しんきこう - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光 - Page 4

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10月「ミネハハ」さん

ミネハハ(みねはは)さん

ネイティブアメリカンの言葉で、MINEは水、HAHAは微笑みの意味をもつ。本名は松木美音。フェリス女子短期大学音楽科声楽卒業。CMソング3000曲、バックコーラス2万4000曲、アニメの声優、主題歌など、多岐に渡る活躍の後、アフリカへのバックパック一人旅で人生が大きく転換。1994年ミネハハとしてソロデビュー。全国のミネハハファンがコンサートを開催。37枚のCDをリリース。

『歌声を宇宙に響かせて、すべての生き物の命を癒したい』

3000曲以上のCMソングを歌うCMソングの女王

中川:
これまで3000曲を超えるCMソングを歌ってこられたそうですね。ミネハハさんが歌ったCMソングをCDで聴かせていただきましたが、よく知っている曲ばかりでびっくりですよ。今は、感動して涙を流しながらミネハハさんの歌を聴く人がたくさんいますが、ここまでに至る道のりはとてもドラマチックです。まずは、CMソングの女王だったころのお話からお聞かせください。
ミネハハ:
お菓子に宅配便、フィルム、インスタントラーメン、コーヒー、サラダオイル、化粧品、トイレ用品などなど、1978年から93年までの間は、毎日スタジオに通って歌っていたし、大袈裟ではなく、一日中、私の歌声がテレビから流れていました(笑)。
中川:
どれも声のトーンが微妙に違ってきて、一人の方が歌っているとは思えないですね。
ミネハハ:
声をかえて歌っていました。商品に合う声、歌い方がありますから。

中川:
商品に合わせて声が決まるんですね。
ミネハハ:
私の特性は、商品そのものになって歌うことです。スタジオへ入ると、クライアント、広告代理店の偉い人が背広を着て座っているわけですよ。CMの映像を作る監督さんや音楽制作会社の方もいらっしゃいました。そこに私も座らされて、商品の映像を見せられます。ぱっと映像を見た瞬間にどの音色で、どの活舌で、どういうトーンで、どういう語尾で、どういう表現をしたらいいかわかるんですよ。
中川:
商品のエネルギーを感じるということでしょうか。
ミネハハ:
その商品の役割の波動がくるって感じです。たとえば、トイレに置いておくと、ブルーの水が流れる商品があるじゃないですか。青い水が流れて便器まできれいにする感じを歌ってほしいって商品から伝わってくるので、そういう歌になるんですね。

中川:
確かに、あのCMソングを聴くと、「置くだけでいいんだ」という、ちょっとした驚きがありますよね(笑)。

ミネハハ:
みかんのジュースのCMのときは自分がみかんになったつもりで歌います。太陽の光、土の栄養、水、人々のまごころによって、完熟したみかんになって、それをジューサーにかけてコップに注いで、ぐっと飲んだときに、ああおいしいと感じる。その気持ちがCMソングになりました。日本人形のCMでは、箱にしまわれていたお人形が一年ぶりに箱から出されて、「ああ、うれしいな」という気持ちを込めて歌うんです。そんな私の感性の特性があるものですから、私が歌うと商品が売れるという評判になって、次々とオファーがくるようになりました。
中川:
もともとは短大の音楽科で声楽を習っておられたんですよね。
ミネハハ:
そうなんですよ。始まりは小学校の入学式です。清泉小学校というキリスト教ミッションスクールに入ったのですが、入学式で「君が代」を斉唱したとき、土屋友子という先生が、「すばらしい声の生徒がいる」と私の才能を見つけ出してくれたんです。父と母が呼び出されて、「お嬢様すごい声をおもちなので、将来音楽の道に進ませてあげてください」と言ってくれました。8歳のときに、鎌倉のカトリック雪ノ下教会に聖歌隊があると知って、父と母は、そこに入れてくれました。NHKの番組にもしょっちゅう出させてもらいました。中学3年までそこで歌っていました。また、父が中学校の英語の教師だったことから、歳くらいからは海外のアーティストの歌もよく聴いたり歌っていました。
中川:
音楽の道に進むのは必然だったんですね。
ミネハハ:
私の本名は松木美音というのですが、松の木にそよぐ風が美しい音を奏でるようにという願いを込めて父がつけてくれました。だけど、学校での声楽の勉強は向かなくて、学生時代は新宿や六本木のディスコで、ホットパンツと編み上げのブーツ、ビーズじゃらじゃら、カーリーヘアのかつらをかぶって、ソウルバンドのボーカルとしてステージに立っていました。
中川:
ディスコですか。あの当時は流行っていましたからね。
ミネハハ:
会長も行かれました?。
中川:
いやいや、私はあまり得意じゃなかったですから(笑)。
ミネハハ:
ディスコで歌っていたときに、某有名歌手のプロデューサーにスカウトされたんです。オーディションがあるといわれて、何のオーディションですか?って聞いたら、「スタジオミュージシャンのコーラスガールを探している」と言われました。そのころは、スタジオミュージシャンって知らないわけです。でも、とにかく行ってみよう、なんでもチャンス・チョイス•チャレンジ!というノリで出かけて行きました。私は譜面も読めるし、音の高さやハーモニーのバランスも問題なし。いろいろなジャンルの歌をこなせるということもあって、スタジオミュージシャンにぴったりでした。それがきっかけで、レコーディングのバックコーラスやアニメ声優、そしてCMソングと、どんどん仕事が広がっていきました。
<後略>

東京・ 品川にて 構成/小原田泰久

ミネハハさんの情報

最新コンサート情報
9月17日(土) 静岡県三島市 連馨寺本堂
9月24日(土) 福岡市中央区 鳥飼八幡宮 神徳殿
9月25日(日) 福岡市早良区 ユーテラス高取
10月 1日(土) 静岡県榛原郡 川根本町文化会館
10月 2日(日) 静岡県三島市 カフェ&スペースほとり
10月 8日(土) 福岡県久留米市山本町豊田1957
10月19日(水) 岡山県岡山市 まほろばの里
10月29日(土) 埼玉県本庄市 五州園
11月 3日(木) 伊東市観光会館別館
11月 4日(金) 千葉県千葉市美浜区文化ホール
*詳細は<a href="https://minehaha.com/official/" rel="noopener" target="_blank">ホームページ</a>をご覧ください。

