体験者の声 - 氣のリラクゼーション SHINKIKO |真氣光

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本来の自分になっていきたい

真氣光との出会いと遠ざかった時期

私が真氣光を知ったのは、以前から真氣光をしていた従姉妹からの紹介でした。2014年頃、私が30代後半のときです。当時は体が疲れやすく、うまく自分を発揮できていないと感じていました。真氣光は体に良いという認識があったので、疲れを取るつもりで、従姉妹に誘われて帯広の体験会へ行っていました。初めて氣を受けたときは、リラックスできるような感覚がありました。

何度か行った体験会では、氣を受けているときに、参加者のかたから思いがけない霊的な反応が出てきたのを目の当たりにして、驚いたことを覚えています。

ハイゲンキは購入しましたが、真氣光は癒やしてくれるものという認識で、困ったときにだけ氣を受けるような感じでした。ただ、ホワイトセラミックヘッドは、仕事のときもずっとお守りのように持ち歩いていました。そうしているうちに、次第に忙しい仕事に飲み込まれ、私の眼から真氣光は消えていきました。

父の病気と祖母の死を転機に

そんな中、3年前に父が脳梗塞で倒れたとき、私は大きな不安に襲われ、「ご先祖様に氣を送りたい」と思い始めるようになり、真氣光フレームを買いました。今思えば、これも大きな転機の一つになったと思います。

同じ年に、真氣光をやっていた祖母が亡くなりました。生前、祖母が私に言っていた「しっかり生きるんだよ」という内容の言葉を、よく思い出すようになりました。

私は3人兄妹の末っ子で、上に2人の兄がいました。長兄は25歳でくも膜下出血による突然死でした。幼い頃の私は「死んだらどうなるんだろう」と考えているような子どもでした。

刺激をもらった研修講座と体の変化

今年(2022年)6月に、初めて研修講座を受講しました。研修講座で印象に残っていることは、参加されている皆さんがそれぞれに、自分の課題を持って前に進んでいることを実感できたことです。長く真氣光をしてきた方が多かったようで、その輪の中に入れたことで、私自身も氣を充電しながら、前に進んで行きたいという気持ちが大きくなりました。

これまでの私は、毎日が会社と家の往復で、思考が狭くなり、将来に希望を感じられない状態でしたが、研修講座の皆さんがいきいきと日々を過ごされている様子に、とても励まされました。

研修講座に参加したのは、母が約20年ぶりに入院し、症状が悪化したことも一つのきっかけでした。離れて住んでいる私は、何もしてあげられないことをもどかしく感じていましたが、離れていても自分にできることは、氣を受けていくことだと考えられるようになりました。

研修講座の後、私の体にちょっとした変化がありました。今年の4月に副鼻腔炎と診断され、匂いがほとんど感じられなくなっていたのです。3ヶ月間薬を飲んで治らなかったら手術だと言われていましたが、研修講座の翌日、病院で再検査をしたところ、わずかながら鼻の状態が改善していることがわかりました。氣を受けているとき、目を閉じた暗闇にフラッシュが光ったような一瞬があり、もしかしたら、あのとき鼻が通ったのかなと想像しています。

真氣光は私の癒やしと目標

今は毎日のルーティンとして、朝晩に氣を受けるようにしています。真氣光の素敵なところは、「自分から変わる」ことを大事にしている点だと感じています。やはり自分が変わっていくしかないと思いますので、大いに共感しています。

真氣光は、今の私にとっては癒やしです。これまでの私は、今の自分は本当の自分らしくないと感じながら生きてきました。最近は、氣を受けていると、本当の自分になれるのではないかと思えてきて、期待しています。本来の自分、飾らない自分に戻れたらいいなというのが、これからの私の目標です。

家系に光を届けたい

母は、私に真氣光を教えてくれた従姉妹の母と双子で、子どもの頃に別の家の養子に入りました。父は母と結婚して婿養子に入り、今の家族があります。それほどこの家系は、家の存続を願う思いが強かった家柄だったのでしょう。

