんですね。
人と話すのは苦手だけどけっこう目立ちたがり屋なんです(笑)。 実際やってみると、見ず知らずの人に声をかけるのは怖かったし、戸惑いました。それでも、珍しさや懐かしさから、商店街のおじさんやおばさんが「がんばっているね」とほめてくれたり、みなさんニコニコしながらお豆腐やお惣菜を買ってくれてうれしかったです。 このころは、どうやったら売れるだろうと一生懸命に考えていて、まだ20代でしたから、かわいい仕草をするとおじさんたちが買ってくれたりしました(笑)。 でも、「かわいそうだから買ってあげるよ」とよく言われることがあって、それには反発を感じましたね。
打算的な付き合いから、心と心のかかわりができるようになったんでしょうね。自分が変わるとまわりが変わるとよく言いますからね。 お客さんはうれしいから「ありがとう」と言うし、あこさんも「ありがとう」と言われてうれしい。相互に「ありがとう」のやり取りがある。いい氣が行ったり来たりしていますね。いい関係ですよ。
私が音楽療法を研究し始めたのが、1980年代後半です。その当時、日本では音楽を聴くと免疫力が上がると言っても、変人扱いですよ(笑)。「音楽で病気が治るはずがないよ」というのがほとんどの人の反応でしたね。 けれど、学会ではデータに基づくエビデンスを示して発表しているわけです。協力してくれた看護師や学生が証人としていますから、文句を言われることはありません。それでやっと着目されるようになりました。
健康保険制度が破綻し、年金も当てにできない。病気になってなんかいられませんよ。音楽は身近で安価で副作用がないじゃないですか。感動もあって継続が可能。それで免疫力が上がるわけです。最高のツールです。<後略> 
最初の出あいは小学校5年生のときです。夏休みの宿題で近くの動物園でお手伝いをすることになり、私がシロクマの担当になりました。シロクマのエサを作ったりしてお世話をしたのですが、このとき大人になったら野生のシロクマを見に行くぞと思いました。
英語もできないし、外国は怖いところだと思っていましたので、海外へ旅行に行こうと思ったことはありませんでした。でも、ペンギンにあえるのですから、そんなこと言っていられません。 
私もいろいろなお客さんを乗せました。タクシーの運転手は、人間観察もできたし、合気道のいいトレーニングにもなりました。呼吸によって相手の意識と自分の意識を結びます。そうすると、お客さんがどんな人かがよくわかるし、私と一体化しますから、イライラしていた人もご機嫌になります。行先を聞く前にどこへ行くかがわかるようなこともあります。私の車に乗ると気分が良くなると、銀座のママさんがファンになってくれて、たくさんのお客さんを紹介してくれたこともあります。
あちらの世界から開祖が教えてくれているんでしょうね。やっとわかったかとおっしゃっているのではないでしょうか。
先日、『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』という映画を見ました。映画の中に、原発事故で一度は農業をあきらめた福島の農家の人たちが、ソーラーシェアリングという太陽光発電で電力を自分たちで作るという場面があって、こういうシステムがあるんだと驚きました。長島先生はソーラーシェアリングの開発者で、映画でもコメントされていました。今日は、ソーラーシェアリングについてお聞きしたいと思っています
ソーラーシェアリングというのは、田んぼや畑に3メートルほどの支柱を立て、その上に適度な間隔でソーラーパネルを並べて発電をするという方法です。発電をするという方法です。 従来の太陽光発電だと、山を削ったり、田畑を使えなくしてしまうので、自然エネルギーと言っても、どこか自然破壊をしているようなイメージがありました。だけど、ソーラーシェアリングだと、下は農地として使えますから、耕作放棄地を発電と農地の両方に活用できるということですよね。
そもそも大きな発電所を作ってみんなに配るという考え方を変える必要があります。もともと発電所は大きく作る方が発電の効率が上がりコストが下がります。だから、ずっと電力会社の仕事として評価されてきました。 今は太陽光発電を使えば、だれでも電力会社と同じように効率よく電気が作れます。まさにエネルギーの民主化と言えるでしょう。電力料金の中に原子力維持や超高圧の送電網の負担金も均一に分担される仕組みになっていますが、これは、お酒が飲めないのに宴会の飲み放題の参加費を払っているようなものだったのです。これからは、必要なときに必要な分だけ自分で作ることができる時代が到来するでしょう。北海道で地震による大規模停電がありました。大きな発電所に依存していたから、発電所に異常が起こったことで、あんな大事に至ったのです。各家庭で電気を作っていれば、あれほどの大騒ぎにはならなかったのではないでしょうか。<後略>
25年くらい前ですね。その当時、私は子育てをしながら、東洋医学の資格を取得して、体の治療とカウンセリングをしていました。7年間、毎週通ってくれている女性がいました。その方は、40歳になっていましたが独身で、自宅で編集の仕事をしていました。人との付き合いもほとんどなく、自分はこの先どうなるのだろうと心配していました。私は意識教育研究所でやっていた内観のセミナーに彼女を送り込みました。そしたら、一週間でがらっと変わって帰ってきました。今までずっと会ってなかった親に20年ぶりに会いに行けたり、兄弟とも行き来するようになりました。結婚もして子どももできました。あのままだったら、天涯孤独だったのに、想像もできないような明るい人生が開けてきたのです。その後もクライアントを研修に送り、みなさんとても元気になられました。私は、もちろん内観のことは知っていましたが、自分は特に問題を抱えているわけでもないし、年を取ってから受ければいいやと思っていました。
心と体は連動しているんでしょうね。真氣光でも氣を受けていろいろな気づきがあると、体調も良くなっていくという人がいます。真氣光研修講座では、石井先生に内観の講義をしていただいていますが、親をはじめまわりの人にどれだけお世話になり、迷惑をかけたか気づけたという受講生の方はたくさんいますね。新型コロナウイルスの影響もあるかと思いますが、人間関係が非常に希薄になって、自分さえ良ければいいと思ったり、自分のことを顧みずに人を責めたりする人が多くなっているような気がします。私は、マイナスの氣の影響を受けてそうなっているように感じています。氣を受けてマイナスの氣がとれていくと、まわりへの感謝の気持ちが出てきます。感謝の気持ちが大きくなれば、光が増えますから、マイナスの氣は減っていって、プラスの氣が増え、ますます感謝の気持ちが出てくるんですね。そういう人は幸せになれます。いくら物質的に恵まれていても、感謝の気持ちがないと幸せは遠ざかっていきます。真氣光は氣を通して、たくさんの人が幸せになるためのお手伝いをするのが役割だと思っています。
先生は下田の真氣光研修講座に参加されたのですが、その前の話ですか。 
ここ3年は、新型コロナウイルスの影響で桑原先生とはオンラインでしかお会いできません。先代の時代から先生はボストンでセミナーを開いてくださっていて、私も毎年ボストンへうかがっていました。
3年前に会長がボストンに来られたとき、すばらしいものを作っていただきました。私は真氣光ぺろぺろキャンディと呼んでいるのですが、氣グッズであるディスクヘッドに鍼灸で使うてい鍼という鍼をくっつけてもらったんですね。てい鍼というのは先端が丸くなっていて、刺さない鍼灸治療に使います。これがいいんですよ。
てい鍼の頭の部分にネジを切っただけです。ディスクヘッドの枠にあるネジ穴とサイズがぴったりでした。これには驚きました。使っていただいているんですね。 