体験者の声 - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光 - Page 3

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電気ショック中止、手術回避の奇跡。心臓病の男性が確信した「真氣光は最先端の科学」

妹の難病がきっかけ。家系の長男としての「霊的反応」

私が真氣光を知ったのは、妹の視力低下を止める治療法を探していたことがきっかけでした。本で情報を得て、2021年4月に妹を連れて会長のセッションへ。そこで妹に、亡くなった方々の霊的な反応が出たのを目の当たりにし、「こんなことがあるんだ」と驚きました。

「妹に憑いているなら、家系の長男である私にも憑いているはずだ」そう考え、翌月私もセッションを受けました。すると、やはり私にも反応が出たため、「ハイゲンキ(氣の中継機)」を購入しました。家でヘッドを当てると、急に吐き気がして、「オエッ」となりながら何かが体から抜けていく感覚があり、一時的に楽になりました。しかし、それは好転反応の始まりでもあったのです。

心機能20%、電気ショック。遠隔真氣光が起こした奇跡

その後、体調が悪化して病院へ行くと、「不整脈と心不全」と診断されました。内臓から肺の下まで水が溜まり、心臓の機能はわずか20%。「このまま死ぬのか」と思うほど衰弱し、即入院となりました。

入院中、医師から不整脈を止めるために「電気ショック治療を行う」と告げられました。直感的に「心臓が持たない」と恐怖を感じた私は、妹に相談。妹はすぐに「遠隔真氣光」を手配してくれました。すると翌日、医師から信じられない言葉を聞かされました。「不整脈がなくなったので、電気ショックは中止します」届いたハイゲンキミニを当てると、また激しく何かが抜け出ていく感覚があり、2週間の入院で10キロも痩せて退院できました。妹を助けるつもりが、私が助けられたのです。

「手術延期」は神の助け?死亡率の高い手術を回避

退院後、今度は「弁膜症」による血液の逆流が見つかり、3月に手術が決まりました。深刻な状態でしたが、「また状況が変わるかもしれない」という予感があり、より強力な「ハイゲンキ7型」を購入して備えました。

すると入院直前の検査で、「ICUが混んでいるから手術を1週間延期する」と言われたのです。私は直感的に「これは真氣光の助けだ」と感じ、その空いた1週間で別の病院へ検査に行きました。すると、そこの医師はこう言ったのです。「雑音もないし、弁膜症とは思えない」結局、転院することになり、死亡率3?5%と言われた危険な手術を回避することができました。7型を購入し、手術が延期になったあの一週間が、私の運命を変えたのです。

「86歳、76歳、66歳」負の連鎖を断ち切る

私の祖父は86歳、父は76歳で亡くなっており、ちょうど10年の間隔がありました。そして私が命の危機を迎えたのが66歳。「10年ずつ命を縮めてやろう」という見えない存在の意志があったのかもしれませんが、真氣光に出会っていなければ、私は生きていなかったでしょう。

今の科学では説明できないことも多いですが、私は結果として命を救われました。氣を受けてから、性格も穏やかになり、昔から嫌いだった自分の「字」までスッキリと変わりました。目に見えないエネルギーを機械で中継し、確実に結果を出す。私は「真氣光こそ、最先端の科学だ」と確信しています。

余命3ヶ月の宣告から33年。難病完治、そして「夫の遺言」が聞こえた日

「骨が溶ける病気」医師も見放した次男の回復

33年前、中学2年生だった次男の頭に赤い発疹が出始めました。検査の結果、告げられたのは「組織球が増殖し、骨が溶けていく難病」という残酷な診断でした。「薬もない。余命はあと3ヶ月です」複数の医師から同じ宣告を受け、目の前が真っ暗になりました。

そんな絶望の中で出会ったのが「真氣光」でした。藁にもすがる思いで、毎日次男に「ハイゲンキ」を当て続けました。すると、不思議なことに発疹が碁盤の目のように規則正しく全身に広がり、その後、まるで毒素が抜け切るかのように消えていったのです。3年後、胃の下にあった最後の発疹が消えたとき、次男は薬を一切使わず、完全に健康を取り戻していました。

