5月「菅谷 晃子」さん
菅谷 晃子(すがや・あきこ)さん
千葉県生まれ。引き売り士、講演家、シンガー。小学校5年生からのいじめによりコンプレックスの塊となり、高校を中退する。仕事も続かず、23歳のときから豆腐の引き売りを行う。お客様との支え合いによって生きる楽しさを知る。いじめをなくし高齢者を支える活動はTVでも紹介されている。看取り士の資格も取得。著書『ありがとうは幸せの贈り物 あこのありが豆腐』(三冬社)
『トーフ― ♫ ラッパを吹いて笑顔と幸せを届ける』
「かわいそうだから」から「ありがとう」「助かるよ」へ
- 中川:
- 『あこのありが豆腐』(三冬社)という本を読ませてもらいました。わかりやすい文章と漫画でとても読みやすかったです。リヤカーを引いて豆腐を売っている女性と聞いて、どういう経緯でそんな仕事を始めたのだろうと興味をもって読んだのですが、子どものころからいじめられたりして、つらい思いをして、23歳でこの仕事に出あったそうですね。19年もやり続けている中で、さまざまなドラマがあったようで、今日は、そんなお話がお聞きできればと思っています。
- あこ:
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声をかけていただきありがとうございます。
- 中川:
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名刺を拝見すると、引き売り士、講演家、シンガーとありますが、いろいろなことをやっておられるんですね。
- あこ:
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週に5日はリヤカーを引いて豆腐やお惣菜、お菓子などを販売しています。休みの水曜日と日曜日には、講演やライブ活動をしています。
- 中川:
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今に至るまでに悲喜こもごもの物語があったようですが、大きな転機になったのは、フリーペーパーの求人広告だそうですね。
- あこ:
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小学校5年生のときからいじめにあい、人と話をすることがどんどん苦手になりました。中学生のときには、父親と血がつながっていないこともわかり、「私のことずっとだましていたんだ」と両親に嫌悪感をもち、家を飛び出したこともあります。高校も中退しました。 つらい学校生活から逃れて、やっと自分のやりたいことができると思って働き始めたのですが、もともとのんびりした性格なので、急かされたりすると失敗してしまいます。いくつか仕事を変わりましたが、どれもうまくいきません。何をやってもダメだということでコンプレックスの塊でした。 23歳のとき、何気なくフリーペーパーを見ていたら、そこに「腕よりも、心で販売できる人募集」という求人が目に飛び込んできました。「リヤカーを引いて街へ出て、ぬくもりのある仕事をしてみませんか?」という触れ込みにピンとくるものがあって、「私、腕なんて何もないけれど、心ならきっとある!」と思って、この仕事に飛び込んでみることにしました。
- 中川:
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昔ながらの、ラッパを吹きながらリヤカーを引いて豆腐を売る仕事でしょ。人と話すのが苦手なのによく思い切りましたね。
- あこ:
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人と話すのは苦手だけどけっこう目立ちたがり屋なんです(笑)。 実際やってみると、見ず知らずの人に声をかけるのは怖かったし、戸惑いました。それでも、珍しさや懐かしさから、商店街のおじさんやおばさんが「がんばっているね」とほめてくれたり、みなさんニコニコしながらお豆腐やお惣菜を買ってくれてうれしかったです。 このころは、どうやったら売れるだろうと一生懸命に考えていて、まだ20代でしたから、かわいい仕草をするとおじさんたちが買ってくれたりしました(笑)。 でも、「かわいそうだから買ってあげるよ」とよく言われることがあって、それには反発を感じましたね。
- 中川:
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一生懸命にがんばっているのだから、「かわいそう」と言われるとむっときますよね。
- あこ:
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そんなときに川澄さんというおじいさんに会いました。毎週火曜日にコインランドリーの前で待っていてくれて、商品を買ってくれて、帰り際には「あきちゃんありがとう。がんばれよ」と見送ってくれました。寒い冬にはカイロを束でくれたり、暑い夏には一緒にアイスを食べたりしました。 川澄さんのおかげで、毎週、いろいろなお客さんに会えるのが楽しみになって、お客さんのことが大好きになりました。そんな大好きなお客さんを喜ばせるにはどうしたらいいだろうと考えるようになりました。どれだけ売れるかから、どれだけ喜んでもらえるだろうに、考え方が変わりました。 そしたら、「かわいそうだから」と言う人はいなくなって、「ありがとう」とか「助かるよ」という感謝の言葉をいただけるようになって、私も心の底から笑顔が出せるようになりました。
- 中川:
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打算的な付き合いから、心と心のかかわりができるようになったんでしょうね。自分が変わるとまわりが変わるとよく言いますからね。 お客さんはうれしいから「ありがとう」と言うし、あこさんも「ありがとう」と言われてうれしい。相互に「ありがとう」のやり取りがある。いい氣が行ったり来たりしていますね。いい関係ですよ。
- あこ:
- 一週間だれともしゃべらないお年寄りも多くて、短い時間だけど、私と話すのを待ってくれている方もいます。喜んでもらえることがこんなにもうれしいなんて考えたこともなかったです。<後略>
足立区綾瀬 ふれあい貸し会議室 : 綾瀬Aにて 構成/小原田泰久

私が音楽療法を研究し始めたのが、1980年代後半です。その当時、日本では音楽を聴くと免疫力が上がると言っても、変人扱いですよ(笑)。「音楽で病気が治るはずがないよ」というのがほとんどの人の反応でしたね。 けれど、学会ではデータに基づくエビデンスを示して発表しているわけです。協力してくれた看護師や学生が証人としていますから、文句を言われることはありません。それでやっと着目されるようになりました。
健康保険制度が破綻し、年金も当てにできない。病気になってなんかいられませんよ。音楽は身近で安価で副作用がないじゃないですか。感動もあって継続が可能。それで免疫力が上がるわけです。最高のツールです。<後略> 
最初の出あいは小学校5年生のときです。夏休みの宿題で近くの動物園でお手伝いをすることになり、私がシロクマの担当になりました。シロクマのエサを作ったりしてお世話をしたのですが、このとき大人になったら野生のシロクマを見に行くぞと思いました。
英語もできないし、外国は怖いところだと思っていましたので、海外へ旅行に行こうと思ったことはありませんでした。でも、ペンギンにあえるのですから、そんなこと言っていられません。 
私もいろいろなお客さんを乗せました。タクシーの運転手は、人間観察もできたし、合気道のいいトレーニングにもなりました。呼吸によって相手の意識と自分の意識を結びます。そうすると、お客さんがどんな人かがよくわかるし、私と一体化しますから、イライラしていた人もご機嫌になります。行先を聞く前にどこへ行くかがわかるようなこともあります。私の車に乗ると気分が良くなると、銀座のママさんがファンになってくれて、たくさんのお客さんを紹介してくれたこともあります。
あちらの世界から開祖が教えてくれているんでしょうね。やっとわかったかとおっしゃっているのではないでしょうか。
先日、『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』という映画を見ました。映画の中に、原発事故で一度は農業をあきらめた福島の農家の人たちが、ソーラーシェアリングという太陽光発電で電力を自分たちで作るという場面があって、こういうシステムがあるんだと驚きました。長島先生はソーラーシェアリングの開発者で、映画でもコメントされていました。今日は、ソーラーシェアリングについてお聞きしたいと思っています
ソーラーシェアリングというのは、田んぼや畑に3メートルほどの支柱を立て、その上に適度な間隔でソーラーパネルを並べて発電をするという方法です。発電をするという方法です。 従来の太陽光発電だと、山を削ったり、田畑を使えなくしてしまうので、自然エネルギーと言っても、どこか自然破壊をしているようなイメージがありました。だけど、ソーラーシェアリングだと、下は農地として使えますから、耕作放棄地を発電と農地の両方に活用できるということですよね。
そもそも大きな発電所を作ってみんなに配るという考え方を変える必要があります。もともと発電所は大きく作る方が発電の効率が上がりコストが下がります。だから、ずっと電力会社の仕事として評価されてきました。 今は太陽光発電を使えば、だれでも電力会社と同じように効率よく電気が作れます。まさにエネルギーの民主化と言えるでしょう。電力料金の中に原子力維持や超高圧の送電網の負担金も均一に分担される仕組みになっていますが、これは、お酒が飲めないのに宴会の飲み放題の参加費を払っているようなものだったのです。これからは、必要なときに必要な分だけ自分で作ることができる時代が到来するでしょう。北海道で地震による大規模停電がありました。大きな発電所に依存していたから、発電所に異常が起こったことで、あんな大事に至ったのです。各家庭で電気を作っていれば、あれほどの大騒ぎにはならなかったのではないでしょうか。<後略>