今は倒れた父が静養中ですが、実家に少しでも氣が届いていくように、氣を活用していきたいと思います。最近は、家の出来事に目を背けず、この家があったから私は生まれてくることができて、今の自分があるのだと思えます。

今年の年明けは、「生きている意味がない」と思えるほど落ち込んでいましたが、その半年後に「研修講座で氣を充電したい」と思えたことは、大きな変化だったと思います。今も不安はまだありますが、自分でやれることを、少しずつでもやって前進していこうと思っています。

「自然でいて大丈夫」と思え、安心していられます

小原田さんの本で真氣光を知る

僕が真氣光の会員になったのは、昨年(2023年)ですが、真氣光を知ったのは実は30年ほど前でした。当時、イルカにハマり、野生のイルカと泳ぐツアーに参加しているうちに海が好きになり、本を探すようになります。

そのうち、小原田泰久さんの本『イルカが人を癒やす』に出会い、イルカと同じような「氣」が真氣光にあることを知り、興味を持ちました。自分でもそういう癒やしの氣を出せるとしたら楽しいなと思いました。当時の研修講座は「病気治し」の雰囲気で、病気持ちではない自分が参加してもいいのかと躊躇し、情報から離れてしまいました。

ところが昨年(2023年)5月、図書館で会長さんの本『氣で生きる力が湧いてくる』をたまたま見つけました。会長の本には、真氣光は「病気治し」ではなく、「気づきのエネルギー」と書いてあったことで、イメージが薄くなったことが即決の理由でした。受講動機は「自分の気づきを加速させたい」でした。

研修講座での「父」と祖父への気づき

初めての研修講座(1月)で、グループワーク中に2回引いたカードが2回とも「父」というキーワードでした。この「父」のカードを引いたときから、父と父の先にいるご先祖様たちに意識が向かうようになりました。

一方的な父に反発していた自分も、振り返ってみれば父と同じ一方的な性格で、父とはお互い様だったということに気づきました。中学時代、父が勝手にバスケ部の退部届を出したお陰で弓道部に入部し、大学まで弓道を続け、的中予知ができるという貴重な体験を得ました。そんな体験ができたのも父のお陰なのだから妙なもので、父に対する思い方、感じ方が変わってきました。

30年前、夢の中で父と殴り合いをして以来、夢を見ませんでしたが最近夢に出て来たんです。父と会話をしていると、だんだん知らない人の顔になっていき、その人に向かってしゃべっているんです。目が覚めて会長の講義内容を思い出し、夢に出てきた知らない人は、もしかしたら大修行をした宗教家のような大先祖なのかもと思いました。

ハイゲンキと祖父の膝

研修講座の後、膝下の疲労感が抜けやすくなりましたが、3月頃からまた抜けにくくなりました。このとき、3歳のときに亡くなった祖父をふと思い出しました。祖父は両足が膝の所で「く」の字に曲って固定してしまい、這うように移動していたことを思い出し、この疲労感と関係あるかもしれないと思いました。

部屋に置いているだけだったハイゲンキ6型を、脚にスリスリして積極的に使うようになり、膝下の疲労感が抜けるようになりました。祖父に氣が届くようにと意識を向けていることも影響していると思います。

また、花粉症や胃のムカムカの症状が出たとき、これまで飲み込んできた嫌な事柄や我慢してきた場面を思い出し、「腹にためてきた思いで体が苦しんでいる」と気づきました。スタッフさんに教えてもらった胃上げのツボにハイゲンキで氣を当てるようになると、体があたたかくなり、胃がゴロゴロし始め、お通じが若い頃のようにスッキリしてきました。

真氣光がもたらす安心感

真氣光には、安心を与えてもらっています。正直、どれだけ氣を与えてもらっているかわかりませんが、「自然でいて大丈夫」と思え、安心していられるのは、真氣光があるからなのだと感じます。安心というのは愛であり、真氣光は愛なのかもしれません。