9月「小原浩靖」さん

小原浩靖(おばら ひろやす)さん

テレビのCMを中心に企業プロモーションなどの映像広告を手がけ、作品数は700本を超える。2020年『日本人の忘れものフィリピンと中国の残留邦人』で劇場用ドキュメンタリーを初監督。第26回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、第38回日本映画復興賞奨励賞を受賞。『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』では、企画・製作も務めた。

『樋口理論プラス被災農家の復活劇で脱原発へ!』

原発が危険だという話だけでは 広がりがないと思った

中川:
監督の作品、『原発をとめた裁判長原発をとめる農家たち』を拝見しました。今は試写の段階で、9月から全国で上映が始まるそうですね。映画に登場する"原発をとめた裁判長"樋口英明さんには、この対談でも明快な理論で原発の危険性をお話していただきました。とてもわかりやすくて、たくさんの人に聞いてもらいたいと思っていましたので、映画化されるとお聞きしてとても楽しみにしていました。映画では、イラストやグラフを使って、樋口理論がよりわかりやすく説明されていましたね。それに、原発は危ないからやめようということだけではなく、被災された農民の方が自ら立ち上がって太陽光発電に取り組んでおられる姿が紹介されていました。これから、電力をどうすればいいか、ひとつの指針になると思いました。
小原:
ありがとうございます。会長は、<A href="https://shinkiko.com/iv/201906/">樋口さんと対談</A>をされて、この映画にも興味をもってくださるくらいですから、原発は危険だという考えをおもちなんですね。

中川:
真氣光の創設者である父は、氣の観点から見て、原爆はもとより原発に対しても反対だという立場でした。当時はソ連でしたが、チェルノブイリの被ばく者の治療に何度も足を運んでいましたし、被ばくした子どもたちを日本に呼んで静養させたりしました。アメリカインディアンのホピ族の村を訪ねて、原爆の原料になったウランの採掘に従事させられて体調を崩している人たちの治療もしました。そうした経験から、「ウランは利用時だけでなく、採掘から処分まで問題」だと考えていました。私も原発には疑問をもっていて、脱原発を訴える元スイス大使の村田光平先生や京都大学の原子炉実験所にお勤めだった小出裕章先生とも、この対談でいろいろお話をうかがいました。
小原:
そうでしたか。この雑誌を読んでくださっている方にも応援していただけそうでうれしいです。

中川:
原発問題には興味をもっている方たちが読んでくださっています。原発の危険性は多くの人がわかっていると思います。でも、原発を止めてしまって電力は大丈夫なのだろうかという心配もあるわけです。この映画は、みなさんが原発のことを知り、これからどうしたらいいかを考える上で、とても参考になると思います。樋口さんのお話でびっくりしたのは、原発の耐震性が普通の住宅より低いということです。確かに、原発の建屋は頑丈に作られているかもしれませんが、揺れで配管が壊れたら大事故につながる危険があるわけです。なのに、原発の建っているところには大きな地震はこないという、エッと驚くような前提で原発が作られてきたわけですよね。そういうことを知ることから始めないといけないと、映画を見ながら感じました。
小原:
樋口理論は、そのあたりのことがとてもわかりやすいですからねこの映画は、樋口さんの大飯原発訴訟の弁護団代表だった河合弘之弁護士から「樋口理論を映像化してYouTubeで流さないか」という提案を受けたことからスタートしました。昨年の2月ごろの話です。私はすぐに返事をしませんでした。と言うのも、原発は危険だとか、こういう被害があったという話だけだと、広がりという面では限界があるかなと思ったからです。YouTubeはたくさんの人が見てくれるというイメージがあるかもしれませんが、ぼくの感覚だと、せいぜい3万人くらいしか見てくれません。これまで、河合さんと一緒にYouTubeで原発関連の動画を流したことがありますが、3万回くらいの再生で終わっています。
中川:
YouTubeだと、原発に関心のある人しか見ないですからね。
小原:
そうなんですね。原発の危険性をよく知っている人しかアクセスしてくれないのではと危惧したわけです。

中川:
原発に関心のない人、CO2削減や電力不足がやかましく言われている中で再稼働は仕方ないかと思っているような人にも見てもらいたいですからね。問題意識を植え付けるということでしょうかね。

小原:
脱原発しないといけないと思っている人の数が、ぼくの感覚でいうと2017年くらいから伸びていないような気がするんですね。福島第一原発での事故の記憶が薄れている人もいるし、まあ大丈夫なんじゃないかという気持ちになった人もあると思うんですね。だから、原発の問題点ばかりをテーマにしても、これまでそういう映画を見たことのある人しか見てくれないのではと思いました。だから、すぐに「やりましょう」と言えなかったんです。
<後略>

東京・ 池袋のエスエーエス東京センターにて 構成/小原田泰久

原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち

上映館(2022 年7 月時点)
・東京  ポレポレ東中野(9/10~)
・福島  フォーラム福島(10/7~)
・山形  フォーラム山形(10/7~)
・宮城  フォーラム仙台(10/7~)
・群馬  シネマテークたかさき
・長野  長野相生座・ロキシー
・神奈川 横浜シネマ・ジャック&ベティ
・静岡  シネマイーラ(11 月公開)
・愛知  名古屋シネマテーク
・京都  京都シネマ
・大阪  第七藝術劇場
・兵庫  元町映画館
・広島  福山駅前シネマモード
・広島  横川シネマ(10/14~)
・愛媛  シネマルナティック
・大分  別府ブルーバード劇場(9/16~)
・鹿児島 ガーデンズシネマ
・沖縄  シアタードーナツ(10月公開)
<A href="https://saibancho-movie.com">https://saibancho-movie.com</A>

