体験者の声 - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光 - Page 2

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兄の急死、父の脳梗塞…。「家族の死」と向き合い、副鼻腔炎も改善。「本来の自分」を取り戻す旅

仕事に追われ、遠ざかっていた「氣」との再会

私が「真氣光(しんきこう)」に出会ったのは2014年頃、従姉妹の紹介でした。当時は仕事が忙しく、疲れが溜まっていたため、「癒やされたい」という軽い気持ちで体験会に参加しました。ハイゲンキ(氣の中継機)も購入しましたが、あくまで困った時の神頼みのような感覚。仕事の忙しさに飲み込まれるうちに、次第に真氣光からは足が遠のいていきました。

兄の急死、父の脳梗塞。家族に訪れた試練

転機が訪れたのは3年前です。父が脳梗塞で倒れ、私は「ご先祖様に氣を送らなければ」という強い衝動に駆られました。実は、私の家系には「死」の影が落ちていました。3人兄妹の長男だった兄は、25歳という若さで、くも膜下出血により突然亡くなっていたのです。さらに、真氣光を実践していた祖母も他界。生前、祖母が言っていた「しっかり生きるんだよ」という言葉が、私の胸に重く響くようになりました。

「このままではいけない」母も約20年ぶりに入院し、離れて暮らすもどかしさを感じる中、私は「自分にできることは氣を受けることだ」と決意し、2022年6月に初めて研修講座に参加しました。

「手術しかない」と言われた鼻が…?暗闇に走った光

研修講座に参加した直後、私の体に驚くべき変化が起きました。実はその年の4月に「副鼻腔炎」と診断され、匂いが全く感じられなくなっていたのです。医師からは「3ヶ月薬を飲んで治らなければ手術」と宣告されていました。

しかし、研修で集中的に氣を受けているとき、目を閉じた暗闇の中で、ピカッとフラッシュのような光が弾ける感覚がありました。「あれ?」と思い、翌日に病院で再検査を受けると、なんと鼻の状態が改善していたのです。あの光が、詰まっていたものを開通させてくれたのかもしれません。おかげで手術を回避することができました。

「生きる意味がない」からの脱却。本来の自分へ

私の母は双子で養子に入り、父は婿養子。今思うと、私の家系は「家の存続」に対する執着や想いが強かったのかもしれません。以前の私は、会社と家の往復だけの毎日に希望を持てず、今年の年明けには「生きている意味がない」とさえ落ち込んでいました。

しかし今は違います。毎日のルーティンとして朝晩に氣を受け、自分自身を整えています。「自分から変わる」それが真氣光の教えです。最近は氣を受けていると、飾らない「本当の自分」に戻れるような感覚があります。不安はまだありますが、過去や家系の因縁にも目を背けず、一歩ずつ本来の自分を取り戻していきたいと思います。

「父への反発」が消え、謎の不調も回復。「自然体」を取り戻した私の体験

「病気治し」ではなく「気づき」のために

私が「真氣光(しんきこう)」に興味を持ったのは、実は30年も前のことでした。

当時、野生のイルカと泳ぐことに夢中だった私は、関連書籍を通じて「イルカの癒やし」に近いエネルギーが真氣光にあることを知りました。

しかし、当時は「病気の人が行く場所」というイメージが強く、健康な自分が参加することに躊躇して遠ざかっていました。

再会のきっかけは昨年。図書館で偶然手にした本に「真氣光は病気治しではなく、気づきのエネルギー」と書かれているのを目にしたことです。

「それなら、自分の気づきを加速させたい」

そう思い、30年越しに入会を決意しました。

嫌だった「一方的な父」。実は自分も同じだった?

研修講座に参加して驚いたのは、グループワークで2回続けて「父」というカードを引いたことです。

私にとって父は、一方的で反発を感じる存在でした。しかし、氣を受けて内観していくうちに、ある事実に気づかされました。

「一方的な父に反発していた自分もまた、一方的な性格だった」

父とは、お互い様だったのです。そう認められた瞬間、過去の父の強引な行動(勝手に部活を変えさせられたことなど)さえも、今の自分の特技に繋がっていると感謝できるようになりました。