意識不明の夫から届いた「声」

主人は電子工学の研究者でした。当初は半信半疑でしたが、次男の回復を目の当たりにしてからは、自らも「氣」の研究に没頭し、論文まで書くほどでした。しかし、そんな主人も病には勝てず、ある日脳幹出血で倒れ、意識不明の重体となってしまいました。

「今夜が峠です」医師にそう言われた夜、不思議なことが起きました。病気を機に氣の感覚が鋭くなっていた次男が、昏睡状態の主人に手を当てていると、「お父さんが何か伝えたがっている」と言い出したのです。そして次男の口を通して、意識がないはずの主人からの「遺言」が語られました。私は震える手でそれをメモしました。肉体は動かなくても、魂(氣)は最期まで家族と繋がっていたのです。

「土地」が訴えていた苦しみ

振り返れば、私たちの苦難は「土地」とも関係していたのかもしれません。以前住んでいた愛知県豊川市の家は、かつての海軍工廠や病院の近くで、多くの空襲犠牲者が出た場所でした。近隣でも体調不良や精神的な病を抱える人が多く、私たち家族もその影響を受けていたようでした。

「この土地の魂たちが、救いを求めてあなたたちを真氣光に導いたのかもしれませんね」会長のその言葉に、すべてが腑に落ちました。私が研修会で訳もなく大泣きしてしまったのも、私を通じて、その土地に眠る多くの魂たちが癒やされたからなのだと感じています。

見えない糸に導かれて

次男の難病がなければ、私たちは真氣光に出会うことはなく、土地の因縁も解消されず、もっと苦しい人生を送っていたかもしれません。「上の世界の方々が、なんとかしようと導いてくれた」今はそう心から信じられます。33年間の試練はすべて、私たちが本来の幸せに気づくための、必要なプロセスだったのです。

30万円のマッサージ機の代わりに買った「氣」。母への愛に飢えた私が、30年かけて見つけた「素直な自分」

30万円のマッサージ機を買うつもりで…真氣光との出会い

私が真氣光を知ったのは1994年、姉の紹介がきっかけでした。当時、ひどい肩こりに悩んでいた私は、30万円もする高価なマッサージ機を買おうと真剣に考えていました。しかし、体験会でスタッフの方に「これがいいよ」と勧められ、マッサージ機の代わりに購入したのが「ハイゲンキ(氣の中継機)」でした。

体験会では、先代会長が歩けない人に氣を当てている姿などを見て驚きましたが、実家が宗教心のある家系だったこともあり、心の勉強もできる真氣光に自然と興味を持ちました。それから30年以上、私はこの「氣」と共に歩むことになります。

「こっちを向いて」母への愛を求めた子ども時代

私が心の奥底に抱えていたのは、幼少期からの深い寂しさでした。父は私が生後2ヶ月の時に結核で他界。戦後の混乱期、母は生きるために必死で、3人の子供を育てる余裕などありませんでした。母は頼りになる姉ばかりを見ていて、私には振り向いてくれない……。「お母さんに愛されたい」そんな思いを押し殺し、私はずっと自分の気持ちを我慢して生きてきました。「人間は何のために生きているの?」と母に問いかけ、驚かれたこともあります。

塾経営で気づいた「心を受け入れる」大切さ

母の「社会に還元しなさい」という教えを守り、私は自宅で20年間、学習塾を経営しました。最初は勉強を教えることに必死でしたが、子供たちが喜ばないのを見て方針転換。「まずは子供の心を丸ごと受け入れよう」と決めました。