8月「井下田 久幸」さん

井下田 久幸(いげた ひさゆき)さん

1961年生まれ。青山学院大学理工学部卒業後、日本 IBMに入社。その後、 IT企業4社を渡り歩き、東証一部上場企業で執行役員を務めたあと、独立してドルフィア株式会社代表取締役。今も現役のプログラマーとして活躍している。著書『コンペ 300戦無敗のトップエンジニアが教える理系の仕事術』(かんき出版)は、理系に限らず幅広く読まれている。

『コンペ300戦無敗。根底にはお客さん目線の温かさ』

再現性があり応用が利く法則を見つけて対応する

中川:
井下田さんの『理系の仕事術』というご著書を読ませていただきました。私も、大学は工学部したし、卒業後も10 年くらい電機会社でエンジニアをやっていました。バリバリの理系です。氣の世界には30 年近くいますが、氣というとどうしてもあいまいな部分が大きいので、最初はずいぶんと戸惑いました。敏感な人もいればぜんぜん感じない人もいます。測定もできないし、再現性もないし、物質だかエネルギーだか、それも明確になっていません。私自身、氣によって体調が良くなったり、人生観が大きく変わったりしましたので、氣をもっとわかりやすく伝えることができる方法はないものかと、ずっと試行錯誤してきました。エンジニアという立場で、プレゼン 300戦無敗というすごい成果をあげた井下田さんの体験は、理系の人間として伝え方を考える上でとても参考になりました。
井下田:
ありがとうございます。中川会長は、氣の出る機械を作っておられるとお聞きしました。
中川:
私の父が夢で見て作ったものです。時計の技術者だった父が夢で教えられた通りに作ったところ、使った人から元気が出たとか体調が良くなったとか、喜びの声が寄せられました。でも、なぜ体調が改善するのか作った本人もわかりませんでした。あるとき、中国の氣功師がその機械を見て、「氣が出ている」と教えてくれたそうです。父は、宇宙にある癒しのエネルギーを中継しているという言い方をしていました。当時、私はエンジニアだったので、機械を分解してどういう構造になっているのか調べたこともありました。とても気になる部分が一つだけありました。小さなピラミッドとセラミックの板と永久磁石が意味ありげに組み合わさっていたのです。
私はそこに氣を中継するカギがあるのではないかと思い、父の死後、もっと性能を向上させようと、サラリーマン時代にやってきたコンパクト化、集積化という技術を使って、機械を改良して今に至っています。エンジニアのときはマイクロマシンという小さなロボットを開発していましたが、そのときの経験が生きましたね。
井下田:
お父様も理系だったのですね。私は氣については門外漢なのですが、世の中にそういう機械はあまりないように思うのですが。

中川:
あまり聞かないですね。一般的には機械と氣というのはなかなか結びつかないみたいですね。理屈ではなかなか理解していただけなくて、今の時点では、体験して判断してもらうしかないかなと思っています。
井下田:
会長は、それを何とか論理的に説明しようと努力されているわけですね。

中川:
氣というと感覚的にとらえることが多いのですが、そればかりではなく、しっかりと頭で考えることも必要だと、私は思っています。人は、理論的に考えたら起こる確率の非常に低いことに不安や恐怖、怒りを感じて落ち込んだり、イライラしたりします。そんなときこそ、しっかり考えることが大切だと思います。考えることで感情に振り回されることが少なくなるのではないでしょうか。余計なことで不安にならないし、取り越し苦労をしなくてすみます。感情に振り回されて落ち込んだりすると、良くない氣の影響を受けてしまいます。それを防ぐためにも、しっかり考えていく理系的なアプローチは必要かと思っています。
井下田:
ノリや直感も大切ですが、それだけではなくて、再現性があり応用が利く法則のようなものを見つけて対応する人には、まわりの人もついてきます。会長のようなリーダーにとって、理系の戦略的思考はとても大切なスキルではないでしょうか。
中川:
ただでさえもわかりにくい氣というものをどう伝えればいいか、まだまだ工夫しないといけないと思っています。
ところで、井下田さんのご著書では、最初に「人生すごろく」でご自身の半生を紹介しているじゃないですか。とてもわかりやすくて、自分をプレゼンするのにとてもいいツールだと感じました。
人生すごろくに沿ってお話をお聞きしていきたいのですが、おじいさんがドイツ人で、子どものころは父親のDVでずいぶんとつらい思いをしたようですね。

井下田:
ひどい暴力を受けていました。部屋に閉じ込められたりして、私は引っ込み思案なのですが、あのころの体験が原因ではないかと思っています。まわりからもいじめられましたし、学校でも、勉強が遅れました。
だけど、今振り返れば、とてもつらかったですが、その分、人の痛みがわかる人間になれたかなと思います。弱い人を見ると助けたくなるんですね。

<後略>

東京都品川区・シンシア高輪にて   構成/小原田泰久

コンペ 300戦無敗の
トップエンジニアが教える
理系の仕事術

井下田久幸著
かんき出版

7月「侑季蒼葉」さん

侑季蒼葉(ゆうきあおば)さん

一般社団法人伝筆協会理事長。1961年愛知県生まれ。センスがなくても、クセ字を矯正しなくても、だれでも一定以上のグレードのうまさを再現できるノウハウを構築。2015年一般社団法人伝筆協会設立。2017年エヴァンゲリオン展とのコラボを実現。手書き文字を通して、心が通い合う喜びを世界中に広げたいというビジョンのもと、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパなどにも展開中。著書「直線で書けば今すぐ字がうまくなる!」(サンマーク出版)