「信じて、笑って、感謝していたら治る」心に残る先代の言葉

難病の発症と奇跡的な体験

私が真氣光を知ったのは1999年6月です。当時はリウマチの症状がひどく、一人で起き上ることもできず、電灯もつけられず、主人が会社から帰ってくるまでトイレにも行けないような生活をしていました。

高校2年生のときには、白血病であと2年しか生きられないと医師に言われました。余命を隠して就職し、8年経ったとき、医師も不思議がっていましたが、理由もわからないまま白血病は治癒しました。その後も多発性関節症、筋委縮症、自律神経失調症など10以上の病名をもらいました。

そんなときに、真氣光のチラシが入ってきて、いつもニコニコしている主人が怖い顔して「行ってこい」と勧めるので、嫌々ながら体験会へ行きました。後で主人は、「チラシにあった先代会長の写真が、一瞬ニコッと笑ったみたいな気がしたから勧めた」と言っていました。

体験会でビデオから氣を受け、ハイゲンキを当ててもらったところ、体がとても楽になり、帰る頃には鼻歌を歌えるくらい元気になっていました。翌日ハイゲンキを購入しましたが、1ヶ月くらいたった頃です。痛みがとれないところがあり、頭にきてハイゲンキを投げようとしたんです。その瞬間、リウマチの影響で曲がっていた膝がピンと伸びていることに気づいてハッとし、ハイゲンキを抱きしめて泣いて謝りました。その後はどんどん回復していき、3ヶ月後には一人で東京のセミナーに参加できるほどになっていました。

氣光師としての活動と夫婦の絆

ハイゲンキを持って1年くらいしたとき、近所の方が腰を痛めて動けなくなったので、ハイゲンキを当ててあげたら痛みが消え、それがきっかけで次々と近所の高齢者が来るようになり、治療院を始めました。患者さんは口コミで、難しい病気の方をセミナーや研修講座へつなげていました。ご主人が「お前が氣光師になったら、みんな助かる」と言ってくれたので、研修講座を受講し、氣光師の免状をいただきました。

私は1年前に胃がんになり手術をし、その後の検査で悪性リンパ腫ということがわかりましたが、そのがんの形がかわいいハートの形になっていて、「私を助けてくれるがんだ」と思えました。6クールの抗がん剤治療を経て、がんはきれいに消え、「がんちゃん、ありがとう」という気持ちで、自分を大切にするように意識を変えました。

ご主人は昨年(2023年)7月に脳梗塞で倒れ亡くなりましたが、幸せそうな顔をして旅立っていきました。夫婦で氣をしていたので、主人にも随分と氣が行っていると思います。

最近は、足の爪、足首、スネの真ん中、胃上げのツボ…と、細かく氣を当てながら全身に氣を入れています。ハイゲンキミニ・ジュニアを2本購入し、治療院で使い始めたところ、お客さんの反応もすごく良く、効果が出るのが速いと実感しています。

「信じて、笑って、感謝していたら治る」という先代会長の言葉は、今も心に残っています。この言葉を、わかりやすいように噛み砕きながら、患者さんには話させていただいています。光の世界を信じることが大切だと思っています。

うつ病を乗り越え、46歳でカナダへ子連れ留学

相次ぐ不幸とうつ病の発症

私が真氣光を知ったのは、38歳のときに弘前でうつ病になり、会員さんの治療院へ通うようになったのがきっかけです。数年の間に兄(自死、38歳)、姉(入浴中に溺死、32歳)、母親(脳卒中、36歳)が相次いで他界し、葬式や遺品の整理に追われる多忙な日々が続きました。そしてある冬の日、突然体が動かなくなり、うつ病でした。