教室には氣のシールを貼り、グッズを置いて環境を整えました。すると、子供たちは「先生、めっちゃ腹立つ」「今日は寝るわ」と素直な自分を出してくれるようになり、不思議と優秀な子が育っていきました。彼らが勉強しながら無意識に「氣」を受けていたこと、そして私自身が彼らを受け入れることで、私の中のインナーチャイルドも癒やされていたのかもしれません。

「こうして!」から「寂しい」へ。夫との関係が激変

かつての私は、自分の素直な気持ちが言えず、その反動で主人に対して「こうしてよ!」「なんでしてくれないの!」と要求ばかりを突きつけ、相手を責めていました。

しかし、長年氣を受け続け、自分を見つめ直したことで、ようやく変化が訪れました。今は要求や指図ではなく、「私は寂しいの」「悲しいの」と、自分の本当の感情(一次感情)を素直に伝えられるようになったのです。

そうすると、主人は責められていると感じないので、とても優しくなりました。夫婦関係が穏やかになり、最近では主人の良いところばかりが見えるようになっています。30年かかりましたが、私はやっと、我慢していた子供の頃の自分を解放し、本当の意味で「大人」になれた気がします。

震災、夫のアルコール依存、がん…。試練を「魂の成長」に変えた30年の記録

「あなたはここでは治らない」衝撃の9日間合宿

私が真氣光と出会ったのは、今から30年以上前のこと。実家のトラブルで心身ともにボロボロだった私は、先代会長から衝撃的な一言を告げられました。「あなたはここでは治らない。下田の研修講座に来なさい」

言われるがままに参加した9日間の合宿研修。そこで私は、まるで自分の中から「オバケ」が一気に抜けていくような、強烈なデトックス体験をしました。研修後は1ヶ月ほどフラフラになるほどの好転反応がありましたが、それを機に心身が軽く生まれ変わり、結婚、出産と、人生の基盤を築くことができたのです。

震災のストレスで夫が依存症、そして「がん」へ

しかし、2011年の東日本大震災が私たちの生活を一変させました。原発事故の影響で、住み慣れた浪江町を追われ、避難生活へ。その強烈なストレスから、夫はお酒に溺れるようになり、アルコール依存症になってしまいました。

さらに追い打ちをかけるように、夫に直腸がんが見つかります。医師からは人工肛門の手術を強く勧められましたが、不信感を抱いた私たちは、自分たちの直感を信じ、そして「ハイゲンキ」の力を信じることを選びました。手術前後に徹底して氣を受けたおかげか、夫の回復は目覚ましく、退院からわずか1ヶ月足らずで職場復帰できるまでに回復したのです。

福島に光を。亡き魂と共に送る祈り

「私の故郷、福島で研修講座を開きたい」それは私の長年の願いでした。廃炉作業が続くこの土地に、少しでも光を届けたかったのです。

その願いが叶い、福島で開催された研修会。私はそこで不思議な体験をしました。光の国へ旅立つ兵隊さんたちの姿や、亡くなった祖父母が守ってくれている感覚。目に見えない多くの存在もまた、この地が癒やされることを願っているのだと確信しました。参加者全員で第一原発に向けて氣を送ったとき、私は確かな手応えを感じました。

すべての出来事は「魂の成長」のために

震災、依存症、がん。振り返れば苦しいことの連続でしたが、真氣光があったおかげで、私は潰れることなく前を向き続けることができました。「人生が好転した」今、そう心から言えるのは、数々の試練さえも私の魂を成長させるための「愛ある導き」だったと気づけたからです。どんなに暗いトンネルの中にいても、必ず光はあります。私はこれからも、この福島から光を送り続けます。

流産と不妊の悲しみを越え、迎えた「スーパー安産」。真氣光ベビー誕生の軌跡

18歳での入会。目の「しこり」が消えた不思議な体験

私が「真氣光(しんきこう)」の会員になったのは、大学1年生のときでした。 札幌で一人暮らしをしていた私は、母の勧めでセンターに通い始めました。当時、生理不順や、目の近くにできた原因不明の「しこり」に悩んでいたのですが、通っているうちにそのしこりが自然と消えていくのを体験しました。 「氣の力は本当にあるんだ」 この時の原体験が、後の辛い時期に私を支える基盤となりました。