『筆一本で世界中に「笑顔」と「元気」を広げたい』

難しい技術を捨てて単純な線さえ書ければ何とかなる

中川:
侑季先生は『伝筆(つてふで)』という筆文字を教えておられますが、拝見すると、心が温かくなるような字で、とてもいいですね。こんな文字ではがきをもらえば幸せな気持ちになると思います。 4時間半ほどのレッスンで書けるようなるということですが。
侑季:
90分を3回ということで初級コースを設けています。90分あれば大体のコツはつかめます。でも、それだと「書ける」ということはわかっても、なかなか普段の生活で使ってみるところまで行かないことが多いんですね。自信をもって書けるよう、あと90分を2回やります。そうすると、手紙を書いたり、カフェをやっていればメニューを書くといったようなことに使ってくれます。
中川:
でも、けっこう芸術的なセンスが必要なんじゃないかと思います。たった90分でコツがつかめるんですか。
侑季:
字を上手に見せるには規則性があるんですね。それに則って練習すればだれでも簡単にできます。「私は字がへたくそなので」と言っていた人が、90分後にはしっかりとした筆文字が書けるんです。みなさん、びっくりされますね。 ある程度書けるようになると、楽しくて仕方なくなります。「練習しなさい」と言わなくても、どんどん書くからますます上手になにくい。だったら、それは捨ててしまえばいいと気づきました。つまり、直線で書くことを意識するんです。それだけでも、字全体の統率がとれると同時に、図形のような字になって、バランスが整います。
中川:
そういうものですか。先生はもともと字がお上手だったのではないんですか。
侑季:
とんでもありません。謙遜ではなく、とてもへたくそで、人前で字を書くのが恥ずかしいくらいでした。でも、面倒で練習もしなかったものですから、字にはずっとコンプレックスがありました。特に筆なんて、小学校、中学校の習字の授業以来もったこともありませんでした。
中川:
私もそうですが、多くの日本人は学校の習字で挫折しているのではないでしょうか。どうがんばってもお手本のような字は書けませんから嫌になってしまいますよね。
侑季:
学校教育では、できないことをできるようにしようというのがあって、いつもできないことを指摘されるので気持ちがなえてしまいますね。 習字は難しいものだと思い込んでしまうと、筆をもつのが怖くなります。 でも、難しいハネやハライ、ソリを捨てて単純な線さえ書ければ何とかなるんだと思うと、チャレンジしてみようと思いますよね。ダメだと思っていたものができるかもしれないと思えるうれしさってあるじゃないですか。 そして、やってみたら書けちゃったとなると、エネルギーは一気に上がります。家に帰って家族に見せると、「買ってきたの?」と言われて、「私が書いたの」とどや顔で答えるのって快感だと思いません(笑)。
中川:
それは快感ですよ。ところで、先生はどういう経緯で伝筆を始められたんですか?
侑季:
そうそう、いつごろだったか忘れましたが、「真氣光」のことをどこかでお聞きしたことがありました。と言うのも、私は22歳のころからヨガのインストラクターをやっていました。今のようなおしゃれなヨガではなくて、瞑想とか断食といった修行的なことをやっていたころです。だから、東洋的なことにとても興味があって、真氣光のことを聞く機会があったのだと思います。

中川:
ヨガをやっておられたのですか。真氣光も、伊豆下田にある沖ヨガさんの道場で研修講座をやっていました。
侑季:
私が習った先生も沖ヨガの関係じゃなかったかな。
中川:
ヨガのインストラクターは長くやられていたのですか?
侑季:
20年間やっていましたね。その後、コミュニケーションのコーチングを知って、そちらに力を入れるようになりました。 ヨガはみんなが元気になればいいなと始めたのですが、体からのアプローチが中心でした。私は、元気になるには、人間関係や自分らしく生きるためのアプローチも必要なのではと思い、コミュニケーションの世界に足を踏み入れました。 コーチングも好きでしたが、もっと簡単に人が笑顔になって元気になれるものはないかと、コーチングをやりながらずっと模索していました。
<後略>

東京・日比谷松本楼にて   構成/小原田泰久

直線で書けば今すぐ字がうまくなる!

侑季蒼葉 (著)
サンマーク出版

6月「屋宮直達」さん

5月「覚 和歌子」さん

覚 和歌子(かく わかこ)さん

作詞家・詩人。平原綾香、SMAP、沢田研二などの作詞を手掛ける。2001年『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』の作詞でレコード大賞金賞。詩集に『ゼロになるからだ』(徳間書店)、『海のような大人になる』( 理論社)など。自唱ソロCDに『青空1号』(ソニー)、『カルミン』(valb)、『ベジタル』(valb)、『シードル』(モモランチ)がある。エッセイ、絵本など著作多数。