最近では夢の中で父と穏やかに会話できるようになり、父に対するわだかまりが氷解していくのを感じています。

取れない「膝の重さ」と「胃の不調」。原因は…

心だけでなく、体にも変化がありました。

以前から膝下の疲労感が抜けず、「足が重い」と感じていたのですが、ふと亡き祖父のことを思い出しました。祖父は両足が不自由でした。

「もしかしたら」と思い、祖父を意識しながら「ハイゲンキ(氣の中継器)」で足をさすってみると、不思議と疲労感がスッと抜けていったのです。

また、花粉症胃のムカムカにも悩んでいましたが、これも「言いたいことを飲み込み、腹に溜めてきた我慢」が原因だと気づきました。

教わった「胃上げのツボ」に氣を当てると、胃が動き出し、若い頃のようなスッキリしたお通じが戻ってきました。

体は、私が溜め込んできた感情や、先祖の歴史をずっと訴えていたのかもしれません。

「自然でいて大丈夫」という絶対的な安心感

真氣光を始めて一番の収穫は、「安心感」です。

以前の私は、どこか無理をして生きていたように思います。

しかし今は、「自然のままの自分でいて大丈夫なんだ」と心から思えるようになりました。

この根拠のない、けれど絶対的な安心感こそが、今の私を支えてくれています。もしあなたが、理由のない生きづらさを感じているなら、それは「安心」が足りていないサインかもしれません。

余命宣告・リウマチ・癌を克服。「感謝」と「氣」が起こした回復記録

余命宣告、そしてリウマチで「寝たきり」の生活へ

私はこれまでの人生で、10以上もの病名診断を受けてきました。始まりは高校2年生のとき。「白血病であと2年の命」と宣告されたことでした。その時は奇跡的に回復しましたが、結婚後、今度は重度の関節リウマチや筋萎縮症を発症してしまいました。

痛みで一人では起き上がれず、トイレも主人におんぶしてもらわなければ行けない状態。「一人で電灯すらつけられない」という情けなさと激痛の中で、まさに生ける屍のような日々を送っていました。

「痛い!」と投げた瞬間に起きた奇跡

転機は、主人の強い勧めで「真氣光(しんきこう)」の体験会に参加したことでした。施術を受けて体が軽くなり、その効果に希望を持って「ハイゲンキ」という氣の発生装置を購入しました。

しかし、始めて1ヶ月ほど経ったある日、どうしても取れない痛みに腹が立ち、私は衝動的にハイゲンキを投げつけようとしました。その瞬間です。リウマチの影響でずっと曲がって固まっていた膝が、嘘のように「ピン!」と真っ直ぐに伸びたのです。

「えっ?」我が目を疑いました。それは、自分の怒りや執着が手放され、純粋なエネルギーが通った瞬間だったのかもしれません。私は涙を流してハイゲンキに謝り、感謝しました。そこからの回復は目覚ましく、3ヶ月後には一人で新幹線に乗って出かけられるほどになっていました。

「がんちゃん、ありがとう」細胞を変えた心の力

その後、氣光師として活動していた私に、再び試練が訪れます。胃がんと悪性リンパ腫が見つかったのです。しかし、昔の私とは「心の持ち方」が違っていました。

検査画像に映るがんを見たとき、それがかわいいハート型に見え、ふと「私を助けてくれるために出てきてくれたんだ」と思えたのです。私はがんに向かって、「がんちゃん、ありがとう」と感謝の言葉をかけ続けました。

「信じて、笑って、感謝していたら治る」これは、真氣光の先代会長の言葉です。この言葉を胸に、自分自身を大切にし、病気さえも受け入れた結果、抗がん剤治療を経てがんはきれいに消えてなくなりました。

病気は「気づき」を与えてくれるメッセンジャー

昨年、最愛の主人を脳梗塞で亡くしました。しかし、夫婦で「氣」を実践していたおかげか、主人はとても穏やかで幸せそうな顔をして旅立っていきました。

現在は、自身の治療院で多くの患者さんと向き合っています。難病や痛み苦しんでいる方に伝えたいのは、「光の世界を信じること」の大切さです。どんなに絶望的な状況でも、笑って、感謝する心を取り戻せたとき、体は必ず応えてくれます。私の体が経験した数々の奇跡が、何よりの証拠です。

家族3人の急逝、うつ病で寝たきりに。46歳で海外留学を叶えた再生の記録

兄、姉、母…相次ぐ家族の死と、突然の「うつ発症」

私の人生が暗転したのは、30代の時でした。
数年の間に、38歳の兄が自死、32歳の姉が入浴中に溺死、そして36歳の母が脳卒中で急逝と、信じられないような不幸が続いたのです。