多嚢胞性卵巣症候群、そして流産。「どうして私だけ」

結婚後、なかなか子どもを授からず、病院で検査を受けると「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。 保育士として人の子を世話しながら、自分の治療を続ける日々。ようやく妊娠したと思ったら、流産という悲しい結果に終わってしまいました。 「どうして私だけがこんな目に」 友人の「子どもは?」という何気ない言葉にも傷つき、周囲との関わりを避けるほど追い詰められていました。

転機となったのは、東京への引っ越しでした。東京センターのスタッフさんに辛い胸の内を聞いてもらい、気持ちが楽になったことで、「一度治療を休もう」と決断できました。 「子どもが欲しい」という執着を一度手放し、心をリセットする時間を持てたことが、結果的に良い方向へ繋がったのだと思います。

「スーパー安産」で誕生! 夫も泣いて喜んだ日

その後、夫の転勤で名古屋へ移ったのを機に、再び前向きに治療を再開しようとした矢先、妊娠が判明しました。 安定期までは不安でいっぱいでしたが、「これまでも真氣光に助けられてきたから大丈夫」と自分に言い聞かせ、お腹の赤ちゃんに氣を送り続けました。

そして迎えた2022年1月。私は持っている全ての「氣グッズ」を病院に持ち込み、陣痛室で「音氣(氣のエネルギーが入った音楽)」を流して出産に臨みました。 すると、病院到着からわずか2時間で生まれるという、助産師さんも驚くほどの「スーパー安産」で、元気な女の子を出産することができました。あの辛い日々を共に乗り越えてきた夫が、涙を流して喜んでくれた姿は忘れられません。

「真氣光ベビー」と共に歩む幸せ

娘は、お腹にいる時からずっと音氣を聴いて育った、正真正銘の「真氣光ベビー」です。 出産を終えた今、改めて思うのは「信じ切ること」の大切さです。あの時の苦しみや悲しみを忘れてしまうほど、今は大きな幸せに包まれています。 これからも家族の絆を深めながら、この小さな命を大切に育てていきたいと思います。

体の中を「風」が吹き抜けた日。冷え性改善から始まった、精神性を磨くための道

体の中を「風」が吹き抜けた。衝撃のファーストコンタクト

私が真氣光を知ったのは、視力が低下していた私のために、兄が良い治療法をネットで探してくれたことがきっかけでした。以前は鍼治療に通っていましたが、効果に疑問を感じていた頃です。

2021年9月、兄と共に東京センターへ足を踏み入れた瞬間、伊勢神宮のような静謐(せいひつ)な空気を感じました。運良く中川会長から直接氣を受ける機会に恵まれたのですが、会長の手が私の頭に触れた瞬間です。「サーッ」と、体の中を風が吹き抜けるような感覚があったのです。「この未知なるものに身を委ねよう」と素直に思え、私はその日のうちに「ハイゲンキ(氣の中継機)」を購入しました。

1日8時間の猛特訓。消えた「冷え」と動く腸

「自分で治療できる」という点に惹かれた私は、時間さえあれば1日8時間ほど、ヘッドを体に当て続けました。すると、腸がゴロゴロと活発に動くようになり、それが数ヶ月続きました。そして気がつくと、長年の悩みだった「冷え性」が消え、腸の不調も治っていたのです。

視力自体はまだ悪いままですが、目の重苦しさは楽になってきています。最近は絶え間なくあくびが出るようになり、これは体からマイナスの氣が出ていこうとしている反応(毒出し)なのだと感じています。

「小学生に戻ったみたい」研修で取り戻した初心

2022年、兄と母と3人で研修講座に参加しました。65歳になる私ですが、様々な講義を受ける中で、まるで小学生に戻ったような新鮮な気持ちになりました。主婦として狭い世界で生きてきた私にとって、志を同じくする仲間と過ごす時間はとても刺激的で、人としての「初心」に帰ることができたのです。