『不思議な感覚で降りてきた『千と千尋の神隠し』の主題歌』

詩は、もともと祝詞から始まっているのではないか、と思います

中川:
覚さんはスタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」を作詞された作詞家であり詩人です。音楽やアニメにそれほど詳しくない私でも、この歌はよく知っています。不思議な詩だな、と思いながら聴いていました。その作者にお会いできるとは本当に光栄です。今日はご自宅におうかがいしたのですが、テーブルの上にはCDや詩集、それに占いのカードを用意してくださっていて、いろいろなことをやっておられる覚さんですから、何からお話をうかがいましょうかね。この占いのカードにしますか。「ポエタロ」って言うんですね。覚さんが作られたんですか?
覚:
「ポエタロ」は「ポエムタロット」の略です。一般的にオラクルカードと呼ばれるものの一種ですが、友だちがくれたカードで私自身、気持ちが楽になったことがありました。それで、詩でも作れるんじゃないかと思いました。心理学者のユングが偶然に見えることにはすべて意味があると言っています。ぱっと開いたカードにも意味がある。自分で聞きたいことを考えながら直感と結びついてる左手で引くんですね。 でも、いきなりカードの話でいいんですか(笑)。さすが氣功の先生ですね。
中川:
何となくふっと気になったあるのではないでしょうか。 詩も短い言葉でメッセージを伝えるわけですから、詩人の覚さんがこういうカードを作るのも意味があるのかと感じました。
覚:
ふっと気になったとおっしゃいましたが、詩も作るものではなく、ふっと生まれるものほど、エネルギーがあるように、私は感じています。 私は、詩はもともとは祝の り詞とが始まりだと考えています。神様と交感する言葉が芸能になり、詩になったのではないでしょうか。 目で読む文字言葉と発声する言葉のうち、私が大事にしているのは音声としての言葉です。記録としては残らないけれども、波動が残ります。私の場合、そこへのアクセスが強いと思っています。
中川:
なるほど。お経を作りたいとお書きになっていましたが、お経も祝詞も意味を知ることよりも、波動を感じることが大事なのかもしれないですね。ポエタロも言葉の波動を感じて引くんでしょうね。 詩集の中にはひらがなだけのものもありましたが。
覚:
ひらがなは響きにとても近い文字だと思います。ひらがなは一文字一音です。漢字は意味を伝えるけれどひらがなからは音が伝わってきます。
中川:
ひらがなの方が、波動を感じられるということでしょうか。私も日本語は不思議だなと思っています。50音があって、その組み合わせで言葉ができるわけですから。 覚さんは、子どものころから波動を感じるような特殊な感性があったのでしょうか。
覚:
幼いころからカンの強い子で、見えないものの存在をキャッチして生きてきたように思います。HSPというのをご存じでしょうか。HighlySensitivePersonの略で、過剰な感受性をもって生まれた人という意味です。昔は、単に神経質な人で精神修養が足りないのだと見られていましたが、HSPという形でカテゴライズされたときに、「自分はこれなんだ」とわかってとても安心しました。背が高いのと同じように生まれ持った個性だとわかって、居場所が見つかったような気がしました。
中川:
初めて聞きますが、どんな特徴があるのですか。
覚:
細かいことを過剰に気にするというのが特徴の筆頭です。また私は聴衆がいないところで歌ったり合唱するようなときには、上手に歌えるんですが、ソロで人前でとなると膝がガクガク震えて声が出なくなるんですね。それもHSPの大きな特徴で、衆目の中で自分を発揮できないという気質です。
中川:
でも、ライブをやっておられますよね。
覚:
実はライブのときもすごく怖いんです。でも、どういうわけかやらずにいられません。どうしてでしょうね(笑)。小学生のとき、所属していた合唱団から先生に推薦されて、独唱コンクールに出ることになりました。練習では上手に歌えたのに本番では緊張してボロボロ、その後のトラウマになりました。歌は大好きですが、自分では失敗体験を重ねているという認識です。
中川:
まわりの人の氣を敏感に感じ取ってしまうんでしょうね。覚 詩も気が乱れている東京では書けなくて。今は八ヶ岳にアトリエがあって、詩作はもっぱらそちらですね。 人の気配があると集中できないんです。『千と千尋の神隠し』の主題歌のときは、八ヶ岳にまだ家がなかったので、静かな夜の時間を使って東京で書きましたけど。 
<後略>

都内の覚和歌子さんご自宅にて 構成/小原田泰久

はじまりはひとつのことば

覚 和歌子 (著)
出版社 ‏ : ‎ 港の人

4月「ウォン・ウィンツァン」さん

ウォン・ウィンツァン(うぉんうぃんつぁん)さん

1949年神戸生まれ。19歳でプロとしてジャズやソウルを演奏。87年、瞑想の体験を通して自己の音楽の在り方を確信し、90年にピアノソロ活動開始。サトワミュージックを設立し「フレグランス」をはじめ30作近くのCDをリリース。NHK「目撃!にっぽん」Eテレ「こころの時代」テーマでも知られる。YouTubeではピアノソロ動画が160万回再生突破。

『音楽で自分らしく生きるためのスイッチをオンにする』

コロナがきっかけでYouTubeでの発信が柱になった

中川:
ご無沙汰しています。前回の対談がいつごろだったか調べてみたら、1999年でした。もう23年も前のことなんですね。 実は、私ども真氣光の会員さんで本の編集のお仕事をされている尾崎靖さんから、ウォンさんと親しくしているというお話をお聞きし、その後どうされているかと思って、対談をお願いした次第です。今日はよろしくお願いします。
ウォン:
もう23年もたっていますか。ぼくも会長と再会できてうれしいです。 尾崎さんとは、阿蘇で自然農をやっている野中元(はじめ)さんという共通の友だちがいて知り合いました。野中さんは農家でありながら、カメラマンとしても活躍していますが、ぼくが彼の家にライカのいいカメラを忘れていったことがきっかけでカメラマンになったというのですから面白いでしょ。当時、ぼくは写真に凝っていました。 ちょうど、会長と対談したころじゃないかな。
中川:
そうでしたか。人と人との縁は本当に面白いし、縁によって進む道が決まったりしますからね。 前回は、ウォンさんが音楽家になる経緯とか瞑想で大きく変化した話などお聞きしました。あれから23年。いろいろなことがありました。 特に、2011年の東日本大震災。それにここ2年ほどのコロナ禍。活動にも影響があったし、考えることもおありだったと思いますが。
ウォン:
東日本大震災と原発事故には日本中がショックを受けたと思います。日本全体が追い詰められた感じになっていて、こんなとき自分にできることは何だろうかと考えました。 息子にも相談して、インターネットでライブ配信をすることにしました。 ほぼ毎日、50日間配信しました。ぼくにとっては修行のような毎日でしたが、すごくたくさんの人が喜んでくださって、やって良かったと思いました。 チャリティコンサートも企画しました。500人以上の大きな会場でしたが、すぐに満員になり、義援金もたくさん集まりました。
中川:
あのときは、日本全体が一致団結していましたよね。
ウォン:
すべての日本人が不安や危機感をもっていて、それが一体感を生み出したのだと思いますね。