初めて氣の治療をしたとき、体の全ての血液が入れ替わったように、すっきりしました。「エネルギーが戻ってきた」と感じ、真氣光の力を実感しました。

その後も体調のアップダウンが続き、血圧は常時180くらい、不眠も続いていました。この波から抜け出すために、60歳のときに生駒での研修講座を受講しました。研修期間中は起きていられず、ほとんど横になっていましたが、皆さんがハイゲンキを当てて氣を送ってくれ、会長も辛かった話をじっくり聴いてくださいました。

難病を乗り越え、カウンセラーとして活躍

うつの波は続いていましたが、少しずつ体調は良くなっていきました。この波から抜け出すため、人の役に立つことをしたいと思い、「傾聴の会」に入り、老人ホームなどで話を聴く活動を始めました。この活動を通して、「人と繋がることは、相手から元気をもうことだ」と改めて気づきました。

その頃、音氣をかけながら家事をしていると、全身からブツブツ泡が出ているように感じることもありました。あれは、私の中にあった邪気が泡になって出てきたのだと思います。また、ご飯の後に口の中に砂粒が残るような感覚があり、歯科医院で異常がないため「精神科に行ってください」と言われた症状もありましたが、5年くらいかかって治っていきました。

46歳で子連れ留学、そして出版

私はもともと教師をしていましたが、魂に届くような話し方や聴き方を学びたいと思い、46歳のときに10歳の子どもを連れて、2年間ほどカナダへ留学をしています。留学中にアメリカの児童精神科医の著書に出合い、この本を日本に届けたいと思い、10年前から執筆を始めました。

2024年10月、それが完成し本を出版しました。本を書くことは大変ですが、それ以上に自分の考えを人に伝える喜びを知りました。

生駒での研修講座から23年、どん底の状態からここまで回復できたのは真氣光のおかげであり、真氣光を通して私を支えてくださった方々への感謝の思いでいっぱいです。

問題は自分で乗り越えられる

導かれるように真氣光へ

私が真氣光を知ったのは2002年で、トラブルで仕事を辞め、精神的にも身体的にも調子が悪かった時期でした。何気なく本を見ていて知ったヒーリング治療院へ行くと、そこの先生に鍼治療の先生を紹介され、その先生が真氣光の会員さんでした。

鍼治療と並行してハイゲンキを使ってツボに氣を入れてもらうようになり、ハイゲンキが気になっていました。その後、その先生に会長の本の出版記念の体験会があることを教えてもらい、参加しました。会長から氣を受け、すごい光のようなものが入ってくる感じがして、その場で生駒で開催していた研修講座へ申し込みました。導かれるように、とんとんと真氣光へと進んで行きました。

住んでいた土地のトラブル

私が氣を受けると、口が勝手にしゃべり、先祖関係、特に父の家系のご先祖様に恨みを持っている方がたくさん出てきました。その影響を受けて、トラブルになっていることもわかってきました。

住んでいたマンションは、戦争時に模擬原爆が落とされたエリアの近隣で、たくさんの人が亡くなっていた場所だとわかりました。亡くなられた魂さんがマンションに残っていて、住人にいろんなトラブルを起こしていたようです。マンションの住人の間でも、あちこちで喧嘩や争い事がありました。

初めての研修講座では、着いた途端に体がだるくなり、寝たきり状態でしたが、だんだん体調が良くなり、仕事も忙しくなり数年遠ざかってしまいました。久しぶりに研修講座を受けようと決心してから、急に体が動くようになり、家の中の片付けや断捨離がどんどんできるようになりました。これが終わった頃、20年住んでいたそのマンションから引っ越しをすることができました。

「すべて自分自身が原因」という気づき

引っ越しをしてからも、前のマンションに住んでいたマイナスの氣が私についてきて、ちょっとしたドタバタがありましたが、新しい住所を役所に届け出たときから、ラップ音などがピタリと止まりました。でも、イライラするとまたラップ音が出てきます。そこで、「いくら環境を変えても自分自身が変わらないと何も変わらない」ということに気づきました。

会長セッションで前のマンションに光を送ると、首を吊った女性も上に上がられました。自分が住んでいたときはいくら氣を送っても効果がなかったのに、大きな違いです。「実はすべて自分自身が原因で起こっているのでは?」と気づきました。

