5月「中川 由香子さん・中川 貴恵さん」
中川 由香子・中川 貴恵(なかがわ ゆかこ・なかがわ たかえ)さん
中川 由香子 さん 1962年札幌生まれ。1984年からハワイやマイアミを拠点に海外に真氣光を広げる活動をする。2000年帰国後、真氣光研修講座の食事ボランティアをする。2007年東京移住。2016年認知症カフェを立ち上げる。2018年、8月SAS東京センターで『しんきこうカフェ』を始める。
中川 貴恵 さん 1970年札幌生まれ。東京音楽大学付属高校、同大学声楽専攻卒業。日本オペラ振興会研究生終了。イタリアのミラノ、ローマでイタリアオペラの勉強をする。1994年より真氣光研修講座の音感行法を担当。今年4月より東京センターにて「音だまスイッチ」という呼吸と声講座を開催。
『真氣光に新しい風。すそ野を広げて、 よりたくさんの人に光を』
3人が得意な分野でセッション、カフェ、 ワークショップ
- 小原田:
- 今月は、私が司会進行を務め、中川会長、中川由香子さん、中川貴恵さんにお話をうかがいます。会長から由香子さん、貴恵さんをご紹介いただけますか。
- 中川:
-
由香子は私の2つ違いの妹です。この雑誌に出るのは初めてだったかな。あまり会員さんの前には出ていませんが、真氣光歴は私よりもずっと古くて、1984年に先代が北海道から東京へ出てきたときからいろいろと手伝っています。2000年から、生駒での真氣光研修講座での食事ボランティアをやっていました。
真氣光の「氣」のロゴ、みなさんご存知だと思いますが、あれを書いたのも由香子だったよね。 - 由香子:
-
そうなんですよ。太極氣功18式のビデオのカバーに使いたいので書くように言われて、何枚か書いたうちの1枚を先代が選んで、いつの間にか、看板に使われるようになったのでびっくりでした(笑)。 - 中川:
- 東京へ出てきたと思ったら、すぐにハワイに住むことになって、あのころは激動の時期だったよね。
- 由香子:
-
ハワイのセミナーを手伝ってくれって言われたので喜んでついていったら、そのまま置いていかれて(笑)。
セミナーで知り合ったご夫妻が大きな家に住んでいたので、そこに居候させてもらって、そのご夫妻や近所の人たちの治療をしたりしていました。そうこうするうちに、もう仕送りはしないので、そちらで会社を作って自分で稼げと、とんでもないことを命じられました(笑)。
言われたとおりに会社を作って、先代が定期的にセミナーに来てくれたので、その会場を準備したり、人を集めたりといった仕事をしました。あとは、ハイゲンキを購入してくださった人のアフターケアですね。次から次へとひらめいたことを形にしていく人でしたね。鍛えられました(笑)。 - 中川:
-
貴恵は私とは10歳違います。赤ん坊のときには、私がおしめを取り換えたこともあります(笑)。
小さいときから音楽をやっていて、音楽大学でオペラを学んだあと、イタリアにもしばらく留学して、真氣光研修講座では、生駒で行われるようになった1994年5月から音感行法をやってくれているよね。 - 貴恵:
- 先代から、講義だけだと受講生も退屈するから音楽会をやってくれないかと言われて、音感行法が始まりました。私はクラシックが専門なのですが、先代からは「クラシックではわからんから演歌をやれ」と無茶な注文が入りました(笑)。でも、演歌ばかりでもまたおかしいでしょ。童謡を入れたり、いろいろ試行錯誤しました。
- 中川:
- それは大変だった(笑)。でも、真氣光研修講座でも音楽が入ると、みなさんほっとしているし、いい雰囲気になるよね。
- 貴恵:
-
参加している方によって雰囲気が違いますから、その場にあった歌を歌うようにしています。
基本は、こちらが楽しく幸せな気持ちで歌うことですね。そうじゃないと、いい氣が伝わらないですからね。 - 中川:
-
それは大事なことだと思いますよ。参加者の中には、「あの歌、思い出の歌なんです」と涙を流す人もいるからね。歌に癒され、歌で気づくことがたくさんあるみたいだね。
今は、ほかにもあちこちでボランティアで歌ったりしているけど。 - 貴恵:
-
2011年の大震災のあと、老人ホームへ行くことが多くなり、母が通っていたデイサービスの施設でも歌っていました。