中川:
今回のコロナ禍ではどうでしょうか。YouTubeではずいぶんとたくさんの方がウォンさんの演奏を聴いているようですが。
ウォン:
2019年まではすごい勢いでコンサートをやっていました。2020年に入ってからコロナが広がり始めたために自粛ムードが出てきて、雲行きが変わってきました。2~3年は動きがとれないのではないかという予感があって、YouTube配信に方向展開することにしました。 音楽活動の柱を、コンサートとCDからYouTubeに移す大きなきっかけがコロナでした。 前々からオンラインを活動拠点にしたいと思っていたので、これだけはコロナのおかげです。
中川:
コロナがオンラインでのコミュニケーションを確立させた感がありますね。私も、オンラインでセミナーやセッションをすることが多くなりました。 だけど、ミュージシャンの方にとっては、YouTubeで聴けるとなるとCDが売れませんから収益という面では厳しいのではないでしょうか。コロナのせいで音楽が衰退してしまっては大変です。
ウォン:
YouTube配信では確かに収益にはなりませんね(笑)。 だけど、まずは聴いてもらわないと話にならないですからね。聴いてもらうための手段としてはYouTubeはいいと思います。 コンサートではある一定の人にしか聴いてもらえないし、遠い人はなかなか会場まで来ることができません。 YouTubeだと全国で聴けます。160万人とか170万人が見てくれるのもありますからすごいと思いますよ。 YouTubeを始めてからいろいろな意味で広がりは出てきています。何しろ顔が出ますから、街を歩いているとウォンさんじゃないですかと声をかけられたりすることもありました。サウナやクリニックでもYouTubeが縁で友だちができました(笑)。



中川:
なるほど。聴衆との距離がものすごく縮まりましたね。

ウォン:
ミュージシャンがオンライン化するのは難しいのではないでしょうか。でも、ぼくの場合はスタジオがあるし、機材もあるし、息子の助けがあって、恵まれています。それに、スタッフがオンラインで広げていくノウハウをしっかり勉強してくれました。スタッフの2人はネットでの配信が得意なので助かっています。 音はCDで聴けるくらいのレベルにはしています。映像もカメラ4台を使っていいのを撮っていますよ。 先ほど言いましたが、写真が趣味だったので、いいレンズがたくさんあって、それが使えるんですね。 YouTubeの広がりで音楽が映像ありきになってきました。音楽よりも映像の制作費の方が高いということも起こってきていますね。

<後略>

東京・新宿区のサトワミュージックにて 構成/小原田泰久

童謡 Doh Yoh vol.1

ウォン・ウィンツァン
サトワミュージック

3月「ジョー奥田」さん

ジョー 奥田(じょー おくだ)さん

1954年大阪市生まれ。大阪歯科大学を卒業し歯科医師免許取得。1980年渡米。ロサンゼルスで活動開始。1998年自然音楽家として活動を始める。2013年拠点をハワイ島に移す。世界各地の自然音を録音し、ストーリー性豊かな、新しい自然の音の世界をクリエイトする。2021年日本に戻り、歯科医として医療の分野から自然音による癒しを追求する。

『自然の音は神様が作った。だから常に完璧で美しい』

歯科の国家試験に受かったのに、音楽の道を志した

中川:
ジョーさんは自然の音を録音するお仕事をされていて、CDもたくさん出されています。私も何年か前にダウンロードして、疲れたときにはよく聴いています。 聴いているうちに眠くなってきます。体も心もリラックスするのだと思います。 まるで実際にその場にいるような臨場感のある音ですね。
ジョー:
ありがとうございます。「バイノーラルマイク」という特殊なマイクで録音しています。人間の頭の形をしていて、表面も音の反射の具合が人間の皮膚と同じように作られています。精密なゴムの耳がついていて、鼓膜の位置にある高感度のマイクで音を拾いますので、人間の聴覚を正確に再現することができます。 あたかも自然の中に自分がいるかのように聴こえるというのが、私の作品のベースになっています。 屋久島の森や奄美大島の森を体験しようとしてもなかなかできないじゃないですか。肉体的な条件、年齢的な条件で、行きたくても行けない人にも、屋久島や奄美大島やハワイの森の音を体験していただきたいというのがもともとの出発点です。
中川:
プロフィールを拝見すると歯科大学を卒業されているのですが、どうして歯医者さんにならずに自然音楽家の道に進まれたのでしょうか。とても興味深いですね。
ジョー:
歯科大学を卒業して、国家試験を受けて合格したのですが、歯科医にならずに、すぐにアメリカへ渡って音楽の道に進みました。それが1980年ですから約40年前です。 ロスで25年ほど活動し、東京に戻って10年、その後ハワイ島で暮らしていました。2021年11月に東京へ帰ってきました。そして、ある歯科クリニックで仕事を始めました。67歳の新人歯科医です(笑)。
中川:
大変なチャレンジだと思います。国家試験まで合格していたのに音楽の道ですか。よほど音楽が好きだったんですね。
ジョー:
そうですね。大学6年生になると、病院で1年間診療実習があって、その後半に国家試験の勉強をするわけです。国家試験は医大生、歯科大生にとっては一生を左右することですから、私もご飯を食べるとき、寝るとき以外はずっと勉強をしていました。 試験勉強中は合格することだけしか頭にありませんでしたから、自分の将来について考えることはあまりありませんでした。 しかし、試験が終わって発表があるまでに2カ月くらい時間があります。そのときに自分のこれから先の人生についてじっくりと考えました。このまま歯科医になって後悔はないのかと自分の思いを突き詰めていくうちに、どんどん音楽への思いが膨れ上がってきました。 国家試験の発表があって、歯科医の免許がもらえて、ほっとしたのも束の間、やっぱり音楽の道に進もうと決めました。 親はすごく怒っていました(笑)。
中川:
そりゃ怒りますよね。せっかく国家試験に受かったのに歯医者さんにならずに音楽の道ですからね。それもアメリカへ行くわけですよね。
ジョー:
でも、歯科大学で勉強したことは無駄にはなってないと自分では思っています。自然の音を扱うようになって、自分が学んできた医療のベーシックな知識とか、人間との向き合い方がとても役に立っています。 今回、日本に戻ってきて歯科医になろうと思ったのも、今までアーティストというアングルで表現してきたことを、今度は医療者という違った立場で伝えていければと考えてのことです。 自然の音は世界で一番美しいと思います。完璧だからこそ美しい。完璧な音は、人間の肉体にも精神にも、いろいろないい作用をもたらせるはずです。そこにアプローチできれば、医療者としても貢献できるのではないでしょうか。
中川:
自然の音を録ろうと思ったきっかけがあるかと思うのですが。
ジョー:
あるとき、レコード会社から自然の音を録音してほしいと依頼されました。やったことがなかったので試行錯誤しながらやっと録音ができて、ある日、ロスのスタジオで夜中に自分の録った自然の音を聴きました。ものすごくショックを受けました。感動するほど美しかったのです。パーフェクトな美しさでした。 なぜこんなにも美しいのだろう? と考えました。答えはすぐに出ました。神が作った音だから完璧なのです。美しいのです。 人間は音楽や絵画、彫刻など芸術作品を作るとき、完璧を目指すけれどもとても完璧には到達できません。完璧ではないところが人間の美しさであり良さだと思いますが、自然の音は非の打ちどころがありません。人間にはできないことを自然はやってのけていることにすごさを感じました。 そのことがきっかけで、神が作った音の完璧さを意識することができるようになりました。自分のこれまでの録音や編集といった経験、感性を全部注いで作品として自然の音の美しさを伝えたいという思いが湧き上がってきたのです。