研修後は、日常への感謝が足りなかった自分を反省しました。食事一つとっても、食材の命に思いを馳せ、より美味しく、有り難くいただけるようになりました。

結果を求めず、ただ「自分を磨く」

先輩会員さんから頂いたアドバイスが、今の私の指針になっています。「見返り(結果)を求めず、自分の精神性を高めることに努めなさい。自分を磨けば、結果は後からついてくるから」

今も毎日、お腹に「ドスン」と氣が入ってくる感覚を味わいながら実践を続けています。おかげで、人に対しても夫に対しても身構えず、自然体でいられるようになりました。真氣光は私にとってもはや体の一部であり、「自分の精神性を磨いていく道」そのものです。これからも焦らず、毎日氣を受け続けていきたいと思います。

コロナ禍の不調、娘の「逆転合格」。家族みんなで「氣」を共有できる幸せ

30年前、母を亡くした私を支えてくれた伯母

私が真氣光を知ったのは30年前、伯母がきっかけでした。当時、18歳で母を亡くし体調を崩しがちだった私を心配し、スタッフとして働いていた伯母がいつも「ハイゲンキ(氣の中継機)」で氣を当ててくれました。当時はよく理解していませんでしたが、伯母の優しさが何より有り難かったのを覚えています。

その後、35歳で第一子を出産する直前に、主人の勧めでハイゲンキを購入しました。実は主人も、伯母に氣を当ててもらって体の歪みが治る体験をしており、その効果を信頼してくれていたのです。妊娠中はよくお腹に当てていましたが、子育てに追われるうち、いつしかハイゲンキはただ置いてあるだけの状態になっていました。

コロナ禍で「寝たきり」に。雑誌の言葉が心に刺さる

転機は2020年8月、コロナ禍の真っ只中に訪れました。私は原因不明の体調不良に襲われ、半年もの間、起き上がることもできない「コロナ鬱」のような状態になってしまったのです。

藁にもすがる思いで、今まで読んでいなかった会員誌を読み漁りました。すると、そこに書かれた会長の言葉が次々と胸に刺さりました。「人に頼らず、自分でやらなくては」そう痛感した私は、真剣に氣を受けることを決意。同時に、毎日休まず働いてくれる主人への不満を「感謝」に変え、毎晩彼に20分間、氣を当ててあげる習慣を始めました。

「それが欲しかった!」以心伝心の奇跡

ある時、主人のケアをしながら心の中で「もっと楽にできるローラー型のヘッドが欲しいな」と強く念じていました。すると不思議なことに、何も言っていないのに主人が突然「コロコロするやつ、買おうか?」と言い出したのです。さらに、その購入資金は義父からのお小遣いで賄えることになるなど、見えない力が働いたとしか思えない展開に驚きました。

娘たちの「逆転合格」。家族で共有できる喜び

今は、私が不調だと娘が氣を当ててくれるなど、家族みんなでケアし合っています。娘2人の高校受験の際も、真氣光が大活躍しました。志望校の倍率が高く、合格率はかなり低いと言われていたのですが、当日は「氣のペンダント」を持たせ、センターから遠隔で氣を送ってもらいました。結果は、見事に2人とも合格。娘たちも氣の力を素直に信じてくれています。

伯母が根気強く伝え続けてくれたおかげで、今、私たちは家族全員で真氣光を共有できています。「ここぞ」という時に守ってくれる安心感。そして家族が同じ方向を向いて歩めること。それが私にとって一番の宝物です。

腰痛治療から始まった30年。看護師の妻も認める「氣」と、人生を変えた仲間との出会い

腰痛治療で出会った不思議な体験。体と心の変化

私が真氣光と出会ったのは1998年の秋、職場の同僚の紹介でした。若い頃から腰椎のズレによる腰痛に悩まされており、医師からは「背骨が曲がっている」と診断されていました。半信半疑でビデオや「ハイゲンキ(氣の中継機)」で氣を受けてみると、体がポカポカと温かくなり、勝手に動き出したので「なんだこれは」と驚きました。