葬儀や遺品整理に追われる日々。悲しむ暇さえありませんでした。
そしてある冬の日、突然プツンと糸が切れたように体が動かなくなりました。
診断は「うつ病」。血圧は常時180を超え、ひどい不眠と倦怠感で、ただ横たわることしかできない日々が始まりました。

「血液が入れ替わった」ような感覚。氣との出会い

藁にもすがる思いで訪れたのが、「真氣光(しんきこう)」を取り入れている治療院でした。
初めて施術を受けたとき、衝撃が走りました。まるで「体中の血液がすべて入れ替わった」かのような、強烈なスッキリ感があったのです。

「ああ、私の中にエネルギーが戻ってきた」
枯渇していた生命力が、再び湧き上がるのを実感した瞬間でした。
その後、研修講座に参加した際は、まだ体調が万全ではなく横になってばかりでしたが、皆さんが優しく氣を送ってくれ、私の辛い体験談をじっくり聴いてくれたことが、何よりの癒やしとなりました。

原因不明の「口の違和感」と、体から出る「泡」

回復の過程では、不思議な好転反応もありました。
ある時期、食事の後に「口の中に砂粒が残るような感覚」に悩まされました。歯科や内科に行っても「異常なし、精神科へ行ってください」と言われるだけ。
しかし、これは私の体から毒素が抜けようとしているサインでした。

また、家事をしながら「音氣(氣のエネルギーが入った音楽)」を聴いていると、全身からブツブツと泡が出るような感覚に襲われたこともあります。
今思えば、体内に溜め込んでいた「邪気(マイナスの感情やストレス)」が、形を変えて外に出ていっていたのだと思います。

46歳で子連れ留学へ。どん底からの復活

うつの波を乗り越え、少しずつ活力を取り戻した私は、新たな目標を見つけました。
「魂に届くような話し方や聴き方を学びたい」
その一心で、なんと46歳にして10歳の子どもを連れ、カナダへの2年間の留学を決行したのです。

帰国後は、留学中に出会った児童精神科医の本を日本に紹介したいと執筆活動を始め、10年かけて出版を実現しました。
家族の死、うつ病、寝たきりの日々。あのどん底があったからこそ、今の「伝える喜び」を知る私がいます。

「もう人生は終わりだ」と思っているあなたへ。
エネルギーさえ満たされれば、人は何度でも立ち上がれます。私の体験が、暗闇の中にいるあなたの希望の光となりますように。

引っ越しても続く不運。「土地の呪い」ではなく「自分の心」が原因だった話

仕事も体調もボロボロ。原因は「住んでいる場所」?

私が「真氣光(しんきこう)」に出会った2002年当時、私は人生のどん底にいました。
トラブル続きで仕事を辞めざるを得なくなり、精神的にも肉体的にも不調を抱え、まさに「踏んだり蹴ったり」の状態でした。

導かれるように「氣」の施術を受けるようになると、驚くべき事実が判明しました。
私が当時住んでいたマンションは、戦時中に模擬原爆が投下されたエリアの近くで、多くの魂が未浄化のまま残っている場所だったのです。

実際、私の口が勝手に動き出して見えない存在の言葉を話したり、マンション内でも住人同士の喧嘩やトラブルが絶えなかったりと、不可解な現象が起きていました。
「私の不調は、この土地のせいだったんだ」
そう確信した私は、現状を打破するために行動を起こしました。

断捨離と引っ越し。それでも止まない「ラップ音」

「ここから抜け出したい」一心で、私は猛烈な勢いで家の片付けと断捨離を始めました。
物が減るにつれて体調も上向き、ついに20年住んだその因縁深いマンションから引っ越すことができました。

「これで全部終わる」
そう思ったのも束の間でした。新しい住居に移ってからも、なぜか私の周りでドタバタとしたトラブルが起き、イライラすると決まって「パチッ、パチッ」というラップ音が鳴り響くのです。

その時、ハッと気づかされました。
「環境を変えても、自分自身が変わらなければ、同じことを繰り返すだけなんだ」
不運を引き寄せていたのは、土地のせいだけではなく、私自身の発する「波長」にも原因があったのかもしれません。

「親ガチャ」への恨みが消えた時、運命が変わった

私にはもう一つ、長年抱えていた闇がありました。
それは「両親へのマイナスの感情」です。「もっと良い親元に生まれたかった」という、いわゆる「親ガチャ」への不満のような思いが心の奥底にありました。