豊島区でも「歌って健康講座」と言うのをボランティアでやっています。 - 小原田:
-
由香子さんは昨年の8月から「しんきこうカフェ」を、貴恵さんは4月から東京センターで「音だまスイッチ」というワークショップを始めました。このお話はあとから詳しくお聞きします。
三本の矢とか三位一体とかよく言いますが、こうやって会長と妹さん2人が、それぞれの得意な分野で真氣光を広げていくというのは、先代が仕組んでいることではないかと思ったりもします。ひとつの節目を真氣光も迎えているのではと思えてなりません。どんな展開が起こってくるのか、すごく楽しみです。
<後略>
2019年3月28日 エス・エー・エス 東京センターにて 構成/小原田泰久
24歳のときに友人に誘われて日本へ来て、陶器に興味があったので骨董市に連れて行ってもらいました。そしたら、あるお店にきれいな着物が飾られているのが目に入り、それがきっかけで着物のことが大好きになりました。そのときに買ったのが赤い長襦袢。友人に「それは着物じゃなくて下着だよ」と言われて、こんなにきれいなものを中に着るんだとびっくりしました。
レンタルが多いですね。私はもっぱら古着屋さんで買います。私の講座を受けてくれている学生でベトナムから来ている子がいます。彼女にとってはレンタルでも高いんですね。だから、古着屋さんへ連れて行って、安い着物を見つけました。安いけれども、物はすごくいいんですよ。袴も探して、彼女はそれを着て卒業式に出ます。
そのとおりです。年賀状も初詣も、日本の古い伝統だと思っていた人は多いのではないでしょうか。よく調べてみれば明治時代から始まったことですから、伝統文化とは言えません。
いくら科学が発展しても、人類の知識で宇宙のすべてがわかるわけではありません。なのに、すべてをわかったように思うのは、愚かなことじゃないでしょうか。死後の世界とか魂のことも、今の科学ではわからないことだと思います。
兆候はありましたね。気仙沼へ行く前のことです。仙台市内を流れる川の橋の上から5歳の男の子が見知らぬ男に投げ落とされるという事件がありました。幸い、男の子はけがもなく無事に救出されましたが、悪
この本とは別に、月刊「文藝春秋」に「女子はなぜ神社を目指すのか」という記事を書きました。出雲だけではなくて、東京でも若い女性の間で“神社ブーム”が起きています。
東京西部の山間地で林業を営む田中さんという方に取材でお会いしたら、「うちの親父も『野村進』なんです」と言われてびっくりしたことがあります。田中さんのお父さんは田中家に婿養子に入った人で、旧姓は「野村」、名前が「進」だったというんですね。それまで同姓同名の人には、一度も会ったことがありませんでした。こんな形で同姓同名の人に巡り合うというのは、どれくらいの確率で起こることなんでしょうかね。
見てきました。ホピの大地のエネルギーはすごかったですね。あるところでは、写真を撮ろうとしたらシャッターが切れませんでした。私のカメラだけじゃなかったので、何かエネルギーの影響があったのかなと思います。
先生の書かれた「ヒトはどうして死ぬのか」という本を、とても興味深く拝読させていただきました。遺伝子というレベルから死を語るというのは、とても新鮮に感じました。本を読みながら、どこかでこの話を聞いたことがあるなと、気になっていたんですね。しばらく記憶を探っていまして、そう言えば爆笑問題がやっているNHKの番組で、先生が死の話をしていたぞと思い出したんですよ。
がんもアルツハイマー病も、現代人がもっとも恐れる病気ですよね。それが細胞の死と関係があるというのは面白いですね。片方は死を忘れ、片方は死に急ぐという正反対の動きですが。
2006年まで現役で、エンジニアリングとエンジニアリングマネージメントの仕事をやっていました。父は、今で言うサイキックな力がありましたから、私としては、子どものころから、見えない世界があることは刷り込まれていました。ですから、サイキックな現象については、殊更不思議に思うことはありませんでした。そういうことをあまりベラベラとしゃべると人から変な目で見られるということを、後から学んだくらいです。
目に見えない世界のことが科学的に説明されるような内容だったんですか。