会長のYouTube動画で「問題は、その人が乗り越えられるから、神様が与えている」という言葉を聞いて、力が出ました。両親へのマイナスの思いが随分とありましたが、この辛い環境に生まれてきたのも、自分自身が選んだことだと思えば、文句は言えません。自分の問題は自分で乗り越えられると考えられ、マイナスの氣は自然と離れていき、イライラも怒りも大分なくなってきています。

家族のために、私がコツコツ氣を受けていきたい

先代会長の手はカイロのようでした

真氣光は主人が先に知りました。漁師をしていた主人は股関節が悪く、船井幸雄さんの本で真氣光を知り、池袋で氣を体験し調子が良くなったと感じ、今から30年前にハイゲンキを購入しました。

その後、私が調子を悪くしたタイミングで主人から真氣光を教えてもらいました。当時、仕事、家事、育児で限界を感じ、精神的におかしいと自分でもわかるほどで多分うつ病だったと思いますが、キッチンドリンカーのようになり、結局は爆発し、自分で精神科へ行きました。そんな私を心配して、主人が真氣光の体験会へ連れて行ってくれました。

横浜での先代会長の体験会へ一人で向かいましたが、電車の中で具合が悪くなり、横浜駅では歩くのもままならないほどでした。やっとたどり着いた会場で、幸運にも先代会長から直接背中に手を当ててもらい、氣を受けることができました。それはまるでカイロを当ててもらったような温かさでした。氣を当ててもらいながら、先代会長から「我慢しなくていい」と言ってもらったとき、私はボロボロ泣いてしまいました。氣を受けた後は、歩くのもやっとだった私が普通に歩けるようになっていました。

長女の統合失調症と家族への氣の充電

2016年、長女が統合失調症になり、熱海の研修講座へ旅行に行くようなふりをして連れて行ったことがありました。娘は眼科医院での仕事のストレスがあったようです。

娘の様子がおかしいという病院や大家さんからの電話を受け、迎えに行くと部屋は散らかっていて、妄想なのか、意味が通じないことを話して泣いていました。まるで別人になっていて、暴れる力が半端なく、主人と二人で娘に馬乗りになっておさえつけ、般若心経を唱えたこともあります。

ある日、娘が自宅のトイレの窓から脱走し、知らない人の車を止めて「監禁されている」と言って警察へ連れていってもらいました。警察が一晩観察してくれ、「精神異常」ということで精神病院を紹介され、娘はすぐに入院しました。でも3ヶ月という短期間で退院したのは異例だったようです。

私は面会に行くたびに、氣グッズを持っていき、娘に氣を当てていましたし、遠隔真氣光も依頼して氣を送ってもらったりしていました。その後、娘は再び入院しましたが、退院してからはとても落ち着いています。今は通院しながら、障害者雇用で図書館へ勤め、お花屋さんでもアルバイトをしています。

「洗心」を心がけイライラから解放

娘のことが心配で、「私が一生懸命に氣を受けていくしかない」と思い、研修講座に10回行っています。また、家から脱出したいという気持ちもありました。

以前は主人に対してイライラすることが多かったのですが、最近は「洗心、洗心」と自分に言い聞かせ、「お父さんに何を言ってもだめ」と言いながら、なるべくイライラしない自分でいようと意識しています。最近は年齢のせいか、あまり主人にイライラしなくなってきました。

主人はハーモニカと社交ダンスとギターをして毎日忙しく過ごしています。私たち夫婦は、犬が潤滑油になっているところがあり、夫婦で癒やされています。

私は下の娘に真氣光を知ってほしいと思っています。娘には氣グッズを送っていて使ってくれているようで、家にあるハイゲンキ3型の1つを持っていてもらおうと思っています。

「家族のためにも、私が一番氣を受けていかないといけない」と思っていますから、朝と夜の氣の時間にも、きちんと氣を受けています。主人も氣を受けていますが、犬に氣をやっているようです(笑)。