<後略>

東京・池袋のSAS東京センターにて 構成/小原田泰久

CD:Tokyo-Forest-24Hours

ジョー奥田

2月「松浦 智紀」さん

松浦 智紀(まつうら とものり)さん

1975年埼玉県富士見市生まれ。九州東海大学農学部農学科卒。大学卒業後、福岡県久留米市の食品会社(流通・小売り)に就職。その後帰郷して、(有)サン・スマイルを起業。現在、同社代表取締役。自然栽培パーティ理事など多くの会で中心的な役割を果たす。自社の農園で自然栽培も実践中。

『自然栽培の生産者と自然食を食べたい消費者をつなぐ』

自然栽培がやりたくて九州の大学の農学部へ進学

中川:
自然栽培にはとても興味をもっていて、奇跡のりんごの木村秋則さんはじめ、生産者の方には何人もお話をうかがってきました。松浦さんは、自然栽培で作った作物を小売店に卸すという仕事をされています。 自然栽培の農家さんは少しずつ増えていると思いますが、松浦さんのような方が販売先を開拓しているからこそ、生産者も安心して作ることができるのだと思います。 自然栽培というまだマイナーな分野で生産者と消費者をつなぐというのは、けっこう大変だろうと思います。ご苦労されたこと、やりがいを感じるときといったお話をお聞かせ願えればと思います。
松浦:
ありがとうございます。大学時代から自然栽培にはかかわっていて、もう25年ほどになります。振り返ってみるといろいろなことがありました。

中川:
高校生のころに、農業、それも自然栽培をやろうと思って、大学は農学部に入ったそうですね。
松浦:
そうです。母がとても病弱でした。全身神経痛と言われていましたが、今で言う化学物質過敏症だったと思います。 スーパーで買った野菜が食べられず、農家から直接、無農薬の野菜を購入して食べていました。 あるとき、台所に一枚のはがきが置いてあるのを見つけました。母が野菜を届けてくれる農家に書いたものでした。何気なく手に取って読んでみたところ、母の感謝の気持ちが綴られていて、農業という仕事はこんなにも人に喜ばれるのだと思ったのがきっかけでしたね。
中川:
それまで農業の体験はなかったんですよね。
松浦:
父はアルミ工場を経営していて、農業とは無関係です。私も、近所の畑で遊んだことはありますが、農作業はやったことがありませんでした。食にもまったく関心がありませんでした。
中川:
熊本の九州東海大学の農学部に進学したわけですが、そこには自然栽培を学ぶコースがあったのですか。
松浦:
高校の先生に聞いてもわからないので自分で調べて、九州東海大学に自然栽培や有機栽培を研究している片野学先生という方がいるとわかって、ここへ行こうと決めました。
中川:
今から25年以上前のことですよね。自然栽培をテーマにしているという先生はあまりいなかったでしょうね。
松浦:
いませんね。片野先生は岩手大学におられるときに大冷害があって、ほとんどの田んぼが全滅したのに、自然栽培の田んぼだけはコメが実ったのを見て、自然栽培の研究を始めたそうです。 もっと本格的に研究をしようと九州東海大学へ来られたのですが、私が入学したころは完全に異端児でした。ある授業で、教授が「うちには片野というとんでもない奴がいる。無農薬という社会の役に立たないことを研究している」と言っていたのがとても印象に残っています。ほとんどの人がそう思っていたんじゃないでしょうか。 そんな状況ですから、大学に自然栽培のコースがあるわけではありませんでした。授業では現代農業のことしか教えてくれません。遺伝子組み換えの実験とかもやりました。 学校の勉強ではやりたいことが学べないとわかったので、片野先生にお願いして、県内を中心に自然栽培や有機栽培をやっている農家さんを回り、無肥料栽培についての論文を書いて卒業したわけです。
中川:
何軒くらいの農家さんを回られたのですか。
松浦:
100軒は回りましたかね。
中川:
当時から、自然栽培や有機栽培をやっている農家さんはけっこうあったんですね。
松浦:
熊本県は環境問題に対してとても意識が高いと思います。水俣病がありましたからね。そういう面では、いい大学に進めたと思っています。

中川:
熊本県には、私ども真氣光の会員さんも多いです。氣のような目に見えない世界のことにも関心が高い県なのかもしれません。野菜を作っていたり、野菜の卸売業をしている方もいます。 100軒も農家を回れば、いろいろな方がいたでしょうね。
松浦:
学生が訪ねて行くと、みなさん大歓迎してくれました。九州ですから、必ず焼酎が出ました(笑)。泊めてくれて、朝方まで飲みながら語り合いました。 どなたもこだわりがあって、みなさん独自の道を進んでおられましたね。もっと協力し合えば、自然栽培や有機栽培は広がるのにと思ったものです。 でも、考えてみれば、当時は無農薬の技術や知識も少なかったから、試行錯誤しながら自分のやり方を築いてきた人ばかりです。まわりの人たちには理解されず、村八分になった人もいました。お前のところが農薬を使わないからうちの父ちゃんが怒っていた、と子どもたちが学校でいじめられたりもしたようです。 家族を守るために、歯を食いしばってやってきた人たちばかりですからね。自立心とか自尊心が強いのが当然だと思います。 そういう人たちの苦労があったからこそ、今になって、彼らの技術を使わせてもらっているという面もありますよね。<後略>