週に一度通うようになると、腰痛が完全に消えたわけではありませんでしたが、気分がどんどん良くなっていくのを感じました。もともと精神世界の本を読んでいたこともあり、目に見えないエネルギーを受け入れる準備ができていたのだと思います。

劇的な変化はなかったけれど…人生を変えた「仲間」との出会い

初めて研修講座に参加したのは1999年のゴールデンウィークでした。正直なところ、そこで劇的な心身の変化があったわけではありません。しかし、そこでの「出会い」が私にとって大きな転機となりました。

研修で出会った仲間たちに誘われ、楽譜も読めないのに歌のサークルに参加し、発表会で歌う楽しさを知りました。また、仲間が東京センターで月に一度開催するティールーム「(むに)の会」に、ウエイター役のスタッフとして参加するようにもなりました。独身生活が長かった私にとって、利害関係のない仲間と交流し、新しい世界が広がったことは何よりの財産です。

看護師の妻も「反対しない」。定年後の多忙な日々を支える光

結婚生活において、妻の理解は大切です。私の妻は看護師で、バリバリの西洋医学の世界にいますが、私が真氣光を続けていることを伝えても反対しませんでした。拒否されず、適度な距離感で見守ってくれていることに感謝しています。

現在は63歳。悠々自適な老後かと思いきや、嘱託社員として新しいプロジェクトを任され、想像以上に忙しい毎日を送っています。最近、セッションに行けない期間が続くと、古傷である右肩の痛みが出てきました。「これは氣が必要だというサインだな」と感じ、今は毎晩寝る前にヘッドを当ててケアをしています。劇的な奇跡ばかりが真氣光ではありません。日々の生活を支え、仲間と繋がれるこの場所を、これからも大切にしていきたいと思っています。

「高次元科学」から真氣光へ。カードが反応しない? 道具が証明したエネルギーの実在

『高次元科学』からの出会い。マスタートレーニングへ

私が真氣光を知ったのは、2024年4月に関英男先生の本『高次元科学』を読んだことがきっかけでした。本を読んでハイゲンキに興味を持ちましたが、通販では購入できないと知り、思い切って「真氣光マスタートレーニング」に参加することにしました。

実際に手にした「ハイゲンキ6型ミニ」は、刻印などが丁寧に作り込まれており、製品としての質の高さを感じました。また、研修講座で周りの参加者が氣を受けて驚くような反応をしているのを目の当たりにし、氣の力が確実に存在することを思い知らされました。

両親への感謝不足。内観と呼吸法の実践

研修講座では、石井先生の「内観」の講義が特に印象に残っています。自分がしてもらったこと、してあげたことを振り返る中で、両親への感謝が足りていなかったことに気づかされました。親に大事にされてきたことは当たり前ではなく、有り難いことなのだと痛感しました。

また、ヨガの龍村先生の講義で、普段の呼吸をないがしろにしていたことにも気づき、以来、毎日氣を受ける際には指導された呼吸法を実践しています。寝る前には教わった「いいとこ探し」をするようになりましたが、いつも途中で寝落ちしてしまうほどリラックスできています。

カードが反応しない? 道具が教えてくれた氣の力

研修講座の翌日、ホワイトセラミックヘッドを購入しました。コロコロと転がすと肩こりがすぐに良くなり、体に作用する力の大きさを感じています。家族にはハイゲンキ6型ミニを「ツボ押し器」だと紹介しましたが、妻も良い感触を得たようで、よく使ってくれています。

不思議な体験もしました。会社の社員証や交通系カードを「氣プレートカード」と一緒にケースに入れていたところ、機械が反応しなかったのです。やはり氣プレートからは何らかのエネルギーが出ていて、干渉しているのだと実感しました。こうした「道具」を使って氣を中継できる点が、真氣光の素晴らしいところだと思います。