導かれるように慰霊の日々が始まりました

たまたま見た動画で真氣光へ

虫歯がなかなか治らず体調不良を抱えていた私は、たまたま見たサイトの動画で、歯科医師の山本伊佐夫先生が真氣光をやっていて「真氣光は普通の気功とは違う」と話されているのを見て、真氣光を調べ始めました。それが昨年(2023年)のことで始めるきっかけでした。

SASのサイトで、6ヶ月間で集中的に学べる「真氣光マスタートレーニング」を知り、2023年9月から受講を開始しました。ハイゲンキが家に届いて本体を手に取ったとき、「微妙に振動している」ことを感じ、ハイゲンキと一緒に寝ているときにその振動を感じて、飛び起きたこともあります。

曾祖父の供養から広がる慰霊

マスタートレーニングの講座中、「真氣光の氣は、ご先祖様に届く」ことを教えてもらったとき、私は30年前の出来事を思い出しました。当時、勤めていた会社の社長の母から、父方の曾祖父が「自分のために御経をあげてほしい」と言っていると伝えられ、お寺で供養をしていたのです。この真氣光で同じ供養ができるのかと思いました。

その後、導かれるように、伊豆での研修講座(1回目)では狩野川台風の犠牲者の慰霊へ、そして2回目の研修講座の前後には、元嫁ぎ先である松平家(徳川家の家康公のご先祖の兄の家系)の慰霊へと繋がりました。研修講座の前日には遠隔を受けていると、「首を切らなければならない苦しみがあった」と言う人が出てきました。

さらに、島原の乱の討伐側(松平家)と弾圧された人たちの両方にも氣を送る必要性を感じ、慰霊に回りました。慰霊は自分の過去世にも繋がっていると思えることがあり、「慰霊は自分を癒すためになるのだろう」と思いながら、氣を送っています。

世界の変革期と気づき

真氣光を始めてから、自分に氣が来ていることは感じられませんが、私の世界にこれまでにないようなことが起き始めており、影響を受けていることを実感しています。真氣光は自分のために始めましたが、結果的に人のためになっているのかもしれません。

今は無理に働いたことで、体の不調があるため、自分の体調を整えることを大切にしたいと考えています。世界は変革期を迎えており、混乱しているときだからこそ、自分にできることをやるしかないと思っています。

ある動画で、水の研究者が「水はあらゆる波長の光を受け取る」と話しているのを見て、真氣光の光も体内の水が確実に受け取っていること、そして『音氣』を聞くことは、私たちの体の細胞やその空間にある水を変化させていくのだと納得ができました。そうした気づきを得ながら、真氣光を理解している今日この頃です。

息子の死と20年間の母との確執を乗り越えて

真氣光との出会いと研修講座受講の決意

私が真氣光を知ったのは4年前、主人の病気がきっかけでした。大腸がんのステージ4だった主人のことで疲れ切っていたとき、職場の勧めで訪れた整体の治療院にハイゲンキが置いてあり、それが真氣光を知るきっかけとなりました。良い氣が家に入ってきてほしいという一心で、2015年にハイゲンキ3型を購入しました。

その後、残念ながら主人は亡くなりましたが、あのとき主人と一緒に研修講座へ行けたら良かったと思うことがあります。そんな私が研修講座を受講したいと思ったのは、息子の結婚が決まってからです。新しい家族の幸せのため、そしてこの機会に自分を変えたいという思いから、受講を決意しました。

20年間の確執と苦悩

私と母との確執は20年前からです。私には4人の子どもがいますが、その2番目の息子を小学校6年生のときに病気で亡くしました。息子の葬式のとき、母は皆のいる前で「お前が殺した」と私に暴言を吐いたのです。あれからずっと、私の気持ちは悔しさと怒りで固まったままだったようです。