25年くらい前ですね。その当時、私は子育てをしながら、東洋医学の資格を取得して、体の治療とカウンセリングをしていました。7年間、毎週通ってくれている女性がいました。その方は、40歳になっていましたが独身で、自宅で編集の仕事をしていました。人との付き合いもほとんどなく、自分はこの先どうなるのだろうと心配していました。私は意識教育研究所でやっていた内観のセミナーに彼女を送り込みました。そしたら、一週間でがらっと変わって帰ってきました。今までずっと会ってなかった親に20年ぶりに会いに行けたり、兄弟とも行き来するようになりました。結婚もして子どももできました。あのままだったら、天涯孤独だったのに、想像もできないような明るい人生が開けてきたのです。その後もクライアントを研修に送り、みなさんとても元気になられました。私は、もちろん内観のことは知っていましたが、自分は特に問題を抱えているわけでもないし、年を取ってから受ければいいやと思っていました。
心と体は連動しているんでしょうね。真氣光でも氣を受けていろいろな気づきがあると、体調も良くなっていくという人がいます。真氣光研修講座では、石井先生に内観の講義をしていただいていますが、親をはじめまわりの人にどれだけお世話になり、迷惑をかけたか気づけたという受講生の方はたくさんいますね。新型コロナウイルスの影響もあるかと思いますが、人間関係が非常に希薄になって、自分さえ良ければいいと思ったり、自分のことを顧みずに人を責めたりする人が多くなっているような気がします。私は、マイナスの氣の影響を受けてそうなっているように感じています。氣を受けてマイナスの氣がとれていくと、まわりへの感謝の気持ちが出てきます。感謝の気持ちが大きくなれば、光が増えますから、マイナスの氣は減っていって、プラスの氣が増え、ますます感謝の気持ちが出てくるんですね。そういう人は幸せになれます。いくら物質的に恵まれていても、感謝の気持ちがないと幸せは遠ざかっていきます。真氣光は氣を通して、たくさんの人が幸せになるためのお手伝いをするのが役割だと思っています。
先生は下田の真氣光研修講座に参加されたのですが、その前の話ですか。 
ここ3年は、新型コロナウイルスの影響で桑原先生とはオンラインでしかお会いできません。先代の時代から先生はボストンでセミナーを開いてくださっていて、私も毎年ボストンへうかがっていました。
3年前に会長がボストンに来られたとき、すばらしいものを作っていただきました。私は真氣光ぺろぺろキャンディと呼んでいるのですが、氣グッズであるディスクヘッドに鍼灸で使うてい鍼という鍼をくっつけてもらったんですね。てい鍼というのは先端が丸くなっていて、刺さない鍼灸治療に使います。これがいいんですよ。
てい鍼の頭の部分にネジを切っただけです。ディスクヘッドの枠にあるネジ穴とサイズがぴったりでした。これには驚きました。使っていただいているんですね。 
商品に合わせて声が決まるんですね。
いやいや、私はあまり得意じゃなかったですから(笑)。 
原発問題には興味をもっている方たちが読んでくださっています。原発の危険性は多くの人がわかっていると思います。でも、原発を止めてしまって電力は大丈夫なのだろうかという心配もあるわけです。この映画は、みなさんが原発のことを知り、これからどうしたらいいかを考える上で、とても参考になると思います。樋口さんのお話でびっくりしたのは、原発の耐震性が普通の住宅より低いということです。確かに、原発の建屋は頑丈に作られているかもしれませんが、揺れで配管が壊れたら大事故につながる危険があるわけです。なのに、原発の建っているところには大きな地震はこないという、エッと驚くような前提で原発が作られてきたわけですよね。そういうことを知ることから始めないといけないと、映画を見ながら感じました。
脱原発しないといけないと思っている人の数が、ぼくの感覚でいうと2017年くらいから伸びていないような気がするんですね。福島第一原発での事故の記憶が薄れている人もいるし、まあ大丈夫なんじゃないかという気持ちになった人もあると思うんですね。だから、原発の問題点ばかりをテーマにしても、これまでそういう映画を見たことのある人しか見てくれないのではと思いました。だから、すぐに「やりましょう」と言えなかったんです。
あまり聞かないですね。一般的には機械と氣というのはなかなか結びつかないみたいですね。理屈ではなかなか理解していただけなくて、今の時点では、体験して判断してもらうしかないかなと思っています。
ひどい暴力を受けていました。部屋に閉じ込められたりして、私は引っ込み思案なのですが、あのころの体験が原因ではないかと思っています。まわりからもいじめられましたし、学校でも、勉強が遅れました。