21歳のとき同郷で親友のとった行為が原因で絶交になってしまいました。
私は彼を取り立てて恨んでいる訳ではありませんでしたが、許せる行為ではありませんでした。
その後、彼は川崎で塗装業の社長として成功していたのです。
もう一人の親友Aが1年ほど前に「彼と仲良くしてくれないか」と言ってきました。
Aは現在ガンを患っていて神様みたいな男だと思っていました。
しかしそのときは拒否もしませんでしたが、もう一つ乗り気ではありませんでした。
そしてお盆明けに彼が帰郷することをAから聞き、彼は「許してくれないだろうが、それでもいいから謝りたいと言っているよ」の言葉に、もう迷う要素もわだかまりも全くありませんでした。
彼の切実な思い、言葉を尊く受け入れられました。
よし会おう!福岡空港で40年ぶりに再会でき、とにかく嬉しかったです。
それにもまして、彼は翌日、そして翌々日も「本当にすまんかったね、ありがとうね」を繰り返すばかり。
私はただ、真氣光の後押しを頂いただけなのに、彼は私を寛大だと評価してくれました。
真氣光に出合っていなかったら果たしてこの感動はあるのか。
人を許せる歓びがこんなに尊く、そして相手を楽にさせる事に氣づきをいただきました。
また書をやっている私は職場の憩いのスペースに「一度相手を許してみませんか」の題で額をかけようと3ヶ月ほど前から思っていたんです。
それを、肌で!心で!感じさせていただけるなんて、真氣光に会長に本当にありがとうございます。
(Sさん週刊真氣光ニュース2010年10月8日より)