その後、母は認知症になり、ひどく攻撃的になり怒って文句を言うことを繰り返していました。私が母の面倒をみなくてはいけない状態が続き、とても辛かったです。母と疎遠になっている弟のことも、私にとって苦悩の種でした。

研修講座での深い気づきと気持ちの変化

私は先日、2ヵ月連続で研修講座を受講しました。回を重ねるごとに深い氣づきが得られ、自分の気持ちの変化を実感できました。

会長の講義を聴いて学ぶうちに、母はマイナスの氣に言わされていたのだろうと思えるようになり、母を「愛おしい」と感じ、和解できるような気持ちになってきました。これはすごい変化です。

また、母の言葉がショックで、息子の死をきちんと悲しむことができていないことにも気づきました。研修講座では皆さんの前で、息子が死んだときに母に「人殺し」と言われたことを話すことができ、涙が溢れ、気持ちが軽くなりました。20年間の悔しさと苦しさとの戦いでしたが、話すことができてから、だんだん気持ちが柔らかくなり、死んだ息子を思うと涙が出てくるようになりました。息子をやっと、偲んであげることができるようになったのかもしれません。

特に3回目の研修講座では、自分の中からマイナスを出しきりたいと思い氣を受けていると、咳が出て、最後にたくさん泣きました。スタッフの方に「息子さんもご主人も喜んでいるんだね。良かったね」と言ってもらえ、これまでのしがらみがみんな消えていくようでした。息子のことを自分から話せるようになったのは、とても嬉しい変化です。

穏やかな変化と仕事への活用

20年間の確執や攻撃的な言動が続いた母でしたが、遠隔真氣光を続けた結果、今では考えられないくらい穏やかな母に変わりました。弟のことも「まあいいか」と気にならなくなり、穏やかな気持ちになっています。

真氣光は仕事にも役立っています。私は今、子育て支援センターでスタッフとして働いていますが、悩んでいるお母さんに元気になってもらいたくて口にする言葉が、自分でも驚くくらいに会長がお話してくれるような言葉なのです。そうすると、若いお母さんは元気になってキラキラし始めるのがわかり、子どもも笑顔になります。真氣光で教えてもらうことが、仕事にも生きています。

今回、研修講座を受けたことで、自分の知らない間に、自分が関係する人たちにも良い氣が届いていることを実感でき、自分が氣を充電する大切さを感じました。自分が充電できて、家族や縁ある方々にも氣が行って、一緒に幸せになれるのが理解できて嬉しいです。

真氣光は私にとって、人生を変えてもらえるものだと思います。自分の気持ちだけでは変えられなかった問題も、氣を通して解決へと向かいました。真氣光に導いてくれた主人にも感謝しています。これからも意識をして氣を充電し、家族だけでなく、皆さんと一緒に幸せになっていきたいです。

振り返ると、氣の恩恵はたくさんありました

ハイゲンキでコツコツ20年

私がハイゲンキを買ったのは1995年、実家の父が胃がんになったときでした。父のためにハイゲンキを購入しましたが、父に「そういうものはいらない」と拒否されたため、仕方なく持ち帰り、自分で使うことにしました。

使ってみるとハイゲンキは本当に良く、胃上げのツボに氣を当ててみると、疲れは取れるし、肩こりも取れるので、私は毎日真面目に使うようになりました。当時、私にも家族にも特別な悩みがなかったので、センターを訪ねることもなく、研修講座を受講することもなく、ただハイゲンキを自分で使うという日々が、20年も続きました。

疲れたときは氣を当てると元気になっていましたから、すごいんです。私に大きなマイナスの出来事がなかったのは、氣のお陰だったと思います。細々でも、長くやってきたからこそですね。

娘の病気がきっかけで初めてセンターへ

そんな私が、初めてセンターへ足を運んだのが、3年前の2021年です。娘がめまい、頭痛、婦人科系疾患などで体調がひどく悪くなり、病院で診てもらったときに「子宮がんの可能性もある」と言われたのです。