しかし、氣を通じて自分自身と深く向き合う中で、ある言葉に出会いました。
「問題は、その人が乗り越えられるから与えられている」
「この環境を選んで生まれてきたのは、自分自身である」

この視点を持てた時、不思議と肩の力が抜けました。
「文句を言っても始まらない。これは私が選んだ修行なんだ」と腹を括れたのです。

「すべては自分が原因(源)」という考え方を受け入れた今、あれほど頻繁だったラップ音もイライラも消え去りました。
場所や他人のせいにすることをやめた時、本当の意味で人生のハンドルを自分で握れるようになったのだと実感しています。

仕事と育児でうつ、娘は統合失調症に。崩壊寸前の家族を救った「我慢しなくていい」という言葉

「ちゃんとしなきゃ」の限界。うつとアルコールへの依存

以前の私は、仕事、家事、育児のすべてを完璧にこなそうとして、精神的な限界を迎えていました。「誰にも迷惑をかけてはいけない」 そんな思いとは裏腹に、心は悲鳴を上げていました。ストレスから逃れるようにキッチンドリンカーとしてお酒を飲み、感情のコントロールができずに爆発してしまう日々。自分でも「おかしい」と気づき病院へ行くと、やはり「うつ病」の状態でした。

心配した主人が「真氣光(しんきこう)」の体験会に連れ出してくれましたが、その道中、私は電車の中で具合が悪くなり、歩くことさえままならない状態になってしまいました。心と体は、それほどまでにボロボロだったのです。

「我慢しなくていい」涙と共に溶けた心の氷

会場で、私はある言葉をかけられました。 背中に温かい手を当てられながら言われたのは、「もう、我慢しなくていいんだよ」という一言。

その瞬間、張り詰めていた糸が切れ、私は人目もはばからずボロボロと泣き崩れました。 まるでカイロのように温かい「氣」が冷え切った心と体に染み渡り、帰り道には、あれほど重かった足取りが嘘のように軽くなり、普通に歩けるようになっていました。「自分を許すこと」が、回復への第一歩だったのです。

娘の「統合失調症」発症。警察沙汰、閉鎖病棟へ…

私が回復して数年後、今度は長女に試練が訪れました。 職場のストレスなどが原因で「統合失調症」を発症してしまったのです。

娘の様子は明らかに異常でした。部屋は荒れ果て、妄想に取り憑かれ、暴れる娘を主人と二人で必死に抑え込んだこともあります。ある日、娘は「監禁されている」と叫んでトイレの窓から脱走し、警察に保護され、そのまま精神科病院へ入院することになりました。

絶望的な状況でしたが、私は諦めませんでした。面会のたびに「氣」のグッズを届け、遠隔でエネルギーを送り続けました。 すると、通常なら長期化しやすい病状が驚くほどの回復を見せ、わずか3ヶ月で退院。現在は再発もなく、障害者雇用枠で元気に働けるまでに回復しています。

「洗心」でイライラを手放す。私が変われば家族も変わる

かつての私は、主人に対して常にイライラし、家庭の雰囲気もピリピリしていました。しかし、娘の病気や自身のうつを通じて気づいたのは、「家族のためにも、まずお母さんである私が、心をきれいに保つこと(洗心)」の大切さです。

「お父さんはお父さんでいい」 そう思えるようになると、不思議とイライラは消え、夫婦関係も穏やかになりました。家族の病気やトラブルは、「もっと自分を大切にして」「心を楽にして」というサインなのかもしれません。 今、私が笑顔でいることが、家族にとって一番の薬になっています。

治らない虫歯がきっかけだった。導かれるように始まった「慰霊」の旅

長引く不調と、偶然見つけた「真氣光」

私が「真氣光(しんきこう)」を知ったきっかけは、なかなか治らない虫歯と、それに伴う慢性的な体調不良でした。「何か良い方法はないか」とインターネットで検索していた時、ある歯科医師の先生が「真氣光は普通の気功とは違う」と語る動画に目が止まりました。

直感的に何かを感じた私は、すぐに真氣光を学び始めました。「ハイゲンキ(氣の中継器)」が自宅に届いた日、本体から微細な振動を感じたり、寝ている時にその振動で飛び起きたりと、最初から目に見えないエネルギーを肌で感じていました。