喧嘩も「好転反応」。氣づきの波動で周りを良くする

自宅の水道メーターに「アクアリフレッシャー」を取り付けた際、息子と妻が大きな喧嘩を始めたことがありました。しかし、しばらくすると仲直りしたため、これは毒出しのような「好転反応」だと確信できました。

以前、余命宣告を受けた同僚が「波動水」で完治した例を見ていたこともあり、エネルギーの力は理解していましたが、先代会長の「真氣光は気づきの波動」という言葉には深く納得しています。 真氣光を始めてから、物事の捉え方が変わり、悪いことが起きても感謝や「いいところ」を見つけられるようになりました。まずは自分自身が氣で満たされ、その良い波動を周りに届けていきたいと思っています。

還暦を迎えた今が、生き直す良いチャンス

イルカと真氣光

私が真氣光を知ったのは、15年前に小原田泰久さんに出会って教えてもらったことがきっかけでした。当時、小原田さんの奥様がエネルギーワークを指導していたため、私も動物のオーラが観れるようになりたいと思い、2~3年ほど小原田さんのところへ通っていました。小原田さんから真氣光の話を聞き、道具も見ていたので、興味はありましたが、当時は子育ての真最中でしたので、「今は真氣光をするときではない」と思っていました。

2024年、「今年は自分が動く時期だ」と感じ、急に「氣の勉強がしたい」と思い立ち、「氣といえば、前から知っている真氣光しかない」と動き出し、2月に真氣光マスタートレーニングを申し込みました。

家の苦悩からの解放

真氣光を始めてから、一番変わったのは、この家に嫁いで以来ずっと抱えてきた苦悩の捉え方が変わったことです。私は武家の血を引く、この家に嫁ぎましたが、義理の母は武家の常識を私に押し付け、私は常に蚊帳の外で、怒りや憎しみを抱え、固まったままの状態で20年ほど子育てをしてきました。

この家は、戦国時代の武家の家系で、鎌倉時代から続くお寺の門番をしていた家柄だと聞いています。義母に対して、恨みや妬みなどのマイナスな感情が積み重なり、義母が亡くなった後も、その苦しみを引きずったままでした。

2024年5月に研修講座に参加して、義理の母は家系で抱えている問題の影響を受けていたのだろうと思えるようになり、「こんなに楽でいいのか」と思えるほど、苦しみが和らぎました。

娘の結婚式を乗り越えて

10月には、長女が結婚式を挙げましたが、その予定が決まった1年前から、主人と夫婦として式に出席するイメージがまったくできず、大川家の親戚も一同に介すので、重圧や嫌悪感がひどく、乗り越えられるかとても不安でした。

式の当日はセンターから遠隔をお願いし、予想外に和やかに会話ができ、長女はピアノの弾き語りで私のために歌を歌ってくれました。そのとき、「私の子育ては終わった。今、最高のプレゼントをもらった」と心から嬉しく思え、円満に結婚式を終えられたのは、見えない応援もたくさんきてくれたお陰だと思いました。

家に帰ると、次女に「お母さん、表情がいいね。いい場所に行ったんだね」と言ってもらい、嬉しかったです。

還暦を迎えて生き直す

研修講座に行ったときに、今まではこの家のことで頭がいっぱいでしたが、自分の実家にも気持ちを向けないといけないと思いました。今、私の膝が痛いのですが、父と祖母も同じように膝や足が悪かったことに気づき、そこに関係があるのだと感じました。これからは両家のご先祖様へ氣が届いていくようにと、氣を受けようと思っています。

2024年60歳の還暦を迎えたので、これから生き直すには、いいチャンスだと感じます。真氣光は私にとって頼りになる存在となり、自分の軸にしっかりと存在して、支えてくれているような感じがします。

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