私は、娘がこんなに悪くなったのは「私のせいだ」と思い込み、ずっと自分を責めていました。娘をなんとかしたいと思って、初めてセンターに出かけて行きました。氣を受けたときは、娘を思いながら泣いてばかりいました。

娘の苦しみが自分のことのように感じられ、精神的にもどん底で悩んでいたときに比べたら、今はどんなことにも冷静に対応できる自分になれました。自分を責める気持ちがなくなったので、気楽にいられます。

精神にできた一つの柱

2023年3月には、真氣光フレームを購入しました。フレームの中には除籍謄本を入れ、たくさんの親族に氣が届くといいと思っています。そのお陰か、フレームを買ってからはとても落ち着いていられるようになり、熟睡できています。以前、氣を計測する機械で私の氣の量を測ってくれた人が「氣がたくさんあるね」とびっくりされましたが、その頃はハイゲンキで胃上げのツボに氣を当てていただけなのです。

今では、娘の体調もかなり改善されてきています。真氣光は私にとって、生きていく基本です。真氣光がなければ、精神的にフラフラしていたと思います。私の精神に1つの柱ができたような感覚です。

故障した機械は私が触ると復活した

氣功教室での不調と真氣光との出会い

以前、気功教室に通っていましたが、そこで人に氣を当てるようになってから、体調を崩して気功教室から遠ざかっていました。体が不調で「氣が足りないのかもしれない」と思っていたタイミングで、真氣光の無料体験会の記事が目に入り、出かけて行ったのが真氣光との出合いでした。それが2010年のことで、真氣光とのご縁をいただいてから今年で14年になります。

真氣光を始めたときは、良いことばかりがありました。当時、私は病院の管理課で働いており、故障したベッドやフットマッサージャー、鉛筆削り機など、様々な故障が起きると呼ばれて行きましたが、私が機械を点検・確認していると、故障が直ってしまうことが度々ありました。会長からは、機械にも溜まるマイナスの氣が、私が氣をやっていた影響で消えていくのだろうと言われました。

上司の変化と強烈な反応

転機を迎えたのは、ハイゲンキ6型を購入してからでした。それまで良好だった職場の上司との人間関係が、6型が来てからガラリと悪い方へ変わり、酷い言葉遣いに追い詰められ、仕事を辞めようと思うほど辛い日々が続きました。

そんなとき、センターに開発されたばかりの真氣光プレートブースターが持ち込まれ、それを抱えながら氣を受けました。上司にも氣を送ったところ、次の日から上司の様子がガラリと変わり、言葉遣いも態度も良くなりました。上司にマイナスの氣があったのだろうと会長に言われました。

私は氣を受けると、反応として、いろいろな方が出てこられることが多いです。ゴルフ場で運転していたカートから振り落とされ、後頭部からコンクリートに落ちたことがありましたが、帽子のお陰でまったくの無傷な状態でした。後日、会長セッションを受けたところ、そのゴルフ場は戦場地跡だったようで、戦で戦った方たちが出てこられました。

別のゴルフ場では龍の神様が祀られている場所で、「自然を破壊するな!」という言葉が出てきたこともありました。だんだん深いところに氣が行くようになって、出てくる反応は強烈なものになったのだと思います。

「いいとこ探し」の継続と自信

以前から胸痛があり、精密検査をしてもらっても「異常はない」と言われていましたが、会長から「胸の痛みも(氣の反応に)関係しているのでは」と言われました。

研修講座(昨年10月受講)の後、自分自身に有効に氣を集めるようにして寝てみたところ、吐き気や気分の悪さがほとんどなくなり、ずいぶんと体が楽になりました。

研修講座で発表した「いいとこ探し」を、昨年3月に再開したところ、10個ではなく3個に減らした工夫のお陰で、今もずっと続いています。こうして継続できていることに自信を持てるようになり、口癖のように言っていた「気分が悪い」と言うことはなくなりました。これからも自分自身の氣を高めていきたいと思っています。

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