30年前の記憶。曾祖父からのメッセージ

研修講座で「氣はご先祖様にも届く」と教わった時、ふと30年前の不思議な出来事が蘇りました。当時、知人の霊能者を通じて、私の曾祖父が「自分のためにお経をあげてほしい」と訴えていると聞き、お寺で供養した経験があったのです。

「もしかして、真氣光なら自分でも供養ができるのではないか?」そう思った瞬間から、私の周りで不思議なシンクロニシティ(意味のある偶然)が起き始めました。それはまるで、見えない糸に引かれるように、私自身のルーツや過去世に関わる場所へと導かれていく体験でした。

松平家、島原の乱…歴史の闇を癒やす旅へ

導きは具体的でした。伊豆での研修時には狩野川台風の犠牲者の慰霊へ。そして次は、私の元嫁ぎ先である「松平家(徳川家康公の家系)」にまつわる土地へ。
遠隔で氣を受けていると、「首を切らなければならなかった苦しみ」を訴える存在が現れることもありました。

私は、歴史の中で弾圧した側(松平家)と、された側、その両方の痛みに氣を送る必要性を強く感じ、各地を巡って慰霊を行いました。
「これは、先祖を癒やすことで、結果的に自分自身(過去世)を癒やしているんだ」そう確信しながら、光を送り続けました。

水は光を記憶する。変革期にできること

不思議なことに、こうした慰霊の旅を続ける中で、あれほど悩んでいた自身の体調も整っていきました。

ある研究者が「水はあらゆる波長の光を受け取る」と言っていました。
私たちの体の大部分は水です。真氣光のエネルギーや「音氣」を浴びることで、体内の水が浄化され、細胞レベルで変化が起きているのだと実感しています。

世界が混乱し、変革期を迎えている今。
自分の体調を整え、ご先祖様や土地に残る想いを癒やしていくこと。それが、今の私にできる一番の貢献だと信じて、日々実践を続けています。

息子の葬儀で母が放った「人殺し」。20年の確執と憎しみが消えた日

息子の葬儀で、母は私に「人殺し」と言った

私には、20年間どうしても許せず、心の中で戦い続けてきた相手がいました。実の母です。
確執の決定的な原因は、私が小学校6年生の次男を病気で亡くした時のことでした。

悲しみのどん底にいた私に対し、母は葬儀の場で、あろうことか皆の前でこう言い放ったのです。
「お前が殺したんだ」

耳を疑いました。その言葉は鋭い刃物となって私の心を切り裂き、以来、私の心は悔しさと怒りでカチコチに固まってしまいました。
その後、母は認知症を患い、私に対してさらに攻撃的な暴言を繰り返すように。
「なんで私がこんな母の面倒を見なきゃいけないの?」
介護の負担も重なり、私の心は限界を超えていました。

20年分の涙。凍りついた心が溶け出す

転機は、主人の病気をきっかけに出会った「真氣光(しんきこう)」の研修講座に参加したことでした。
「自分を変えたい」
そう決意して「氣」を受け続ける中で、不思議な変化が訪れました。

ある日の研修で、私は初めて人前で「母に人殺しと言われたこと」を口に出すことができました。
その瞬間、せき止めていたダムが決壊するように涙が溢れ出したのです。
ずっと「母への怒り」で蓋をしていたせいで、私は息子の死を純粋に悲しむことさえできていなかったことに気づきました。

「息子さんもご主人も喜んでいるよ」
スタッフの方の言葉に救われ、私の心はようやく、息子を想って泣くことができる「柔らかさ」を取り戻しました。

憎かった母が「愛おしい」と思えた奇跡

さらに驚くべき変化がありました。
あれほど憎かった母に対し、ふと「あの暴言も、母自身のマイナスの氣が言わせていたのかもしれない」と客観的に思えるようになったのです。

すると不思議なことに、母への憎しみが消え、逆に「愛おしい」という感情さえ湧いてきました。
こちらの意識が変わると、現実も変わります。遠隔で氣を送り続けた結果、攻撃的だった母は嘘のように穏やかになり、疎遠だった弟のことも気にならなくなりました。

「絶対に許せない」と思っていた20年の氷が、氣の温もりで溶けていく。
それは、私自身が過去の呪縛から解放され、本当の幸せへと歩き出した瞬間でした。

「私のせいで娘が…」自分を責める日々から解放され、手に入れた“心の柱”