東京・ 池袋のエスエーエス東京センターにて 構成/小原田泰久

1月「高砂 淳二」さん

高砂 淳二(たかさご じゅんじ)さん

1962年宮城県石巻市生まれ。ダイビング専門誌『ダイビング・ワールド』の専属カメラマンを経て、1989年にフリーカメラマンとして独立。世界100ヶ国を超える国々を訪れ、海中、虹、生き物、風景まで、自然全体のつながりや人とのかかわり合いなどを テーマに撮影活動を行っている。また、数多くの写真集・エッセイを出版している。

『リスペクトと感謝の気持ちをもって「自然」にカメラを向ける』

すべての生き物は役目があって地球上で生きている

中川:
ご無沙汰しています。どれくらいご無沙汰しているか調べてみてびっくりしました。前回、この対談に出ていただいたのが2000年でしたから、21年ぶりということになります。 あのときは写真家になった経緯などお聞きしました。先代のこともご存じだったというお話もされていたのを覚えています。
高砂:
そんなに前のことでしたか。早いですね。あのころから私は氣のことにすごく興味があったので、先代のことも存じ上げていました。先代もそうだし、ハイゲンキという機械にもとても興味がありました。
中川:
対談では、『アシカが笑うわけ』というご著書を紹介しました。あれからいろいろなところへ行かれたでしょうし、さまざまな体験をされたことと思います。
高砂:
『アシカが笑うわけ』のころは海に潜りながら写真を撮ることが多かったのですが、海底に這いつくばっているナマコとか石みたいに動かないサンゴとか人間と遊びたがるイルカなどを見て、なんでこんなにいろいろな生き物がいるのだろうと思っていました。 陸上にも目を向ければ、地球上には数えきれないほどのたくさんの生き物がいるじゃないですか。生き物たちが多種多様な生き方をしているのが不思議でたまらない時期でしたね。
中川:
確かに、地球の上は動物、植物であふれていますね。必要があって、いろいろな生き物がいるんでしょうね。
高砂:
その中に人間もいるわけですが、ほかの生き物から見たら、人間ってすごく不思議な生き物なんじゃないでしょうか。ほかの生き物が人間を見てどう思っているのだろうと想像したことがあります。獲物を追いかけるわけでもないのにわざわざ走ったり、釣った魚を食べずに逃がしたり、動物たちをペットにしてご飯を与えて散歩をさせたり、会社という群れで来る日も来る日も何かを手分けして作り、それを自分では使わずに紙切れと交換して喜んでいる。私たちがナマコを見て不思議だと思う以上に、彼らには人間のことが理解できないんじゃないでしょうか(笑)。
中川:
環境を破壊するのも人間だけだし。
高砂:
その通りですね。そんなことを考えているうち、人間ってなんのためにいるんだろうと気になって仕方なくなったのです。 いくら考えても答えは出ませんでしたが、2000年の夏にハワイの自然を撮影するためにマウイ島にひと月ほど滞在したとき、カイポさんという先住民の男性にお会いしたことがきっかけで、いろいろな疑問が解けていきました。
中川:
どんな方なのですか?
高砂:
薬草やロミロミというハワイの伝統的なマッサージ法で病気の治療をしている方でした。カイポさんを紹介してくれた知人の父親は、病院では治らなかった病状が、彼の治療で劇的に回復したそうなのです。 その話を聞いて、私は彼に弟子入りして、毎日のように彼のもとに通いました。 それまで何度かハワイへは行っていましたが、リゾート地としかとらえていませんでしたから、カイポさんとの出会いはとても新鮮でした。

中川:
カイポさんからはどんなことを教わったのでしょうか?
高砂:
ハワイでは「アロハ」とあいさつをしますが、とても深い意味があります。ひと言で言うと「愛」なのですが、もっと細かく言えば、アロハは「アロ」と「オハ」と「ハ」に分解されて、「アロ」は目の前のとか、シェアするとかいう意味、「オハ」はあいさつ、喜びなど、「ハ」は、呼吸、神の息吹き、生命などのことです。アロハになると神の息吹を共有する、分かち合うといった意味になります。
中川:
神の息吹を共有し分かち合うことですか。それがアロハなんですね。「ハロー」くらいの軽い気持ちで言っていますが、深い意味があるんですね。
高砂:
私は、アロハこそ人間の役割なのかなと思いました。 それで、私がずっと疑問に感じていた、なぜこんなにたくさんの生き物が地球上にいるのかということをカイポさんに聞いてみました。 カイポさんからはこういう答えが返ってきました。 生き物にはみんな役目があって、パズルのピースが集まって形を作り出すように、地球を成り立たせているのです。 ハイエナやバクテリアだったら大地の掃除をする存在だし、ミミズは土を耕します。なんのためにいるのだろうと思えるような小さな生き物も、自分では気づいていないかもしれませんが、もっと大きい生き物に食べられて栄養を与えるという役目があります。植物は酸素を供給したり、動物に食べられて命を養うという役目があります。 彼らはすべての生き物は意味があって存在するということをまったく疑っていません。食べられるというのも大事な役目だというのは、新しい発見でした。 海に潜っていると、逃げまどって一生を終える小魚たちを見ますが、彼らは逃げながらも嬉々として生きているように見えます。役目を果たしているからなんでしょうね。植物たちも「さあ、食べてください」と言わんばかりに凛として大地から生えているように見えます。

<後略>

東京・渋谷区の高砂さんのご自宅にて 構成/小原田泰久

PLANET OF WATER (NATIONAL GEOGRAPHIC)

高砂 淳二 (著)
ナショナル ジオグラフィック

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