拒否された父への想い、自分のための習慣へ

私がハイゲンキ(真氣光の機器)に出会ったのは1995年。胃がんを患った父を助けたい一心で購入しました。
しかし、父は「そんなものは要らない」と頑なに拒否。仕方なく持ち帰り、自分自身で使い始めることにしました。

「せっかくだから」と胃上げのツボに氣を当ててみると、不思議と肩こりや日々の疲れが軽くなるのを実感しました。
それ以来、特別な悩みがあったわけではありませんが、毎日コツコツと使い続けました。
センターに通うこともなく、ただ自宅で20年。振り返れば、その間に大きな病気やトラブルに見舞われなかったのは、この地道な「氣の充電」のおかげだったのかもしれません。

「娘の不調は私のせい」止まらない自責の念

転機は3年前の2021年に訪れました。
娘がめまいや頭痛、婦人科系の重い不調に苦しみ、医師から「がんの疑い」を告げられたのです。

「私がもっと気をつけていれば」「私の育て方が悪かったのかも」
娘の苦しむ姿を見るたび、過剰な責任感から自分を責め、心は限界でした。
わらにもすがる思いで、私は20年越しに初めてセンターを訪れました。そこで氣を受けた瞬間、娘への想いと張り詰めていた糸が切れ、涙が止まらなくなりました。

熟睡できる安心感、そして「精神の柱」へ

センターで本格的に氣を受け、自分自身を癒やす中で、あんなに苦しかった「自分を責める気持ち」がすっと消えていきました。
「私が悪いわけじゃない。ただ、娘を支えればいいんだ」
そう思えたとき、どんな状況でも冷静でいられる自分に変わっていました。

2023年には「真氣光フレーム」を購入し、ご先祖様も含めて家族全体に氣を送るようにしました。
その安心感からか、以前は考え事をして浅くなりがちだった眠りも、今では朝までぐっすりと熟睡できています。

おかげさまで娘の体調も改善に向かっています。
もし真氣光がなければ、私は不安と自責の念で精神的に押し潰されていたでしょう。
真氣光は今、私にとって生きていくための「基本」であり、家族と私を支える揺るぎない「精神の柱」です。

「触れるだけで機械が直る?」上司のパワハラも解決した不思議な

不思議な現象:触れるだけで機械が直る?

私が真氣光と出会ったのは2010年。
以前通っていた別の気功教室で体調を崩し、「氣が足りないのかもしれない」と感じて無料体験会に参加したのが始まりでした。

真氣光を始めてからの日々は、驚くような「良いこと」の連続でした。
当時、私は病院の管理課で働いており、故障したベッドや医療機器の点検に呼ばれることが多かったのですが、不思議なことに、私が点検のために機械に触れるだけで、故障が直ってしまうことが度々あったのです。
「機械に溜まっていたマイナスの氣が、あなたの氣で消えていったのでしょう」
そう言われたとき、目には見えないけれど確かな力が働いていることを実感しました。

突然のパワハラ、そして一夜にしての解決

しかし、順調だった日々に転機が訪れます。
ある時を境に、それまで良好だった上司との関係が急激に悪化。「辞めたい」と思い詰めるほど酷い言葉を浴びせられる日々が続きました。

藁にもすがる思いでセンターを訪れ、強力な「真氣光プレートブースター」を抱えて氣を受け、上司にも氣を送るイメージをしました。
すると驚いたことに、翌日から上司の態度がガラリと変わったのです。
昨日の剣幕が嘘のように言葉遣いが穏やかになり、職場環境が一変しました。
人間関係のトラブルも、お互いの氣の状態が影響していたのだと深く理解した出来事でした。

原因不明の不調も、心の習慣で改善

私には長年、病院で検査しても「異常なし」と言われる原因不明の胸痛がありました。
しかし、ゴルフ場跡地などでの霊的な反応体験や、研修講座を通じて「自分自身に氣を集める」ことを学んでから、体調が大きく変わりました。
以前のような吐き気や気分の悪さが消え、体がずいぶんと軽くなったのです。

また、心の習慣として「いいとこ探し」を実践しています。
以前は口癖のように「気分が悪い」と言っていましたが、今ではその言葉も出なくなり、継続できている自分に自信が持てるようになりました。
不思議な体験から始まった14年ですが、今は心身ともに穏やかな日々を過ごしています。

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